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ジョイスの手――はじめての『ユリシーズ』

Metempsychosis=「会者定離輪廻」??――『ユリシーズ』における「見えなさ/死角(blindness)」について

 カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』には次のような記述がある。

人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と彼はいうのだった。そしてこうつけ加えた、「だけどもう、それだけじゃ足りないんだ(*1)

いったい何が「足りない」のかはひとまず措くとして、ここでヴォネガットが語っているのは「全体小説」、すなわち「人生について知るべきこと」が「すべて」書かれている本のことである(*2)。『ユリシーズ』はしばしば百科事典になぞらえられてきたが、次のジョイスの有名な言葉は、彼の全体性や総体性への強い欲望を裏付けることだろう――「私はダブリンを徹底的に描き尽くしたいんです。そうすれば、もしある日、あの街がこの地上から消え去ってしまっても、私の本[『ユリシーズ』]から復元できるでしょうからね」(*3)。実際にこの言葉を耳にし、私たちに書き残してくれた、作者の友人であるフランク・バッジェンも暗に示しているように、『ユリシーズ』からダブリンを「復元」することはもちろんできない。そんなことはジョイスにも重々わかっていたことだろう。しかし、ダブリンを全体として、隅々まで描きつくしたいという強い情熱が作者にあったことは確かだ。狂気にも似たその欲望こそが『ユリシーズ』をより長く、より分厚く、そしてより細かく、その文字数は増殖していったのである。

 

(写真)カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』;(写真)Frank Budgen, James Joyce and the Making of Ulysses, and Other Writings(写真はAbeBooks.comより)

 

 しかし、第5回の連載で書いたように、詳細に書かれ過ぎている『ユリシーズ』には、その一方で無数の空白や欠如が存在する。そのようなテクストの〈見えなさ/死角(blindness)〉の一例として以下の場面を見てみたい。第4挿話の中ほど、ブルーム夫妻の寝室で以下のような会話が交わされる。朝食をベッドの上で(!)食べている妻のモリーが、読み終わったばかりの本に出てきた言葉の意味を夫のブルームに尋ねる場面だ。

――こっちへちょうだい、細君[モリー]は言った。しるしを付けといたの。あなたに訊こうと思った言葉があって。

 カップを無把手持ちにしてぐいっと一飲みすると、指先を上手に毛布でぬぐってから、ヘアピンで頁をたどっていき、その言葉に突き当る。

――会った者がどうしたって? 夫[ブルーム]は聞き返す。

――これよ、と、細君。どういう意味?

 夫は前屈みになって、細君の親指の磨いた爪のあたりを読んだ。

――会者定離輪廻かい?(Metempsychosis?

――それ。その人そもそもどこの誰?  

――会者定離輪廻、と繰り返し、眉を顰めた。ギリシア語さ。もとはギリシア語。つまり、霊魂の転生という意味だ。

――わあ、ごっつごつ!(O rocks!) 細君は言った。やさしい言葉で言ってくれなくちゃ。(U-Y 4.115-16)

 

「会者定離輪廻」という訳語に、柳瀬氏の苦労のあとが見て取れる(そもそも、会者定離と輪廻を続けて書くこと自体が柳瀬氏の〈発明〉である)。集英社文庫のいわゆる丸谷訳では「輪廻転生」に「メテンプサイコーシス」とルビが振られている(*4)。古代ギリシャの英雄オデュッセウスのラテン語名がユリシーズであることを知っている読者ならば、ここでヨーロッパの古代世界(神話)とアイルランドの現代世界(世俗)が重ね合わせられていることに気づくだろう。つまり、ギリシャの英雄は、20世紀初頭のダブリンに「霊魂の転生」を経て、英雄ではなく一般の市民として舞い戻ってきたのである。

 柳瀬氏が「会者定離輪廻」という訳語を選択したのには確固たる理由がある。Metempsychosisという単語には、この『ユリシーズ』の一日における最大の事件、モリーとボイラン(彼女のコンサートを取りまとめている興行師)との「不義・姦通」が予言的に書き込まれているのだ。そしてここにこそテクストの空白が存在する。もう一度この場面を注意深く読んでみよう。

