【最終回】交渉と殺生
この連載では、たくさんの嫌われる生き物を取り上げ、それを嫌う私たちについて考えてきた。受け入れられないものと共に在るからこそ、または在らねばならないからこそ、私たちはそれに悩み、怯えなくてはならない。そういう感情の伴う体験を、いっそ全て避けることができれば、どれほど楽だろう。そのような願いについて、最終回では考えてみたい。それは「きらいだし、こわい、けれども……」に続く言葉について考えることにもつながってくる。
有害生物との交渉
私たちは生き物に「働きかけている」。利益を引き出すためだけではない。それを防いだり駆除したりする。彼らが有害だと認識するからである。そのような有害性とは、彼らから「働きかけられること」による不利益への恐れや不安への名づけであるともいえる。もちろん、私たちと彼らが働きかけあう関係は、平等ではない。生き物たちが私たちを保護したり養殖したり、または大規模に予防・駆除したりすることはあり得ない。もっとも、彼らも彼らなりの事情で、私たちの生活領域に進出し、適応を試みてきた。そのような相互性の在り方が変化してきたプロセスは、この連載で注目してきた通りである。それはつまり、ひとつの「交渉」の歴史でもあった。その命を奪うということは、私たちに望まない交渉を持ちかけてくる自然への応答のひとつである。生活は自然から奪うことなくして成立しないが、同時に、自然から奪わせまいとすることなくして成立しない。そして、このような緊張感を伴う交渉は、美しくもなく、なかなか余暇にもならない。
総じて言えるのは、「交渉」の行われる場や機会を、またはその頻度やそこで費やされる労力を極小化するための努力を私たちは続けてきたということである。それは生活変化の帰結である場合もあるが、むしろ交渉の場を制限する必要を新たに生み出してもいた。例えば住生活である。私たちは虫を防ぎたいがためだけに家屋を現代化してきたわけではない。しかし、それは結果として、外部からの虫類の侵入に障壁を設けることとなり、またそれだからこそ一群の虫が害虫視される結果をも導いた。家の機密性を高めたことが、虫たちの侵入をむしろ意識させるようになり、彼らはより明らかに異物として私たちのもとに現れることにもなった。
家屋の現代化は快適な暮らしを希求するなかで行われた個々人の選択によるものだが、そもそもそれを拒絶するという選択は為し難い、時代の流れのなかにあった。私たちの生活は、選んでいるようでいて、多くは選ばされている。または、選ばざるを得ないようなかたちで更新されていく。したがって、生き物たちとの交渉の場の制限は、いつの間にか行われていった。また、交渉の場を制限する必要を、私たちはいつの間にか切実なものに変えていたといえる。一群の害虫は、そのような機制のなかで有害性を新たに付与されていった。
交渉の機会は制限されるのみならず、間接化されていった。素手で捻り殺すことがイヤなので道具を用いる、というのが間接化のはじまりだろう。殺すことに伴う様々な負担をより軽微なものにするために、防虫・駆除グッズは彼らの遺骸の処理を簡便にし、目視すらすることなく駆除できる手段を求めていった。例えば、今日のトラップ型のゴキブリ駆除商品は、その容器ごと捨てられる仕様である。以前にはゴキブリを捕えるのみで、その後で水に沈めるなどし、自らの手で殺さねばならないプラスチック製の捕獲器もあった。その手間を簡易化し、気持ちの悪さを軽減する方向へと、製品は進化していった。また、人の手を借りるというのも、間接化の手段である。戦後には害虫駆除業者が近代企業として成長していく。場合によっては行政も対応してくれる。料金を支払えば、一切の手間を回避して、私たちは有害生物との交渉を打ち切ることができる。駆除を依頼するのは私たち自身の決断であるが、その帰結として発生する死を、私たちはまじまじと見つめる必要がなくなったわけである。
こうした交渉の変容は、生き物たちのビジョンにも変化をもたらしている。それはリアリティの喪失という側面を有し、また、過剰に情報化したという側面をもつ。私たちは彼らについて、観察から得られる以上の知識をもっている。手元には、データベースにアクセスする道具も携えている。今年、よく知らないふわふわした虫が私の家の庭木に湧いたので、Googleレンズで画像検索してみたところ、エノキワタアブラムシだという。生態やら対策やら、いろいろな人の体験談やらまで即座に目を通すことができた。まことに便利な世の中である。そうして獲得した諸情報を参考にしながら、私たちはその虫を認識していくわけであるが、それらの情報は常に正しいともかぎらないし、そういう情報は移ろい動く。昭和30年代、ゴキブリはポリオ流行の原因として想定された。当時目視されたゴキブリは、現在の私たちがみているよりも、より凶悪なものとして認識されたといえるだろう。スズメバチは今も昔も危険な生き物であるが、二度刺されたとしても、誰もがアナフィラキシーショックをひき起こすわけではない。その大発生が耳目を集めた時期、彼らはいささか過剰に殺人者として分節されたともいえる。
