1年目:核兵器と核エネルギー
前回はティーチ・ニュークリア・ヒストリー・プロジェクト(TEAACH Nuclear History Project)がどのように始まったか、そのきっかけと基本の問題意識をお話ししました。今回はプロジェクトの1年目について、プロジェクトのメンバーで中学の科学教師であるローラ・グラックマンが振り返ります。
はじめに:科学教師の責任
長い数学の試験を終えて教室から出てくる中学生だった自分を思い出してください。よくできた!と実感しつつも疲労感があり、同時にお腹がちょっとゴロゴロしているかもしれません。幸運にも、次はあなたの大好きな科学の授業です。今日はどんな実験をするのかワクワクしています。
席について机の上のプリントと黒板を見ると、そこには自習のやり方が書いてあります。でも、数字ばかり。今、数学のクラスから出てきたばかりなのに、と、ちょっと嫌気を感じます。でも、よく見ると数字は変動していて、グラフの数字は350、390、421と、右肩上がりになっています。数字はずっと上昇するのかな、と、目を凝らし、これはどういう意味があるんだろう、と考えます。意味がなければ先生もこんな問題を出さないでしょうから。
上の図は過去4年における二酸化炭素排出量の月別平均を指し、
右のグラフは大気中における二酸化炭素量を示しています。
ともにハワイ島にあるマヌア・ロア気象台による観測。(出典:https://gml.noaa.gov/ccgg/trends/)
よく見てみると、縦軸は大気中の二酸化炭素の量を示し、横軸は時間の経過を表しています。隣の生徒に「ppmってよくわからないけど、でも数字が増えてるのはよくないことだよね。」と話しかけてみます。配られていたプリントにグラフを書き写しながら、たった今数学の授業で習った変数における比例と反比例の関係を思い出します。お腹が不快で口が渇いてきました。これはお腹が空いたから? それとも別の理由? ともかく、あなたは「この線っていつか下降するのかな」と思わずにはいられません。
地球は燃えています。私たち教員はなぜそうなっているのか教えなければなりません。直近の例としてカリフォルニアの火事[1]や、海岸地域を襲ったハリケーン[2]を「天災」として片付けるわけにはいかないのです。気候変動は、これから起こることではなく、すでに起こっているのです。科学の教員として、私は単に気候変動についてだけでなく、どのように気候変動が人種、障がいの有無、健康、ジェンダー、そして経済的状況と結びついているのかも教えなければならないと考えていますし、それが私の倫理的責任だと思っています。現在、気候変動は火急の事態です。というのも、政府は生徒の批判的意識を育てるカリキュラムを学校から排除しようと急速に法整備を進める一方で、気候変動の主たる原因である石油業界に補助金を出し続け、この危機を乗り越えるための解決策として「原子力ルネサンス[3]」という(誤った)幻想を推進しているのですから。
同時に、生徒たちには気候変動の現実に批判的でありながら、希望(批判的希望)を持って取り組んで欲しいとも考えています。教室でも、このようなバランスが大事になってきます。意図せずして、生徒に無力感を植え付けてはいけませんし、現状に対して行動を起こせる適切な怒りが重要でしょう。気候変動について教える際、大気中における二酸化炭素の増加の分析から、私の授業は始まります。それは、ちょうどこのエッセイの最初のエピソードのような感じです。このグラフはどんな感情を生徒に芽生えさせるでしょうか?生徒は心配になったり、混乱したり、あるいは自分とは関係ない、と思ってしまうでしょうか?そして、あなたは何を感じ、何を思いますか?
