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娘の不登校から見た日本の学校や社会のあれやこれや——子ども・若者支援の専門家が20年目に当事者になった話

回る歯車、乗り越えられた「文化の壁」

 

多様な子どもと過ごす

娘の担任の先生は、毎年1年生を担任しているという「1年生担任のスペシャリスト」でした。そんな先生のおかげで、娘は「疲れた」「疲れた」と言いながら、学校自体は大好きになっていきました。一つひとつの項目の学び方や、クラスの雰囲気づくり、感情や注意、行動のコントロールが難しいお子さんの学校での対応やサポートなど、随所に入学したての1年生の学習・クラス運営の蓄積を感じました。


入学直後、娘が感情のコントロールに課題のあるお子さんに叩かれたことが一度ありました。放課後すぐに電話をくれ、状況の説明や、今後の対応、見通しを示してくれました。そのお子さんについて、娘の話から、特別支援のためのサポート職員がつき、科目によっては別室で個別学習をしていることが私もわかっていました。(これは保護者の方がお子さんの特性を理解し、学校でこうした支援を受けられるよう手続きをしたということです)。家でも、私から娘に「発達の凸凹ってどんなことなのか」ということを説明する良い機会にもなりました。


クラス内でも得意を生かした活躍の場を先生が作っているようで、行事の際にそれを目にすることもありました。サポートがあり、他のお子さんたちと同様に活躍の場があったためでしょうか、徐々に、そのお子さんも感情や行動が落ち着いてきたようです。その過程をクラスで共に過ごすことができたのは、娘にとって、さまざまな特性を持つお子さんと共に学校生活を送る、大変良い経験になりました。

文化に親しむ時間

空いた時間に、日本の昔話などを読んでくれたり、映像を見せてくれたりするのも、日本の文化に馴染む時間が不足していた娘には、ありがたいことでした。


ある晩のことです。学校でその日空いた時間で見たビデオが悲しい話で嫌だったと話し出しました。娘は「先生、こんな悲しい話だって知らないで見せちゃったんじゃない?」と言うのです。そんなことはないだろうと思い、どんな話なのか聞いてみました。

 

「どっかに行ってね、帰ってくるの。それでね、開けちゃダメだよって言われた箱を開けちゃうの。それでおじいちゃんになっちゃうの。それすっごいsadだった」

 

大真面目な娘に、私は吹き出してしまいそうなのを我慢しながら、それは浦島太郎という有名な昔話なのだと教えました。娘は「いいことしたのに、こんな目に遭うなんてfairじゃない」と納得できないようでしたが、昔話や童話とはそのようなものですので、仕方がありません。


考えてみれば、きっとこうした体験は、娘と同様に他の帰国子女や、外国人のお子さんなどに対してもそうですし、生活困窮世帯など、家庭の文化的資源が乏しくなりがちな世帯のお子さんにも大切な時間になりそうです。世の中には、絵本の一冊もなければ、「絵本を読み聞かせる」という文化のない家庭がたくさんあることに、仕事柄出会ってきました。文化に触れる機会を作るのは、多様な家庭の子どもたちに広く価値がありそうです。


こうした毎日の積み重ねで、娘は日本の公立小学校に驚くほど馴染んでいきました。クラスも、放課後通っていた放課後児童クラブ*も、気の合う友達と楽しい毎日を過ごすようになっていきました。お友達たちは、「レストラントごっこ」なんて、ちょっと不思議な日本語を話すことのある娘を、自然に受け入れているようでした。その結果、「学校を休みたくない」というので、アメリカにいた頃のように、連休の谷間を休んで大きな旅行に行く、なんてことができなくなってしまったのは、私としては少々残念でしたが、1年生は皆勤したのでした。全ての歯車がうまく回り、すっかり「文化の壁」も乗り越えられたように感じていました。

気にかかる教育熱

学校生活に馴染んでいく娘にホッとしながら、少し気にかかることがありました。それは、学習に関することでした。


ある日、娘が「●●ちゃんが通ってる塾に行きたい」と言い始めました。私は考え込んでしまいました。娘が話している塾は、確かに、特に低学年の子どもが多く通っている近隣の塾でした。基本の反復を積み上げ、どんどん上の学年にまで学習内容が進むようでしたが、早く進めばいいというものではないし、特に遊ぶ時間を削ってまで通う必要があるとは、私には思えませんでした。
実は、私と連れ合いは、既にこうした単純反復の宿題が学校からかなりたくさん出されることに首を傾げていました。放課後児童クラブでは宿題タイムが設けられており、プリントをやるのは済ませて帰宅します。家でやるのはプリントの採点と音読を聞いてサインすること、また週末に日記を書くことくらいでしたが、私たちには疑問が湧いていました。

