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「政治家に何を求めるのか」、熟練のキャスターが有権者に問う一冊

明石書店から『調査報道記者』を出されたばかりのジャーナリスト・作家の日野行介さんが、キャスター・社会学者である安藤優子さんの新著『自民党の女性認識』の書評を寄稿してくださいました。独自の切り口から、書籍の意義に迫るエッセイです。

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 もう20年近く前に福井県敦賀市で駐在記者をしていた時、水源地に近い民間処分場に許可量の10倍を超える産業廃棄物が埋め立てられる事件に直面した。原発建設の基礎工事に使う巨石を切り出した跡地に設けられ、地元暴力団との深い関係も噂されるいわくつきの処分場だった。なぜ福井県は許可を出したのか、本当に超過を知らなかったのか、それとも黙認していたのか、発覚から既に数年が経っていたが、福井県の対応経過がほとんど明らかにならないまま、つまり行政の監督責任が不問に付されたまま、周辺の汚染対策だけが公費を投じて進められようとしていた。

 そんな理不尽に対して、一人敢然と声を上げた女性の市議会議員がいた。彼女はもともと、夫と二人で切り盛りするおでん屋の女将で、豊かな生態系が残る湿地に持ち上がった天然ガス備蓄基地の建設計画に対する反対運動をきっかけに市議会議員になった。

 自ら軽自動車を運転して回る先は、支持者の冠婚葬祭やコーラスや少年野球といった地域の集まりではなく、環境保護団体の勉強会や行政担当者のヒアリング。議員では珍しく、県庁や市役所に情報公開請求も繰り返していた。

 彼女の地道な努力の甲斐もあって、福井県が当初「存在しない」と言い張っていた、県担当者の監視日誌が開示され、超過しているのを薄々認識しつつも、業者の強硬な抵抗に遭ってしり込みしていた実態があらわとなった。

 東京電力福島第一原発事故後は、それまで封印していた「脱原発」の声を上げ、再稼働差し止めを求める訴訟の原告にも名を連ね、がんと闘病しながら今も市議会議員を続けている。

 「批判ばかりして」「政治家なら前向きな提案をしろ」などと腐す声も一部にあったものの、そもそも行政監視は議員が本来担うべき大事な仕事なので(個人的には監視を通じて行政の課題を把握しなければ前向きな提案はできないと考えている)、追及を受ける役所の担当者も含めて、彼女の議員としての存在意義を否定する意見は聞いたことがない。議員として当たり前の行動をしている彼女を否定する理由がないのだ。

 彼女は市議選でだいたい1000票ほど獲得するのだが(当選ラインは800票前後)、いわゆる後援会組織は無いに等しく、「自分に入れてくれたと知っているのは100人ぐらい。あとは誰が入れてくれているのかさっぱり分からない」と笑っていた。

 問題は彼女のように真っ当な議員が今も極めて希少であることだ。なぜ変わらないのか。名キャスター・安藤優子さんの新著『自民党の女性認識――「イエ中心主義」の政治指向』(明石書店)は、「女性と政治」という補助線を引くことでその理由を解き明かしてくれた。

 本書に書かれている通り、女性の国会議員は10%ほどと割合は低いものの一定程度存在する。驚いたのは、過去数回の総選挙(衆院選)における自民党の新規当選者のバックグラウンドを調べると、実は女性のほうが、いわゆる「世襲議員」の割合が高いという事実だ。

 有権者が覚えやすく、投票用紙に書きやすいため、世襲政治家の名前には、今どき珍しい「太郎」や「一郎」が多いと言われる。そうしたことから、世襲政治家=男性のイメージが強いが、実は自民党の新たな女性議員は世襲議員ばかりだというのだ。

 世襲であっても女性議員が増えるならば良いことではないかと、短絡的に考えるべきではない。そうした女性たちがどこかの時点で政治を志したことは確かであっても、親族から引き継いだ個人後援会という組織(地盤)がなければ、当選はおろか立候補もおぼつかなかったはずだ。

 また立候補にあたっては、家庭を守り、組織に従順な、森喜朗元首相風に言えば「わきまえた」女性像を受け入れるのが前提であり、クリーンなイメージを有権者に与えることにもつながるため、担ぎ出す側の人々(系列の地方議員など)にとっても実は好都合なのだ。波風を立てずに組織(地盤)と議席(看板)を次世代に引き継ぐための「落としどころ」に、女性の世襲が使われていると言ったら、言い過ぎだろうか。

 選挙で有権者から信任を受けたのなら批判すべき理由はない、と反論する人もいよう。だが、そこには見過ごせない落とし穴が潜んでいる。「何のために政治を志すのか」という、本来最も厳しく問われるべき動機(モチベーション)が度外視されていることだ。裏返せば、仮に高い志を持っていても、誰かから地盤と看板を引き継がなければ議員になるのは難しい。それが女性ならば針の穴にラクダを通すほど難しいというのなら、そんな世界に希望は見えない。

 それでは、後援会組織を担う地方議員や地元企業の経営者らに自己変革を求めるべきかと言えば、とても現実的とは言えない。長期にわたり議席を保持している以上、それを支える組織の維持が目的化するのは自然の流れだろう。

 そもそも、関係者間の利害調整を主たる仕事とする政治は、数値化するなどして実績を単純に比較するのが最も難しい分野である。おまけに議席維持やポスト獲得、つまり政治家としてのキャリア形成しか考えていないような議員が役所や党の上層部に盾突き、志を貫けるとは思えない。結局のところ、遠回りではあっても、有権者に意識を変えるよう促す以外に方法はないのだ。

 そもそも、動機は口先だけなら何とでも言える。原発に関する発言など聞いたこともない自民党の国会議員のポスターに「脱原発を貫いた男」と書かれているのを見て仰天したことがある。政治家の動機を計るには、その場の発言という「点」だけではなく、現在の主張や理念に至った経緯をつぶさに見なければならない。

 「24時間コミットする政治家」「御用聞きをしてくれる政治家」「盆踊りでも一緒に踊る政治家」が真に「良い政治家」なのか、いまいちど有権者、社会全体が考えるべきときである――。本書はこう締めくくっている。

「政治家に何を求めるのか」という、有権者に対する厳しい問いかけである。北陸の保守的な地方都市で孤高を貫く彼女に投じられる、無名の1000票を絶望と見るのか、それとも希望と見るか、安藤さんに尋ねてみたい。

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著者略歴

  1. 日野 行介

    ジャーナリスト・作家。1975年生まれ。元毎日新聞記者。社会部や特別報道部で福島第一原発事故の被災者政策や、原発再稼働をめぐる安全規制や避難計画の実相を暴く調査報道に従事。著書に『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』(岩波新書)、『除染と国家――21世紀最悪の公共事業』(集英社新書)など。[写真撮影:加藤栄]

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