3年目:アートを通して核の現実を理解する
今回は、プログラムの3年目にカリキュラムを広げるにあたって、アートを核の授業に取り入れたことをお話します。生徒たちの核を主題とするアートへの反応や、彼らの行った課題と制作した作品を紹介しながら、アートを取り入れたことにより核の歴史や科学についての理解が、核の人的影響という文脈においてどのように広がったのか説明します。
「芸術は、私たちの生存の可能性を想像するための方法を与えてくれます。それは、数値化可能なデータやモデルを補完するために必要不可欠なものです……人文学は、私たちを切実かつ重要な形で結びつけてくれます。悲しみの中にあっても孤独ではなく、また希望を持つことは世間知らずなことではないということを思い出させてくれるのです。」
― エミリー・ポーク[1]
アートと科学の教育法
これまで述べてきたように、西洋の科学的方法論は、核をめぐる社会的・環境的不正義の根底にある制度的人種差別や植民地主義の構造を支えています。私たちは科学に反対しているのではなく、優性法などを支えたファシズム的な考えに反対しているのです[2]。「ラジウム・ガールズ」[3]、「モルロア・ファイル」[4]、「エブ・ケイド」[5]の事例は、植民地化・周縁化されたコミュニティへの核の重大な影響を隠す道具として、いかに西洋科学が利用されてきたかを示しています。こうした多くの事例からも明らかなように、西洋科学の視点だけで核技術を学ぶことは、学生たちに不完全な核(環境)の歴史の理解をもたらしかねません。核技術とその歴史を、西洋科学の根幹──すなわち人体や生態系に優劣を付ける欲望と、それを正当化する構造──から切り離すことが大切なのです。そこで私たちは科学の授業に芸術や芸術的手法を取り入れることで、これらの欠点に対抗し、より全体的で人間性を重視した知識基盤を育むことができるのではないかと考えました[6]。
この目的のために私たちが採用した「コンセプト・ベース学習」とは、学生が単に個別の知識やスキルをバラバラに覚えるのではなく、そこからより普遍的な概念(コンセプト)を引き出し、それらを関連づけて整理することで知識の枠組み(スキーマ[7])を構築する学習方法です。そして新たに得た知識を自らの世界観や価値観に取り込むことを可能にします。私たちの授業はコンセプト・ベースの探究[8]、つまり知識をただ覚えるのではなく、そこから普遍的で大きな考え方(コンセプト)を見つけ出し、問いを立てながら学ぶやり方によって進めました。これによって学生は核技術についてただ情報を知るだけではなく、幅広い分野をつなげて考えるための概念 (例えば、「人新世」、「倫理」、「入植植民地主義」、「資源収奪」、「使い捨ての政治」などの複雑な概念)にどのように取り組むかを考え直しました。そして、「核化学」や「放射線による人体細胞の破壊」といった科学的な知識を、これらの概念の一つひとつと結び付けて理解できるように工夫しました。これにより、「核技術の真実」として教えられるような言説に対抗することを試みました。
この学びの過程に核に関連したアートを組み込むことが、現状を覆し、核エネルギーがもたらす身体的・感情的・生態的負担についての議論に生徒を引き込む強力な方法になると私たちは考えました。さまざまなアートが長年にわたり環境正義の運動で用いられてきました[9]。なぜなら、芸術は複雑に結びついた危機を理解するための「共通言語」を提供してくれるからです[10]。芸術は、それが悲しみであれ、困惑であれ、喜びであれ、怒りであれ、希望であれ、人々に感情的なつながりを伴った反応を呼び起こすことで人を動かします。芸術は問いを生み出し、より人間的で、より身体感覚に根ざした「知のあり方」の可能性を開きます。ズザナ・ヴァスコ博士は『芸術と本質的な学び(The Arts and the Authentic Learner)』の中で、「芸術は自己とのつながり、そして仲間や私たちが属する文化とのつながりを育む」と述べています[11]。私たちは、核のアートを共に鑑賞・分析し、創作することで、核の歴史を現代の核危機に結び付けることの大切さを、より深く共有できるようになるだろうと思ったのです。
