マーベルはアメリカ社会を反映しているか? 〔坂下康紀〕
マーベル・シネマティック・ユニバースと呼ばれる映画シリーズが大人気だ。『アベンジャーズ』というタイトルに聞き覚えのある読者もおられるだろう。マーベル映画では、スパイダーマンやアイアンマン、ブラックパンサー、ハルクなど、多様で個性的なヒーローたちが描かれる。『アベンジャーズ』では、そうしたヒーローたちが一つの作品の中で共演する。
今回の筆者である坂下康紀さんは、「ヒーロー・アクション映画」として絶大な人気を誇るマーベル映画の「原作コミック」に、「人種差別」の観点から迫ってくれた。コンテンツは社会から完全に独立したものではありえない。お互いに作用しあって成立していく。そのことに、学生目線で真摯に思考を巡らせた論考をお楽しみいただければと思う。(岡本健)
マーベルはアメリカ社会を反映しているか?
坂下康紀
2020年5月25日、米・ミネソタ州で黒人男性ジョージ・フロイド氏が白人警察官に首を圧迫され死亡した事件が起きた。この事件がきっかけとなり、現在アメリカ社会を中心に世界中で再燃している「Black Lives Matter」運動(以下BLM運動)。
さらに8月23日、米・ウィスコンシン州で黒人男性が白人警察官に背後から7回銃撃され、大怪我を負う事件が発生した。この事件を受け、米プロバスケットボールNBAのミルウォーキー・バックスの選手たちが、8月26日に予定されていた試合をボイコットし、社会正義のために行動を起こした。また同日、女子テニスの大坂なおみ選手が出場していた大会を棄権することを発表し、日本でも話題となった(翌日に主催者側の意向で棄権撤回を表明[1])。
人種差別はアメリカ社会の始まりから根付き、現在まで存在している。本稿では、長期にわたり人種差別が根付くアメリカ社会がフィクション世界に影響を与えているのか、アメリカのコミック出版社であるMarvel Comics(以下マーベル)内の世界を対象に扱うことで見出す。
コミック出版社の中でも、2018年に主要キャスト、製作陣の多くがアフリカ系によって制作され、アカデミー賞作品賞にノミネートされた『ブラックパンサー』(2018)が話題になるなど70年以上の歴史の中で多様な人種キャラクターを有しているのがマーベルである。本稿ではアメリカにおける人種差別の歴史、マーベルにおけるキャラクターの多様性を整理する。そしてマーベルにおける人種割合と現実のアメリカ社会の人種割合データを比較することで、マーベルにアメリカ社会が反映されているのか考えていく。
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アメリカでの黒人差別を知るためには、奴隷制から振り返る必要がある。
1619年、アメリカ史上最初とされるアフリカ黒人が、プランテーションの労働力としてヴァージニアに輸入された[2]。18世紀初頭にはアメリカ大陸各地で奴隷制が整備され、1776年に独立宣言、1781年にイギリス軍が降伏したことでアメリカは独立を果たす。
19世紀に入ると、奴隷制の廃止を求めた運動が活発化した。1808年に奴隷貿易は禁止されたが、奴隷制は廃止されなかった。そうした中で奴隷制の是非も争われた南北戦争が1861年に始まった。戦争中の1863年にリンカーンが奴隷解放を宣言し、戦争が終結した1865年に奴隷制廃止が定められた憲法修正第13条が確定した。
こうして奴隷制は廃止されたが、黒人に対する差別は消えなかった。定められた憲法には抜け穴があり、裁判で有罪宣告を受けた者に対する労役の強制は許されていた。そのため多くの黒人が難癖をつけられ、軽い罪であっても刑務所に送られた。
刑務所送りを避けるため、黒人たちは白人に対する人種エチケットを守らなければならなかった。このエチケットには、黒人男性は白人女性の目を見つめない、黒人は衣服店では試着しないなどがあり、黒人には白人への従順を示すことが求められた。差別はさらに加速し、学校や公園、トイレなど生活のあらゆる場所での人種隔離強制法が定められた。自由を得たはずの黒人たちの権利は完全に奪われていた。
こうした社会に反旗を翻す人々が1930年代から長きにわたって取り組んだ公民権運動によって、1964年に公民権法が成立し、人種隔離強制法が無効となった。
法律としては無効となったものの、なおも差別が消えることはなかった。さらに、グローバリゼーションがもたらした産業の空洞化によって格差は拡大し、1970年代以降に事態はより深刻化。その結果、多くの黒人は黒人居住区での生活を余儀なくされ、白人との経済格差は現在まで続いている。
さらに1980年代になると、黒人居住地区に麻薬ギャングの支配が広がったことによる取り締まり強化により、白人警官の黒人に対する圧力は強くなった。その影響は大きく、BLM運動のきっかけとなった、警察や権力による黒人への不当な扱い「レイシャル・プロファイリング」が現在でも社会問題となっている(上杉 2013)。