毎年、私の科学のクラスは、なぜ大気中の二酸化炭素量が問題なのか調べることから始めます。グリーンハウスガスの効果や、海流の温暖化のモデルを見ていくことで、極端な気候変動の裏にあるメカニズムを理解できます。なぜ気候変動について学ぶことが大事なのか、という質問から始まって、極端な気候変動で影響を受けた地域の人々の物語を読みます。そして、批判的希望を育てるために、現在や過去における人々(先住民、黒人、ヒスパニック系)が先導してきた環境正義運動について、そして、世界中の若者による政治的取り組みについても学びます。
クラスにおける「知識を行動に」のセクションでは、地元の議員に環境に関する政策を提言したり、気候変動を止めるために自分たちができることや、権力者に立ち向かう方法を広めるためのパンフレット[4]を作ったりもします。
「語り」の力を中心にすることと、より「科学的」で客観的とされる内容[5]について勉強すること、この両方が、気候変動を教える際にはとても重要です。しかし、ティーチ・ニュークリア・プロジェクトの一年目で学んだのは、誰かの経験、「人の物語」から始めることの方が、私たちの目標にとってより効果的な教育方法だということでした。その目標とは、現状の原子力言説、原子力エネルギーが気候変動を緩和するというのが正解だとする言説を鵜呑みにしないで、疑問を投げかけることです。
小嶋亜維子さんと宮本ゆきさんが、私たちの毎日の暮らしに原子力が与える影響について考える授業のカリキュラムを作らないか、と持ちかけてきた時、このプロジェクトは、私がずっと生徒たちと考えてみたいと思っていた質問-「いかにして(人を救うはずの)科学が残虐な行為に使われてしまうのか?」「科学者としての倫理的責任とは何か?」に呼応するとすぐに思いました。二人の助けを借りて、私は、今まで教えたことがなかった、原子力の歴史とその科学について学び始めました。それは、単にカリキュラムを作るにとどまりません。原子力エネルギーの問題は、個人的に考えていた交差性(インターセクショナリティ)と学際性についてのことだと更なる興味を掻き立てられました。なぜ今まで、アメリカの南西部、核被害地域の先住民の土地の破壊と彼らの搾取について、誰も私に教えてくれなかったのでしょう?
私は高校1年と2年の夏の課題図書だった、ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』を読んで、広島・長崎への原爆投下が戦争を終わらせた、といった典型的な語り以外のアメリカの不正義については習っていました。しかし、なぜマンハッタン計画を問題視しなかったのでしょうか、あるいはロスアラモスについて、マーシャル諸島での実験について習わなかったのでしょうか?
議論を通じて学ぶ:SACプロトコル
私はニューヨーク州のハドソン・バリーという地域で育ち、家から車でたったの40分のところにある、インディアンポイント原発で反原発集会が時折開かれていたのを、なんとなく覚えています。でも、私の先生たちは核兵器と電力を作る原子力技術との関係や、政治家が(すでに2000年代に入っていたのに!)原発は気候変動の解決策だとする政策を推進することの真意を教えてはくれませんでした。
こうした経験と学びから、最初、原子力エネルギーについて学ぶ短いセクションから始めることにしました。私たちの目的は、パウロ・フレイレが言うところの「意識化」を生徒同様、教員にも広めることでした[6]。
教員と生徒の間の「専門知識の流動性」をモデルに、私は教えながらも学びを続けていました。教員による結論ありきの一方向の授業よりも、生徒自身が自発的に研究、考察することによってより深く問題を理解するように促したいという思いから、私たちは教育手法として、ストラクチャード・アカデミック・コントロバーシー・プロトコル(Structured Academic Controversy Protocol: SACプロトコル)[7]を導入することにしました。
SACプロトコルとは、ある問題について賛成と反対の両方の意見を調査し、議論を通じて結論を出すという学習方法です。ディベートとは違い勝敗をつけるのではなく、あらゆる角度から問題を精査し共通理解を構築することを目的とします。
社会の時間の教室の様子
私たちティーチ・ニュークリア・プロジェクトは、まず社会の教師と協力し、第二次世界大戦における核兵器使用について、SACプロトコルを試みました。イリノイ州の教育課程では第二次世界大戦期の世界史は中学校の必修になっていないため、生徒たちはほとんど当時の歴史、地政学などについての知識がありません。そこでこのトピックへの興味を促すことを目的として、カリキュラムを始動する前に学級文庫[8]を設けました。憂慮する科学者同盟(Union of Concerned Scientists)とヒロシマ平和創造基金からの助成によって、『はだしのゲン』やハーシーの『ヒロシマ』、『サダ子と千羽鶴』などを含む、英語の本を揃えることができました。ここから本を自由に借りて読むことで、生徒たちは多少の知識を得ることができたようです。なかでも『はだしのゲン』は人気で、いつも取り合いになりました。
