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【アーカイブ】高井ゆと里×能川元一×堀あきこ×松岡宗嗣「トランスヘイト言説を振り返る」

高井ゆと里×能川元一×堀あきこ×松岡宗嗣「トランスヘイト言説を振り返る」クロストーク 文:周司あきら

  2022年10月に刊行された『トランスジェンダー問題』(明石書店)からおよそ1年、そして2023年7月の『トランスジェンダー入門』(集英社新書)刊行を記念し、9月8日に「トランスヘイト言説を振り返る」がwezzyでオンライン開催されました。

 出演者は、『トランスジェンダー問題』訳者であり『トランスジェンダー入門』著者の一人である高井ゆと里さん、右派の言説を研究している能川元一さん、ジェンダー・セクシュアリティ、メディア文化を専門に研究されている堀あきこさん、LGBT理解増進法の動きを注視してきた一般社団法人「fair」代表の松岡宗嗣さんです。4名の発表とディスカッションをもとに、周司あきらがこの記事を要約しています。

 初出:Wezzy(株式会社サイゾー)


記事1(周司あきら) 高井ゆと里×能川元一×堀あきこ×松岡宗嗣「トランスヘイト言説を振り返る」出演者発表
記事2(高井ゆと里) 高井ゆと里「素朴な疑問は素朴ではない~トランスヘイト言説に触れたら~」
記事3(周司あきら) 高井ゆと里×能川元一×堀あきこ×松岡宗嗣「トランスヘイト言説を振り返る」クロストーク 


トランスが課せられるダブルバインド

高井 皆さま、貴重なお話をありがとうございました。なにか話題の関連性や、共有しておきたい論点があればお願いします。

能川 発表では時間の関係上パスしたところですが、堀さんから、トランス女性が女性らしい格好をしても女性らしくない格好をしても攻撃される、という話がありました。私が『トランスジェンダー入門』を読んでなるほどと思った箇所と絡めて補足しておきたいと思います。第1章の中に「性別をめぐる二つの課題」という話が出てきます。

“一つ目は、「女の子として/男の子としてこれからずっと生きなさい」という課題。二つ目は、「女の子は女の子らしく/男の子は男の子らしく生きなさい」という課題。” (p.34-35)

 この二つの課題の話は私も目から鱗が落ちる思いで。これまでもわかるようでよく理解できなかったところ、なぜ右派はこういうふうに考えるのかというところが説明できるようになった気がしました。僕の表現では、右からは「性差をなくそうとしている」と攻撃され、左からは「性別ステレオタイプを強化している」と攻撃される、というダブルバインドがある。これは二つの課題を右派も左派も理解していないということに関係しているのではないか。新書の表現はシンプルなのに、その射程はものすごく広いのだと思いました。

高井 ありがとうございます。二つの課題はよく理解されないままヘイトに動員されることがあって。よく考えてほしいのですけど、トランスの女性たちにはフェミニンな格好が好きな人もいれば嫌いな人もいるに決まっているじゃないですか。シスジェンダーの女性たちと同じで。これは大事なポイントです。

 もう一つ大事なことは、堀さんも書かれていましたが、トランスの女性はある程度「女らしさ」をシスの女性よりも多めに身につけていないと、ものすごく攻撃されたりする。シスの女性は「結局、男じゃん」とはさすがに言われないけれど、トランスの女性は簡単に言われてしまう。すべての人に対するジェンダー規範が緩められるべきなのはそうだし、それは性差別ともリンクしていますが、同時に、その「女らしさの強制」が誰により強く働いているのかにも目を向ける必要があります。

 トランスの女性たちはシスの女性たち以上に、「女らしくしなければいけない」という圧力に苦しめられています。にもかかわらず、「トランス女性は女らしさを好んでいてジェンダー規範を強化している存在だ」というよくわからない説明をされることがあります。真逆! というのを理解してほしいなと思います。