大学生と中学生:織り合わさった二つのカリキュラム
3年目のカリキュラム拡張で特に重要だったのは、NTAの7年生と、シカゴ美術館付属美術大学(SAIC)の学部生(おおむね18〜22歳)との交流です。私たち(ローラ・グラックマンとサラ・ローゼンガード)は、それぞれNTAとSAICで科学を教えており、二人とも芸術を活用して科学カリキュラムを拡張することに関心を持っていました。私たちは、中学生から大学生、そして教員に至るまで、世代を超えて、さらに芸術と科学という異なる分野を横断する対話を、このカリキュラム拡張の中心に据えたいと考えました。
サラのSAICでの科学クラスでは、中間課題として、核をテーマとしたさまざまな形態の芸術作品を探究しました。SAICの学生たちは、自分で選んだ核に関連するアートについて、NTAの7年生に向けて、その作品のメッセージ、科学の表現方法、そして科学者の役割や責任の描き方などを解説した5〜8分のプレゼンテーション動画を制作しました。プレゼンテーションでは、アート作品と核科学、または核科学者とのつながりを明確に伝えること、そしてさらに議論を深める新たな問いを生み出すことが求められました。動画は、完成後にローラのNTAクラスの学生に共有されました。
一方、ローラは7年生の理科の必修単元である「細胞解剖学と代謝プロセス」に、「核エネルギーと人体」という項目を組み込みました。この単元では、システムや安定性と変化、構造と機能という観点を重視しながら、細胞、組織、器官の相互関係について学びます。その上でローラは生徒たちに、システムが破綻したときに何が起こるのか(人体のシステムが、放射性降下物や核廃棄物、資源収奪、人為的活動によってそこなわれたときにどうなるのか)を考えるように促しました。するとNTAの生徒たちは「なぜアメリカはこれほど多くの実験を行ったのか?」「原爆はどのようにしてガンを引き起こすのか?」「DNAが損傷すると何が起きるのか?」「なぜ人々が傷ついた実験が合法だったのか?」といった疑問を挙げ、放射線が細胞や人体システムに与える影響について調べました。こうした科学探究と核アートのプロジェクトを組み合わせ、核技術による人体システムの崩壊を、「感情」や「つながり」の視点から考えるようにしたのです。これは年間を通じた本質的な問いへとつながるものでした。
【年間を通じた本質的な問い】
1. 私たちは科学者としてどのような倫理的責任を負っているのか?(一般的に、そして核エネルギーの性質を考察する場合において)
a) 科学における白人至上主義をどのようにして崩し、解体するのか?
b) 科学はいかにして帝国主義や植民地主義を推し進めるために利用されているのか?
2. 科学は、自然界とつながり学ぶため、また問題解決のために利用される一方で、人々や環境を傷つける残虐行為を継続させるためにも利用されうる。その両方が存在するのはなぜか?
3. 広範な被害が加えられた後、コミュニティはどのようにして回復し再生できるのか?
その後NTAの生徒も、核アート作品の分析を行いました。サラのSAICクラスの学生が扱ったのと同じ作品か、自分で調べて見つけた作品のいずれかを選び、以下の5つのカテゴリーに沿って分析しました。
- テーマ(Theme) ― この作品は核の歴史/科学のどの側面に関連しているか?
- 影響(Impact) ― 作品全体のメッセージは何か? この作品の想定される観客は誰か?
- 科学(Science) ― この作品を核科学とどのように関連付けられるか? それは科学分野を正確に(あるいは不正確に)表現しているか?
- 科学者(Scientist) ― 作品は科学者の役割や責任をどのように(あるいは不正確に)描いているか?
- 問い(Question) ― 核アートと科学の交差について、シカゴ美術館付属美術大学の学生に投げかけられる質問は何か?