社会のSAC議題は「第二次世界大戦時、アメリカ政府は日本人に対して核兵器を使うべきだったか?」としました。生徒は5〜6名ずつのグループに別れ、それぞれのグループ内をさらに半分にわけ、それぞれ賛成と反対を担当し、2週間にわたって資料の読み込み、論点のまとめを行いました。それからグループ内で議論をし、結論を出したあと、最後にクラス全体での討論をおこないました。
社会のSACプロトコルで使われたワークシート
左の欄には、自分たちの議論を支持する証拠をあげ、右の欄には、その反論をあげる
原爆投下肯定の論拠として生徒たちがあげたものには、原爆が戦争を早期終結させたとみる早期終戦・人命救済説、日本軍の植民地政策と戦争犯罪を終わらせた植民地解放説などがありました。一方、原爆投下否定の論拠は、ソ連参戦の日本降伏への影響、原爆投下時広島及び長崎に居た朝鮮半島にルーツをもつ人びとなど植民地出身者の存在、何世代にもわたる被曝の影響とその倫理的問題などでした。クラス議論では、原爆投下がなくとも日本降伏は近かったことを裏付ける歴史的資料などに基づいて、アメリカ政府は日本人に対して核兵器を使用すべきではなかったという結論に至りました。議論の過程では被爆による人体や環境への長期的な影響や、人種主義、植民地主義的な観点から、ドイツに対して原爆投下の可能性はあったかといった論点もあげられるなど、生徒たちはとても2週間だけの学習とは思えないような、深い洞察を示しました[9]。
議論を通じて学ぶ:原子エネルギーと気候変動問題
社会の授業の後、私の科学のクラスでは原子力エネルギーを気候変動問題への対策という枠組みの中で学ぶことにしました。一年を通じてのテーマを「科学における倫理」にしていたため、SACプロトコルはうってつけで、「原子力エネルギーの性質を調べる上で、科学者としての私たちの責任はなんだろう?」という問題を主軸としました。そして、SAC議題を「二酸化炭素排出を抑え、気候変動を和らげるのに、アメリカは今後も原子力エネルギーを使い続けるべきか?」としました。
セクションに入る前に質問したところ、数名の生徒はすでに原子力エネルギーがどのように生み出されるかを知っていました。多くの生徒は原子力エネルギーがクリーンで、石油に代わるエネルギーとして最もふさわしいと考えていました。私が予想していた通り、彼らは核兵器は「悪であり、危険で、破壊的で、非人道的」だが、原子力エネルギーは化石燃料よりもずっと良いものであるというように、核を二分して考えており、その過程における人的被害や環境に及ぼす影響には言及していませんでした(これは「被害の軽減」という視点を通して原子力エネルギーをとらえる一般的な言説と一致しています)。しかし、「科学者としての私たちの責任は、原子力エネルギーについて調べる上で、それが人間に及ぼす影響を考えることです。それは放射線、有害廃棄物、そしてさまざまな危険を生み出します。地球と人々がよりよく生きることを基本に決断しなければなりません」と書いてきた生徒が一人いました。同様な意見の学生は少数ですが他にもおり、起こりうる害を考えると原子力エネルギーを「よし」とできない、といった意見もありました。
Q1:原子力エネルギーについてどう思いますか? 原子力エネルギーは化石燃料の「良い」代替エネルギーでしょうか?
Q2:原子力エネルギーの性質を調べるに際し、科学者としての私たちの倫理的責任とはどんなものでしょうか?
という二つの質問が投げかけられました。
SACプロトコルのための準備として、まず、原子力発電所において、どのようにエネルギーが生み出されるのか、その内部構造の学習をしました。生徒には、私が用意した教材(ビデオ、オンラインサイト、読み物)を使って自分で調べてもらいました。でも今になって振り返ってみると、なぜ私は、放射線や核廃棄物によって被害を受けている人々や土地の力強い物語から始めるのではなく、原子力の「本質」を、まず科学的メカニズムに関する「客観的」理解という視点から学ぶことを選んだのだろう、と思います。「原子力エネルギーとは何か?」「どういった仕組みなのか?」という問いに答えるという最初のアプローチ自体が、科学と技術革新を通じた従来の問題解決の考え方(例えば、原子力が気候変動を「解決」できる、というような考え方)の踏襲に過ぎず、人間が自然界の力を利用し、コントロールできる、といった前提を強調するものでしかありませんでした。