[モリーは]カップを無把手持ちにしてぐいっと一飲みすると(*5)、指先を上手に毛布でぬぐってから、ヘアピンで頁をたどっていき、その言葉に突き当る。

――会った者がどうしたって? 夫[ブルーム]は聞き返す。

モリーはヘアピンを手に本のページをつらつら辿ってゆくと、この単語、Metempsychosisに出くわす。彼女はこの単語を声に出して読むのだが、うまく発音することができない――メッテム・パイク・ホウジーズ?――恐らく彼女はこのような感じで単語を区切りながら(Metem / psyc / hosis)声に出したのだろう。それ故にブルームは「会った者がどうしたって?(“Met him what?)」、直訳するならば「〈彼と会った〉、で、何?」と「聞き返す」。つまり、上のブロック引用の「突き当る」と「聞き返す」のあいだには、モリーが“Metempsychosis”を発音しようとしてうまくできなかった部分が書かれていないのである(*6)。ジョイスが『ユリシーズ』の読者に求めている注意力はいったいどれほど高いのかとため息をつかずにいられない。

 集英社訳は「彼に会っただって?」に「メット・ヒム」、「輪廻転生」に「メテンプサイコーシス」のルビを振ることで、何とかこの二つの台詞の間にある結びつきを示そうとしたわけだが、柳瀬訳では「会った者がどうしたって?」と「会者定離輪廻」とすることで、「会」「者」にMetem / Met himを忍ばせている。しかし、このような訳文の工夫は書き言葉、あるいは黙読には適しているが、残念ながら音の繋がり――メット・ヒムとメテン――が再現できない。もちろん私はここで柳瀬訳の欠点をあげつらいたいわけでも、『ユリシーズ』の翻訳不可能性を強調したいわけでもない。本稿のポイントは、テクストの空白、〈死角〉である。これまで丁寧に書きとられていた夫婦の朝の会話の一部が欠落することで、その欠落が逆説的にも意味を際立たせる――その手法を前景化させたいのだ。

 この箇所の〈見えなさ〉はジョイスも充分意識していたことがわかる。例のごとく彼は「反復」によって、この箇所の重要性を再度読者に示唆している。第4挿話の午前8時から約5時間後の午後1時、第8挿話の次の場面を見てみよう。広告からの連想でボイランとモリーの不義を心ならずも想起してしまったブルームの内的独白である。

 ブルーム氏はすたすた歩きだし、うろたえた目をあげる。もうあのことは考えるな。一時過ぎか。底荷事務所の報時球が下にきてる。ダンシンク標準時。わくわくするような本だ、あのロバート・ボールのは。視差[パララクス]。よくは理解できなかったな。あそこに神父がいるぞ。ちょっと訊いてみるか。パルってのはギリシア語だ。並行[パラレル]、視差[パララクス]。会った者定め難輪廻しなんて訊くんだからな、会者定離輪廻を。わあ、ごっつごつ!(U-Y 8.266)(*7)

 私自身「視差」という言葉の意味を『ユリシーズ』に学んだ身であるが、ブルームにとってもこの言葉の意味は曖昧であるようで、彼がモリーと同様にそれを他の人に訊ねようとするのは興味深い。ジョイスがこの反復を意図していたことは明らかだ。なぜなら、パララクス(parallax)がギリシャ語起源であることからの連想で、ブルームは今朝の会話、私たちが本稿の最初で見た第4挿話の場面を想起するからである。しかしここでジョイスは第4挿話のテクストの空白部を埋めている。「会った者定め難輪廻し」という柳瀬訳の原語は、Met him pike hoses、すなわちモリーが“Metempsychosis”を発音しようと試みるもできなかったときの発音、その音声がブルームの聞き取ったままにここで再現されているわけだ。