彼らはさらに、SAICの大学生によるプレゼンテーションを視聴することで、自分たちが分析した作品に対する考察を深めました。そして実際に自分たちで核エネルギーが人体に与える影響について、独自のアート作品や記録(ビジュアルアート、詩、歌詞、科学モデルなど)を制作し、芸術をプロセスとして直接体験しました。
核アート作品の分析
「これは……美しいカオス、という感じがします」
とローラの生徒の一人が言いました。シカゴ美術館(2023年)で展示されていたヒマリ・シン・ソインのマルチメディア作品《静的領域(Static Range)》[12]について、討論していた時です(図1)。これは、ローラが核技術と放射線による身体的被害を教えるなかで、中学生が初めて触れたアート作品でした。私たちは「美しいカオス」という感覚を、放射能の果てしない影響や、誰の身体が使い捨てにされているのかを顧みることなく、ただキノコ雲の壮大な光景に感嘆する人々に結びつけて議論しました。学生たちは、この《静的領域》の一場面を、放射線の影響が時間をかけて現れる様子の記録として捉え、砂嵐のような形が風景を破壊していると説明しました[13]。
図1 ヒマリ・シン・ソインの《静的領域(Static Range)》について意見を述べあう7年生
《原子力エネルギー研究室(Gilbert U-238 Atomic Energy Lab)》[14]という、核実験時代に子ども向けに販売された「おもちゃ」(図2)を分析対象として選んだ生徒たちもいました。彼らはキットの詳細と、バラ色の頬をした白人の子どもが、この「ワクワク!安全!」なキットで楽しむ様子が描かれた箱の美的表現に注目しました。この分析を見て、他の生徒は、原子力時代のプロパガンダに反応し、爆弾の倫理性や目的について、「このおもちゃで子どもはがんにかかったのか?」「おもちゃは高価だったのか?」「誰かこのおもちゃを危ないと思った人はいたのか?」「科学者でこのおもちゃに疑問を持った人はいたのか?」といった、鋭い質問をしました。
図2
出典:the Atomic Energy Lab(https://orau.org/health-physics-museum/collection/toys/gilbert-u-238-atomic-energy-lab.html)
一方、サラのクラスの大学生は、世界中の核をめぐる言説から生まれた膨大な芸術作品の中から12点の多様なメディア形式作品を取り上げ、ビデオプレゼンテーションを制作しました。サルバドール・ダリの絵画、上記の《静的領域》、シカゴ大学キャンパスにあるヘンリー・ムーアの彫刻《核エネルギー(Nuclear Energy)》、さらに、2022年のアメリカ映画『トップガン ・マーヴェリック』や、1986年のイギリスのアニメーション映画『風が吹くとき』、また、『Fallout(フォールアウト、放射性降下物の意)』というビデオゲームや、20世紀初頭にウランやラジウムを含む放射性物質で製造された古い家庭用品なども、核科学、政治、デザイン史に関わる作品として批判的に分析されました。
学生の選んだ作品の範囲は多岐にわたりましたが、そこから導き出された論点は3つの相互関連するテーマに収束しました。
第一に、多くの学生がこれらの作品を「表象」や「翻訳」の形態として捉えました。アート作品が、「目に見えないもの」つまり、放射線や核をとりまく政治についての複雑な情報を、広く一般の観客にとってわかりやすく届ける「コミュニケーション手段」として機能すると分析しました。
第二に、多くの学生にとって、これらの作品は人間と核兵器との間のつながり(あるいは断絶)を語るものでした。たとえば、丸木位里・俊夫妻の《原爆の図》のように、原子爆弾による暗く甚大な人的被害を直接描いた作品もあれば、『風が吹くとき』のように、核エネルギーや核兵器の経験をめぐる人々の感情、不安、恐怖、無知、混乱を映し出す作品もあります。こうした作品は、必ずしも核についての情報をわかりやすい形に翻訳するのではなく、むしろそれらを取り巻く人々の経験を物語ることで、もとの情報がもたらす感情や不透明性をさらに強く打ち出すのです。
