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きらいだし、こわい、けれども……~害虫・害獣の民俗学~

ゴキブリのフォークロア

前回は身近な害虫としてハエ・蚊を取り上げた。今回はいよいよ「彼ら」について述べることにしたい。「彼ら」とは「G」のことである。つまり、ゴキブリである。ゴキブリこそはおそらく現在もっとも疎まれている虫だろう。なお、私はキラいである。ぜったいに許せない。刺すでも噛むでもなく、考えてみればなにをされたわけでもないのだが、とにかく許せない。

これほど嫌がられているからだと思うが、ゴキブリにはたくさんの虚実ないまぜのフォークロアがある。今回は、まずそれらについて紹介してみたい。なお、都合により、ゴキブリについては2回にわけてお話しする。

 

ゴキブリという名前

ゴキブリの名前を聞くのも話すのも嫌がる人がいる。私の調査においても、そもそも「思い出すのもイヤだ」という理由で、協力いただけない方が少なくなかった。まあそうだよなぁと思いつつ、そのように調査を拒否されることこそ、データとして重要なものである気がしている。

汚いものという位置づけだからだろうか、直接彼らの名を呼ぶのを避けて、冒頭で述べたように「G」と呼ぶことも今日一般的である。また、その名を口に出してしまうと、彼らがほんとうに出るのだという話も聞いたことがある。まるで幽霊のような言われようである。飲食店などではゴキブリが出たことをスタッフ間で伝達する際に「太郎さんがいらっしゃいました」などと人名を用いるケースもあるようだが、これは利用客への配慮であろう。接客業界のゴキブリの隠語は、集めてみると楽しいかもしれない。 

そもそも、ゴキブリとは一体どういう名前なのか。ゴキカブリがもとの言い方であり、明治17年(1884)の『生物學語彙』で誤って「カ」を抜かしてしまい、これが踏襲されて和名として広まったというのが定説のようである。そうであるとすれば、生物学が誤って創り出した新しい言葉の一般への浸透の問題として面白い。昭和8年(1933)に大分県立第一高等女学校の生徒の調査成果をまとめた『豊後方言集』に、この虫の方言として「ゴキブリ」とか「ゴブキリ」「ゴクブリ」がみえる。50年も経過しているので、書籍の誤りで生まれたという言葉が方言として採集されても不思議ではないようであるが、民俗学者としてはそれが「どのように浸透したか」を考えたくなる。場合によっては、『生物學語彙』の影響という見方を否定できるような資料がどこかに見当たらないかなどと思いつつ、昔の文献を眺めているのだが、なかなか資料の制約の大きな問題である。

なお、ゴキブリの「ゴキ」は御器である。木の器、椀を意味する。今日「ゴキ」といえば、ただちにゴキブリを言い表してしまいそうだが、ミズスマシの地方名に「ゴキアラヒ」というのが出てくる。柳田國男の『蝸牛考』や「方言覚書」という文献をみると、ミズスマシの動きが、器を洗うしぐさに似ているからと柳田は考えている。一方、ゴキカブリのほうは、御器をかじる虫であるというわけである。齧る(かぶる)ではなく、「被る」ほうで解釈しようというむきもある。また、ゴキブリの方言にはアマメというのがあり、この名で呼んでフナムシと区別していない地域もあった。たしかにフナムシも凶悪な見た目と動作をする。古語としては、ゴキブリをアクタムシとかツノムシと言ったようだが、前者はゴミ溜めにいるからで、今日のイメージと通じるところがある。後者はその形状からだろう。

ゴキブリという言葉は明治になって生まれたと述べたが、実は、少なくとも近世以降、名称としてひろく流通していたのはアブラムシという言い方であった。

「蜚蠊(あぶらむし)」寺島良安尚順 編『和漢三才図会』巻53

(国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2596384)

 