 “Met him pike hoses”は『ユリシーズ』全体で実に8回繰り返される重要な言葉である(*8)。この言葉がブルームの脳裏に憑りつくのは、複数の研究者が指摘するように(*9)“Met him”がボイランに会うこと(これはこの日の午後4時に起きることだ)、これに加えて“pike”が「槍」「突起」「突く」、hoseが「ホース」と、男根的なイメージを潜ませていることにある。まさに、Metempsychosisが「輪廻転生」という神話=ユリシーズ(オデュッセウス)と世俗=ブルームの「ホメリック・パラレル(ホメロスとの並行関係)」を指し示す重要な鍵語であるならば、第4挿話で書かれることなく第8挿話まで隠されていた“Met him pike hoses”はモリーとボイランの不義密通を暗示するのである(*10)。これはまるで語り手とモリーが共謀して、不倫という事実をブルームだけでなく、読者からも隠しているかのようだ。

 最初期の批評書であるスチュワート・ギルバート(Stuart Gilbert)、あるいはドン・ギフォード(Don Gifford)の注釈書が指摘しているように(*11)、第4挿話「カリュプソ」の原義は“The Concealer”、「隠すもの」という意味である。これはホメロスとの関係で言えば、漂着したオデュッセウスを洞窟に7年間隠したニンフ(女神)に相当するが、この挿話において「隠す」行為を行うのは、モリーだけではない。ここで、もし今この文章をお読みの皆さんにお時間があるならば、是非とも「隠す」という行為に着目して、第4挿話を読み直してみて欲しい。

 

(写真)Stuart Gilbert. James Joyce’s Ulysses: A Study;(写真)Don Gifford. Ulysses Annotated: Notes for James Joyce’s Ulysses.

 

 第5挿話で明らかになるように、ブルームは「プラストウの高級帽」に「白い紙片」(*12)、文通相手の手紙を局留めで受け取るためのカードを隠す(U-Y 4.104)。それに対し、モリーもまたボイランからの手紙を「ちらっと見るなり枕の下に押し込ん」で夫の目から隠している(U-Y 4.112)(*13)。さらに言えば、ブルームは自身のユダヤ性を肉屋の店主に隠し(U-Y 4.109)、娘のミリーはバノンへの淡い恋心を父親に隠し(U-Y 4.118)、スティーヴンとブルームが同時に眺める雲は一時太陽を隠している(U-Y 1.21 / 4.110)。そして、何より最も本質的なこととして、ブルームとモリーはその本心を互いに隠したまま会話を続けている。

 このことに気が付いたとき、一見すると何気ない夫婦の朝の会話に思われるやり取り、その一挙手一投足が、突如として緊張感を帯びたものに、隠された意図と企図に満ち溢れたものに見えてくる。ある種の不信や疑念をもって、読者は〈深読み〉することを要求される。次回の連載では、以下のふたつの引用にある〈死角〉を検討したいと思う。

 二通の手紙と一枚の葉書が玄関床にあった。屈んで拾い上げる。マリアン・ブルーム様。弾んでいた心がたちまち静まった。力任せの筆跡。マリアン様。

――ポウルディー!

 寝室に入って目を細め、暖かな黄色の薄明りの中、ベッドの乱れ髪のほうへ進む。

――手紙は誰に?

 二通を見直す。マリンガ―。ミリー。

――僕にミリーから、と、さりげなく言う。それから君に一通。(U-Y 4.111)

 

 ささくれになった封筒の端がへこみのついた枕の下から覗いていた。部屋を出がけに夫はふと足をとめてベッドスプレッドを伸ばす。

――手紙は誰から? 一言訊いた。

 力まかせの筆跡。マリアン。

――ああ、ボイラン、細君は言った。プログラムを持ってきてくれるんですって。(U-Y 4.114)

 