 

「私たちの時に1年生でこんなに宿題なんてあったっけ?」
「繰り返しばかりで、逆に勉強嫌いになりそうだよね…」

 

週2回はタブレットに配信されるのですが、AIを使って娘にあった問題が出てくるわけでもなく、単純にプリントと同じ問題をただタブレットでやっているだけのようで特段目新しいものはありませんでした。実際、娘は徐々に勉強に関心を失いつつあるようでもあり、それは成長するにつれて当然のことかもしれませんが、アメリカで勉強が好きだったのを考えると親としては残念でもありました。何かを知り、学ぶことは、本来は自分のために主体的にするものであり、楽しいもののはずですから。そんな状況でしたので、私は娘にこう伝えました。

 

「もし行きたいなら行ってもいいけど、塾に行ったら今ある学校の宿題みたいなものがもっと増えて、塾に行く分放課後児童クラブに行ってお友達と遊ぶ時間が減ってしまうよ。放課後の時間は限られているから、自分が何に時間を使いたいか、少し考えてみたらどうかな」

 

数日考えて、娘は、塾には行かず、遊ぶ時間を優先することに決めました。私の方はといえば、相変わらず、宿題についてはなんだか解せないままで、お迎えで一緒になる娘のクラスメイトのお母さんに、そのことについて話してみると、こんな答えが返ってきました。

 

「高学年になると、宿題は逆に減るよ。みんな受験勉強で忙しいから、あんまり宿題出すと、親からクレームが来るらしいよ」

 

実際、娘の通っている小学校では、児童の半分が中学受験をするのだといいます。首都圏では、既に2022年の春には、小学生のうち中学を受験する率が17%を超えニュースになりましたが、それをはるかに上回ります。1年生にして既に塾に通っている子が多いのも、こうした地域の事情を反映してでしょうか。


また、もう一つこうした状況に関連して、気になっていたのは、娘が「うるさいから嫌」と言っていたクラスメイトのことでした。塾でかなり先まで学習内容が進んでいるために、先生が説明をしたり、問題考えさせようとすると、先に答えを言ってしまうのだそうです。「私は考えたいのに、あの子が先に答えを言っちゃうの。それがイヤ」。


その子どもからしてみたら、塾で反復して習得したことを学校でさらにやらされるのは、退屈で苦痛でしょう。「そんなのもうわかっているよ。つまらないよ」という気分でしょうし、(遊びの時間を削ってまで)勉強している成果を「自分はこんなにできるんだ!」と自慢をしたいのかもしれません。


いろいろと小さな事件が起こりながらも、学校での安定した生活はゆらがず、娘は学校に毎日楽しそうに通っていました。学ぶことについては家庭ごとにさまざまな考えがあるでしょうが、学校に通うというのは、さまざまな社会の風潮の影響を受けてしまうのだなぁと、一方で難しく感じるそんな1年でもありました。それでも、まさかクラス替えで、娘が学校に行けなくなるほど大変な事態になるとは想像だにしていなかったのですが。

 

*放課後児童クラブ:学童など保護者が共働き等により昼間家庭にいない小学生を預かり、その遊びと生活を支援し、健全育成を行う事業の総称。

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著者略歴

  1. 鈴木 晶子(すずき・あきこ)

    NPO法人パノラマ理事、認定NPO法人フリースペースたまりば事務局次長・理事、一般社団法人生活困窮者自立支援全国ネットワーク研修委員。臨床心理士。
    1977年神奈川県に生まれ、幼少期を伊豆七島神津島で過ごす。大学院在学中の2002年よりひきこもりの若者の訪問、居場所活動に関わり、若者就労支援機関の施設長などを経て2011年一般社団法人インクルージョンネットかながわの設立に参画、代表理事も務めた。その傍らNPO法人パノラマ、一社)生活困窮者自立支援全国ネットワークの設立に参画。専門職として、スクールソーシャルワーカーや、風俗店で働く女性の相談支援「風テラス」相談員なども経験。内閣府「パーソナル・サポート・サービス検討委員会」構成員、厚生労働省「新たな自殺総合対策大綱の在り方に関する検討会」構成員等を歴任。2017年に渡米。現地の日系人支援団体にて食料支援のプログラムディレクター、理事を務めた。2020年帰国。現職。著書に『シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』(共編著、明石書店、2017年)、『子どもの貧困と地域の連携・協働――〈学校とのつながり〉から考える支援』(共編著、明石書店、2019年)他。

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