逃亡奴隷法や取り締まり強化法、囚人労働など、黒人を搾取し迫害する各種制度が用意され、逆らう黒人たちは法や警察や軍隊などの暴力装置に脅かされ、はては命を奪われてきた。この歴史の上で、今日のアメリカ黒人たちの怒りがある(長澤 2020)。一つの事件がBLM運動の世界的な広がりのきっかけではあるものの、蓄積された数多くの不平等な歴史が現在につながっている。
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マーベルの始まりは1930年代。前身であったタイムリーコミックスが1939年に刊行した『マーベル・コミックス#1』が、事実上の始まりとされている。その後1940年にキャプテン・アメリカを生み出し、1960年代には1961年のファンタスティック・フォーを皮切りに、スパイダーマンやアイアンマン、ソー、ハルクといった現在まで活躍し続けるヒーローが次々と誕生した。
公民権運動が活発化していた1966年、マーベル初の黒人スーパーヒーローとしてブラックパンサーが登場。以前にも黒人のキャラクターは存在していたが、スーパーヒーローとしては初めてであった。
ブラックパンサーの登場以降、キャプテン・アメリカの相棒に迎えられたファルコン、ストリートギャング出身で黒人スーパーヒーロー初の単独誌を飾ったルークケイジ、ヴァンパイアハンターのブレイドといった黒人スーパーヒーローが多く登場することになる。
ファルコンことサム・ウィルソンは、キャプテン・アメリカを襲名し活動した時期があった。サムのキャプテン・アメリカとしてのシリーズ『Captain America: Sam Wilson』(2015-2017)では、黒人であるサムがキャプテン・アメリカであることに対する民衆の賛否両論の様子が描かれていた。
文化的多様性がより重視されるようになった2000年代以降、ティーンエイジャーで多様な人種の新キャラクターが多く登場する。マーベルは2000年に新しい読者を呼び込むため、従来の物語を再構築するだけでなく、独自の世界を作り上げ、アルティメット・ユニバースと呼び、異なる世界を包括しているマーベルのマルチバース(多元宇宙)内の一つとした[3]。
アルティメット・ユニバースで死亡したピーター・パーカーに変わる2代目スパイダーマンとして2011年に登場したのが、アフリカ系とヒスパニック系ハーフの少年マイルス・モラレスである。マイルスは2018年に公開され、第91回アカデミー賞長編アニメ映画賞を受賞した『スパイダーマン:スパイダーバース』の主人公として一躍有名キャラクターとなった。
さらに2014年には、パキスタン系移民でムスリムのティーンエイジャーの少女カマラ・カーンがMs.マーベルとしてマーベルに現れる。
以上のように、マーベルが1939年の始まりから70年以上の歴史がある理由として、キャラクターに変化も加え、社会の流れに対応してきたことが挙げられる。
◇
前述したように、黒人ヒーローをはじめ多様なキャラクターが生存しているマーベル。今回マーベル内における人種割合を調査するため、マーベルのキャラクターを多数掲載している『マーベル・エンサイクロペディア』を用いた。
識別項目は以下の4つ。①白人、②黒人、③ヒスパニック、アジア系、宇宙人(スクラル人、クリー人など)、④その他(ロボットなどの人工生命体)である。
変身能力を持つスクラル人、地球人に似た外見ながら地球人の2倍の体力と耐久力を持つクリー人、超人的なパワーを持った不死の種族エターナルズなど、マーベルには多様な宇宙人が存在する。これらをどのように分類するべきか。
リンネは『自然の体系』において、「人間は、他の動物と同じ身体的特徴を多く持っているが、理性によって動物的衝動を自律的に制御できるという特徴を持っており、この特徴をもって人間は他の動物と一線を画す」と述べている(Linne 1735)。リンネの定義した概念に基づくと、マーベルに生存する宇宙人は、理性と知恵を兼ね備えているため人類と捉えることができる。よって、宇宙人も識別対象とする。
宇宙人においても、スクラル人のスーパースクラルは緑色の肌を持つため③へ、アスガルドの神であるソーは白い肌を持つため①など、肌の色によって分類を行うものとする。また、『マーベル・エンサイクロペディア』内に(1)キャラクター名、(2)キャラクター写真、(3)個人プロフィールの3つがすべて掲載されているキャラクターを扱う。
以上の条件を整理すると、『マーベル・エンサイクロペディア』に(1)キャラクター名、(2)キャラクター写真、(3)個人プロフィールが記載されており、(4)知恵と理性を兼ね備えているキャラクターを統計対象とする。