 テクストの〈死角〉を作り出しているのは他ならぬ作者ジョイスである。多く書かれ過ぎている『ユリシーズ』だからこそ、その空白は一種の謎となり、それを解き明かしたいという読者の欲望を駆り立てる。『ユリシーズ』の読者は書かれていることに目を向けるだけでは足りない。なぜ書かれていないのか、と問うことで見えてくることは本当に多い。改めて考えてみれば自明のことであるが、小説は言葉から成っている。その言葉を読むことで私たちはあるイメージを抱く。しかし、「赤いリンゴ」ひとつを取ってみてもそのイメージは読者によって様々であろう。言葉はその意味で究極的には象徴的なものでしかない。このように考えていったときに思い至るのは、第1挿話から第3挿話のスティーヴンの章においても、第4挿話から第6挿話のブルームの章においても、私たちは彼らがどのような外見をしているのか、例えば何歳で、身長や体重はどのくらいで、どのような髪形をしているのかをほとんど知らないということである。全体小説的な、文字通りの意味で重厚な『ユリシーズ』のところどころに空いている箇所は、むしろテクストの至る所が死角だらけであるという小説本来の特性を明らかにしているのではなかろうか。

 

小林 広直 

 

**本連載では『ユリシーズ』からの引用はJames Joyce, Ulysses, ed. Hans Walter Gabler (Random House, 1986)に準拠し、略号Uにつづけて挿話番号+行数を記す。また柳瀬尚紀訳からの引用の際には、『ユリシーズ』(河出書房, 2016年)に準拠し、略号U-Yにつづけて挿話番号+ページ数を記す。ただし原文に振られているルビは原則省略し、必要な場合にのみ [ ] 内で示す。**

 

*1 カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』伊藤典夫訳、ハヤカワ文庫、1978年、137頁。なお太字の個所は、翻訳では傍点が打たれている。

*2 これについては、次のような間テクスト性(intertextuality)を指摘できるだろう。

「『カラマーゾフの兄弟』を読んだことは?」と私は訊いた。

「あるわ。ずっと昔に一度だけだけど」

「もう一度読むといいよ。あの本にはいろんなことが書いてある。小説の終りの方でアリョーシャがコーリャ・クラソートキンという若い学生にこう言うんだ。ねえコーリャ、きみは将来とても不幸な人間になるよ。しかしぜんたいとしては人生を祝福しなさい」(村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(下)、新潮文庫、1988年、326頁)

*3 原文は以下の通り――“I want . . . to give a picture of Dublin so complete that if the city one day suddenly disappeared from the earth it could be reconstructed out of my book.” (Frank Budgen, James Joyce and the Making of Ulysses, and Other Writings, OUP, 1972, p. 69.) 

*4 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』I、丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳、集英社文庫、2003年、161頁)

*5 「無把手持ち」という興味深い訳語の原文は、“by nothandle”、つまりここでモリーはカップを鷲掴みにしている。この描写の背景にあるのは、ティーカップの把手をつまんで飲むという貴族文化だ。把手の穴に指を入れることは、(性的なイメージを喚起するが故であろうか)下品なこととされていたわけだが、モリーはあっけなくその上を行くのである。

*6 この「発音」という問題は、モリーがイタリア語の歌詞を正しく発音できるだろうかとブルームが思いめぐらせているとき――「行きたくって行きたくなくて[ヴオーリオ・エ・ノン・ヴオツレイ]。発音を間違えずに歌うかな。ヴォーリオ。」(U-Y 4.115)――に起こるという「偶然の一致」が仕組まれていることに、私たちはやはり驚かなくてはならないだろう。

*7 原文は以下の通り――“Mr Bloom moved forward, raising his troubled eyes. Think no more about that. After one. Timeball on the ballastoffice is down. Dunsink time. Fascinating little book that is of sir Robert Ball’s. Parallax. I never exactly understood. There’s a priest. Could ask him. Par it’s Greek: parallel, parallax. Met him pike hoses she called it till I told her about the transmigration. O rocks!” (U 8.108-13)。この箇所の原文では、「転生・輪廻(transmigration)」のみ記されているが、柳瀬氏はMet him pike hosesとMetempsychosisの連環を想起させるために、再度「会者定離輪廻」という訳語を選択している。

*8 Gabler版では以下の通り――U 8.112 / U 8. 1148 / U 11.500 / U 11.1062 / U 11.1188 / U 13.1280-81 / U 16. 1473 / U 17. 686.