これはテカテカとした見た目からなのだろうか。『和漢三才図会』では「五器齧」を「油虫の老いたもの」と位置付けているが、そこに記述されている生態から想像するに、蜚蠊(あぶらむし)はチャバネゴキブリ、五器齧は黒ゴキブリのことであろう。いずれにしても、アブラムシという名ではアリマキと混じってしまって分かりづらい。が、戦後の婦人雑誌などをみても、「ゴキブリとはアブラムシのことです」と、わざわざ注記されているようなこともある。「ゴキブリ」はそういう説明が必要な言葉であったらしい。今日これほど流通し、かつ嫌悪されているゴキの名が、かつては必ずしも一般に通じるものではなかったらしいことは、ひとつの興味深い事実である。

 

ゴキブリのフォークロア

「北海道にはゴキブリがいない」と、聞いたことはないだろうか。そういう話の文脈で、こんな話が語られることがある。

 

北海道民はゴキブリをおそれない。北海道出身の知人が、他の虫と間違えてゴキブリを飼育していたことがあった。

 

話の性格としては「笑い話」に属すものだろう。私のインタビューでも話者の母親の「友人の話」として、このエピソードを聞いたことがある。また、『ピアスの白い糸』という民俗学者らが編んだ現代伝説(都市伝説)のアンソロジーをみてみると、「以前には北海道ではゴキブリは珍しく、北海道から東京に来た人がゴキブリをかわいい昆虫だと思って飼っていたというハナシもあったが、今やゴキブリは北海道でも珍しくなくなってきている」との解説がある。とすると、これは事実ではなく、「よくある話」でしかないようではある。しかし、北海道出身の私に言わせると、これらのフォークロアはそれなりに現実を反映している気がする。

実際、北海道にゴキブリはいる。しかし、筆者は北海道で生まれ、18年ほどもそこで暮らしていたが、その間に、一度もゴキブリをみたことがなかった。年中温暖な地下街や飲食店、公園などにはいないわけではないと聞くが、「暮らしの中で出会う虫」ではなかったわけである。ゴキブリはそれだけ遠い生き物だった。また、事実として、筆者は生まれてはじめてゴキブリを目にしたとき、これはある種のカミキリムシではあるまいかと思った。昆虫好きな若者だったわけではないので、まったく違うというお叱りはご容赦いただきたい。2001年の夏、18歳で上京したばかりのとき、大学で所属していた部活の部室の壁面にとまっていたそれに、友人たちは恐れおののいて後ずさっていたのだが、私は観察しようと思ってひとりで接近していった。要は、まるで怖くなかったわけである。虫を飼う趣味はないので、幸いなことに、それを捕まえようとはしなかった。みんながわーわーというもので、「ああ、これがゴキブリというものか」と新鮮に感じたものであった。

こんな体験があるため、「ゴキブリを飼育する北海道民の話」は私にはフォークロアだとはどうも思えない。実際の北海道出身者のふるまいとどこかで地続きの話ではないかと思っている。ちなみに、2度目の遭遇は2~3年後に訪れた。今度は筆者の部屋にでた。何故だかわからないが、もうそのときはゴキブリが怖かった。殺虫剤もなにも持ってはいなかったため、髪をカチカチに固めるヘアスプレーを噴きかけたりしたのだが、それでどうにかなるわけがなく、どうすれば良いかわからないもので、結局は近所の友だちを呼び寄せて駆除してもらった。

ゴキブリのフォークロアといえば、やつらに関する噂には「体内への侵入」というモチーフがつきまとう。お笑い番組でゴキブリを食べた人物が腹を食い破られて死んだという都市伝説は有名だと思う。私の友人は、「みんな気づいていないが、寝ている間に口の中にゴキブリが入ったりしているのではないかと思う」という薄気味悪い想像を語ってくれたことがある。なさそうな話だとは思うが、ぜったいにないとも言い切れない。いや、そうだとしても、わざわざそんなことを言わないでも良いのではないかと思ったものである。都市伝説には、寝ている間に耳から虫が侵入するという話もある。実際、医院の緊急外来における統計には、耳に侵入する頻度の高い虫はゴキブリであるというデータもある。これもまったくない話ではないということだろう。ちなみに、耳に激痛を覚え、医者にいくと知らぬ間に耳の中に虫が潜り込んでいたという都市伝説は、日本ではゴキブリの話が多い中、アメリカではハサミムシがこれを起こすとされているらしい。

