『ユリシーズ』のなかの《小動物》(1)――遭遇から発見へ
近年の動物論研究の興隆にともなって脱人間中心主義的な世界の可能性が模索されるなか、文学作品のなかで周縁化されてきた、「キャラクター」という位置づけにすら到達しないアクターである動物に注目が集まりはじめている。例えばイワン・クレイルカンプ(*1)はアレックス・ウォロッチのマイナーキャラクターに関する議論をさらに進め(*2)、その著書Minor Creatures: Persons, Animals, and the Victorian Novel (2018)で、19世紀のリアリズム作家たちの描く家畜やペットに注目し、固有の名前や性格、アイデンティティを付与されることはあれど、そのステータスが数ページも持続せず、追憶されることもなくいつのまにか物語の舞台から退場させられている“semi-human”/“semi-characters”としての動物を論じている。19世紀やヴィクトリア朝といった時代区分に限らず、文学というディシプリンにおいては、解釈の遡上に乗せるための十分な記述量を欠いた動物たちは容易に脇へ掃き寄せられ、背景に追いやられてしまう。今回の記事では(次々回と合わせ)、semi-charactersよりもさらに影を帯びた存在、テクストではほんの数行でしか触れられず、名前すら与えられない、その存在を極度に矮小化されている動物に着目した上で、そのようなアクターを「文学のなかの《小動物》」と呼ぶ。そしてダブリンの街のなかからその《小動物》たちを発見する才を持った『ユリシーズ』の主人公レオポルド・ブルームのまなざしの意義について考察してみたい。
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「ジョイスの短編集『ダブリナーズ』には、動物いじめに触れた作品がある」と言っても、それがどの短編であるかを即座に答えられる人は少ないだろう。それはその動物がまさしく文学のなかの《小動物》であるためだ。2番目の短編「遭遇」(執筆は1905年)は、ジョイスがノース・リッチモンド通りに住んでいた頃(1895年頃)、弟スタニスロースと行なった学校サボりの体験から着想を得たものだ(*3)。当時の(英国のハームズワース社から出版されていた)The Union Jackや、Pluck ,The Halfpenny Marvelといった冒険雑誌中のアメリカ西部開拓時代を描いた物語に刺激を受け、「インディアンごっこ」などをしていた少年たちが、夏休み近くに計画を立て、「ほんものの冒険」を求める過程が描かれる。語り手の「ぼく」と友人マホーニーは学校の先生や敵対するグループから、退屈な日々やダブリンの街からと、さまざまなものから逃れようとするが、実はこの物語のなかでは、人間だけでなく、1匹の猫もまた人間の暴力から逃走していることに注意を向けなければならない。まずはこの短編を通して、数行の限られた記述でも、文学のなかの《小動物》が重要な役割を果たしうることを考察してみよう。
「ぼく」とマホーニーは他の少年たちの投石攻撃から逃走し、渡し舟を使ってダブリン市の中央を流れるリフィー川の南岸へと渡る。彼らはそのあとリングズエンドに入り、漁師の家族たちが住む、みすぼらしい地域を歩いていると、小さな路地から1匹の猫が姿を現わす。猫を見かけたマホーニーは「ぼく」を置いて、嬉々としてその動物を追いかける。少し前に自慢していたように、彼はこの日の冒険に備えてパワーを増した改良パチンコ(catapult)を持参していたからだ。ジョイスは――密かに性的なニュアンスを含めながら――マホーニー少年の興奮と欲望をしのばせる。
ディロンを待っているあいだにマホーニーはぼっこりとふくれた内ポケットからパチンコを取り出し、それに改良を加えたんだと説明した。なんでそんなものもってきたの?と聞くと、マホーニーは、こいつで鳥にちょっかいだしてやるんだよと言った。(D 14)(*4)
おそらくはゴムを強く張り替えることで、石を飛ばす弾力を強化したのだろう。幸い物語のなかでは、鳥が見つかることもなく、猫も実際に撃たれることなく広い野原へと逃げおおせるが、この猫の逃走に導かれる形で、2人は不気味な振る舞いを見せる老人と遭遇することになる。同じ軌道をぐるぐると回りつづけるように繰り言をする老人の話の途中、マホーニーはさきほどの猫を見かけ(“catching sight of the cat which had escaped him” D 19)、それを口実に、「ぼく」を残してその場を逃げだし、猫を追跡する。猫が壁によじ登ってふたたび逃げたあと、マホーニーは悔しそうに壁に向かって石を投げるが、この一部始終の光景を「ぼく」といっしょに遠くから見ていた老人は、次第に奇妙な言動を露わにして、少年の隣でその嗜虐的な欲望をつぶやくのだった――乱暴な子だ...ああいう子には鞭をたっぷりと打たねばならない...この世で鞭打ちほど好きなことはない、と。こうして老人の脅威がいよいよ高まったとき、語り手の「ぼく」がその場から最終的に逃走することで「遭遇」はその物語を終える。
