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娘の不登校から見た日本の学校や社会のあれやこれや——子ども・若者支援の専門家が20年目に当事者になった話

「自由の国」からの帰国

 

わが家の娘は、学校ではなく、フリースクールに通っています。きっかけは、小学校2年生の時にクラスで起こった、いわゆる「学級崩壊」です。

ただ、振り返ってみると、娘は年少から小学校1年生になる直前までアメリカで過ごしたという学校や社会の文化・価値観の違いも、フリースクールに通うようになった背景として、一つあったように思います。そこで、この連載では、わが家が日本に帰国した頃からの、日本での生活の苦労から話を始めたいと思います。

娘の保育園選び

新型コロナウィルス感染拡大で、国をまたいだ移動が世界中で制限されていた2020年秋、私たち家族はアメリカから帰国しました。娘はアメリカの小学校の最年少学年キンダーガーテンを終え、1年生に進級したばかりでした。

帰国後、2週間の隔離生活が終わると、早速、新居の近隣で年長クラスの空きのある保育園を娘とまわりました。アメリカで「小学生」だった娘は、日本に帰ってまた「保育園に逆戻り」するのが随分と不満そうではありましたが、3軒まわった中で、自分なりに優先順位をつけてくれました。その通り第1希望から第3希望までの園の名前を書き、役所の窓口に申請書類を提出しました。

娘は自宅から一番近いできたばかりのキレイな新しい園ではなく、2番目に近いとても古い建物の区立保育園を第1志望に選びました。近くの新設の園には同じ年少の子どもがほとんどいなかったことに加え、第1希望を決めたポイントは他にも2つあったようです。一つは見て雰囲気が気に入ったこと、そして在園している子どもたちの多くが同じ小学校に入学するということでした。せっかく仲良くなった友達と、すぐにお別れするのはもう嫌だ、ということでした。

帰国前、コロナ禍で全米中の学校がオンライン授業となっていました。最後までクラスに参加したかった娘は、帰国する日も朝からクラスにログインし、空港までの車の中でも、空港に着いてからも、午前の授業に参加し続けていました。昼休みに入る前、空港のロビーからみんなに画面上で別れを告げ、飛行機に乗りました。

気にしていたのは、オンラインになってあまり画面上にも顔を出すことのなくなった仲良しのクラスメイトとお別れを言えなかったことでした。一人は親御さんに障害のあるご家庭の子、もう一人はお母さんが出産直後だったご家庭のお子さんでした。小さな子どもたちがオンライン授業に入るには、毎日の家庭のサポートが不可欠でした。ご家庭に事情のあるためでしょうか、オンライン授業に移行してから2人はほとんど「不登校」になっていました。

そんな寂しい想いをしたからでしょう。日本では、保育園で仲良くなった友達と同じ小学校にあがりたい、と言うのも大きな要素となり、娘は第1希望の保育園を選びました。そして、月末、無事に第1希望の保育園に入園できることが決定され、翌月から日本での保育園生活が始まりました。

「言葉の壁」への不安

入園にあたり、心配事として保育園側にお伝えしたことの一つが、娘の日本語のボキャブラリーが大変乏しいことでした。家庭では日本語で話していましたが、日中現地の幼稚園、小学校で英語で過ごした娘のボキャブラリーはかなり怪しいものでした。

 

「ゾウってなに?」

「…え?statue(像)のこと?」

「違うと思う。」

「…もしかして、elephant(象)?」

「そうそう!elephantだ!!」

 

一時が万事こんな有様で、アメリカに渡る前に、言葉を話し始めた初期に覚えたような言葉も忘れてしまっていました。動詞もあまり出てこず、「餃子とライス、トゥギャザーしたらいいんじゃない?」なんて言って、大人を爆笑させたりすることもしばしばでした。

また、平仮名も片仮名も書けませんでした。今時、幼稚園・保育園の子どもたちは平仮名・片仮名を書けるのが一般的なようで、アメリカでも日本語の塾に通わせたり、日本の通信教育教材を取り寄せたりして学ばせている駐在の日本人家庭が多くありました。娘は、元々プリントで算数や英語の勉強をするのが好きで、通っていたモンテッソーリの幼稚園でも「この子はペーパーワークのとても好きな子ね」と言われていたような子でしたから、家で文字の筆記を少しはやってみてはいました。しかし、あまり教育熱心とは言えそうにないわが家では、日本語学校や塾に通わせたり、娘がやりたい以上にドリルをやらせたりはしませんでした。そのためでしょうか、なんとなくはやったことがあるけど、「平仮名が書ける」というレベルには達しないまま、年長の秋に帰国となりました。

そんな調子なので、それなりに日本語でコミュニケーションはとっているようで、指示などがわからないことがあるかもしれない、書いてあることは理解することは難しい、と保育園の先生方に伝えました。地域的に、特別多くはありませんが、それなりに外国人などもいる地域でしたので、保育園側も慣れているようで、快く私たちの心配を受けとめてくれました。

