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正義の女神は何を裁くのか―相模原殺傷事件から見た現代日本

正義の女神は何を裁くのか―相模原殺傷事件から見た現代日本 第4回

 2021年10月24日に開催された『元職員による徹底検証 相模原障害者殺傷事件―裁判の記録・被告との対話・関係者の証言』刊行記念トークイベント「正義の女神は何を裁くのか―相模原殺傷事件から見た現代日本」(共催:明石書店・読書人、会場:神保町・読書人隣り)。西角純志氏(著者。専修大学講師)、仲正昌樹氏(金沢大学教授)、高橋順一氏(早稲田大学名誉教授)、稲垣直人氏(朝日新聞)が登壇し、阿久沢悦子氏(朝日新聞)の司会進行により充実した議論が交わされました。本記事は、その内容を採録したものです。
【毎月25日頃更新・全9回連載 ダイジェスト動画をYoutube明石書店チャンネルにて公開中⇒https://youtu.be/ZUmZHFgWico


7.ナチスの優生政策はアメリカ産だった!

阿久沢:では再開します。今皆さんがお話しになっていたのは、ご自身が海外、ヨーロッパに滞在中にビザがない状態やパスポートがない状態という、ホモ・サケル状態を実際に体験されたというお話でした。後半優生思想について深めていきたいと思っています。まず、植松氏がナチスのT4作戦とか、優生思想について、接見で話しているとあまりにも知らなかったと。やったことは優生思想的な犯罪なんですけれども。その接見したときの状況について西角先生の方からお話をお願いします。

西角:優生思想という報道が事件当時からいろいろありましたけども、本人に訊ねてみたら当初、優生思想、ヘイトクライムという言葉はまったく知らなくて、「君の行いは優生思想なんだよ」というようなことを言ったら、まあ納得したみたいな。しかし、「もっとマイルドな言葉があれば」みたいなことも言ってました。優生思想に入る前にちょっと明確にしておきたいのは、「優生学」というのは原語では「Eugenics(ユージェニクス)」ということなんですが、事典では優生思想というのは出てこないんですね。優生学とか優生政策というのは出てくるんですけども。優生思想でいえば、旧優生保護法下の強制不妊手術の問題とか、いろいろありますけれども、思想と政策と学問というものを、やっぱりきちんと分けて考えなければならないと思うんですね。優生思想、優生政策、優生学、原語が同じも異なります。優生学というのは、イギリスのフランシス・ゴルトンが始まりというふうに言われておりますが、優生政策を断種法に限っていえば、1909年のカリフォルニア州の断種法、それから、1933年のナチスの断種法、日本の国民優生法が1940年。1948年に優生保護法が制定されます。ドイツでは、戦後ニュルンベルク裁判があったわけなんですけども、その裁判の訴追理由には優生政策というのは実はなかったんです。1945年にドイツ駐留連合軍が設置した「非ナチ化委員会」( Entnazifizierung)というのがあるんですが、それでも、ニュルンベルク人種諸法を強制的には解除させたのですが、33年の断種法はその対象にならなかったということなんですね。

阿久沢:それはなぜならなかったんですか。

西角:ドイツの断種法は、ドイツ固有のものではなくて実はアメリカ産であったということなんですね。日本では、731部隊をはじめとする「石井機関」において残虐な人体実験を行った日本の医師たちを裁いたハバロフスク裁判がありますが、連合国は、兵器に関する人体実験のデータと引き換えに、罪を問うことなく戦犯免責をしたのです。ドイツにおいては断種法に対するアメリカの支持がありました。アメリカの優生学者にとって重要なのは、ドイツ国内での措置に関する情報を直接入手することだったんです。ドイツは、アメリカの州法とは異なり全国に適用するのに十分に考え抜かれた法律を導入しており、手本とすべき法律に定められた計画を首尾一貫して適用しようと考えました。ナチスの人種政策を普及させるために、アメリカの優生学者は非難に逆襲できるだけの情報を集めようとしました。つまり、ドイツとアメリカの合作、日本と連合国の合作というか、協力してやったというふうなところが実はあるわけなんですね。そういうことであれば、植松とメディアとの共犯関係とか、指摘しておかなければならないのですが、それはさて置き、思想と政策が分離したまま現代に至っているということです。