これらの条件をもとに調査した結果が表1の「マーベルの人種割合」である。調査結果を端的に述べる。①白人は623人、②黒人は99人、③ヒスパニックなどは129人、④その他は64人の計915人という結果となった。割合で示すと①は68%、②は11%、③は14%、④は7%であった。白人キャラクターが約70%と過半数を占めていることがわかる。
[表1]マーベルの人種割合
人口 |
割合 |
|
① 白人 |
623 |
68% |
② 黒人 |
99 |
11% |
③ ヒスパニックなど |
129 |
14% |
④ その他 |
64 |
7% |
合計 |
915 |
100% |
出所:筆者作成
では、現実のアメリカ社会と比較した場合と差はあるのだろうか。総務省統計局による『世界の統計2020』のデータを用いて整理したのが、表2の「アメリカ合衆国の民族別人口」である。白人は72.4%、黒人・アフリカ系は12.6%、アジア系・二人種以上の混血・先住民は合わせて8.8%、その他は6.2%という結果となった。
[表2]アメリカ合衆国の民族別人口
|
人口(1000人) |
割合 |
白人 |
223,553 |
72.4% |
黒人・アフリカ系 |
38,929 |
12.6% |
アジア系 |
14,674 |
4.8% |
二人種以上の混血 |
9,009 |
2.9% |
先住民 |
3,472 |
1.1% |
その他 |
19,109 |
6.2% |
合計 |
308,746 |
100% |
出所:総務省統計局「世界の統計2020」
人口で比較するには母数の差が大きいため、割合で比較する。白人の差は4.4%、黒人の差は1.6%。「世界の統計2020」でのデータをマーベルの統計と合わせるため、アジア系などとその他を合わせた15%を③ヒスパニックなどと比較すると、その差は1%となった。以上からすべての項目で5%以内の差になっており、マーベルは現実のアメリカ社会における人種構成を反映した世界と言えるのではないだろうか。
では、物語の中核を担うヒーローに絞った割合は変化が生じるのか? 今回はヒーローの中でも、よりマーベルで中心的に活躍するヒーローに焦点を絞る。その方法として『マーベル・エンサイクロペディア』に加えて、マーベル公式の電子書籍アプリ『Marvel Comics』を用いた。
アプリ内でヒーロー名または個人名を検索し、いずれか一方の名がタイトルに使われているミニシリーズ(3〜6話ほどで連載される短期連載)、またはオンゴーイング(長期連載)を持った経歴があるキャラクターを対象とする。そのためワンショットと呼ばれる1話読み切りでタイトルを飾ったのみのヒーローは対象外とする。
よって追加分析の統計対象として前述した(1)〜(4)の条件に加え、(5)ミニシリーズまたはオンゴーイングの個人誌を持った経歴のあるヒーローとなる。
これらの条件をもとに調査した結果が表3の「主役級ヒーローの人種割合」である。結果は白人が70%、白人以外が30%という結果となった。
[表3]主役級ヒーローの人種割合
|
計 |
割合 |
白人 |
92 |
70% |
白人以外 |
39 |
30% |
合計 |
131 |
100% |
出所:筆者作成
表1と比較すると、白人キャラクターの占める割合が微増しているものの、マーベル全体での割合と大きな差が開いているわけではないことが示された。以上のことから、物語の中心人物となるヒーローにおいても、マーベルの多様性は保たれていることがわかる。
◇
キャラクターの多様性が証明されたマーベルだが、物語の描写では差別的な要素は存在しえないのか、今後深く検証する必要がある。今回は、映画『ブラックパンサー』の先行研究からその実態を垣間見る。
舞さつきは、『ブラックパンサー』の舞台となるワカンダはユートピアの一種として描かれているため現実のアフリカ社会に起こった植民地主義や奴隷制といった負の遺産がまったく描かれていない、ワカンダはその他アフリカの国々が受けてきた現実に対して見て見ぬふりをしていた、と指摘している(舞 2019)。
また、朴珣英は『ブラックパンサー』は植民地主義や差別を批判し、対抗しようとする側面を有しながら、その植民地主義を再生産し、アフリカ大陸のみならず黒人自身をステレオタイプ化する側面を持ち、両義的な作品であると指摘している(朴 2020)。
前述したように、映画『ブラックパンサー』は主要キャスト、製作陣がアフリカ系で制作されたスーパーヒーロー作品で、非常に革新的でありながら、黒人に対するステレオタイプの再生産へとつながる物語ともなっている。多数派である白人が社会の中心であるべきというアメリカ社会の潜在的な意識が、マーベルにも影響を与えている可能性がある。