最後に、一部の作品は、興味深いことに「核の証拠(nuclear evidence)」として機能していました。アナイス・トンドールによるチョルノービリの植物の写真[15]や、モニカ・ニエフリンスカによる放射線を帯びた作品[16]は、核汚染が環境に及ぼす影響を伝え、記録する役割を果たしていました。
核アートを制作してみる
こうしたSAICの大学生によるプレゼンテーションにインスピレーションをうけて、NTAの中学生たちは、核エネルギーが人体に与える影響について、独自のアート作品や記録(ビジュアルアート、詩、歌詞、科学モデルなど)を制作しました。制作にあたって、人と人・自然とのつながりやシステム、倫理的責任といった概念を組み込みつつ、放射線が人体に与える影響や、核技術の背後にある「使い捨ての政治(disposability politics)」をも表現することが求められました。
生徒たちの作品は目的も様々で、原爆やその他の核災害で亡くなった人々を追悼するもの、原子力時代のプロパガンダを自らの風刺作品で批判するもの、科学者に倫理的責任を求める彫刻的作品などがありました。みな様々なメディアを用いて、核技術がどのように身体的・生態的システムを破壊し、変質させ、取り返しのつかない影響を及ぼすかについての理解を深めていきました。
この作品(図3)には、青空の広がる晴れたシカゴの風景が描かれ、その背景にはキノコ雲が立ち上っています。作品の右側には、同じシカゴの建物が原爆の被害を受けた様子がクローズアップで描かれています。作者の生徒は、シカゴが核破壊の出発点であること、そしてマンハッタン計画でのシカゴの大きな役割が、その後に起きたすべての核による暴力ともシカゴを結びつけ続けていることを強調したいと話しました[17]。
図3 7年生による色鉛筆画
これは(図4)、マーシャル諸島での核実験と、それがマーシャル諸島の人々の健康にもたらした結果(損傷したDNA、目が数字になった人々の顔)を表すレリーフです。この生徒は、「私たちは実験台ではない!」と叫ぶ人々の声を表現したいと語りました。
図4 7年生によるレリーフ作品
この作品(図5)はミクストメディアによるもので、非常に精巧な追悼用リースを立体的に作り込むことで三次元性を持たせています。制作した生徒は、広島・長崎の被ばく者を追悼すること、そして核エネルギーや放射線の長期的影響を同時に描こうとしました。
図5 7年生によるミクストメディア作品
この生徒は原爆によって人々のあいだのつながりが一瞬で破壊されることに焦点を当てた詩を書きました(図6)。
図6 7年生による水彩画と詩「一瞬(A Second)」
一瞬(A Second)
Interconnectedness (つながり)
A word we know all too well (あまりにもよくしっている言葉)
Connected to each other (わたしたちは互いにつながっている)
With every action we take (ひとつひとつの行動で)
Landscapes and beauty (景色も美しさも)
Turned to nothing in a second (一瞬で無に変わる)
In that second there is fire (その一瞬に炎が生まれる)
The buzzing truth of the government (政府のざわめく真実)
Testing weapons in a second (一瞬の間の核実験)
In that second too much happens (その一瞬にあまりにも多くのことが起きる)
Cancer becomes more prominent (ガンがひろがっていく)
The second the truth unfolds (真実が明らかになるその一瞬)
Trinity Site 1945 (1945年 トリニティ・サイト)
The first atomic bomb (最初の原爆)
Felt 160 miles away (160マイル離れた場所にも響いた)
The innocent people (罪なき人々)
Lives forever changed (人生は永遠に変えられてしまった)
Accidental explosion? (事故だったのか?)
