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現代文化見聞録

現代文化をめぐる旅、その前に

この連載は、現代文化の諸相に分け入り、その実情を分析、考察した成果を報告するものである。本連載の特徴について述べるにあたって、私のこれまでの仕事を紹介しておこうと思う。

私は北海道大学の大学院で観光の研究を行い、観光学の博士号を取得した。具体的にはアニメの舞台になった場所を探し出して訪ねる「アニメ聖地巡礼」についての調査、研究を実施した。博士論文は『アニメ聖地巡礼の観光社会学』(法律文化社)として出版され、2019年7月に観光学術学会より著作賞をいただいた。

『らき☆すた』聖地を旅する『アニメ聖地巡礼の観光社会学』

大学院修了後は大学教員となり、ゾンビについての研究をスタートさせた。私は学生時代から趣味でゾンビ映画を観ていたのだが、ひょんなことからそれを本格的に研究テーマにすることとなった。2000年代以降、ゾンビが大ブームなのだが、これは一体なぜなのか。この成果は『ゾンビ学』(人文書院)としてまとめた。

ゾンビについての研究と聞いて、「一体何をするんだ?」と思われるだろう。少し説明しておきたい。ゾンビは映画のみならず、さまざまなメディアや場面に登場する。そうしたゾンビの表象の社会における拡がりを把握し、その内容を分析したり、表象の機能を明らかにしたりする。いわゆるメディア・コンテンツ研究である。ゾンビは古くさいものではなく、大学生の中にも好きだという人が結構いる。授業の中でゾンビの話をすると言うと多くの受講生が集まり、授業後には「先生、実は私もゾンビ大好きでして……」と話しかけてくれる学生もいる。しかも、それが女子学生に多いというのも、面白い現象だ。

現在は、近畿大学総合社会学部総合社会学科社会・マスメディア系専攻に准教授として勤務している。担当している講義は「現代文化論」(ゾンビを例に、現代文化の研究方法を解説する授業である)や「情報と社会」などだ。私が上記のようなことを専門にやっているので、集ってくるゼミ生の関心は現代文化やメディア・コンテンツが多い。具体的には、SNS(TwitterやInstagram)やバーチャルYouTuber、サブスクリプション、eスポーツ、お笑い芸人、韓国カルチャーなどだ。映画やアニメなどの作品を分析したいという学生もいるし、映画館や出版業界の今後について考えたいという学生もいる。

私も企画に参加した近畿大学のオープンキャンパスイベントでの「映えゾンビ」たち

大学で教えていて、学生に常々言っていることがある。それは「研究テーマに貴賎(きせん)はない」ということだ。どんなテーマも対象も、学術的作法に則ってさえいれば扱うことができる。その自由さが、大学での学びの魅力のひとつだと考えているからである。

読者の中には、大学で自分の研究テーマを決める時に、今まさに起こっていることを取り上げようとして、指導教員に「テーマを変えるように」と言われた人がいるかもしれない。たしかに、「今まさに進行中のこと」は、社会的な評価が確定していなかったり、そもそも全容の把握が難しかったりして、難易度が高く、学生に安易にすすめられない。そういう意味では、その先生は研究、教育に対してとても誠実だ。

私はというと、学生が希望するテーマであれば、基本的にはなんでも許容している。これは私が不誠実だから、というわけでは決してなく、いくつかの複合的な理由がある。

1つめは、他大学の教員から次のようなエピソードを聞いたことによる。その教員はある日、学生からこう言われたそうだ。「先生が授業で話しているSNSと、自分たちが実際に使っているSNSが同じものとは思えない」と。どういうことか。同じSNSを扱っていても見えている風景が違うのである。実際に、SNSの中にはさまざまな使い方ができるものがあるため、上の言説は無理からぬことではある。

とはいえ、私はこの話を聞いた時、「これは気をつけないとまずい」と思った。学生たちにわかりやすいようにと題材に扱ったものが、まったくピント外れに作用している可能性があることに気づかされたからだ。

私は自分のことを若い若いと思い込んでいたが、気づけば今年、大学教員になって8年目に突入し、もう36歳なのである! 道理で腹も出てくるはずだ。かたや学生たちはというと、もちろん色々なキャリアの学生がいるが、その多くが18歳から21歳前後。しかも学生たちは毎年卒業し、入学してくることで、安定して18歳から21歳前後のままだ。学生との年齢差は大きくなっていく一方である。

研究者は事象に対して客観的であらねばならない。あらねばならないが、どうしても何かを考え始めたり思考をめぐらせたりする時は、自分の経験がその元になる。その結果、紡ぎ出された分析、考察が、実際にその文化を実践している人たちが読んだときに、あまりに見当外れで奇異に見える場合がある。それではいけない。それを避けるために、各種の調査を行うことで自分の経験の外部から情報を仕入れ、それを是正していかねばならない。

2つめは、現代文化の変化の速さをひしひしと感じているからである。人々を取り巻くメディア環境の変化をふりかえってみよう。『データで読み解くスマホ・ケータイ利用トレンド 2018-2019』(中央経済社)を見ると、スマートフォンやケータイ(携帯電話)の所有率の推移を示したグラフがある。2010年から2018年のデータが掲載されているのだが、2010年には、ケータイ所有者が全体の96.0%を占め、スマートフォン所有者はたったの3.6%に過ぎなかった。ところが、スマートフォンの利用率は年を追うごとに増加し、2015年にはケータイが48.5%、スマートフォンが49.6%と逆転する。その後もスマートフォン利用率は上昇を続け、2018年には、スマートフォンが72.6%、ケータイが24.8%となっている。こうした数字の変化は、読者のみなさんも街の風景を見た時に実感として同意できるものではないだろうか。