 ナチスの場合は、反ユダヤ主義、人種差別だと言われてますが、ドイツ駐留連合軍が設置した「非ナチ化委員会」はニュルンベルク人種諸法を強制的に解除させたが断種法は、その対象にはならなかったのです。リヒャルト・ワーグナーの楽劇がナチス・ドイツに利用されたことは知られていますが、ナチスとワーグナーとの関係でいえば、戦後バイロイト音楽祭は、ナチス協力者として知られていたヴィニフレート・ワーグナーが関わるかぎり、連合軍によって禁止されることになったという歴史もあります。そして、バイロイト音楽祭の「非ナチ化」を推進して、「新バイロイト」と呼ばれる全く新しい様式を生み出しました。ユダヤ人国家イスラエルでワーグナーを上演するとですね、ブーイングが起きたりします。なぜかというと、ワーグナーは反ユダヤ主義者というレッテルがはられているからです。これは高橋先生が詳しいのでこれ以上は、触れませんが、重要なことは、ナチスの断種法というのは、実は、カリフォルニア州の断種法を手本にし、それがナチス経由で日本に入ってきたということなんです。

 ドイツでは、ナチス時代の優生学的不妊手術と安楽死計画の被害者に対する補償が1980年から始まっているんですね。旧西ドイツ連邦政府は「連邦補償法」の対象からもれる被害者の救済を目的に1957年に制定された「一般戦争帰結法」を拡大適用しながらナチス期に強制不妊手術や安楽死計画の被害を受けた人々に対する補償を開始しました。当初5000マルク(約60万円)の一時金支給から始められましたが、後遺障害などで医療費や介護費の支出が続く被害者の現実を考慮し、「年金制」へと移行しました。ドイツの次にやったのがスウェーデンです。日本が優生保護法から母体保護法に変わったのが96年ですけど、その翌年の97年の8月に地元の新聞が一連の強制不妊手術の問題を取り上げたんですね。そして報告書をまとめた。一人当たり17万5000クローナ日本円にして大体200万円ぐらいの補償です。日本では、宮城県で60代の女性が最初に国賠訴訟をしたのが2018年1月ですね。同年5月、新たに東京・宮城・北海道に住む3人が東京・仙台・札幌の各地裁に一斉提訴します。この流れをつくったのが毎日新聞のキャンペーン報道だったのですね。スウェーデンに似た形でやっていたわけなんですけど、一人あたりの金額というのは320万円です。「一時金支給法」というのが2019年4月に制定されましたけど、今はこんな形になっておりますが、まだまだたくさんありますし、自分で名乗りを上げられないような方とかですね、そういうふうな方も結構いるかと思いますけども。「一時金支給」ということで完全解決したわけではないということは言えるんじゃないでしょうかね。

 8.日本近代と優生思想

 阿久沢:ちょっと戻りますけれども、近代日本において優生保護法が1948年ですね。戦後にできているということも含めて、近代日本においてなぜ優生思想を解除することができなかったのか。法理としてしまったのかということについて西角先生から。

西角:もともと日本では優生思想は、文明開化の思想として入ってきたんです。これがいちばん有力な説なんですけど、ダーウィンの進化論を日本に紹介したのが、エドワード・シルヴェスター・モースという人です。社会ダーウィニズムが流行っていて、欧米列強との間の生存競争に勝ち抜くためにということで人種改良論というのが議論されるようになったんですね。優生思想の土壌形成に大きな影響を与えたのが、実は明六社の福沢諭吉とか、あるいは加藤弘之とかそういう人ですね。それが代表的だと思うのですけども。福沢諭吉はゴルトンの『遺伝的天才』について、『時事小言』という本のなかで触れてまして、自分と同じ見解であることを知り、意を強くした、と。こうした人種改良論というものが叫ばれた背景には欧米列強の外圧というものがあるんですね。不平等条約の改正交渉が進展せずに、当時の外務省ですね、外相の井上馨が極端な欧化政策というものをとったということが背景にあります。欧米列強との間の生存競争に勝ち残るために人種改良論というものが議論されたと。日露戦争、第一次大戦を経て活発になったんですけど。1917年、ロシア革命の年なんですが、「大日本優生会」というのが成立します。1924年に「日本優生学会」、26年に「日本優生運動協会」というものが設立され、雑誌『優生運動』というものが発行されるんですね。

