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アメリカの中学生と核について考えてみた

2年目:問いを育むカリキュラム

 前回は、TEAACHプロジェクトの一年目を終えたあと、私自身のアプローチに多くの点で見直しが必要だと感じたことについてお話ししました。教室での学びを、より人間味あふれる体験にするには、そして西洋科学における植民地主義的性質や、白人性/白人至上主義を解体するという、より大きな課題の中にこの学びを位置付けるために何をすべきでしょう。どのように「問いを育むカリキュラム」[1]を構築できるでしょうか?

 今回は、2年目(2022 - 2023年度)のカリキュラムの設計と実施についてです。「核エネルギーについて検討する際、科学者としての私たちの倫理的責任とは何か?」がこのカリキュラムの中心となる問いです。しかしそれを生徒に投げかける前に、まず私たちが互いに世界とつながっているという前提を確認するべきではないかと考え直したことについてお話しします。いつも学年の初めに、お互いのことを気にかけ、思いやることの価値を教室で丁寧に話すのですが、こうした価値と核エネルギーについての学びを結びつけなければなりません。また、「科学的知識」というものの定義を問い、核エネルギーを使用することで誰が利益を得て、誰が傷つくのか、ということもしっかりと考えねばならないと思いました。 

 

(科学的)知識とは何か?誰のための科学か?

新学年が始まる秋の最初の数週間は、地学の単元でした(火星に水があることを学び、それを「今とは違う世界は可能か」という学習テーマにつなげました。そこでの質問は、火星を「私たちを救う惑星」として探究することの倫理についてです)。私たちは科学とは何か、誰のためにあるのか、という理解を少しずつ形作っていきました。私は環境正義の産みの親であるヘーゼル・M・ジョンソン[2]を生徒たちに紹介しました。彼女はアルトガルド・ガーデンという自身が住むシカゴ市南東部の地域において、有害物質によりどれだけの人ががんで亡くなったか、またその他の慢性的な病を患っているかを知ると、その地域を「有害ドーナツ地帯[3]」と名付け、そこに住むことによる健康への影響を調べるという革命的な調査を行いました。私は生徒たちに彼女の体験や、現在は娘のシェリル・ジョンソンが率いる彼女の団体「ピープル・フォー・コミュニティー・リカバリー(地域復興のための人びと)」について教えました。「科学を行う」ということは、制度やその権威とされる専門家に頼らなくてはならないというわけではなく、むしろそこから切り離すことができ、また切り離すべきでもあるということを、私は生徒に伝えようとしたのです。ヘーゼル・M・ジョンソンは公営住宅に住む黒人女性で、彼女の隣人や地域が被った経験に関しては、どんな政治家や大学の研究員よりも多くの知見を持ち合わせていました。ヘーゼルは「有害ドーナツ地帯」における大気、水質、土壌汚染が、彼女の住む地域コミュニティにおいて何世代にもわたって健康被害を引き起こしてきた過程を突き止めるため、本や研究論文をたくさん集めていました。[4]どうしてこんなことが彼女の地域に起きているのか、なぜ前もって汚染されていることがわかっている地域に公営住宅が建てられたのか、なぜ権力者は彼女のコミュニティを「犠牲区域」として選んだのか、と彼女は問います。ヘーゼル・M・ジョンソンを科学者であり環境正義におけるパイオニアであると紹介する中で、私は「犠牲区域」と「環境における人種差別」という言葉を紹介しました。これは核についてのテーマ学習にとって欠かせない概念です。ウラン鉱山からのほこりで健康を害したことに気づく先住民のウラン鉱山夫の話や、汚染水を飲んだことで被害を受けた羊やその他の家畜の話を学ぶ際に、地元であるシカゴのヘーゼルの話が役に立つと考えたのです。また、2011年に起きた福島原発災害の際、現場近くに住んでいた女性たちが、食物や水は大丈夫だとする政府見解を疑問視し声を上げた際に、それらの声を打ち消すのに「科学」がどのように利用されたかという話にも通じます[5]

