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ジョイスの手――はじめての『ユリシーズ』

邪魔だらけの物語――第7挿話アイオロスの読み方(1)

 『ユリシーズ』の第7挿話アイオロスは、第3挿話に続き 、読者が物語への興味を失って挫折しやすい2番目の壁と言えるかもしれない。新聞社を舞台とするためか、この挿話全体は、合計で63の新聞記事の見出しのような大文字で表記された言葉を冠するセクションで区切られている(*1)。ただでさえ6つの挿話と明らかに異なるページの見た目に読者は困惑するが、さらに厄介なのは、これらの見出しがその下にあるセクションを読み進める上で有用ではなく、むしろ何か余計で、邪魔なもの、物語の連続性を断ち切ってしまうことである。見出しはセクションの内実に合っていることもあれば、まったく恣意的な場合もあり、ときに嘲笑的になることもあり、読者は見出しを書いている正体を何か一つのわかりやすい声や主体に還元できなくなってしまう(*2)。他にもこの挿話では、常に中心となる視点人物が不在であること、セクション化された上に細切れにされた会話文が展開すること、登場人物たちが忙しなく入退場を繰り返すことから、ページを繰るなかで強いストレスを覚える読者もいるだろう。

 謎めいていて、難しいこの挿話を捉えるには、次の事実を知る必要がある。第7挿話が初めて1918年10月号の『リトルレビュー』誌に掲載されたときには、見出しのような言葉はなく、冒頭の2つのセクションも存在しなかった(U 7. 1-19)(*3)。ジョイスは1921年の夏までに大幅な改稿を行い、本文内の“Scissors and paste”(U 7.32)の語句をなぞるように、まるで鋏で物語を切り取り、そこに糊で見出しを貼り付けるようにして、意図的に不連続で断片的に見えるページを仕上げたのである。今回の記事では2回にわたりその改稿の意味を明らかにしつつ、第7挿話を読むための方法を提示してみたい。その方法を最初に簡単に言ってしまえば、ある主体や事物がもっている何かに向かおうとしている「方向」あるいは「矢印」を認識するとともに、邪魔や中断、障害や干渉を物語のなかに見つけ出すことである。

 

◇ ◇ ◇

 

 第7挿話の最初に置かれた2つのセクションは、改稿時に付け加えられたもので、いわば2つの巨大な柱でつくられた玄関である。一つは、ダブリン市の目抜き通りのサックヴィル通り(現オコンネル通り)の中心部にあるネルソン記念柱である。続く2つ目のセクションは、イオニア式の6本の柱を堂々と誇示する中央郵便局(G.P.O)の正面玄関の描写である(写真1を参照)。

 

(写真1)1900年頃のサックヴィル通り(現オコンネル通り)。左手には中央郵便局の正面玄関が見える。その柱よりもおよそ倍の高さをもつネルソン記念柱の下から、各目的地に発車する路面電車が見える。歩行者や自転車、馬車も共存していた時代の風景がうかがえる。 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:G.P.O._and_Nelson%27s_Pillar,_Sackville_St,_Dublin_by_Lawrence.jpg

 

ヒルベニアの首都の中心にて(*4)

 ネルソン記念柱の前で路面電車は徐行し、待避線に入り、トロリーポールの移動をすませ、そうして発車する。ブラックロック、キングズタウン、ドーキー行き、クロンスキー、ラスガー、テレニュア、パーマーストン・パーク行き、アッパー・ラスマインズ、サンディマウント・グリーン、ラスマインズ、リングズエンド行き、サンディマウント・タワー、ハロルズ・クロス行き。嗄れ声のダブリン合同軌道会社発車係がどなり声で急き立てた。

――ラスガー、テレニュア!

――よし、サンディマウント・グリーン!