能川 その問題が非常に顕著にでた例として、最近だと経産省のトランス女性の職員[*1]がTwitter(現X)で女性らしくない振る舞いをしている、下品なことを喋っている、と右からも左からも攻撃されていました。

 もちろん、その面もあると思います。それだけでなく、岩川ありささんが「診断的なまなざし」[*2]と書いておられるように、性的マイノリティはいつでも品行方正さを求められると。経産省の方もそれはおかしいのではないかという意味であえて品行方正ではないことを書いていた側面もあると思うんですよね。

高井 権利を求める人たちが品行方正でなければならないということ自体が、差別的な環境なわけです。なので、品行方正でないという理由で、権利を求める人たちの主張や人格を否定するのはそもそも差別の存在を実証する行為でしかない。経産省の発信されていた方がどこまで意図していたかわかりませんが、パフォーマンスの面があったはずなのに、それをあえて真に受けている。ちょっとでも男らしさと見做せるものがあれば、攻撃対象にする。シスの女性が下ネタを言ったくらいでこうはならない。結局、「女らしさ」や「男らしさ」の規範がシスの人たち以上にトランスの人たちに降りかかっていることがわかります。

 二つの課題の話をすると、トランスの人たちの書き残してきたものを読むと、性別移行をある程度終えられた人の場合、「女らしさ」や「男らしさ」から自分自身が解放されていくと書き残している人もいる。社会から自分の性別をやっと否定されなくなった、シスの人と同じ仕方で「らしさ」との距離感を考えられるようになった、ということもある。シスとトランスで「らしさ」との向き合い方には差異がある、ということは覚えていかなければならないし、二つの課題の話はこれまでトランスの人たちが書き残してきたものからヒントをもらっているとお伝えしたかったです。

「素朴な疑問」が反・差別禁止に向かう理由

松岡 今回参加してくださっている方もそうかと思いますが、私も講演などで「素朴な疑問」がたくさん挙がってくるのを目の当たりにしています。常に説明の責任が「当事者」に課せられている。では、無知や不合理性に対してどうすればいいのか。高井さんがお話されたように、当事者の実態を伝えるのは大事だと思いました。

 法整備をめぐる議論で、とくに初期にトランスバッシングが激化するなかで「素朴に」感じたのが、性的マイノリティは就労や学業などあらゆる面で差別を受けているのに、例えば「トイレ」などの一点だけを用いて、「差別を禁止すること」全体に反対するという考え方に大きな疑問があったんですね。高井さんの話を聞いて、「素朴な疑問」がどうトランスバッシングに寄与しているかわかりました。さらに深く掘っていくと、話題にされているトイレやお風呂の議論すらも、当事者の実態に沿っていないと明らかになっていった。この構造を理解することが大事なんじゃないかと改めて思いました。

高井 そうですね。性的マイノリティが直面しているテーマは多様な領域にわたっているのだけど、なぜかトイレやお風呂の話を一点突破で全てひっくり返せる、と思われている。うーん。

 ゼロサム思考というか? トランスの人たちは、「社会的な関係があるのだから、場面場面において今この場では女子トイレを使うけど、そうでない時もあるよ」と状況を考えてやむなく使い分けているという話をしているのに、「LGBT法案が通ると、女性ではない人が女子トイレを利用することを拒めなくなる」という話にされている。現状でもトイレの運用は、「ぱっと見」という曖昧なものなのに、トランスの多様性には我慢できずに、性別適合手術や戸籍ではっきり線を引こうとしていますよね。

能川 先ほどの松岡さんのご指摘は、右派の「奪われている」という感覚が何なのかという話と通じていると思うんですよね。右派の性的マイノリティ攻撃は、基的にはバックラッシュ言説なんですよ。日本の右派に性的マイノリティへの差別は「ある」のだけど、その差別を言葉にするロジックに乏しい。だから色々なところから借りているわけです。