事実を伝える情報であっても、それは個人に可能な体験を越えたレベルでのみ存在する現実を伝えている場合がある。病原菌を媒介するなどの性質は、病原菌というものを五感で認識できないかぎり、情報としてのみ体験される。彼らを益虫として語る言葉もここに含まれる。生態系を展望することは等身大の生活者にはできない。それは専門家が専門的な技術と思考によって把捉した自然界の仕組みである。もっとも、それらの情報は、生活の場から遠くかけ離れた現実のかたちであるようでいて、「いまここ」の営みと地続きであるというメッセージを伴っている。ひとりひとりの生活者の営みの集積が、個々人の認識できないようなスケールで環境問題を引き起こしているというのである。カラスやネズミやスズメバチは、たしかにそのような構造のなかで大発生し、個々の生活の現場を脅かすに至った。
ドイツ語圏の民俗学者ヘルマン・バウジンガーは科学技術の生活への浸透は人びとの「地平」(認識可能性の限界)の崩壊を導いたと述べるが、意味の再編は地平のこちら側でも引き起こされていた。眼前のそれは、私たちには知覚することのできない意味や価値やリスクを背負うようになった。言い換えれば、様々な自然の向こうに、現に見えているもの以上のものを見通さねばならないような状況を、私たちは生きているのである。
しかし、どれだけ情報化された生き物たちであっても、彼らが隣人であるかぎり、彼らとの遭遇という出来事は、いつも手の届く範囲でのみ切実なものとして現実化する。そのような二重性のなかで突きつけられるのは、生活者としての私の眼差しの近視眼性である。その近視眼性は社会的課題を考慮しきれない偏狭さとして批判することもできるだろう。しかし、イヤな生き物と出会っているのは「今このとき」の「私」であり、彼らを殺さなくてはならないのも、この「私」である。「きらいだし、こわい」というのは、構造的には加害者でも、心情としては被害者であるような、生き物との未熟な交渉者としての悲鳴でもあった。
虫けらのように、殺すということ
本連載は、身近な生き物に付与される他者性のあり方を記述してきた。それらの他者性が本質的なものであるかのように述べる人もいる。人類は遺伝子としてゴキブリが嫌いなのだと述べる人にも調査では出会う。しかし、実態としては、それらの他者性は私たちと生き物との交渉のかたちが与えたものである。私たちの生活が身辺の自然に不都合を見出すとき、一群の生き物は常に新たに他者化されてしまうともいえる。
もっとも、私たちが心をざわつかせる生き物たちは、顔の見えない他者ではない。顔が見えるからこそ、気持ちが悪いし、怖い。この手で退けねばならないからこそ、ティッシュを何枚重ねても取り去ることができない、鳥肌のたつような実感がある。
では、他者化された生き物は、等しく同等程度に他者的であるだろうか。例えば、「虫けらのように」という言い回しがある。「とるに足らないもののように」という意味であろう。虫たちのなかにも無造作に殺せるものとそうではないものとがあるが、考えてみると、悲鳴をあげながら虫と対峙し、びくつきながら駆除に乗り出す私は、虫けらのようには虫たちを殺していないかもしれない。もちろん、犬や猫の命のように、または人間の命のようには、私たちは彼らの命を捉えてはいない。動物倫理学が虫たちを視野におくか否かには議論が分かれるともきく。実際、虫たちはきわめて容易に殺されてしまう。
虫の命の軽重を、仕事の都合で彼らを殺さなければならない人たちは、どのように捉えているだろうか。これらの人たちが、むしろ虫の命に敏感であるらしいのは、命を奪うことの実感と、それと引き換えに利益を得ていることへのうしろめたさがあるからかもしれない。各地には農業害虫を対象に、虫塚が建立されている。駆除された虫を供養しているのである。また、農業試験場などでは実験のために殺した虫たちの供養を6月4日に行っている。殺虫剤メーカーも同様である。高野山には、日本しろあり対策協会の建立した白蟻の供養碑がある。虫との関わり方、つまり交渉のかたちによって、私たちは虫を「虫けら」のようには扱えなくなるようである。これらの例において、膨大な数量の駆除が行われていることも注意を要するだろう。大発生の話題において触れたように、彼らは群をなしたとき、看過できないものに変わるようである。