右左並行に、がったんチンチンがったんチンチン、ダブルデッカーとシングルデッキが始点線路から動き出し、カーブして下り線に入り、並行に滑り行く。

――発車、パーマーストン・パーク!(U-Y 7. 203)

 

王冠印

 中央郵便局の玄関先で靴磨きが口々に呼び立て、靴磨きに精出す。北プリンス通りに並ぶ国王壁下の朱塗りの郵便車が、横腹に王の頭文字E・Rを見せて、どさっどさっと放り投げられる袋を次々に受け取る。封書、葉書、郵便書簡、小包、書留、料金支払済、市内、地方、英国本土、外国。(U-Y 7.203)

 

 見慣れぬ地名や羅列の文体によって、情報が多く感じられるかもしれない。しかし、形式的な側面だけを見てみれば、この2つのセクションには、ある始点から四方八方に広がっていく「方向」あるいは「矢印」が書き込まれていることがわかるだろう。始発駅のネルソン記念柱に戻ってきた路面電車は再び中継駅や終点駅に向かう「矢印」をもって出発する。個々の郵便ポストに投函された郵便物も、中央郵便局に集荷されたあと、種類と目的地に応じて分類されて、市内、地方、英国本土、外国に向けて、「矢印」をもって特定の宛先に向かう。つまりこの2つのセクションは、ある意味で挿話全体に対するトピック・センテンスとして機能しており、続く物語で誰がどの方向に向かって動き、それがどのように邪魔されるかに目を向けよ、という読み方を指示する自己言及的なセクションであると読み解くことができるのである。

 これから見ていくように、第7挿話では、人間と動物、事物のいずれもが何らかの方向性を帯びて描かれる。2つの方向に向かう「矢印」によって構成される「鋏」や「風見鶏」、「アレクサンダー・キーズ」の交差する鍵の広告案、「連桁ブラインド」(crossblinds)(*5)、その他、ハロルズ・クロスという地名や部屋や通りを横切る移動(across, cross)によってもほのめかされているが、さまざまな「矢印」がこの新聞社を舞台にして交わるのである。これまでの挿話の登場人物たちもそれぞれの「矢印」をもっていたが、第7挿話が特殊なのは、一つのアクションに対して幾度も邪魔が入り、それぞれの「矢印」がいたるところで中断し、干渉される点である。以下、それぞれの「矢印」がいかに真っ直ぐ進むことができないかに着目しながら、この邪魔だらけの挿話を捉え返してみよう。

 物語の冒頭、アレクサンダー・キーズ商店の広告を新聞に掲載する契約更新と広告デザインを相談するために社に来ているレオポルド・ブルームは、同僚の“レッド”・マリーと話をしている。社に到着した編集発行人ウィリアム・ブレイドゥンが自身のオフィスに消えていくのを見守りながら二人が雑談をしていると、“――フリーマン!”という電報配達の声が、二人の会話の間に割り込んでくる(U-Y 7.206)。中央郵便局から送られてきた郵便物の「矢印」が終点に届いたことを示しているが、この声の介入と郵便物の到着によって彼らの会話が一端中断することは意義深い。なぜならこの声は、物語のなかで焦点になっている人物たちの背後でも別の時間が動いており――文字としては描かれていないが――他の場所で生きられている無数の現実の存在を示しているからだ。

 あるシーンで焦点があたっている人物や空間の外側には、別の人間や動物、事物が存在していて、別の時間と場所と運動が存在している。現実世界では当たり前だが、小説世界ではつい忘れさられてしまうその当たり前の事実を、第7挿話を読む上では念頭に置く必要がある。例えば“レッド”・マリーに現行で掲載されているキーズの広告を切り取ってもらうと、ブルームはその切れ端を手に 、印刷所監督のナネッティのもとに向かうが、その目的地にたどりついてみると、ディグナムの訃報記事を担当しているハインズがすでにいて、ブルームはしばし待たされる。話を終えたハインズは立ち去ろうとするが、そこにブルームが「すっとたちふさがる」。彼は親切にハインズに伝える―「金をもらうつもりなら経理がいまランチにでかけるところだよ」(U-Y 7. 208)。この発言はすぐにわかるように、ブルームがハインズに貸していた借金をその場で回収する目的で、いわばハインズの「矢印」を経理の「矢印」に交差させようという意図で発されたものである。物語には直接描かれてはいないものの、このあとランチに出かけようとした経理係は給料を取りに来たハインズによって、その移動を邪魔されたことだろう。

 コミュニケーションを遮る騒音や雑音、喧騒を描くのもこの挿話の特徴である。ハインズが去ったあとブルームは広告の件でナネッティに話しかけるが、社内で忙しなく動く印刷輪転機の騒音に邪魔されて、「ガッチャンガッチャンの合間合間にするするっと言葉を滑り込ませ」ることでしか、うまく声をとどけることができず(U-Y 7.210)、ブルームはジェスチャーを使ってキーズの広告について説明をする。ナネッティの関心がキーズよりも大司教の投書の掲載に移り、植字工のマンクスを探しはじめると、ブルームはしばし植字工の仕事を観察したあと、騒音を逃れて、階段の踊り場に出る。踊り場という中途にある位置で、ブルームは次の方向――直接電車に乗ってキーズのもとに直接向かうか、事前にアポをとるため電話室に行くか――を考える。

