明石書店のwebマガジン

MENU

エリア・スタディーズ200巻突破記念連載 「わたしとエリア・スタディーズ」

とりあえず〈エリア・スタディーズ〉(植田将暉)

世界の国と人を知るための知的ガイド「エリア・スタディーズ」シリーズがおかげさまで遂に200巻を突破しました! この節目を記念して、本シリーズに新しい一面を加えるべく、新たな連載「わたしとエリア・スタディーズ」を始めます。 「エリア・スタディーズ」に触発され、さまざまな研究を行う若手研究者たちの経験やエピソードを紹介します。エリア・スタディーズが探求する多様なテーマに関連する体験や研究の裏話、そしてエリア・スタディーズを通じて感じたインスピレーションに焦点を当て、シリーズに寄せるメッセージをお届けします。第1回は憲法学について研究をされている植田将暉さんにエリア・スタディーズとの出会いや研究領域とのつながりに関してご執筆いただきました。

 

気がついたときには、とりあえず本屋に行って〈エリア・スタディーズ〉を手に取る習慣ができていた。ぼくにとって〈エリア・スタディーズ〉は、ある地域について調べるために欠かせない、「とりあえずの一冊目」だ。

 

なんとなく第一志望にしていた某国立大学の受験に落っこち、ええいままよと一番偏差値の高かった大学と学部に進学したぼくは、入学してすぐ、みずからの適当さを悔やむことになる──なんと早稲田大学法学部には法律分野しか存在しなかったのである!(第一志望の法学部には法律学科のほかに政治学科が設けられていた。)周章狼狽、困惑卒倒。おそらくぼくのような受験生以外には周知のごとく、法学部は試験勉強がキツい学部というので悪名高かった。しかも、ぼくは法律学にぜんぜん興味が持てなかったのである。

なんという不幸。学部1年生のぼくは民法の初回講義を受けながらすでに絶望していた(その後、民法は2回単位を落とすことになる)。しかしツイていたのは、早稲田大学法学部にはいわゆる「教養科目」もたいへん充実していたということである。法学の試験勉強は勘と一夜漬けにまかせ、普段はひたすら法学以外の勉強に没頭していればよかった。

 

 おそらく〈エリア・スタディーズ〉を手に取るようになったきっかけは、そんな法学以外への知的放蕩のさなかにあったのだろう。思い返せば、いくつか具体的な記憶もある。

たとえば、入学してすぐの初年次ゼミでの出来事。そこで手始めのグループワークとして「どこか一つの国を選び、その地域が抱える社会問題について報告せよ」という課題が与えられたのだ。ぼくたちのグループは、イタリアを選び、その食文化──パスタ──について発表することに決めていた。

なぜイタリアのパスタが社会問題の報告につながるのか。そこには、じつはイタリア料理屋へ行くだけで調査を済ませようとたくらんだ不真面目な学生たちの遠謀深慮があったのだが、表向きの理屈はこのとおり:イタリアには地域それぞれのパスタをはじめ、地域色ゆたかな文化がある。そのような地域文化の多様性が、ともすれば分離独立をめざす政治運動につながっている。であるがゆえに、多様なパスタを食べることは、イタリアを理解するための重要な一歩である……。そしてぼくたちは個性豊かなイタリアについて理解を深めるべく、東京のイタリア料理屋めぐりへ旅立っていった。

とはいえ、文献調査もちゃんと行なっていたことは書き添えておきたい。そのとき、まだ文献の調べ方もおぼつかなかった学部1年生のまえに運よくあらわれたのが、ほかでもない、〈エリア・スタディーズ〉だったのだ。──と言ってしまうと、いささか宣伝色が過ぎるだろうか。でも、作り話ではなく、本当のことなのだから仕方ない。さらにいえば、「パスタから政治運動へ」という報告の流れ自体、〈エリア・スタディーズ〉に教えられたものだった。

イタリアについてひとまずざっくりとした全体像をつかもうと思い立ったぼくは、大学の図書館へ足を運び、まず、『イタリアを知るための62章』や『現代イタリアを知るための44章』を手に取ったのだろう。そこには政治体制や経済状況だけでなく、歴史や文化にもバランスよくページが割かれている。さらにイタリアについては、『イタリアを旅する24章』も刊行されていて、そこでは地域文化や食文化について詳しい記述を読むことができる。

ある国の政治体制や法制度は、その地域の歴史や文化とも深く結びついている。学部1年生のぼくはその気づきを裏返しにして、調査を口実にしてイタリア料理を食べ歩く理屈をでっちあげたわけだが、偶然にもそこに浮かび上がってきた「地域性と法」とでも言うべき主題に、それ以降ぼくはずっと向き合っていくことになる。

早稲田大学法学部の魅力が「教養科目」の充実であるということはすでに述べた。その後、ぼくはひたすら哲学や歴史、文学の授業を取り続けていく。そのなかで様々な地域について関心が向かい、そのたびに〈エリア・スタディーズ〉のお世話になってきた。

たとえばフーコーや行政法からフランスという地域にたどりつく。その先に広がっていたのは、パリやフランス本土(France métropolitaine)だけでなく、アフリカやカリブ海地域といった広大なフランス語圏の存在だった(つまり、『パリ・フランスを知るための44章』や『現代フランス社会を知るための62章』だけでなく、『セネガルとカーボベルデを知るための60章』や『カリブ海世界を知るための70章』の出番である)。

あるいは、人類学者との出会いからメラネシアやアンデス地域に関心が広がっていった。そのときひとまず手に取ったのは、やはり、『南太平洋を知るための58章』や『太平洋諸島の歴史を知るための60章』、そして『ボリビアを知るための73章』や『エクアドルを知るための60章』などの〈エリア・スタディーズ〉だった。

新しい地域に出会うたび、ぼくはとりあえず〈エリア・スタディーズ〉を開いてきた。その効用は、なによりその地域の「見取り図」をざっくりと得られることである。検索するには「キーワード」が必要だし、本を読むには信頼できそうな「文献リスト」があったほうがよい。〈エリア・スタディーズ〉にはそのふたつが揃っている。さらにそれらは、専門家の手によって適切な文脈のなかに位置づけられているのだ。これ以上、なにを望もうか。

 

けっきょく、「法学部の放蕩息子」を気取っていたはずのぼくは、現代思想と人類学への放蕩を通じて、いつしか法学の世界に戻ってしまった。学部3年の冬に人類学者たちとの読書会で読んだマリソル・デ゠ラ゠カデナの『地のものたち Earth Beings』(未邦訳)という著作から、人新世における非人間中心主義的な法のありかたを考えるようになる。そして「自然の権利」をテーマに、いまでは法学研究科で憲法学の修士論文を書いている。主たる関心は、やはり地域性と法制度、あるいは「大地」と法の結びつきにある。

あいかわらず〈エリア・スタディーズ〉は重宝している(合衆国についても〈エリア・スタディーズ〉は充実している)。とりあえず〈エリア・スタディーズ〉を開いておけば視野が広がり、何度も読み返せば理解が深まる。法学部生にも〈エリア・スタディーズ〉はオススメしたい。世界は広い。その広がりに出会うことこそ、きっと、法学への──あるいはそこから逸脱していくための──第一歩なのだ。

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 植田 将暉(うえた・まさき)

    早稲田大学大学院法学研究科修士課程。専門は憲法学。

関連書籍

閉じる