I’m not so sure (わたしはそうは思わない)
Now this is a monument (いまやこれは記念碑)
Life paused in history (歴史の中で止められた命)
A day gone in a second (一日が一瞬で消える)
When nuclear explosions start to flame (核爆発が炎をあげるとき)
Nausea, weakness, infections (吐き気、虚弱、感染症)
All those things can happen in a second (すべてが一瞬で起こりうる)
But seconds go by too quickly, (だが一瞬はあまりにも速く過ぎていく)
Too quickly to be lost (失われるには速過ぎる)
Too much happens in a second (一瞬にあまりにも多くのことが起きる)
教育的効果
科学の授業に芸術を取り入れたことで、生徒たちは、人々の経験を伝える語り手、翻訳者、記録者、そしてデータ収集者となりました。このプロジェクト成果は、学際的な科学教育がいかに重要かを示しています。理解しにくい科学概念をアートによってよりわかりやすくできるということを、多くの生徒自身が体験しました。同時に、アートは、気候変動対策として原子力発電を使うべきか、などの現実の社会的議論のために必要な新たなデータや証拠、知見の源を提供することもできるのです。
西洋科学に組み込まれた植民地主義的構造が、核科学を不透明で難解なものにし、また周縁化されたコミュニティの語りや情報源、知識体系(技術)を抑圧してきたことを考えると、核科学の授業における芸術と科学の融合は、そうした支配的構造に抗う機会となります。科学者だけが核情報の伝達者・発信者ではないのです。芸術作品が生み出す知識を科学データと並べて検討することで、生徒たちは見落とされたり、忘れ去られたり、「客観性」という幻想によって意図的に消されてきた知識源を含め、より包括的に核をめぐる議論に関わることができるのです。
また、芸術は、科学を学ぶ生徒たちにとって、核技術が地球やその生きとし生けるものに残した深い傷を理解する助けになるだけでなく、そうした学びがもたらす精神的負担を支える手段にもなり得ます[18]。環境破壊や気候危機に向き合うときにともなう感情的な負担を、芸術的な方法で和らげるアプローチについてはすでにたくさんの研究があります[19]。芸術を科学教育にとりいれることは、環境的不正義や核不正義 (核兵器実験や原子力発電の歴史と不正義)を学ぶ生徒たちにとって、それを「対処の手段」としてさらに活用する可能性を秘めています。つまり芸術は、問題の多い西洋科学の支配性に抗うのと同じように、行動を促す力を生徒に与えることができるのです。
最後に、ここまでカリキュラムについて説明してきましたが、アーティストの倫理的責任や義務については触れてきませんでした。アーティストとその作品は、複雑な核の情報の伝達者や記録者となり得る一方で、核科学や核技術の不透明さ、不誠実さ、不正義に加担してしまう可能性もあります。したがって、核の技術や科学、科学者についてのメッセージを伝える作品を制作することを選んだアーティストの責任について考えることが重要だと私たちは考えています。
ローラ・グラックマン、サラ・ローゼンガード著/小嶋亜維子訳
【注】
[1] Brennecke Gale, “Art as a tooll for environmental justice” https://sustainability.stanford.edu/news/art-tool-environmental-justice
[2] Leanne Betasamosake Simpsonは、その著書、Theory of Water: Nishanabe Maps to the Times Ahead(Chicago: Haymarket Books, 2025)で、「西洋科学は客観的でも価値中立でもない。むしろ歴史を通して、植民地主義、民族浄化、黒人差別といった歴史的事実と同時に発展した思考のシステムなのです」と述べています。
[3] https://www.theradiumgirls.com/the-girls、Kate Morre, The Radium Girls: The Dark Story of America’s Shining Women (Naperville; IL: Sourcebooks, 2018)
[4] https://moruroa-files.org/
[5] エブ・ケイドは、テネシー州オークリッジのオークリッジ国立研究所で働いていた黒人の建設労働者でした。彼はマンハッタン計画の一環として、世界で初めてプルトニウムを体内に注射された人物です。彼の物語は、黒人や有色人種、先住民、障害者の身体が行われてきた非人道的な人体実験や搾取、そして核産業によって世界規模で引き起こされた障害や死という暴力的な歴史の一部です。
詳しくはこちら: https://inkstickmedia.com/storytelling-and-unmaking-the-nuclear-death-world/ and https://www.democracynow.org/2004/5/5/plutonium_files_how_the_u_s、Harriet A. Washington, Medical Apartheid: The Dark History of Medical Experimentation on Black Americans from Colonial Times to the Present (New York: Vintage, 2008), 特に第9章、Nuclear Winter: Radiation Experiments on African Americans.