*9 “Met him pike hoses”については多くの研究者が論じているが、例えば次のふたつの論文は大変示唆に富む。Hugh Kenner, Ulysses, Allen & Unwin, 1980, pp.81-82. および、Margaret McBride, Ulysses and the Metamorphosis of Stephen Dedalus, Bucknell UP, 2001, pp.126-27.

*10 ここで私が先に第8挿話から引用した個所に見られるように、「視差」がMet him pike hosesのくだりで記述されていることにも着目したい。すなわち、この語もまた『ユリシーズ』の鍵語のひとつなのである。金井嘉彦はこの点を以下のように実に明瞭に説明している(『「ユリシーズ」の詩学』、東信堂、2011年、77-78頁)。

たとえば、ブルームが第八章で思い浮かべる「パララックス」(“parallax”)という語は、天文学用語で、ある天体を異なった二点から見たときに生ずる変位のことを指すが、これは、文体の変化に伴う視点の変化により対象の見え方が変わってくる、『ユリシーズ』の文体変化の原理を説明するメタファーとなっている。また第四章で、ブルームの妻モリーがうまく読めず「メット・ヒム・パイク・ホーシーズ」(“Met him pike hoses”)と間違って読んでしまった「メテムサイコーシス」(“metempsychosis”)という語は、死後、霊魂が他の人体または動物体に移るという考え方、すなわち輪廻を意味するが、これは、『ユリシーズ』の多様な文学的隠喩により登場人物に多層的に重ね合わされる過去の偉人等のイメージの原理を説明している。たとえば、ブルームには、オデュッセウスのほかには、キリストやモーゼなどが、その予型(type)として重ね合わされている。そのほかにも、ホメロスの『オデュッセイア』との対応関係を示唆する唯一の指標となっている「ユリシーズ」という題名も、『ユリシーズ』読解の手がかりの一つとして数えることができる。

*11 Stuart Gilbert. James Joyce’s Ulysses: A Study. 1930. Faber and Faber, 1952, p.142.

Don Gifford. Ulysses Annotated: Notes for James Joyce’s Ulysses. With Robert J. Seidman. 2nd ed, U of California P, 1988, p.70.

*12 本稿では再現できないが、原文は “Plasto’s high grade ha”(U 4.69-70)となっているため(経年変化で商標の t の文字が擦り切れているのだ)、柳瀬訳では「帽」の文字の下半分が欠けている。これもまた一種のテクストの〈空白〉と言えよう。

*13 しかもこのことは、ブルームが窓の「ブラインド」を調整していたときに行われていたことに着目したい。彼はまるで妻に向かって〈見ていない/見えない(blind)〉というメッセージを暗に送りながら、「後ろについた目が見て取る」のである。ジョイスにとって〈死角〉というモチーフが重要であることは、『ダブリナーズ』所収の「アラビー」にも明らかだ(桃尾美佳「「アラビー」の死角――blindnessをめぐって」『ジョイスの罠――『ダブリナーズ』に嵌る方法』言叢社、2016年、75-96頁)。

 

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著者略歴

  1. 小林 広直

    東洋学園大学専任講師、日本ジェイムズ・ジョイス協会事務局員。ジョイス作品を「亡霊表象」「歴史」「トラウマ」という観点から分析・研究している。主要業績:「「心とは何か」を学ぶこと――『若き日の芸術家の肖像』と『ユリシーズ』におけるスティーヴンの母の祈り」(高橋渡・河原真也・田多良俊樹編著『ジョイスへの扉――『若き日の芸術家の肖像』を開く十二の鍵』、英宝社、2019 年、111-41 頁)、「〈我仕えず〉、ゆえに我あり――間違いだらけの説教と狡猾なスティーヴン/ジョイスの戦略」(金井嘉彦・道木一弘編著『ジョイスの迷宮──『若き日の芸術家の肖像』に嵌る方法』、言叢社、2016 年、99-118 頁)。

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