「グラックマン先生、放射線についてすごく考えるようになりました」。新学期の三週目、三人の生徒が次の授業に行くために並んでいる列の中から声をかけてきました。「そう?! いいわね。まだ皆には言ってないけれど、今年は核と環境の問題についてかなりの時間を割くつもりよ。特に気候変動のテーマ学習の時に」。三人はお互いを見て、やった、というようにグータッチをしました。まだ核の話はしていないのに生徒が好奇心をもっていること、それを伝えてくれたことは嬉しい驚きでした。「来週のランチ休憩の時に会って、もうちょっと話しましょう。プロジェクトを始めるのもいいですね」。

 

10月に入ってから、核エネルギーの歴史や仕組みについて探究したい生徒のグループと定期的に会うようになりました。彼らは、一般の人たちが核エネルギーについてとても狭い理解しか持っていないということを知っていて、自分たちはもっと深く掘り下げて学びたいと考えていました。生徒たちは、TEAACHプロジェクトが教室に提供してくれた核に関する本を借り始め、質問や資料を集め始めました。そして、形式にとらわれない自由な対話によって、既存の教科書的な枠を越えた、綿密な議論を行いました。生徒たちの質問は、「放射線はどうやって生き物を死にいたらしめるの?」「核爆発は人体にどういう影響を及ぼすの?」といった放射線の人体への影響に関するものもあれば「放射線は社会にどのような影響を与えるの?」とか「どうして戦争が起こるの?」といったような政治・社会に関する質問もありました。これこそ問いを育むカリキュラムです。この小さなグループで議論することで、今年の核のテーマ学習をどうするかという考えが次第に形となってきました。特に数人の生徒がジョン・ハーシーの「ヒロシマ」を読みたいと言った時は感動しました。なぜなら、第一回でお話ししたようにTEAACHプロジェクトはシカゴの高校で数多くのジョン・ハーシーの「ヒロシマ」が破棄されたことから始まったのですから[6]。私たちはこのプロジェクトを通して、若い人たちが、過去、現在、そして彼らが引き継ぐことになる未来の、核の現実について学ぶことがいかに重要であるか(そして変革的な力をもつか)を明らかにしたいと願っているのです。

 

ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』を手に持つ生徒

 

私たちは使い捨てじゃない

エイブリズム(Ableism:健常者優先主義)とは、社会的に構築された「正常性」「生産性」「望ましさ」「知性」「優秀さ」「適応性」といった概念に基づき、人々の身体や精神に価値を割り当てるシステムである。これらの構築された概念は、優生学、黒人差別、女性蔑視(ミソジニー)、植民地主義、帝国主義、資本主義に深く根ざしている。この体系的な抑圧は、文化、年齢、言語、外見、宗教、出生地または居住地、「健康/ウェルネス」および/または満足のいく形での再生産・生産、「優秀さ」や「従順さ」への適応能力に基づいて、人々の価値を決定する社会や人々の態度を生み出す。障がいの有無に関わらず、誰もがエイブリズムを経験する可能性がある。 タリラ・A・ルイスによるエイブリズムの作業定義(2022年)[7]

私が『この土地は私の祖先だ』と言う時、それは科学的な声明なのです。(カナカ・マオリの遺伝子研究者、ケオール・フォックス博士)[8]

 