なぜジョイスがこの物語に猫を登場させたのか。その理由は、「猫を見かけて」(catching sight of the cat)やパチンコ(catapult)に仕掛けられたジョイス流の修辞を見ても意図的であることがわかるが、最も重要なところでは、「痛み」や脅威を振りかざす人間とその暴力を受ける被虐者の姿をイメージとして重層化させるためだろう。例えばマホーニーは、鳥や猫に石を向けようとしたり、パチンコを振りかざしながら「ぼろを着た少女たち」を追いかけるが、それはすでに物語の前半で部分的に反復されていた光景である。ローマ史を学んでいる授業中、ジョー・ディロンがポケットに隠していた雑誌を見つけられたとき(*5)、バトラー神父はその雑誌を「ゴミくず」と呼び、厳しい教育的警告を彼の上から振りかざす――
きみたちみたいな、教育を受けた少年がこんなものを読んでいるなんて...(中略)...ディロン、きみに厳しく言っておこう、勉強にとりかかるんだ。さもないと...(I’m surprised at boys like you, educated, reading such stuff. . . . Now, Dillon, I advise you strongly, get at your work or ...)(D 13)
最後の省略記号に隠されて振りかざされているのが、当時の鞭やパンディバットによる制度的体罰としての打擲であることは疑いがない(*6)(現に「ぼく」とマホーニーは、冒険の途中、先生に鞭で打たれるディロンの姿を想像している;“guessing how many he[Dillon] would get at three o’clock from Mr Ryan”[D 15])。そしてこうした懲罰に注目したときにこそ、物語の最後で語られる老人のサディスティックな欲望の起源が浮かび上がり、マホーニーが暴力の潜在的な再生産者であることが点綴されるのである。
(写真)サンディコーヴのマーテロ塔、現「ジェイムス・ジョイス・タワー」に展示されている打擲具パンディバット;2008年撮影/南谷
言うまでもなく、「遭遇」の冒険が西部開拓物語を模している以上、彼のパチンコや石はそのままネィティブ・アメリカンに向けられた銃や銃弾のアナロジーとなる。レベッカ・クヌースがハームズワース社の少年雑誌に触れながら、ジョセフ・ブリストウとともに指摘するように、ヴィクトリア朝における少年冒険雑誌の物語群は、獰猛な動物や未開の野蛮人を飼いならし/征服し、支配下に置くという帝国主義的アジェンダを多分に含んでいた(*7)。路地裏の猫に逃げられたあと、沈みゆく日が雲に隠れるに応じて、彼らの冒険的精神と興奮もしぼみはじめ、「ぼく」はそろそろ家に帰ろうとマホーニーに提案する。このときマホーニーが見せた「残念そうにパチンコを見た」という仕草は(D 16)、彼が改良された力を征服すべき《小動物》相手に証明できなかった気持ちを、弱い他者を脅かすことで自分の優位性を確認できなかった失敗を意味しているだろう。「遭遇」は学校から逃走した子どもたちが、(おそらく幼い頃に学校でその鞭の痛みを味わったがゆえに、その嗜虐の味を知った)老人から逃走することで終わりを迎えるその枠構造によって、逃走と嗜虐が循環する社会の暗部を描き出す。猫が触れられるのはたった数行ではあるが、その《小動物》がいることで上記の逃走と嗜虐のモチーフが点綴されて、物語の芯が硬くされている。また、もう一つの重要なことには、その猫が書き込まれることで、狭い路地や壁の上、広い野原といった、人間の知覚や地理感覚の外にある、動物が通る空間がテクスト上に切り開かれるのである。
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文学のなかの《小動物》はその記述量が限られているために、よほど意識的でなければ、すぐに読者の注意から逃げ去ってしまう。この点で『ユリシーズ』の主人公レオポルド・ブルームの動物を見つけるまなざしは重要である。マホーニーのように動物を迫害することで小説の場面から逃走させてしまうのとは正反対に、ブルームは街のなかから動物を発見し、みずから距離をせばめ、その目をのぞきこみ、頻繁にその思考のなかにまで降りてゆく。以下では第6挿話を中心に、この人物がいかにダブリンの街のなかに生きている名もなき《小動物》たちを発見するかに目を向けてみよう。