 踊り場を降りると、けたたましい笑い声がイヴニング・テレグラフ編集室から聞こえてくる。編集室に入ると、ネッド・ランバートがダン・ドーソンの雄弁な文体の講演文を嘲笑しながら読み上げており、そこにデッダラス氏とマッキュー先生が合いの手を入れている。ひょっと現れたブルームにもネッドは「まあ、聞いてくれ」と講演文の続きを読み上げようとするが、ちょうどそこに(金策目当てに編集長に会おうという目的でやってきた)J・J・オモロイが入ってきて、朗読は一時中断される。このあともネッドが講演文の数句を口にするたびに、デッダラス氏とマッキュー先生が茶々や批判を加えるものだから、講演文は再三にわたって「大きな声で」(U-Y 7.215)中断され、その文章はいわばシュレッダーにかけられたように細切れの文となって断片的に読者に提示される(U-Y 7.215-19)。

 3人の騒ぐ声があまりにうるさかったからか、ドアが乱暴に開かれて編集長のマイルズ・クロフォードが入ってくる。すると、真っ赤な顔をしたアルコール中毒の編集者を誘うように、デッダラス氏とネッド・ランバートは酒場(社の隣の建物にある「オーヴァル」)に向かうと言う。ブルームは隙を見て同室にある電話でキーズにコンタクトをとろうとする。J・J・オモロイが「カナダの詐欺事件」が今日の新聞に載っているかどうかマイルズに尋ねると、その会話の隙間にブルームが電話をしている声が割りこんでくる(U-Y 7.222)。この挿話にあっては、一人の人間が長々と紙幅をとることはできず、ある方向性をもったアクションや発話は常に外部から干渉されてしまうのだ。

 室内はますます騒がしく、多声的になり、「矢印」の交錯も複雑になる。オフィスの奥にいたレネハンが『スポーツ』のゲラをもってきてアスコット競馬のゴールドカップ賞の話題を持ち出すと、競馬版を待っていた新聞売りの少年たちが騒がしく入室してくる。彼らが開けたドアから吹き込んできた風でゲラがバラバラと床に散らばる。マッキュー先生が少年たちを追い出し、レネハンがゲラを拾っている間も、J・J・オモロイが「カナダ詐欺事件」の記事を新聞のなかに見つける。しかし長い記事のために、「六面四段目に続くか」(U-Y 7. 223)として、その内容は先送りにされる(読者がこの事件の内容を知るには第12挿話を待たねばならない)。ここにキーズの居場所を突き止めた電話中のブルームの声が割り込む。すぐに現場に向かってキーズをつかまえようとするブルームだったが、急いでいたために、ゲラ刷りを拾っていたレネハンにぶつかってしまう。この時彼は体を摑まえられて(U-Y 7. 223)、文字通り動きを止められてしまう。

 ブルームは、その後バッチェラーズ・ウォークにあるディロンの競売店にいるというキーズを探しに一時社を退出し、マイルズもまた、デッダラス氏とネッド・ランバートがオーヴァルに向かったと聞いて自分でも外出しようするが、帽子を探すためにオフィスの後ろに消えていく。その間にJ・J・オモロイが煙草を勧め、レネハンも一本をもらう。そこへ帽子をとってきたマイルズがやってきて、煙草を一本取る。こうしてマイルズの外出は一時留められ、以降、イヴニング・テレグラフの編集室内では、喫煙談義が繰り広げられる。続く会話はまさに雑談の名にふさわしく、ある話題から別の話題へと次々に移り変わる。読者は「矢印」のあまりの方向転換ぶりについていけなくなるが、そこで読者が感じる「話についていけない……」という印象は決して間違ったものではない。その会話は明らかについていけないほどにくるくると方向が変わることを意図して書かれているからだ。そのことをすでに退出したブルームの意識が的確にとらえていた。

滑稽だよな、こういう新聞屋ってのは新たな風穴を嗅ぎつけるとくるり向きを変えるんだから。風見鶏だよ。どっちつかずのふうらふら。どっちを信じていいのかわかりゃしない。なんせ話がころころ変わる。(U-Y 7.218)