秋学期を通して、私は少なくとも週に二回はランチの時間や昼休みを利用して、関心のある生徒たちと核について話し合いました。科学の授業では、科学、倫理、火星を探索する政治的意味などについての学びを続けていました。「億万長者の宇宙競争」、特にイーロン・マスクの植民地プロジェクト「火星の占領[9]」や、STEMと呼ばれる科学 (Science)・技術 (Technology)・工学 (Engineering)・数学 (Math)の枠組みは、19世紀半ばのアメリカで領土拡張のために唱えられた「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」を新しく言い換えたものではないか、といったことも話し合いました。こうした議論は、核の技術はアメリカ政府による現在進行形の入植植民地主義の一部であるという理解に達するための基礎となりました。秋学期の最終プロジェクト「今とは違う世界は可能か」では、宇宙探索にまつわる「征服、拡張、植民地化、入植」といったお決まりの語りを覆し、代わりに、皆が必要とするものがある世界(たとえば火星であっても)、そしてマヤ語の「イン・ラケッチ(私はあなた、あなたは私)」とアフリカ哲学の「ウブントゥ(アフリカ哲学の助け合って生きること、他者への思いやり)」という理念が毎日の生活に組み込まれている世界を想像してみようと提案しました[10]。この提案に少し困惑している生徒もいました。「今の地球を助けるために科学を使うんじゃないんですか?今、必要なものを皆が持てるようにするんじゃないんですか?」という質問が出ました。これは、またとない機会でした。こうした質問によって科学は誰のためにあるのか、科学の知見のために誰が得をし、誰が犠牲になるのか、どのように科学が使われてきたか、という議論になりました。生徒たちは地球にしろ、火星にしろ、自分たちの選んだ地域コミュニティで、誰も使い捨てにはならない、新しい世界を想像しました。私はこのプロジェクトは、核科学と核技術が植民地化の一端を担ったことを考える基礎になると思いました。また、お互いの命に責任を持ち、土地や生きとし生けるもの(あるいは非生物・無機物)全てと互恵性のある関係を築ける科学者として自分たちを捉えることを目指しました。

 

ウブントゥ哲学(「あなたがいるから私がいる。みんながいるから私がいる。私はもう一人のあなた、あなたはもう一人の私」)

 

生徒たちによる質問のおかげで、私は西洋科学、人種差別、そして入植植民地主義の相互関係をどう教えるかについて考えるようになりました。それは核の技術を批判的に捉えるための枠組みを意識すると同時に、西洋科学が「使い捨て政治」(それによる様々な障がい)を可能にしてきた、核以外の例とも結びつけて理解できるようにするためです。西洋科学(それは白人至上主義でもあります)の源流は、ヨーロッパによる植民地化から生まれた権力が搾取と採取(黒人差別、先住民差別、奴隷制、人種というカテゴリーの創設、土地の収奪、利益のための土地の改革など)を合理化してきたことにあります[11]。核による植民地化は土地の分断を正当化し、その土地の人々を物体のように見なし、存在というものから意味を取り払い、すでに植民地化されている場にいる人や生きとし生けるもの全てを支配してきたのです[12]。タリア・A・ルイスが指摘するように、「身体の価値を土地との関係において評価し、身体を使い捨て可能なものと見なすシステム」(すなわち健常者優先主義、エイブリズム)が核燃料サイクルのあらゆる段階で見て取れます。

 

「ディネ ビケイヤ」と呼ばれるプエブロ[13]の人たちの聖地(鉱物以外は不毛な土地と科学者は定義しますが)におけるウラン鉱山開発の初期から、「リーツォ(leetso)」と彼らの言葉で呼ばれるウランから出る黄色いほこりは、水路を通って、生き物の血脈に入り、がんを引き起こし環境システムの破壊を招いてきました。放射性廃棄物は彼らの土地に埋められ、流れ出ます。そうして作られた核兵器は日本や、マーシャル諸島、ニューメキシコ州、オーストラリアで、人の細胞、食物、そして生活のあらゆる面に被害を及ぼしているにもかかわらず、いわゆる「原子力ルネッサンス」と呼ばれる核への依存が増しています。こうした政府主導下の核による植民地支配をマライア・ゴメスは「核の植民地遺産[14]」と呼んでいます。核の植民地遺産とは、先住民の人たちの居住地域を搾取する一方、政府や企業は「核はクリーンでグリーンだ」と核産業に投資したり、「死を招く核産業をより良い生活のための技術だと言い換え[15]」、核の負の歴史を消去することで核の産業複合体が常に発展し続けることを意味します。この植民地遺産を調べ、明らかにしていくことを2022年の私のクラスの中心課題にしたいと思いました。