上でみてきたように、案外、こうした都市伝説は現実の経験と地続きなところがあると思う。実際に、体内に虫が入ることが多いということではなく、そういうこともあり得そうだという絶妙のリアリティが、私たちの心をザワつかせるのだろう。害虫の説話には、舶来の品物に毒虫が潜んでいた、などというものも多々あるが、セアカゴケグモやヒアリなどの外来有毒生物の情報は、そういう説話がまったく荒唐無稽でもないことを教えてくれる。これらの説話は、程度は様々だが、私たちのリスクへの意識に関わっているのだろう。

 

吉兆としてのゴキブリ?

ゴキブリのフォークロアとして、現代人には受け入れがたいだろうと思われるのは、やつらがいる家はゆたかな家で幸福なのだ、という俗信である。武藤鉄城という民俗学者が1935年に刊行した『羽後角館地方に於ける鳥蟲草木の民俗学的資料』という文献に、次のような記述がある。

 

カマド蟲(アブラ虫)

油蟲とは言ふが矢張り、草木の若枝に附着いて蟻と相互扶助してゐる蟲とは別。戸棚の隅や水屋などに居る、黒色の一寸近い羽蟲である。羽根はあるが然し飛ばない。始めは窯の附近に多くて此の名を頂戴したものと思ふが、後にはカマド即ち財産の義であるところから神聖視されるようになつた。秋田市邊では、この蟲を駆逐することは勿論、悪戯することも禁じて盛んに臺所のあたりを横行さしてゐる。

 

神聖視されているというのはにわかに信じがたいが、これは孤立した事例ではない。鈴木棠三の『日本俗信辞典』をみると、次のような事例がある。

 

愛知県ではアブラムシ(ゴキブリ)が多くいると金がたまるといい、「油虫売ります」という貼紙をしておくと、それを最初に見た人の家へ移ってゆくという。岡山でも、家に多いと財産ができるという。

 

秋田ばかりでなく、ゴキブリを忌まない事例は全国にわたりそうである。ただ、気にかかるのは、貼り紙で他家に移す、という呪いの部分である。やっぱり家から追い出したいのではないかという気がする。 実際、ゴキブリは殺したほうが良いというものもある。引き続き、『日本俗信辞典』をみてみると、以下のような事例が見いだせる。

 

隠岐ではゴキカブリムシを殺すと目がよくなるという。アブラムシを殺すとお伊勢参りをしたほどの値打ちがある(愛知)といい、和歌山では、熊野(伊勢ともいう)の神はアブラムシを忌むため、三匹殺した者は参詣せずともそれだけの神助あり、という。

 

 ゴキブリを殺すと神様が喜んでくださるといい、ご利益があるのだという。そうなると、私たち現代人は神様に相当褒めてもらえそうである。こうした俗信の難しいのは、真逆の解釈を可能とするような伝承が存在することで、個々の事例から、かつての人びとのゴキブリ観をただちに再構成することはできない。ただ、ゴキブリが豊かさと結びつけられることには、それなりの脈絡がある。この点はいずれ考えてみたい。

 

(第6回に続く)

 

【参考文献】

池田香代子・大島広志・高津美保子・常光徹・渡辺節子編1994『ピアスの白い糸』白水社

鈴木棠三1982『日本俗信辞典』角川書店

波多野宗喜・近藤佶・市塲直次郎1933『豊後方言集』国文会

武藤鉄城1935『羽後角館地方に於ける鳥蟲草木の民俗学的資料』アチックミューゼアム

柳田國男1998「蝸牛考」『柳田國男全集』5、筑摩書房

柳田國男2002「方言覚書」『柳田國男全集』29、筑摩書房

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著者略歴

  1. 及川 祥平(おいかわ・しょうへい)

    成城大学文芸学部准教授。
    1983年、北海道生まれ。成城大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。
    専門は民俗学(民俗信仰論・現代民俗論)。主な著作は『偉人崇拝の民俗学』(2017年、勉誠出版)、『民俗学の思考法』(共編著、2021年、慶應義塾大学出版会)など。

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