第6挿話で、6月13日に死去したパディ・ディグナムのための葬列馬車がサンディマウントの地区からプロスペクト墓地まで移動し、その葬儀が行われる場面には、数多くの動物が登場するが、その多さの理由はブルームという人物の観察力に依っている。例えば彼は、単に馬車に乗っているだけでも、その馬車を引いている馬を、野良犬や迷い犬の収容施設である(1885年に運営を開始した)グランド運河付近の「犬の家」を、リフィー川北の埠頭からリバプールへ出荷される牛の群れを、ロイヤル運河に捨てられた犬の死体や、その上の曳舟道を歩く1頭の馬を風景から見つけている。次の引用では、フィングラスの石切場から戻ってきた墓石用の御影石を積んだ馬車をブルームは眺めている。
馬たちの先頭にいる馬車曳きが会釈をした。次は棺だ。...(中略)...馬が鬣を傾げて棺の方に振り返って見ている。どんよりした目。馬具の首当てがきつくて、たぶん血管とかが圧迫されてるんだ。毎日ここに何を運んできているかわかっているんだろうか。(U 6.509-12)(*8)
ブルームはここで馬の目を観察し、それが身につけている馬具が血流を圧迫し、身体に与えている痛みや影響をかんがえる。彼の心配は膨大な人間と荷役の重量を支えてきた運搬動物の酷使の問題を背景としている。英国の近代交通網を支える都市部の馬は、19世紀にその需要を伸ばし続け、1830年代にはおよそ350,000頭であったのが、20世紀初頭ではおよそ1,200,000頭へと急増していた(*9)。馬は怪我をして「使いもの」にならなくなるまで、「老いぼれ」(nag)になるまで利用され、荷役運搬動物として役目を終えると解体場(knacker’s yard)に送られて処理された。彼らの肉は猫の餌用に、その脂肪はロウソク用の獣脂や馬具や馬車の部品のための潤滑油に、骨は洋服用のボタンや堆肥に、尻尾や鬣は家具や釣り糸に、革は馬車の天井や鞭の芯などに再利用された(*10)。まさしく馬たちは、生きているときも死んでからも、文字通り徹頭徹尾その身体を社会に提供していた。
このような過酷な労働がなお顕著になったこともあり、馬に対する同情的な見方も次第に市民感情のなかに浸透していった。頭を高く保っておくための「止め手綱」が与えうる痛みを動物愛護の観点から社会問題化したことで有名なアンナ・シューエル(1820-1878)による『黒馬物語:ある馬の自伝』(1877)は(*11)、一人称による馬の語りと視点を採用しながら労役馬の一生を描き出した。詳細な調査をもとにした馬に関する古典的著作、W. J.ゴードンのHorse-World of London(1893)もまた(*12)、「馬車を引く馬の仕事がどのようなものであるかを...(中略)…馬の視点から想像しようとした」成果であった(*13)。多くの場合、文学のなかの馬車馬たちは名前も与えられておらず、人物たちを別の場所に移動させるだけの単なる道具立て、透明な移動手段としての「馬なき馬車」に過ぎず、地面を鳴らす蹄鉄の音や鞭を当てる音、御者の掛け声といった換喩のなかで、その身体性を剥奪されてしまう。しかしブルームという人物は生きている馬とその身体を頻繁に読者の前に提示する。そして上の引用にもあるように、彼の目は馬の視点のなかへと入りこみ、その「どんよりした目」が見つめているであろうものを想像しようとするのである。
他者のまなざしに入っていくブルームの癖は他の動物に対しても見られる。埋葬を見守るなか、彼は1匹の《小動物》を見つけだす。
鳥が一羽、ポプラの枝におとなしく止まっている。剥製みたいだ。フーパー参事会員がぼくらの結婚式にプレゼントしてくれたあの。ほらっ、こっち! ぴくりともしない。いまはパチンコ(catapult)で狙われていないとわかっているんだ。動物に死なれるほうがずっと悲しい。おばかのミリーは死んだ小鳥を台所用のマッチ箱に入れて土に埋めていたっけ。雛菊と割れた何かの欠片を輪にしてお墓にかけたりして。(U 6.949-53)