しかし残念ながら、私自身の不調によってカリキュラムは思ったようには進みませんでした。コロナ後遺症[16]がひどくなり、11月に私は休職を余儀なくされました。そのために、私たちの学習過程は一時的にお休みとなりました。

 

再び:問いを育むカリキュラム

休職中も「誰の体が使い捨てにされているのか」という問いが頭から離れることはありませんでした。ディスアビリティ・ジャスティス(障がいの正義)と、それと深く結びついた環境正義の運動について私自身が学ぶことは、このカリキュラムを発展させ次の段階に移るために欠かせませんでした。また西洋科学の起源、入植植民地での科学の活用と白人至上主義について批判し議論する一方で、より大きな目標として、ロビン・ウォール・キマーラー(科学者、教授、ポタワトミ族のメンバー)の「知識の庭」という考えを発展させる必要があるのではと考え始めました。これは「西洋科学が先住民の伝統的な知恵に方向づけされる」関係を指します。

例えば豆を西洋科学、とうもろこしを先住民の伝統的な知恵とすると、豆ととうもろこしが共存するように両者は共存します。豆は好奇心旺盛で、いつも新しい方向に伸びていき、窒素肥料によって支えられているために強力です。しかし適切な誘導がないと豆は庭を台無しにします。あらゆるものに絡みついて乗っ取り、庭を混乱に陥れます。私は、科学は豆に似ていると思います。科学は感情と精神に導かれていない、つまり科学は共感や思いやりに導かれていません[17]。この「知識の庭」では、西洋科学は自然界に備わった知恵から学び、その知恵に敬意を払い、利益や帝国の拡張といったことに惑わされず、生き物の命(水、岩、土、空気の健康も含め)を中心に考えます。

数ヶ月後に職場復帰した時、まだ多くの課題が残っていて、生徒もたくさん質問があるようでした。そこで、さまざまな場所での有害な煙や雲の画像(有毒性や環境不正義の明確な視覚化)を用いて「問いづくりの技法 (QFT、Question Formulation Technique)」を行うことにしました。生徒たちは、トリニティ実験、また広島・長崎の原爆投下によるキノコ雲、2023年にオハイオ州イースト・パレスタインで起きた列車事故で化学薬品から出た煙、私たちの学校にも近いシカゴ市リトル・ヴィレッジ地区にあるクロウフォード石炭火力発電所の爆縮による灰と破片などの写真を見ました。その後、考えられるだけの質問を一生懸命書き始めました。それぞれのグループは質問を見せ合い、ディスカッションとさらなる調査のための質問を選びました。この課題によって、私たちは「犠牲区域」と「環境人種差別」といった概念に引き戻されました。私は生徒たちにヘーゼル・M・ジョンソンを思い出してもらいました。生徒たちはそれぞれの写真に共通項があることを見つけ出し、それは誰の責任か、誰がこれらの悲劇を引き起こしたのか、誰が権力を持ち、悲劇につながる決断を下したのか、環境や人体にどんな影響があったのか、といった質問をしました。明らかに正義や搾取といった概念についてきちんと考えている様子でした。その後、公共放送のドキュメンタリー番組「風下住民と放射能にまみれたアメリカ西部」を見ました。グループで作文するという課題を通して、風下被ばく者とプエブロの人たちの体験談を読みました。彼らの証言の一部を大きなポスター用紙に書き写し、生徒に心に残った言葉に丸をするよう、そしてこの体験談を読んでどんな気持ちになったか書き、体験談に関する質問も含めるよう指示しました。