遊びながら学ぶ毎日

年長クラスは14名と小規模の保育園の中で、娘はすぐにクラスにとけこみ、楽しく通い始めました。渡米前も小規模園に通っていましたし、アメリカでの幼稚園も小学校も1クラス20名強の、日本の学校のクラスサイズよりはこじんまりとした中で過ごしてきた娘には、小規模園が合っていたのだろうと思います。そもそも娘が「雰囲気が気に入った」と言うのも、一番静かだったのが理由だそうです。それはたまたま静かな時間帯に見学に行っただけで、実際にはもっと賑やかだったと後で娘は笑っていたのですが、それでも小規模園ですから、音量としてはまだ他より良かったでしょう。元々娘は、聴覚過敏というほどではないけれど、うるさすぎる環境は好きではない子です。また、お世話好きのクラスメイトが色々とケアしてくれたこと、同じ月に転勤で転入してきた新入園の子がたまたま他にもクラスにいたことなども、保育園に馴染んでいくのに幸いしたようでした。

正直言えば、見た保育園はどこもそれなりに雰囲気は良く、親の都合としては、自宅から近い保育園や、隣の学区にはなるけれど駅前の園の方が送り迎えはラクでした。とはいえ、通うのは娘なのだから、と本人に選んでもらったのですが、やはり本人の感覚やインスピレーションは大事で、選んでもらって良かったとホッと胸をなで下ろしました。

入園後の先生方の関わりも丁寧なものでした。2ヶ月ほど経った頃、娘がかなり平仮名を書けるようになっていることに気づきました。担任の先生や園長先生とお手紙交換をしていたのだそうですが、それが奏功したのでしょうか。また、学芸会で「寿限無」をやることになっていたのですが、あの「じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ〜」という長い名前を、大きな模造紙にみんなで分担して書いたのだとか。娘の書くパートは先生が鉛筆で下書きをしてなぞって書いていく準備をしてくれたり、サポートをしてくれたりしているのだそうです。担任の先生はもちろん、お忙しい中、目を配ってくれている園長先生にも頭が下がる思いでした。同時に、親が先回りして勉強させなくても、遊びの中で学んでいく子どもの力を見せてもらった気持ちでした。

そんな様子で、保育園生活を送るうち、日本語のボキャブラリーもだいぶついてきていました。オンライン生活だった最後のアメリカの半年間から、対面で集って生活する中で、人と過ごす上で必要な力をつける機会を取り戻してきたようでもありましたし、一人っ子の娘にとっては、0歳、1歳クラスのお世話に出かけたり、保育園ならではの縦割り生活から、年長者としての振る舞いを自然に身につけたりしているようでもありました。遊びながら学ぶ、遊びの中から学ぶ、そんな保育園での学びに感心したのでした。

小学校入学に向けてよぎる不安

少しホッとしたころ、気づけば卒園も近づいていました。少しずつ、保育園でも小学校入学に向けた準備が始まってきました。小学校での時間割のしっかり決まった集団生活に適応できるよう、子どもたちの過ごし方と心構えを準備しているようでした。

「そんなに日本の小学校は保育園からのハードルが高いのかな?」。保育園の様子からそんなことを感じ、一抹の不安が湧いてきました。娘には、言葉の壁以外にも、「自由の国」で過ごした「文化の壁」もあるように思われたのです。学校にはたして適応できるのか、保育園転入以上に不安が湧いてきたのでした。

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著者略歴

  1. 鈴木 晶子(すずき・あきこ)

    NPO法人パノラマ理事、認定NPO法人フリースペースたまりば事務局次長・理事、一般社団法人生活困窮者自立支援全国ネットワーク研修委員。臨床心理士。
    1977年神奈川県に生まれ、幼少期を伊豆七島神津島で過ごす。大学院在学中の2002年よりひきこもりの若者の訪問、居場所活動に関わり、若者就労支援機関の施設長などを経て2011年一般社団法人インクルージョンネットかながわの設立に参画、代表理事も務めた。その傍らNPO法人パノラマ、一社)生活困窮者自立支援全国ネットワークの設立に参画。専門職として、スクールソーシャルワーカーや、風俗店で働く女性の相談支援「風テラス」相談員なども経験。内閣府「パーソナル・サポート・サービス検討委員会」構成員、厚生労働省「新たな自殺総合対策大綱の在り方に関する検討会」構成員等を歴任。2017年に渡米。現地の日系人支援団体にて食料支援のプログラムディレクター、理事を務めた。2020年帰国。現職。著書に『シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』(共編著、明石書店、2017年)、『子どもの貧困と地域の連携・協働――〈学校とのつながり〉から考える支援』(共編著、明石書店、2019年)他。

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