マーベルには現実社会における人種の多様性が反映され、様々なキャラクターが存在している一方で、物語内の描写においてアメリカ社会の潜在的な意識も見受けることができる。以上のことから、マーベルはアメリカ社会を根底から反映していることがわかった。つまり、アメリカ社会の抱える問題をも映し出す鏡となっている。スパイダーマンをはじめとしたキャラクターによって等身大のヒーロー像を確立したように、彼らの住む世界=マーベル・ユニバースも私たちの住む社会と同様なのである。
マーベルはジョージ・フロイド氏の事件を受け、2020年6月1日にTwitterの公式アカウントにて黒人社会への支持を表明し、人種差別を非難する声明を発表した[4]。また、映画『ブラックパンサー』で主人公ティチャラを演じていたチャドウィック・ボーズマン氏が2020年8月28日に死去したことは世界中に深い悲しみを与えた。世界規模で影響力の大きいマーベルがコミック内外で、どのような姿勢で取り組んでいくのか注目していきたい。
[1]「大坂選手が決勝進出 『声明に説得力持たせたい』 NYでのテニス大会」(日本経済新聞2020年8月29日)参照。
[2] アメリカ最初のアフリカ黒人には諸説あるが、その後のアメリカ黒人奴隷制度の発展という見地からみれば、この1619年のジェームズタウンにおける黒人の輸入が、この国の歴史で最初のアフリカ黒人として重要な位置を占める(本田 1991)。
[3] より社会的・政治的な世界を作り上げたアルティメット・ユニバース。しかし、マルチバースの衝突を描いた大型クロスオーバー『Secret Wars』(2015)で、アルティメット・ユニバースは消滅した。マイルスは正史世界(アース616)に移動し、現在も活動している。
[4] 声明内容は「We stand against racism. We stand for inclusion. We stand with our fellow Black employees, storytellers, creators and the entire Black community. We must untie and speak out.」(最終閲覧2020年12月6日)。
【参考文献】
石川祐人、越智道雄「ブラックパンサー:黒人ヒーローの新たな夜明け」『キネマ旬報』1773号、2018年、136-139頁
上杉忍『アメリカ黒人の歴史:奴隷貿易からオバマ大統領まで』中央公論新社、2013年
小田切博『戦争はいかに「マンガ」を変えるか:アメリカンコミックスの変貌』NTT出版、2007年
河出書房新社編集部(編集)『BLACK LIVES MATTER 黒人たちの叛乱は何を問うのか』河出書房新社、2020年
グラント・モリソン(著)、中沢俊介(訳)『スーパーゴッズ:アメリカン・コミックスの超神たち』小学館集英社プロダクション、2013年
舞さつき「ワカンダとコロニアリズムの関係:マーベル映画『ブラックパンサー』より」『言語文化共同研究プロジェクト 2018』2019年、43-50頁
高田敦史「スーパーヒーローの概念史:虚構種の歴史的存在論」『フィルカル philosophy & culture:分析哲学と文化をつなぐ』3巻1号、2018年、170-222頁
てらさわホーク『マーベル映画究極批評:アベンジャーズはいかにして世界を制服したのか?』イースト・プレス、2019年
トム・デファルコほか(著)、富永晶子ほか(訳)『マーベル・エンサイクロペディア』小学館集英社プロダクション
朴珣英「理想化されたアフリカ:映画『ブラック・パンサー』に見るアフロフューチャーリズムとステレオタイプ」『金城学院大学論集 人文科学編』16巻2号、2020年、71-81頁
藤本幸治「アメリカン・コミックヒーローに垣間見る自己投射原理:人々は何故スーパー・ヒーローを必要とするのか」『Cosmica』37号、2007年、59-82頁
本田創造『アメリカ黒人の歴史〔新版〕』岩波書店、1991年
森田匠「スーパーヒーローとアメリカ社会」『政治学研究』49号、2013年、277-300頁
Linne, Carl von, Systema naturae, sive regna tria natutae systematice proposita per classes, ordines, genera at species, 1735
総務省統計局『世界の統計2020 第2章 人口 2-10 民族別人口』2020年、https://www.stat.go.jp/data/sekai/0116.html
「大坂選手が決勝進出 『声明に説得力持たせたい』 NYでのテニス大会」日本経済新聞2020年8月29日、https://www.nikkei.com/article/DGKKZO63211220Z20C20A8CE0000/