 

「問いづくりの技法」の様子

生徒たちがこのグループワークをしている間、私は教室の中をゆっくり歩きながら生徒と一緒に学べる幸せを感じていました。その時、私はとても深い質問が書いてあることに気づき立ち止まりました。生徒の一人が、トリニティ実験を体験した人に直接話しかけているかのような質問を書いていました。「もしできるなら、原爆を作った科学者たちに何を言いたいですか?科学者たちに何を知って欲しいですか?」この質問を見たとき、私は確信しました。次の一年が、マヤ文明の「私はあなた、あなたは私」とウブントゥ哲学の助け合いと思いやりの理念、さらには好奇心や互いに力を築いていく可能性に満ちた確かな土台のもとで始まるのだと。そして、私たち一人ひとり、核エネルギーが世界を支配している構造をどう解体していけるかを学びながら、共にその力を育んでいけるのだと。アルンダティ・ロイは、グローバリゼーション、資本主義、帝国の中心にあるものについて語った力強いスピーチ「カム・セプテンバー」の中でこう述べています。「今とは違う世界は可能であるだけでなく、その新しい世界は今まさに実現しようとしています。私たちの多くは、その新しい世界を生きることができないかもしれませんが、心静かに注意深く耳を澄ますと、新しい世界の息づかいが聞こえるのです[18]」。

(ローラ・グラックマン著/宮本ゆき・小嶋亜維子訳)

 

【公式サイト】

https://www.teaachnuclearhistory.com/

TEAACH Nuclear History Project (宮本ゆき、小嶋亜維子、ローラ・グラックマン、サラ・ローゼンガード、アンブリア・テイラー) 

 

【注】

[1] 今回の題名は1964年にミシシッピ州で始まったフリーダム・スクール運動から着想を得ています。フリーダム・スクール運動の歴史と、今日のアメリカの義務教育における学問弾圧への闘いとの関連性については以下のサイトを参照ください。Anthony Conwright, “Freedom Schools For Today’s Justice Movement” Learning for Justice, https://www.learningforjustice.org/magazine/spring-2023/freedom-schools-for-todays-justice-movement#:~:text=Building%20on%20the%20historic%201964,artistic%20creation%2C%20organizing%2C%20and%20the 

[2] https://www.peopleforcommunityrecovery.org/our-story/legacy

[3] 「有害ドーナツ地帯(Toxic Doughnut)」とは、ドーナツの輪のように、大気中、地中、水中などの環境に有害な物質が、ある地域を取り囲んでいる現象を指します。

[4] 彼女の物語とシカゴの環境における人種差別の弊害についてのポッドキャスト「ヘルプ・ディス・ガーデン・グロウ(ガーデンを育てるのを助けよう)を参照。この「ガーデン」は、庭という意味と、地名であるアルトガルド・ガーデンの掛け言葉になっています。https://www.respairmedia.com/help-this-garden-grow

[5] Aya Hirata Kimura, Radiation Brain Moms and Citizen Scientists: The Gender Politics of Food Contamination after Fukushima (Durham; NC: Duke University Press, 2016)

[6] 連載第1回を参照ください。

[7] タリア・ルイスによるエイブリズムの定義は未だ作業中で、これは2022年時点の定義になります。この定義は、黒人やその他不利益を被るような人種定義をされた障がいを持つ人々と一緒に作られています。

[8] “Contemplation on the Earth and Humanity,” Micki Shelton Playwrite, November, 2022 (mickishelton.com/what-i-m-thinking)

[9] Kelly Weinersmith and Zach Weinersmith, “Mars Attacks: How Elon Musk’s Plans for Mars threatens Earth” March 20, 2025.  https://www.thebulletin.org/2025/03/mars-attacks-how-elon-musks-plans-to-colonize--mars-threaten-earth/

[10] この提案は作家のオクタヴィア・バトラーの物語に影響を受けました。彼の物語を「思索的あるいは洞察的」と形容したのは作家であり、運動家であり、教育者でもあったウォリダー・イマリシャでした。

[11] McKittrick, Dear Science and Other Stories, 23.