 「風見鶏」(weathercock)のデザインは一般的にN・E・W・Sの方位を指す「矢印」の交差でできていることを思い出せば、このブルームの意識が第7挿話の主題を自己言及的に説明していることはすぐに理解できるだろう。実際、風神アイオロスが司る第7挿話のシンボルを「風見鶏」とした場合、『フリーマンズ・ジャーナル』紙が「自治の太陽は北西から昇る」(U-Y 4.105)デザインをロゴとして採用していること、マイルズの容貌に鶏の肉垂(cock’s wattles)が適用されたり、“North Cork”や“North Prince’s Street”の地名、スティーヴンの詩で南(south)の語が入っていることなど、方角が奇妙に強調される点に目を向ければ(*6)、ジョイスが新聞社内を描くにあたり、風見鶏と連想が働く“News”という語に関して流布している、誤った民間語源説を利用していることを指摘できるのかもしれない。

 

◇ ◇ ◇

 

 第7挿話の物語の後半は、ブルームの退場とともに編集室に入ってきたスティーヴンの登場によってはじまる(U-Y 7.228)。ブルームの退場後、レネハンができたての謎々を披露しようとしようすると、マッキュー先生が遮ってローマ文明批判をはさみ、そこにJ・J・オモロイが財務裁判所長官パリスの逸話を追加しようとすると、レネハンが「こっちの謎々が先だ」と割って入る。しかしここでオマッドゥン・バーク氏とスティーヴンが入ってきてレネハンの謎々は中断される。レネハンがあらためて謎々(「鉄道に似ているオペラは何か?」)を披露しようとすると、そこにスティーヴンが割り込み、ディージー校長のタイプ原稿を編集長のマイルズに手渡す(U-Y 7.224-29)。第3挿話で見たとおり、投書原稿の一部はスティーヴンが詩を書くために切り取られており(U-Y 3.90)、この場面では、その切れ端に書かれた詩句が合間に引用される(挿話冒頭でブルームが切れ端を手にナネッティのもとへ向かったこととの対比を誘うシーンでもある)。マイルズは投書原稿中の「(ミュルツシュテークの)御料馬」という言葉から連想し(U-Y 2.64を参照)、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ一世がハンガリー人の暗殺者に襲われたところをアイルランド人に助けられたエピソードを語ろうとする。するとマッキュー先生がそこに割り込み、英国およびアイルランドをカトリックとギリシャの文明双方に仕える臣民に見立てて、長広舌を弄する。

 マイルズは「続きをあとで読もう」とディージー校長の原稿読みを一時中断すると、レネハンが謎々をふたたび提示し、その答えを得々と披露する(U-Y 7. 230-32)。マイルズは口蹄疫問題をくだらないと断じ、スティーヴンに記者の可能性を告げる。イグネイシャス・ギャラハーのフィーニクス殺人事件でのスクープを例に出すと、オマッドゥン・バーク氏が事件時に御者の役割を担ったと考えられている “Skin-the Goat”のフィッツハリスがバット橋にいることに触れる。続けてガムリーという石番もバット橋にいることを思い出すと、スティーヴンが「父の知り合いですよね?」と言って、ガムリーの話題に食いつく。石番に話をもっていかれそうになったマイルズはふたたびフィーニクス殺人事件のスクープに話を戻そうとする。バックナンバーの新聞を開いて図説付きで事件の概要を説明しようとすると、そこに(ディロンの競売店からかけてきているブルームからの)電話の音が割り込んでくる。マッキュー先生が電話に対応し、その声がマイルズの説明の隙間から聞こえてくる。ブルームから電話があったことを告げられてもマイルズに「あんなもんは放っておけ」と言い放たれ、結局ブルームはマッキュー先生に「自分で言うんだな」と諭される(U-Y 7.237-38)。このため―物語には直接描かれてはいないが――ブルームはここから社に向かって舞台裏で動きはじめ、新しい「矢印」をもった移動を開始する。