ブルームの目は、剥製のように、ほとんど動かない鳥を樹々のなかから見つけるのみならず、(マホーニーのような少年たちが使用していた)パチンコが鳥たちにとって脅威であるような想像上の視野を獲得している。ミリーの即席でつくった墓のマッチ箱と、マホーニーの改良パチンコは、子どもが鳥に接する態度において対照的なモノであるのも興味深いが、おそらくブルームはそれを、ディグナムが入れられた方形の棺から連想したのであろう。彼はつづけてディグナムの埋葬される死体から、死の予兆で現われる「髑髏蛾」(“Deathmoths”[メンガタスズメ])や、土のなかで死体を貪る蛆虫(U 6.782-83)を思い浮かべ、埋葬の習慣からは、「人間だけが死者を埋める。いや、蟻も埋める」(“Only man buries. No, ants too”; U 6. 809-10)などと意識を展開させている。その知識を彼はいったいどこから仕入れたのか、これは大プリニウスが『博物誌』のなかで述べた「人間は別にして、蟻は唯一死者に埋葬を行う動物である」の理解にそっくり対応しており(*14)、古代の昆虫学から伝承され、近世の博物学者を驚かせてきた蟻の行動を指している。20世紀中盤以降からは、蟻や蜂などの社会性昆虫がコロニーの衛生環境維持のために行う、死んだ個体を巣から除去し、運び去る「ネクロフォレシス」(necrophoresis)として知られている行動である。ブルームは人類の埋葬と蟻のそれとを安易に重ねてしまう勇み足を犯してはいるが、ここでは「人間だけが」に対してすぐに“No”と否定する脱人間中心主義な知恵を指摘するほうが重要であろう。
墓掘り人たちが土を落としはじめると、ブルームの思考は納骨堂や棺のなかへと降りていく。そのとき「もしも彼[ディグナム]が生きていたら...」などと考え(U 6.865-66)、生存を棺のなかから地上に伝えるための珍妙な救済案に思いを巡らすのは、18世紀以降に広がり19世紀末で頂点に達した、生きたまま埋められてしまう不安(taphephobia)の言説を反映したものだ(*15)。この主題に関する代表的フィクション、エドガー・アラン・ポー(1809-1849)による短編「早すぎた埋葬」(1844)では、その恐怖を想像させるために「暗闇のなかで見えないが、確かに体の上をうごめく征服者の蛆虫」を登場させていたが、ブルームも同様に「蛆虫ベッド」(U 6.1004)を想起する。しかしまた別の小動物を発見したことで(「彼はじっと石室のなかをのぞきこんだ。何か動物だ。ちょっと待て。そら動いた」; U 6.971-72)、彼はさらに妄想をたくましくして、腐敗を嗅ぎつけた蝿がまとわりつき、鼠たちがチーズのような死体をしゃぶりつくして骨だけにするさまを想像する。ここでも動物の知覚に入っていく彼の癖は健在である。ブルームは考える――鼠たちが食べるものは彼らの舌にとってみれば、「匂いも味も生の白蕪のような」(U 6.994)、腹いっぱいになれる3度の飯だ。グロテスクに思えるかもしれないが、土を貫いて、死者の生や地下の《小動物》たちの生にまで及ぶブルームの思考をかんがえると、私たちが文学作品を読むときに、あるいは街を歩くときにでも、いかに多くの《小動物》を見失っているかが痛烈に意識されてくるのである。
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ブルームは多面的な人物であるため、掛け値なしの純粋な「動物好き」(animal-lover)と呼ぶことはできないが、少なくとも『ユリシーズ』のなかではもっとも動物に親愛の情を示し、動物が受けうる痛みや苦しみを想像する感性をもった人物ではある。何より重要なのは、彼が普段の日常の背景に隠れている動物たちと動物が通る空間を発見する特異なまなざしをもっていることである。それを予示するかのように、ブルームが物語のなかではじめて発する声は、彼が朝食を準備しているところに後ろから近づいてきた猫を発見する声なのである(「おや、そこにいたんだな」“O, there you are.”; U 4.11)。このようなブルームのまなざしに倣って、動物に遭遇するのではなく、発見するようにして、街やテクストを見てみたらどうだろうか。実際、「猫はいないかな?」などと考えながら街を歩いていると、ほんとうに猫が見つかることがある。そしてもし見つけたのであれば、「あ、猫だ」という声の向こう側に、「あ、人間だ」という声を想像し、反転した映像のなかで私たち自身の姿を見返してみよう。おそらくはそれが人間の知覚や地理感覚の外にある空間を、それまで見えなかった《小動物》の世界の大きさをうかがい知る最初の一歩であるだろう。
南谷 奉良
(次々回『ユリシーズ』のなかの《小動物》――遭遇から発見へ(2)に続く)
(写真)2019年8月10日、都内河川敷にて撮影/南谷
[注]
*1 Ivan Kreilcamp, Minor Creature: Persons, Animals, and the Victorian Novel (U of Chicago P, 2018), p.17.