 右派がいう「差別がない」状態とはどういうことか、というイメージにも違いがある。かれらはものすごく「平等」という言葉が嫌いで、だから「ジェンダー平等」という言葉も「男女共同参画」と言い換えた。色々な人間が自分たちの分をわきまえている状態こそが、右派のいう「平等」なんですよ。バックラッシュとはまさに、マイノリティたちが分をわきまえないで主張している状態に対して右派が見せる反応、ということなんです。マイノリティたちが分を超えて主張していることの象徴が、「トイレ」とか「風呂」だということなんじゃないかな。

高井 私からは、またちょっと違った角度から。たぶん、LGBT理解増進法がトイレとか風呂の問題ではないことは(右派も)理解しているはずなんですよ。それなのに、蟻の一穴とか滑り坂論法というか。一旦これを認めると、これもこれもこれも認めないといけなくなってこんな未来がくるよ、とドミノ倒しのように法律や制度が変わっていくかのように話をしていく。「トイレ」や「お風呂」といったトピックは、そうした恐怖の煽動の結末になっている。そんなことを認めるといつかこんなことになってしまうよ、と。

 当初は右派がトランスをターゲットにしていたわけではないとのお話でしたけど、杉田水脈の『新潮45』(新潮社)でも同じ話をしているんですよ。「制服をみんなが選べるのは良いことかもしれないけど、でもトイレやお風呂はどうなるだろう?」と言っているんです。要するに、制服の⼀つを認めると、トイレやお⾵呂もめちゃくちゃになるぞ、と。性自認の法制化に反対するという、わけのわからないことを言っている人たちも、性自認という言葉を一回認めてしまうと、尊重すべき何かになってしまい、いつかトイレやお風呂もこんなことになってしまうぞ、と非現実的な想定を持ち出すことによって、ことの全てを否定して潰そうとしているのだと思います。

松岡 同性婚も同じ状態ですよね。トランスバッシング言説を用いてその裏では同性婚の法制化につながってしまうことに反対している、というのもまさに。

高井 あと、右派が特例法の不妊化要件の撤廃に関心が高い理由も、家族形成に関わる話だからだとよくわかりました。そしてフェミニズムこそがリプロを取り返してきた歴史があるにも関わらず、フェミっぽいフレーミングで不妊化要件の撤廃に反対している人たちもいますが、本当に堀さんのおっしゃる通りで、リプロダクティブヘルス&ライツはどこいった?っていう。

能川 だって今、他方では、司法の場で高裁レベルではありますが、優生保護法下での強制不妊手術に関して画期的な判決が出てもいるじゃないですか。それと同時に、(トランスに関しては)ああいうことになってしまうのはびっくりですよね。

「トイレ」の建設的な話がしたい

松岡 堀さんのコメントを取り上げると、トイレの利用基準は画一的ではなく、当事者の個別状況に応じて利用できるかできないかが分かれるという意味で実態として曖昧さがあると思います。ただ、私はシス男性として、バイナリーな男女の空間での安全さについても差があると感じてきました。トランスを排除することで「安全」は得られないことをおさえつつ、どうすれば「みんな」がより安全に利用できるか、建設的に話を進めていきたいと思いました。皆さんもおっしゃっているように、トイレはトランスの話だけではないんですよね。多様なニーズのなかで調整されるべきもの。そういう議論を、トランスの排除言説に巻きこまれないように進めていけたらと。

 公園のトイレに関する研究や実践など、設計デザインの面からいえば、安心・安全のための試みは進んでいる側面もありますよね。でも「女性の安心・安全」を求める人たちは、あまりそういうものを引用して、具体的にどうすれば安心・安全が実現するのかを言わないなとは思っていて。シスに比べて圧倒的に数の少ないトランス女性の存在ばかりが話題になっている。

高井 確認したいのは、一つ目に、トランスの人たちの中には、トイレに困っていない人たちもいる。そういうトランスの人たちを今いる空間から排除することは許されない。二つ目に、トランスの人たちの中には、トイレを利用できずに困っている人たちもいる。水を飲むのを我慢したり、使える場所を探さなければならなかったり。それは解消しなければならない。でも三つ目に、トイレの利用に困っているのはトランスの人たちだけではない。では四つ目に、どうしたらみんなにとって使用可能で快適なトイレをつくっていけるか。トランスの人たちに注目が集まりがちですが、数が少ないのでそこであまり矢面に立てないでほしいとは思います。