日本しろあり対策協会の供養碑(Motokoka, CC BY-SA 4.0)
殺さずに済ます手段として、相互の領域を侵さないこと、棲み分けという選択を提案する声があるのも目にする。徹底的に防ぎ、かつ私たちが侵略しなければ、ということだろう。たしかに、それらと接点をもつことがストレスフルなものになってしまうなら、そもそも交渉しないで済む状況を設ければ良いのかもしれない。顔の見えない、決して出会うことのない他者ならば、「きらいだし、こわい」とは思わないで済む。しかし、そうすると、彼らはますます情報へと置き換わっていく。それは彼らの他者化をより深刻に推し進めるようにも思う。情報化された彼らは、それこそ虫けらのように殺しても、一抹のうしろめたさをすら私たちは感じなくなるのではないだろうか。考えてみれば、私たちの思いに反して領域を侵し、私たちの願いに反して超高速で逃げ回り、意表をつく行動をし、感情をめちゃめちゃにし、生活を掻きまわす、統制不可能なその姿は、彼らの命の躍動である。それらが私の手のなかでつぶれる感触と後味のわるさも、つぶされてしまった彼らの死骸も、彼らが生き物であり、ひとつの取り返しのつかない行いをしてしまったことを私たちに突きつけるようである。
また、虫たちとの交渉は、予想外の感情をもたらすことにも触れておきたい。彼らに対してきわめて不寛容な生活者である私にも、殺させてはならないと思った虫が昨年はいた。夏ごろに、大きなカマキリが何日もずっと玄関ドアにとまっていたことがあった。「気持ち悪い」というのが偽らざる第一印象である。夜に帰宅すると、彼女は真っ赤な目でじっと私を見るのである。そしてドアを開閉しても逃げない。これはどうも脱皮後の身体を休めていたものらしい。毎日顔をあわせるうちに、私の彼女への感情には変化が生じた。要は、彼女にだんだんと愛着がわいてきたわけである。やがて彼女はドアから移動したが、ずっと拙宅の玄関まわりをなわばりにしていた。たまに姿が見えないと、どこかで踏みつぶされていないだろうかと心配になった。冬が近づくと彼女はいなくなった。カマキリは越冬せずに死んでしまう。玄関わきの庭木に卵鞘が残されていたので、あのカマキリのものだと信じている。今年は彼女の子が現われないかと期待している。くだらない感傷ではあるが、ここで述べてきた問題を考える際の論点を、「あのカマキリ」は示してくれてもいる。私はカマキリが好きなわけではない。しかし、いわゆる「それ」ではなく「この」虫であるというthis-nessの意識は、私の態度を情緒的にした。顔がみえる他者との交渉には、「きらいだし、こわい」という感情がずれていく可能性が残されている。
民俗学者・髙木大祐は、動・植物の供養が行われる理由を、ここで述べた交渉の経験、それによって生じる個の認識によって説明しようとした。漁業者や造園業者は、生業を通して対峙する生き物たちに、具体的で個別的な命を認識している。それを生業上の理由や過失から奪わざるを得なかった経験からうしろめたさが喚起され、供養をせねばならないという意識をもたらすというのである。代替可能な一切は、それとなんらかの接点をもつことによって、情緒的に代替不可能なものに変わる瞬間がある。交渉を極度に間接化し、文字列や数字としてのみ認識するのでは、そのような瞬間が訪れることはないだろう。そうしてみると、生き物たちへの嫌悪感も、まったくなくしてしまうべきではないかもしれない。それもまた、私たちが彼らといくらかは「ともに生きている」ことで、湧き上がる感情だと思うのである。
以上でこの連載は終えることにしたい。結論らしい結論を示すことができないのは、私の力量不足があることに加え、もとより問いを宙ぶらりんにしておくことに意味を感じるからである。「きらいだし、こわい、けれども……」は煩悶の表現でもあった。このような煩悶が、問わせてくれる問題がある。命は大切だと述べようにも、私の両手はすでに血まみれである。反省し、改めろと言われればそうかもしれない。しかし、そうする前に、そのように私の手が血に濡れていることの意味こそ、問われなくてはならない。なにを殺めることもなく、地表上に平穏な空間を捥ぎりとることができるなら、それはひとつの理想である。しかし、理想の正体は思ったよりも複雑で、歪であった。歪な共生関係のなかで日夜営まれる交渉のかたちこそ、害虫・害獣の民俗学が注視すべき現実なのである。
(終)
【参考文献】
髙木大祐 2014『動植物供養と現世利益の信仰論』慶友社
バウジンガー、ヘルマン 2001「科学技術世界のなかの民俗文化」(河野眞訳)『文明21別冊』(ディスカッション・ペーパー2)愛知大学国際コミュニケーション学会