*2 Alex Woloch, The One vs. the Many: Minor Characters and the Space of the Protagonist in the Novel (Princeton UP, 2003).
*3 Joyce, Stanislaus, My Brother’s Keeper: James Joyce’s Early Years, 1958, ed. Richard Ellmann (Da Capo Press, 2003), p. 79.
*4 『ダブリナーズ』からの引用はJames Joyce, Dubliners: Authoritative Text, Context, Criticism, ed. Margot Norris (W.W. Norton & Company, 2006)に準拠し、略号Dにつづけてページ数を記す。
*5 ハームズワース社の冒険雑誌およびディロンが読んでいた短編「アパッチ酋長」についての詳細な分析は、Greg Winston, “Britain’s Wild West: Joyce’s Encounter with the Apache Chief.” JJQ, Vol. 46, No. 2, Winter, 2009, pp. 219-38を参照。
*6 この場面から『若き日の芸術家の肖像』の第1章のクロンゴウズ・ウッド・カレッジ寄宿学校の教室で描かれるような革製の懲罰具「パンディバット」による打擲が連想されるだろう。弟スタニスロースは、本短編のモデルになっていると考えられるヴェルヴェディア・カレッジ(ジョイスが1893年から98年にかけて在学していたイエズス会系の学校)でパンディバットによる懲罰習慣があったことに触れている(Stanislaus Joyce, My Brother’s Keeper, pp. 70-71)。
*7 Rebecca Knuth, Children’s Literature and British Identity: Imagining a People and a Nation (Scarecrow P, 2012), p. 65.
*8 『ユリシーズ』からの引用はJames Joyce, Ulysses, ed. Hans Walter Gabler (Random House, 1986)に準拠し、略号Uにつづけて挿話番号+ページ数を記す。
*9 Harriet Ritvo, Animal Estate: The English and Other Creatures in the Victorian Age (Harvard UP, 1987), p. 311n1.
*10 W. J. Gordon, Horse-World of London (Religious Tract Society, 1893), p. 187.
*12 *10を参照。
*13 Kathryn Miele, “Horse-Sense: Understanding the Working Horse in Victorian London,” Victorian Literature and Culture, Vol. 37, 2009, pp. 130.
*14 G. O. Lopez-Riquelme and M. L. Fanjul-Moles, “The Funeral Ways of Social Insects. Social Strategies for Corpse Disposal,” Trends in Entomology, Vol. 9, 2013, p. 72.
*15 昏睡や強硬症の発作の症状が死と区別されず、そのまま生き埋めにされてしまう不安は特に19世紀末に広がった。1904年時のブルームが考える心臓に杭を打ってとどめを指す方法や、電気時計や電話、旗や通気孔によって生存を地上に伝達する方法(U 6.865-69)も、そのような不安から1896年に発表されたカーニス・カーニッキー伯の発明から直接着想を得ていると考えられる(cf. Claire Voon, “Le Karnice, the Victorian Coffin Designed to Save Lives” Oct 19, 2016, Mental Floss)。この主題に関する同時期の著作には、膨大な数の生き埋めの例を紹介したFranz HartmanのBuried Alive: An Examination into the Occult Causes of Apparent Death, Trance and Catalepsy (Occult Publishing, 1895)や、網羅的にその問題を医学的に解剖し、予防法を検討したTebbとVollumによる共著Premature Burial and How It May Be Prevented (Swan Sonneschein & Co, 1896)がある。