他国と比べれば、「親ガチャは嘘」だとすぐわかる(掛札逸美)
「こんな親のもとに生まれたから」…、いえ、いわゆる「親ガチャ」は嘘。世界と比べたら明らかです。一番わかりやすい女子、女性の教育を例に、OECDのグラフを載せます。
2013年の時点でも、大半の国で大学卒業者の約6割は女性(◆印)ですが、日本は5割に届いていません。そして、今も5割を切っているのは日本とトルコだけ(IMF, 2019)。その後の収入が高い傾向にある科学、エンジニアリング分野の卒業者で見ると、日本の場合、女性の割合は15%にすぎません(赤の棒グラフ)。この大きな差の理由を保護者(「親ガチャ」)に求めるなら、日本に住む女性(とその生物学的親)は世界の他地域の女性たちよりも、そして日本に住む男性(とその生物学的親)よりももともと認知レベル、特に科学や工学の認知スキルにおいて劣っているという説明、あるいは日本の女児の保護者は男児の保護者よりも貧しく、かつ/または、子どもに高学歴や科学分野の活躍を求めていないという説明しか成り立ちません。最後の要因は「親ガチャ」に含まれるのかもしれませんが、実際には保護者個人の考えでは明らかになく、社会的圧力(『ペアレント・ネイション』で言う「社会全体の信念」)によるものです。
日本の外を見ると、科学分野やエンジニアリング分野で女性が少ないという状況はどんどん変わっており、これは『3000万語の格差』の77ページ、「算数なんて大嫌い!」以降、『ペアレント・ネイション』では133ページ以降に書いてある話です。特にいわゆる「先進国」以外では、国の発展自体が科学/工学分野に依存しているわけですから、男だ女だなんて言ってはいられない。とにかく科学/工学の教育に力を入れろ!という話になるわけです(グラフで言うとサウジアラビアや旧東欧、旧バルト三国)。
これは、私がコロラド州立大学大学院にいた時もつくづく感じたことです。大学院の留学生が多いのはコンピュータや技術系(いわゆるSTEM領域)ばかり。そして、女性がとにかく多い。これは(特に女性が)自国を出て米国で勉強するという理由づけにできるのが「戻ってきた時に役立つ技術を身につけてくるよ!」だからだというのもあるでしょうし、そのまま米国に住むにしても理由は同様。コロラド州立大学はMBA(ビジネス修士)プログラムが弱いのですが、米国全体で見ると女性の留学生はMBAでも多いようです(Shorelight, 2022)。ひるがえって、当時のコロラド州立大学大学院の心理学部100人以上のうち、最初の2年間、私はたった一人の留学生でした。3年目に来たのは香港人女性。香港は英語も公用語なので、「留学生」という感じではなかったのですが…(補足:欧米においては、心理学も脳科学等と隣接する自然科学の一部です)。
このグラフを見て、「親ガチャじゃなくても、国ガチャじゃないか!」と言う方もいらっしゃるでしょう。確かに、市民の教育の足を引っ張っているのは、この社会(国、政府)です。そもそも公義務教育がいまだ有料という日本の異常さは、特筆に値します。(『ペアレント・ネイション』にある通り、米国は公義務教育を無償化した最初の国)。ですが、国を構成しているのは市民ですから、「ハズレの国」をどうするかは市民次第。または、他国の人たちのように自国から出て教育、スキルを身につけるという方法もあるわけです。「留学なんて、金持ちのすることだ! やっぱり親ガチャじゃないか!」、いえ、違います。その話はまた。
(元の図のリンク)
https://www.oecd.org/gender/data/gender-gap-in-education.htm
(参照リンク)
https://www.imf.org/en/Publications/fandd/issues/2019/03/gender-equality-in-japan-yamaguchi