 編集室では話が続く。マイルズが「ブン屋魂」について一席ぶっていると、電話を切ったマッキュー先生が「無敵党」の言葉にひっかかり、ある新聞記事を紹介しようとするが、それをJ・J・オモロイが横取りする(「エピソードの横取り」は第6挿話のルーベン・J・ドッドの部分を参照)。マイルズは再びジャーナリズムの主題に引き戻そうするも、主題はジャーナリストや弁護士の言葉の技芸である雄弁へと分岐し、J・J・オモロイがチャイルズ殺人事件の弁護をしたシーモア・ブッシュの弁論例を引き合いに出す(この間、話を聞いているスティーヴンの意識が会話文の間隙のなかに織り込まれる)。これに対抗するマッキュー先生はアイルランド語の復興を論じたジョン・F・テイラーの論説をあげる。雄弁な演説の言葉が、煙草の煙、スティーヴンの意識、「すきっ腹の言葉なき音」に割り込まれながら朗々と読み上げられる。

 マッキュー先生の演説朗読が終わる頃には、第7挿話の終わりも近くなってくる。スティーヴンが酒場に行くことを提案すると、マイルズは口蹄疫に関する投書の掲載を快諾したあとで鍵を探しに奥のオフィスへ戻り、(金策当てでやってきている)J・J・オモロイも彼の後についていく。スティーヴンがマッキュー先生と先に酒場へ向かいながら、プラムの寓話を話し出す。社の入口では『スポーツ』の競馬版を手に入れた新聞少年たちが「四方八方にちらばり(scattering in all directions、声をはりあげ」る光景が目に入る(U-Y 7. 250;強調は筆者)。この表現は明らかに第7挿話の冒頭の路面電車や郵便物が各方面に向かって散らばっていたイメージの反復であり、この挿話の主題が「方向」や「矢印」であることを示そうとする意図がうかがえる。

 マイルズとJ・J・オモロイが建物から出てきたタイミングを見て一行は酒場へ向かうが、そこに電話を取り次いでもらえずディロンの競売店から帰ってきたブルームがマイルズの前に立ちはだかる。ブルームは喧しく割り込んでくる新聞少年たちをどかしてからキーズ商店の広告の件でマイルズに話しかけるが、すでに心は酒場に着いている編集長に「腕で払いのけられるように」邪険に扱われる(このときブルームはスティーヴンを見かけるが、両者は会話をすることなく、第7挿話ではすれ違いに終わる)。スティーヴンがマッキュー先生にプラムの寓話の続きを話しているところに、マイルズとJ・J・オモロイも加わる。スティーヴンが「スカートをたくしあげて…」と話を繋げると、マイルズが冗談交じりの検閲を行って、一時言葉を止める。スティーヴンが老婆がプラムの種を吐き出した顛末を述べてようやくエピソードを切り上げたときに、一行はムーニー酒場を反対に見据える「オコンル通りにさしかかる」(U-Y 7.255)。原文中――“They made ready to cross O’Connell street.”――で “cross”が使われている理由は、冒頭と同じように、ジョイスが第七挿話の主題を自己言及的に示そうとしている証である。オコンネル通りの中央郵便局前のネルソン記念柱の始点からはじまったこの挿話はその終点にいたって、8つの路線の路面電車が停電によって止まり、その「矢印」を止められてしまう。今回の記事の冒頭に掲げた写真で、路面電車と馬車が併存している光景を今一度見返してもらいたいが、この機械の停止に代わって、動物たちが、伝統的な馬を使った交通手段が活躍しはじめる。この引用を読めば、最初の2つのセクションが追加されたのは、(矢印が交わる)交差配列的なモチーフと構造を挿話に呼び込むためであったことがわかるだろう。

はい、中央電話局です!

八つの路線のさまざまな地点で路面電車がトロリーポールの動かないまま立往生している。ラスマインズ、ラスファーナム、ブラックロック、キングタウンとドーキー、サンディマウント・グリーン、リングズエンドとサンディマウント・タワー、ドニーブルック、パーマーストン・パークとアッパー・ラスマインズ、どこ行きもどこ発もすべて停電で止まったまま。貸馬車、辻馬車、配達馬車、郵便馬車、自家用一頭立、がちゃがちゃ鳴る木枠の瓶を載せた炭酸水運搬荷馬車、そんなあんなが、がらがら、ごろごろ、馬に引かれて、慌しく先を急ぐ。(U-Y 7.255-56)