電車の中の人々の様子を思い浮かべていただきたい。多くの人がスマートフォンに目を落としている。ニュースサイトを見たり、SNSを利用したり、ソーシャルゲームに興じたり、動画を見たり……。もはや携帯電話というよりも携帯マルチメディア機器と化しているスマートフォンを通じて、電車内での時間を過ごす人が増えた。ある意味、メディアが電車内の風景を変えている。しかもスマートフォンは、そのマルチメディア性から、「スマホを見ている」という外から見た特徴だけでは、当事者が何をしているのかがわからない。高速でスマホ画面をタップしている人を見て不思議に思ったことはないだろうか。

あるいは、SNSについても見てみよう。『広告ビジネスに関わる人のメディアガイド 2019』(博報堂DYメディアパートナーズ)に掲載されたメディア年表を引用したい。この年表は2006年から2018年の各メディアの動向が記されている。2006年のところを見てみると、Twitterが開始されたとある。Twitterの日本語版は2008年である。2008年には他にもFacebookの日本語版がスタートし、iPhone3GやAndroidが発売されている。YouTubeの日本語版が開始されたのはその前年の2007年だ。

その後、2010年にはInstagramがリリースされ、iPadが日本で発売された。2011年にはLINEがスタート、2012年にはFacebookの利用者が10億人を超え、2013年には早くもLINEの登録者が2億人を突破している。2016年にはInstagramのユーザー数が5億人を超えた。

現在のソーシャルネットワーク環境は2000年代後半から急速に発展した結果で、現在も変化し続けているのである。改めて振り返ってみると、そのユーザー数拡大のスピードに驚かされる。しかも、SNSは次々に新機能を搭載したり、仕様を変更したりして、同じSNSでも数年前のものとは別物のようになる場合がある。そうすると、単に「SNSが流行している」と言ってみたところで、その程度の解像度では、詳細な利用実態やメディア文化の特徴などは把握できない。

スマホゲーム『ウォーキング・デッド』のAR機能で大学キャンパスにゾンビが大発生

このように環境変化の速度が上がると、評価が確定するのを待っている間に、その時の生の情報は刻一刻と変化していってしまう。確定するどころか、その現象が認知すらされないかもしれない。「そのように簡単に流れていってしまう文化には価値がない」と断じることは簡単だ。しかし、それではいけないのではないか。高速でスマホをタップしている人が一体何に熱中しているのか、人々はSNSをどのように使いこなしているのか、はたまた、SNSの何に苦しめられているのか……。こうしたことを書き留めておく必要があると考えた。

一方で、単に現代的な事象を書き連ねるだけでもいけない。学生たちに自分が楽しんでいるものを説明してみてほしいと言うと、なかなか説明ができない。「近頃の学生はなっとらん」そんなことを言いたいわけではない。説明できないのは当然である。自分が普段自然に利用しているものを、急に客観的に分析してみてほしいと言われても戸惑うだろう。ここで生きてくるのが「研究的視点」である。大学で学んでもらえるのはこの部分だ。むしろ、いきなり客観的、多角的に説明されてしまうと大学教員は失業である。

3つめは、身もふたもないが、私自身のこれまでの研究歴、教育歴に由来している。すでにご紹介したとおり、私は博士論文を「アニメ聖地巡礼」をテーマに書き、その後、「ゾンビ」をテーマに加えた。

アニメ聖地巡礼は、今でこそ『君の名は。』の大ヒットによって多くの人に知られる旅行行動となったが、私が研究を始めた2008年ごろには、まだ一般の人々への知名度は低かった。ゾンビについても、多くの人がなんとなく知っているとは思うが、まだまだ詳しく知られていない。どうも私は現代的な文化をテーマにしたいようである。

アニメ聖地巡礼研究では、フィールドワークや観察調査、アンケート調査といった、現場のデータを得てくる手法を多く用いて研究を進めた。一方のゾンビ学では、メディア分析やコンテンツ分析がメインである。対象は違うが、さまざまな方法で現代文化を扱ってきた。大学の教員というのは、自分の研究の成果を教育や社会貢献という形で、人々に還元する必要がある。その時、一番身近にいるのは、当然ながら学生だ。私は現代文化の研究の手法を学生に伝える。

映画『バイオレンス・ボイジャー』を手がけた宇治茶監督をゲストにお呼びした授業の一コマ

そのようなわけで、この連載では、私だけでなく、学生たちにも執筆してもらおうと考えている。現代文化について、その担い手、当事者でもあり得る学生が、「研究的視点」を身につけ、少し距離を置いて対象化し、分析した成果をみなさんにお届けできればと思う。

本連載のタイトルについて、「現代文化」という「今、ここ」で身近に見られるものを対象とするにもかかわらず、あえてマルコ・ポーロの旅行記『東方見聞録』をもじったのはこういう意味を込めている。『現代文化見聞録』を読むことで、見たことも聞いたこともない異文化に触れていただいたり、見慣れた風景、聞き慣れた話から、これまでと違った見方や考え方を引き出して、楽しんでいただければ幸いである。それでは次回から、現代文化の諸相をめぐる旅に出かけよう。

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著者略歴

  1. 岡本 健(おかもと・たけし)

    近畿大学総合社会学部准教授
    1983年奈良市生まれ。北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院博士後期課程修了。博士(観光学)。京都文教大学、奈良県立大学を経て2019年より現職。専門は観光学、観光社会学、コンテンツツーリズム学、メディア・コンテンツ論など。
    主な著書に『大学で学ぶゾンビ学』(扶桑社、2020年)、『巡礼ビジネス』(KADOKAWA、2018年)、『アニメ聖地巡礼の観光社会学』(法律文化社、2018年、観光学術学会著作賞受賞)、『ゾンビ学』(人文書院、2017年)など。

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