教育現場を萎縮させないために

能川 教育の場でこれからどういうことが起きるか、話し合っていきたいです。

 「性は変えられない」とのスローガンでトランスジェンダーは実在しないという前提に立つと、トランスジェンダーを自称するやつには邪な意図があるに違いないとか、トランスジェンダーに洗脳しようとしているに違いないとか、そういうふうに見られるんですよね。そうしたトランスジェンダーの否定は、教育現場では性教育の否定にもつながる。残念なことに、フェミニストの一部もそういう動きに乗っかっている。

松岡 教育現場の話を伺うと、トランスジェンダーであることを明かしたり相談したりしてくれる生徒がいる、という先生たちは増えてきていると感じます。さすがに目の前にトランスの子どもがいる先生たちは誠実に対応していこうとより良い方に向かいつつある一方で、LGBT理解増進法成立後の懸念としては、議会など上からの介入があったときに、例えば校長先生とかは「やめておいた方がいいのではないか」となる萎縮効果や、それに伴う現場の先生との乖離が懸念されると思います。

 さらにそうした効果を狙って、トランスバッシングが利用されることだってあるのではないでしょうか。一見トランスフレンドリーに見えていたけれども知識のない議員が「確かにこういう懸念もありうるよね」と、まさに高井さんが発表してくださったような、不合理性・無理解・偏見などを背景に考えてしまう。現場を食い止めていくことを喫緊でやらなければならないのだなと思っています。

高井 包括的性教育や差別禁止法の話を進めないために、その鍵として、トランスやLGBTが使われているのではないかなと思っていて。トランスだけがヘイト言説のターゲットになっているわけではないという歴史を能川さんがお話しになっていましたが、右派が気に入らないのはトランスに限らず他にもあるはずで。同性婚の方がもっと嫌だろうし、他のイシューに取り組んでいる方たちときちんとつながることが必要だなと思いました。

能川 ちなみに人権擁護法案の反対運動のときには、在日コリアンの人たちが今トランスの人たちが置かれている位置に置かれていましたよね。当時は性的マイノリティが目立った攻撃対象というわけではなかったけれど、そのときと同じ論理でトランスジェンダーが攻撃されている。

高井 大阪にいる弁護団の方から連絡をもらうことがありますが、在日コリアンへのヘイトスピーチと同じことがトランスバッシングで起きているとおっしゃっていて。構造の類似性を指摘してくださって、気にかけてくださっています。トランスバッシングに対抗する人たちもまた、学んでつながっていかなければと思います。

トランスヘイトに触れたら

松岡 トランスヘイト言説は私もよく聞くのですが、しかし「不安」を感じている市井の一人一人を「右派だ」と言うのは実態と異なり、問題が解決しないですよね。どうしたらいいのでしょうか。

能川 僕の場合はもっぱら歴史修正主義との関係についてですけど、右傾化した人をどう変えるか、はよく聞かれます。ある意味当たり前なのだけど、出来合いの答えはないんですよね。人間の信念とか世界観になっちゃっているのだから、簡単には変えようがないのですよね。

 なるほど。私はデマや偏見が溢れている状況は酷い状況だとは思っているけれど、「在日特権」という言葉が盛んに使われていて、今はもう言う人が目につかなくなったことが参考になるとも思っていて。ヘイトスピーチ解消法がつくられたことが大きいと思っているのですが。今トランスに対するなんとなくの不安をかき立てられてヘイトに煽られている人たちも、「それは作られたものなんだ」とわかってくれば、減るのではないかと。甘いかな。