 そして1930年11月には「日本民族衛生学会」というものも設立されます。そして、理事長になったのが永井潜ですね。機関紙の『民族衛生』というものを創刊して、自己の見解を主張していく。その冒頭にはドイツの優生学者で有名なアルフレート・プレッツという人の名前が出てきます。プレッツの『民族衛生学の基本指針』(1895年)はドイツの優生学の古典です。「民族衛生学」(Rassenhygiene)という言葉を初めて用いたというふうに言われております。優生学が家計調査や統計学的研究を中心にしているのに対して、「民族衛生学」は自然科学の分野だけではなく、社会科学、社会政策にまで及んでいます。日本の民族衛生学会というのは、財団法人になっていきます。財団法人日本民族衛生協会に改組されます。この団体は優生学の団体としては最大級のものだったんですね。

 そして、1934年の第65回の帝国議会には、立憲民政党の荒川五郎という人がいるんですが、この五郎さんとかが中心となって民族優生保護法案が提出されて、同時期、日本民族衛生学会においても断種法案の検討がなされている。ナチス・ドイツの断種法が日本にも大きな影響を与えて、断種法をめぐって賛否両論の議論が戦わされたというようなことなんですね。1940年、第75回の帝国議会に政府提出法案である「国民優生法案」が提出されて、一部修正のうえ、可決成立します。これが国民優生法です。それを引き継いだのが優生保護法です。優生保護法は、議員立法として1948年に成立していて、旧日本社会党も法律の制定には関与してました。日本社会党の福田昌子と太田典礼は産婦人科医でもあって、加藤シヅエは社会運動家でもあった。また当時の民主党の谷口弥三郎も産婦人科医としての知見を持っており、国民における趣旨説明においても産婦人科医という立場から不良な子孫は防止するという考え方に説得力というものを持ち得たということなんです。

 では、優生保護法と憲法に規定された人権というものとは矛盾はなかったのかというと、その根拠になっているのが日本国憲法の第12条にある「常に公共の福祉」という言葉ですね。「公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」という文言が利用されたということですね。これが法律を正統化するために用いられました。GHQの文書研究者である荒敬という人がいるんですけど、公共福祉はこの時代の治安対策のキーワードであったといっています。公共の福祉の名の下、民衆の権利を制限し、占領政策の遂行に利用していたと分析しております。どうして反対運動が起こらなかったのか。今から見れば人権侵害も甚だしいのですが、どうして成立することになったか、憲法と矛盾しなかったのか、GHQの関係とはどうだったのか、というふうなところをまとめてお話しました。要は、憲法第12条もしくは第13条の「公共の福祉に反しない限り」という文言が利用されたということですね。

阿久沢:先生たちのこれについてのお考えを伺う前に、稲垣さん、今の日本での優生思想について、国内の状況、ニュースになった事柄などで気づいたことはありますか。

稲垣:今、西角先生からお話があったように、一時金支給という形で優生保護法は過去の遺物になったのかというと、どうもそうとも言い切れなくて、優生思想的な考え方というのはいまだに根付いているんじゃないかと思われる事例があります。たとえば3年前、自民党の右派とされる議員がLGBTは生産性がないと雑誌に寄稿した。また、生活保護のことなどもよく取り上げられますけれども、生活保護は恥ずかしいことであるかのような発言が出たりする。国の財政難から、生活保護関係の社会保障はコストとの見合いで、削ることもやむを得ないという議論もあるかもしれませんけれども、ではこれらが一部の国会議員の言動でしかないかというと、そういうわけでもないというような指摘もあります。たとえば社会保障制度で、「後期高齢者」という年齢の括りがあります。これは、社会保障の支給がどんどん膨れ上がっているので別会計にして括るっていうものですが、この言い方が当初問題になった時、作家の高村薫さんは「自分たちが社会の荷物であることをそろそろ自覚してもらおうという優生思想的な考えではないか」という文章を書かれています。つまり、誰もが年齢を重ねればホモ・サケル側に回りうるというようなことも言えるんじゃないか。

 もう一つ例を挙げますと。去年の末に国会で、民法特例法というのが通りました。これは一部から優生思想的な懸念があるということで、障害者団体の方などから懸念が出ていた法律です。詳しい説明は省きますが、日弁連からも障害や疾病を有する者、出生自体を否定的にとらえる懸念があるということで声明が出ていました。この法律に、生殖補助医療によって産まれる子については、心身共に健やかに生まれ、且つ育つことができるような必要な配慮がなされるものとすると、そういう文言があって、これをとらまえて問題とする指摘もありました。ところが、これがわずか2~3時間の審議で国会を通ってしまった。しかし、議員のなかには「これは優生思想的なのか?」「気づかなかった」「この表現の何がおかしいのか」という声が後で上がったそうなんです。つまり、私たちの中に、無自覚の優生思想のような思想、考え方が潜んでいるんじゃないかと。これは根源悪という話にもつながってくるような気がするのでちょっとご紹介しました。