第1週を終えると、授業の方向性を変え、アメリカ南西部のウラン鉱山における環境と健康被害について学ぶことにしました。サラ・フォックス著『風下地域:核の西部の人々の物語』に出てくるプエブロとディネの人々が住む地域[10]にあるウラン鉱山で働く人々の証言を読みました。
オートンは父親が羊や牛を「ブライアン・ヘッドの街のそばの山に」誘導するのを見つめていました。母親はがんに罹っていました。彼女は地域でがんに罹った多くの一人でした。「ここには、かなりの大きさの農場が4つありました。その中で、私の父親、母親、兄ががんにかかったので、父は人を雇いました。アール・バンも、農場を持っていましたが長くがんに苦しんでいました。彼の二人の兄弟もがんで、彼らが雇った人もがんで亡くなり、その妻もがんで亡くなっています」。オートンは病気の人を数える手をとめ、ギャラガーに言いました。「子羊を見てください。毛が生えないで産まれてきたり、奇形だったりして可哀想な子たちです。ランドール・アダムスは自分の飼っている羊は食べません。だって、羊を屠ると背骨に沿って黒い線があって怖いのだそうです」。人間と家畜の被害を織り交ぜたオートンの語りは核汚染がこの地域の食物連鎖に及んでいることを鮮やかに物語っています[11]。
ディネの土地にあるウラン鉱山が水質汚染と土壌汚染を引き起こしたこと、先住民のウラン鉱山作業員とその家族に及ぼした数々の健康被害、労働搾取に満ちた生活について学ぶと、生徒たちは原子力エネルギーが引き起こした計り知れない、そして長期にわたる人的被害と環境汚染についての理解が深まったようでした。クラスでは、1950年代、核産業におけるプロパガンダとなった広告の分析もしました。それらはエネルギーの未来とアメリカの進歩において、ウラン鉱山の重要性を訴えるものでした。
最終的にSACプロトコルのために、生徒を原子力エネルギーに賛成か反対かのどちらかに振り分けました[12]。Aグループは、原子力エネルギーが気候変動の緩和を図るために使われるべきでないとする証拠を出さなければなりません。ニューメキシコ州におけるトリニティ実験やビキニ環礁におけるキャッスル・ブラボー実験のような核実験、チェルノービリや福島のように放射性降下物による影響を受けた地域の様々な健康被害についてもリサーチしました。Aグループの生徒は、原子力エネルギーの費用が高いこと、核廃棄物の現在と将来のリスク、国の安全保障上も危険であることなどの問題点を見つけました。Bグループの生徒は、原子力エネルギーがクリーンであり、二酸化炭素を排出しない電源であること、また太陽光や風力と比べ信頼性が高いことなどを挙げました。これらの再生可能エネルギー源はいつも稼働できるわけではないこと、また原発に比べ生産できるエネルギー量が少ないこともあげられました。
科学の授業のSACプロトコルの様子(https://www.youtube.com/watch?v=7MKwxGkZeDM)
合意形成がSACプロトコルの最後の段階です。この時点で、生徒は割り当てられたグループの意見に従わなくても良く、分析を深め、小グループでの話し合いを通して合意を形成していきます。その際、小グループで原子力エネルギーが気候変動のためには最善のエネルギー源であるかどうかについての共同声明を書き上げます。生徒は大気中の二酸化炭素の急激な増加に素早い対処が求められていること、もし地球を救いたいなら、化石燃料が環境を破壊していることなどを持ち出しました。
「クラスの結論、そこから学んだこと」
教室を歩いてグループの様子を観察していると、気候変動の緊急性を感じた多くのグループが次第に同じ結論にたどり着いているのが聞こえてきました。それは、「原子力エネルギーは気をつけて使えば、あるいはより多くの規制があれば、化石燃料から脱却するのに有効ではないか」というものでした。多くの生徒が原子力エネルギーは理想的ではないが、「止まることなく上方向に伸びていくグラフを下方に向けさせる」可能性があると主張しました。私は、もっと教えられることがあったのに、と後悔しました。例えば、誰が原子力エネルギーで利益を得ているのか、どのように権力と結びついているのか、本当に原子力エネルギーが、今後増加するエネルギー需要に応えることができるのか、などです。その時、一人の生徒が二つのとても重要な質問を投げかけました。もし、再生可能エネルギーが実際に人的・環境的被害が少ないとデータが示しているのなら、なぜ再生可能エネルギーによるエネルギー貯蔵技術に、私たちはもっと投資しないの? 気候変動を抑えようという話をする時、なぜ原子力エネルギーによって傷つけられた人々や土地の話がもっとも重要な決断事項となっていないの?