[12] Kathryn Yusof, A Billion Black Anthropocenes or None (Minneapolis; MN: University of Minnesota Press, 2018), 35. またキャサリン・ユソフは、核の植民地主義とその他様々な「植民地主義」を「主体性の無効化」と呼び、それは「土地に包み込まれ、整理され、強固に結びついた関係性を無効化すること。場所をとる・何かが起こる(taking place)とは、人々が特定の土地の地質を通して自己を実現していくあり方」なのだと言います。

[13] プエブロとはアメリカ南西部を中心に残っている先住民、あるいは共同体を指す言葉ですが、これはスペイン人による命名であるため、彼ら自身が自らを指す言葉は「ディネ ビケイヤ」になります。

[14] Myrriah Gomez, Nuclear Nuevo Mexico: Colonialism and the Effects of the Nuclear Industrial Complex on Nuevomexicanos (Tucson; AZ: University of Arizona Press, 2024), 133-134. 植民地遺産(コロニアリティ)とは、植民地支配が終わってもなお残っている、文化的、社会的、経済的な影響や構造を指します。

[15] Yu-Fang Cho, “Remembering Lucky Dradon, re-membering Bikini: worlding the Anthropcene through transpacific nuclear modernity” Cultural Studies 33 (1) 2019, 122-146.

[16] 長引くコロナの後遺症については以下を参照ください。National Academies of Sciences, Engineering, and Medicine Long COVID definition (https://nap.nationalacademies .org/read/27768/chapter/3#28

[17] Tim Peterson, “Robin Wall Kimmerer Explains Indigenous Traditional Knowledge” Grand Canyon Trust, April 18, 2023. (grandcanyontrust.org/blog/robin-wall-kimmerer-explains-indigenous-traditional-knowledge/)

[18] https://www.democracynow.org/2002/10/15/come_september_arundhati_roy_speaks_out

 

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著者略歴

  1. 宮本ゆき(みやもと・ゆき)

    デュポール大学宗教学部倫理学教授。デュポール人文学センターセンター長。著書にBeyond the Mushroom Cloud(2011),、『なぜ原爆は悪ではないのか』(2020)、A World Otherwise (2021)。訳書に「黙殺された被曝者の声:アメリカ・ハンフォード 正義を求めて闘った原告たち(2023)。

  2. 小嶋亜維子(こじま・あいこ)

    シカゴ美術館附属美術大学(School of the Art Institute of Chicago)社会学教員。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。イリノイ州における公平な公教育の実現を目指す団体「レイズ・ユア・ハンド・フォー・イリノイ・パブリック・エデュケーション(Raise Your Hand for Illinois Public Education)」理事。現在『マガジン9』にてコラム「シカゴで暮らす、教える、考える」連載中(https://maga9.jp/category/chicago/)。

  3. ローラ・グラックマン(Laura Gluckman)

    シカゴ公立学校にて14年間にわたり中学校の科学、社会科、英語を教え、若者と共に、解放的かつ学際的な学びの機会を創出することに情熱を注いでいる。教育の場において「ケア」「探究心」「批判的意識の育成」を重視し、生徒が「自ら生きたい世界を築く」ことを支援することが教師の役割であると考え、現在、TEAACH Nuclear History Project の一員として、中学生が核の歴史、核拡散、「核ルネサンス」と呼ばれる現象の台頭、さらには核兵器の爆発や核廃棄物による放射線被害の継続的影響を批判的に考察できる教材の開発に携わる。核問題が環境・社会的な不正義と深く結びついていることを理解し、それが自らの地域社会にも関わる課題であると認識すること、また、若者たちがより公正な世界を実現する力を持っていることを伝えることを目指している。

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