阿久沢:ありがとうございました。今朝も着床前診断を日本産婦人科学会が認めたというニュースが上がっていまして、そのヤフーニュースのコメント欄にですね、もう圧倒的多数の人がダウン症の子を育てるのは親で、親が大変なんだから認めるべきとか、これが命の選別ということが理解できないという、もうほぼその意見一色になっていて、ああ、これが内なる優生思想かと思ったんですけど。まあそういう形でいつも現前化するんですけど、でもそれに対してどう捉えていったらいいのかということがまだ自分の中では私は深まってないなと思います。仲正先生、高橋先生の順にこの問題をどう考えていらっしゃいますか、教えてください。

仲正:最初に西角さんに聞かれて、なんで日本で戦後になっても優生保護法というのが憲法違反ということにならなかったかという問題ですが、簡単に言うと、そんなに悪い話に聞こえなかったということでしょう、優生保護というのを、人種とか精神障害者をターゲットに絞った強制措置というふうに考えると非常にナチス的としか思えないんだけれど、言葉自体はソフトでしょう。なるべく健康な子どもを産み、育てられるようにみんなで国民運動をやりましょう、というニュアンスをこめた言葉でしょう。当時は、障害者の生きる権利は認めても、自己決定権まで考慮するという発想はなかったでしょうから、自分で判断できない人にはある程度強制的なことも仕方ない。という発想にそんなに違和感はなかったのでしょう。ナチスの断種が有名だけど、実はスウェーデンにもアメリカにも西側先進国にもあったわけです。はっきり違うとしたら、人種の選別を目的にしたという点だけです。だから、ニュルンベルク裁判でも、強制断種自体を裁くことはできなかったんだと思います。で、今だと、本人たちの意思に反したら、もう何をやってもこれはやっぱり差別だというふうに認定しやすくなったと思いますが、そこまでの道のりが長かった。それから、医学の権威に対する一般市民の弱さというのがあると思います。普通の市民対市民、あるいは市民対権力という関係だと、あ、これは人権侵害だと思うことでも、医学が入ってきて、これは健康を考えてあなたのためにやってるんですって言われるとね、割と抵抗なく受け入れるというのはあるんですよね。

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著者略歴

  1. 西角 純志

    1965年山口県生まれ。専修大学講師(社会学・社会思想史)。博士(政治学)。津久井やまゆり園には2001年~05年に勤務。犠牲者19人の「生きた証」を記録する活動がNHK『ハートネットTV』(2016年12月6日放送)ほか、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌にて紹介される。主要著作に『移動する理論―ルカーチの思想』(御茶の水書房、2011年)、『開けられたパンドラの箱』(共著、創出版、2018年)などがある。

  2. 仲正 昌樹

    1963年広島県生まれ。東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了。1998年より金沢大学法学部助教授、2008年より金沢大法学類教授。雑誌『情況』の編集にも長く携わる。主な著書に、『“法”と“法外なもの”―ベンヤミン、アーレント、デリダをつなぐポスト・モダンの正義論へ』(御茶の水書房、2001年)、『カール・シュミット入門講義』(作品社、2013年)、『〈ジャック・デリダ〉入門講義』(作品社、2016年)などがある。

  3. 高橋 順一

    1950年宮城県生まれ。埼玉大学大学院文化科学研究科修士課程修了。1987年早稲田大学教育学部専任講師、1989年助教授、1994年教授。吉本隆明や廣松渉への関心も深く、『ヴァルター・ベンヤミン解読―希望なき時代の希望の根源』(社会評論社、2010年)、『吉本隆明と共同幻想』(社会評論社、2011年)などの著書がある。

  4. 稲垣 直人

    1969年生まれ。1994年朝日新聞入社。政治部などを経て2019年から朝日新聞のオピニオン編集部の記者として、声欄の隣にある「耕論」「対論」などを担当。政治社会思想を中心に、アカデミズム分野の研究者への取材インタビューも多数行っている。

  5. 阿久沢 悦子

    朝日新聞地域報道部記者。相模原事件の発生時は阪神支局に勤務し、阪神間がちょうど障害者の自立生活運動のメッカであるところから、障害者施設や障害者の方たちがこの事件をどう受け止めたかなどを記事にしてきた。

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