[6] 例えば、第二次世界大戦中、マンハッタン計画の一環としてシカゴ大学で開発・運用された世界初の原子炉の埋設地を描いた、ジェレミー・ボーレンとブライアン・ホームズによる印刷作品《A区域の上と下(Above and Below at Site A)》や《埋め立てA区域19番(Site A Burial #19)》のような作品は、核技術が地球や社会に残す痕跡が、科学者だけでなく、芸術作品やアーティストの活動によっても測定・伝達されることを私たちに思い起こさせます。廃炉となったこの原子炉の一部は、現在シカゴの南東約30マイルに位置するレッド・ゲート・ウッズ(初代アルゴンヌ国立研究所の跡地)に埋設されています。そこには「Site A」と「Plot M」として知られる地下の二か所があり、もともとSite Aで(地上に)使用されていた原子炉は、原子爆弾の開発に不可欠であり、その後は原子力発電のインフラのモデルともなりました。このように芸術と科学を結びつける学際的な思考は、核技術のような問題についての教育や思考を広げ、考え直す機会を与えてくれるのです。
[7] https://www.edweek.org/teaching-learning/opinion-what-is-schema-how-do-we-help-students-build-it/2019/10
[8] https://www.inspiringinquiry.com/learningteaching/concept-based-learning
[9] 例えばhttps://justseeds.org/portfolio/we-are-the-storm/ や、またはRicardo Levins Morales による作品など。 https://www.rlmartstudio.com/
[10] https://sustainability.stanford.edu/news/art-tool-environmental-justice
[11] Vasko, Zuzana. “The Arts and the Authentic Learner.” SFU Educational Review, Simon Fraser University Library.
[12] https://www.himalisinghsoin.com/static-range
[13] ヒマリ・シン・ソインは、この作品が置き去りにされた核装置の視点を記録しており、それが人間の身体のみならず、山、水、植物、動物といった非・人間の身体も変質させ、傷つけてきた──「生態学的暴力のスペクタクル」である──と述べています。
[14] https://orau.org/health-physics-museum/collection/toys/gilbert-u-238-atomic-energy-lab.html
[15] https://anaistondeur.com/chernobyl-herbarium
[16] http://niwelinska.com/albums/trinity/
[17] シカゴ大学で1942年に成功した核連鎖反応が後の原爆開発に大きな貢献をした。
[18] Panu Pihkala,. “Eco-anxiety and environmental education.” Sustainability 12, no. 23 (2020): 1-38.
[19] Julia Jung. “Ocean ArtScience and the Exquisite Corpse Process: Developing new Insights, Surfacing Values and Building Community through a Participatory Art Process” Cobra Collective, Ocean Networks Canada, 2022, available at https://cobracollective.org/wp-content/uploads/2022/03/OceanArtScience_ExquisiteCorpse_Jung2022.pdf. Atkinson, Jennifer. "Eco-grief and climate anxiety in the classroom." In Contemplative Practices and Anti-Oppressive Pedagogies for Higher Education, eds. by Greta Gaard and Bengü Ergüner-Tekinalp (New York: Routledge, 2022): 35-51. Caitlin Scheirich. “Coping with the Climate crisis: exploring art therapy for sustainable mental health.” Core, June 29, 2020 https://core.ac.uk/outputs/335015444/?source=2