 さまざまな風と矢印が行き交った第7挿話は最後に、スティーヴンが語った逸話にタイトル/見出しをつけ、読者の視点のなかにフリーマンズ・ジャーナル社のオーナーにもなったジョン・グレイの像とネルソンの像を一つの視野に並べる。つまり、2つの柱から始まった挿話は2つの像で終わるのである。このことを認識した途端、初読時に散らかって見えた挿話に堅固な構造性が隠されていた、という印象を覚えるのではないだろうか。ここまで紹介してきた方向や矢印の主題、ジョイスが加筆した冒頭2つのセクションが形成する入口と出口の枠構造をみてもわかるように、この挿話はきわめて構造的に、タイポグラフィカルに、自己言及的に自らを「文字として」開いているのである。

 次々回の10月の連載ではさらに踏み込んで、ジョイスの手が交差配列的なモチーフをいかに挿話内に隠しこんでいるかを紹介してみたい。読者は例えば次のような文面の中から、後ろから読んでも意味を成す語句や文を見つけられるような、「文字を文字として見る視力」を身に付ける必要がある。

(写真2)ガブラ―版『ユリシーズ』のU 7.204-08の箇所より

 

南谷奉良 

 

参考文献

**本連載では『ユリシーズ』からの引用はJames Joyce, Ulysses, ed. Hans Walter Gabler (Random House, 1986)に準拠し、略号Uにつづけて挿話番号+行数を記す。また柳瀬尚紀訳からの引用の際には、『ユリシーズ』(河出書房、2016年)に準拠し、略号U-Yにつづけて挿話番号+ページ数を記す。ただし原文に振られているルビは原則省略し、必要な場合にのみ〔〕内で示す。特に断りのない場合、引用中の強調は筆者による**

 

*1 これを新聞の見出しというより初期無声映画のインタータイトルとして解釈する論もある。金井嘉彦『「ユリシーズ」の詩学』東信堂、2011年、209-10頁を参照。

*2 見出しを操作している主体として、ディヴィッド・ヘイマンによって提起された、作者や語り手とも同一視できず、テクスト全体についての知識を有して、それらの情報を操りながら、主にタイポグラフィカルな仕掛けによって読者の目を挑発する匿名の「アレンジャー」の存在を指摘する解釈もある。John Somer, “The Self-Reflexive Arranger in the Initial Style of Joyce’s Ulysses,” James Joyce Quarterly, vol. 31, no. 2 (Winter, 1994), pp. 65-79を参照のこと。

*3 ジョイスはこの他3つ目のセクションの文章に交差配列的な構造になる変更を加えたり、風に結びつく語句などを多く本文内に追加した。アイオロスおよび風のモチーフについてはM. J. C. Hodgart, “Aeolus,” Ulysses: James Joyce’s Critical Essays, edited by Clive Hart and David Hayman, U of California P, 1974, pp. 117-18を参照。

*4 原語“Hibernian”に対して、柳瀬訳では「ヒベルニア」ではなく「ヒルベニア」という表記が用いられている。植字や誤植をモチーフにする挿話のため、柳瀬氏による意図的な誤記なのかもしれない。

*5 「連桁ブラインド」は柳瀬尚紀による訳語。どの辞書にも記載がない“crossblinds”については同挿話に隠されている“cross symbolism”のためのジョイスの造語だと考えられてきたが、実際に流通している窓に取り付ける商品であった。下記の記事を参照のこと。Harald Beck, “The Crossblind Crux.”James Joyce Online Notes, http://www.jjon.org/joyce-s-environs/crossblinds.

*6 この解釈は「2022年の『ユリシーズ』」という企画の第7回読書会中(2020年8月23日実施)の各読者の発言から、特に芳野舞氏によるコメント「なぜスティーヴンの詩では、mouthに押韻させる語としてsouthという言葉が用いられているのか」という指摘から啓発を受けている。記して感謝する。

 

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著者略歴

  1. 南谷 奉良

    日本工業大学講師、日本ジェイムズ・ジョイス協会事務局員。19世紀から20世紀初頭にかけての動物をめぐる文学、表象、諸制度に関心がある。主要業績:「ジョイスの〈ベヒーモス〉――『スティーヴン・ヒアロー』あるいは『若き生の断章』試論」(高橋渡・河原真也・田多良俊樹編著『ジョイスへの扉――「若き日の芸術家の肖像」を開く十二の鍵』英宝社, 2019年, 231-62頁); ”Joyce’s ‘Force’ and His Tuskers as Modern Animals. Humanities (Special Issue“Joyce, Animals, and the Non human), vol. 6 (3), 2017, pp. 1-15.

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