その日の授業では、合意形成はできませんでした。アイデンティティを形成中である生徒は、他人の意見を聞くことを学びつつ、話し合いを通じて重要な課題に関しては自分で理解を深めることができると考えていますが、それでも合意形成は、とてつもなく大きな課題です。それは大人にとっても大変なのですから! 次の日、合意形成の大きな話し合いの前に、もう一度小さなグループに分かれて話し合いました。私は、一つのグループに「どんな将来を思い描いてる?」と聞いてみました。大人たちがすでに将来図を描いていると感じていたとしても、気候変動の真っ只中にいる生徒にとって、よりよい世界を想像することは大事な一歩だ、という希望があった上での質問でした。しかし最終的に、クラス全体が原子力エネルギーは二酸化炭素を減らすために気をつけて使うべきだという結論に達しました。
この最初の年の経験から、翌年は内容をもっと変えたいと思うようになりました。授業を通じて、生徒は、彼らが何に納得し、何に納得いかないかを私に教えてくれました。もし、私が中学生だと想像してみると、原子力エネルギーについて周囲に溢れているメッセージを分析することは難しいだろうとも思いました。「問題の根源」を掴めるようにしなくてはならない[13]、物語の力を通して好奇心を養い、批判的な質問ができるようにしなければならない、とわかったのです。
(ローラ・グラックマン著/宮本ゆき訳/小嶋亜維子副筆)
【公式サイト】
https://www.teaachnuclearhistory.com/
TEAACH Nuclear History Project (宮本ゆき、小嶋亜維子、ローラ・グラックマン、サラ・ローゼンガード、アンブリア・テイラー)
【注】
[1] 2025年1月7日発生したイートン火災(Eaton Fire)。ロサンジェルスの9,000棟の建物を焼き、最低でも死者17人を出した、カリフォルニア州史上で2番目に被害規模の大きい火災となった。
[2] 例えば2005年、アメリカ南海岸を襲ったハリケーン・カトリーナは1,833人の死者を出したと言われ、2017年のプエルトリコを直撃したハリケーン・マリアは、2,975名の死者を数えた。National Weather Service, August 2005. (https://www.weather.gov/mob/katrina#:~:text=In%20addition%2C%20Katrina%20is%20one,un%2Dadjusted%202005%20dollars).) Sarah Lynch Baldwin and David Begnaud, “Hurricane Maria caused an estimated 2,975 deaths in Puerto Rico, new study finds” CBS News, August 28, 2018. (https://www.cbsnews.com/news/hurricane-maria-death-toll-puerto-rico-2975-killed-by-storm-study-finds/)
[3] Nuclear renaissanceと呼ばれる「原子力ルネサンス」とは、気候変動への関心と石油価格の高騰により、一時期衰退傾向にあった原子力エネルギー産業が、息を吹き返したと思われる現象を指します。
[4] Zineと呼ばれる自主的に作られる非営利出版物。
[5] 次回、西洋的概念である「科学的見地」について、もう少し詳しく紹介します。
[6] パウロ・フレイレはブラジルの教育者・哲学者。批判的意識や意識の高まりなどを指します。英語の”conscientization”はポルトガル語の”conscientização”の訳。
[7] 「構造化された学術的論争問題学習」と訳されることもある。参照:岩崎圭祐「論争問題学習に取り組むために教師教育には何が必要か」『社会科研究』95(2021):13-24
[8] 学級文庫に入れた本のリストはこちら。https://www.teaachnuclearhistory.com/classroomlibrary
[9]ハンフォードのあるリッチランドや、過疎地などのように軍の施設に頼らなくて良い、都市部のシカゴでの授業であることも、原爆投下否定の後押しとなりました。
[10] この地域は“Four Corners” 四つ角と呼ばれ、アリゾナ州、コロラド州、ニューメキシコ州、ユタ州の州境が十字に交わっています。
[11] Sara Fox, Downwind: A People’s History of the Nuclear West (Lincoln; NE: University of Nebraska Press, 2014), 155-156.
[12] Aグループは「アメリカは二酸化炭素排出と気候変動を抑えるために原子力エネルギーを主要エネルギーとして使うべきではない」、Bグループは「アメリカは二酸化炭素排出と気候変動を抑えるために原子力エネルギーを主要エネルギーとして使うべきである」といった課題をそれぞれ指示する証拠をリサーチします。
[13] こうした態度は「ラディカルだ」と批判されることが多いですが、アメリカのフェミニスト、アクティビスト、哲学者でもあり作家でもあるアンジェラ・デイヴィスは「結局のところ、ラディカルとは端的に言って『物事の根源を摑む』ことだ」といっています。Angela Davis, Women, Culture, and Politics (New York: Knopf Doubleday, 2011), 14.