高井 残念ながら時間はかかるでしょうね。トランスの人たちは今デフォルトで社会にいないことにされているので、触れる情報の多くは正確ではなく、ゆっくり社会全体のリソースを増やしていくしかない。ただ、SNSのような場所で「あなたの不安もわかる」と譲歩するのは危ない面もあると思います。当事者の見ているところでもありますし。一人一人の関係性が最後には問われるのではないかな。自分の身近な人を説得するのがしんどいときに、「これ1冊読んだら」と新書を渡してもらえたら。「女湯」のはるか手前のところに、「第3章 差別」で書いたような現実があるとわかってほしいです。

 新書を有効に使ってもらえるといいですよね。マイクロアグレッション(無自覚な差別行為)をどう減らすか、という話でもあります。

高井 では、このイベントは終わりにしましょう。皆さん、ありがとうございました。

 [1] 職場の女性用トイレ使用を制限されているトランス女性が国を訴えた裁判で、2023年7月11日、最高裁判所はトイレの使用制限を認めた国の対応は違法だとする判決を言い渡しました。
[2] 岩川ありさ(2019)「『診断基準マニュアル』と文化翻訳の必要性 : PTSDとGDをめぐって」『現代思想』(青土社)47(13):145–52. 


高井ゆと里
群馬大学情報学部准教授。倫理学者。単著に『ハイデガー 世界内存在を生きる』(講談社)、訳書にショーン・フェイ『トランスジェンダー問題 議論は正義のために』(明石書店)。2023年7月、周司あきらとの共著『トランスジェンダー入門』(集英社)が刊行。趣味は研究。

能川元一
大学非常勤講師。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程単位取得退学。専攻は哲学。「南京事件否定論とその受容の構造」(山北宏との共著、『戦争責任研究』第58号、2007年)、「「ネット右翼」の道徳概念システム」(『現代の理論』第14号、2008年)で「ネット右翼」をとりあげ、それ以降おもに歴史認識問題と家族に関する右派の言説を研究テーマに。共著に『憎悪の広告』(合同出版、2015年)、『海を渡る「慰安婦」問題』(岩波書店、2016年)、『右派はなぜ家族に介入したがるのか』(大月書店、2018年)、『まぼろしの「日本的家族」』(青弓社、2018年)など。

堀あきこ
関西大学他非常勤講師。専門はジェンダー・セクシュアリティ、メディア文化。主な著作に『ジェンダーで学ぶメディア論』(共著, 2023, 世界思想社)、『BLの教科書』(共編著, 2020, 有斐閣)、『欲望のコード―マンガにみるセクシュアリティの男女差』(単著, 2009, 臨川書店)。ほかに「近年のインターネットを中心とした「トランス女性排除」の動向と問題点」(2023, 『解放社会学研究』No.36)「だって、ネットの話でしょ?―インターネットの差別に抗う」(2022, 『シモーヌ 特集:インターネットとフェミニズム』VOL.6)、「分断された性差別―『フェミニスト』によるトランス排除」(2019, 『女たちの21世紀 特集:フェミニズムとトランス排除』No.98)など。

松岡宗嗣
愛知県名古屋市生まれ。明治大学政治経済学部卒。政策や法制度を中心とした性的マイノリティに関する情報を発信する一般社団法人fair代表理事。ゲイであることをオープンにしながら、HuffPostや現代ビジネス、Yahoo!ニュース等で多様なジェンダー・セクシュアリティに関する記事を執筆。教育機関や企業、自治体等での研修・講演実績多数。著書に『あいつゲイだって – アウティングはなぜ問題なのか?』(柏書房)、共著『LGBTとハラスメント』(集英社新書)、『子どもを育てられるなんて思わなかった – LGBTQと「伝統的な家族」のこれから』(山川出版社)など。

 

 

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著者略歴

  1. 周司 あきら(しゅうじ・あきら)

    主夫、作家。生活が女性から男性になった人。性同一性はないが、性別を聞かれたら「男性」でいい。単著に『トランス男性による トランスジェンダー男性学』(大月書店)。

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