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『在野研究ビギナーズ』から考える 公式読書会 第3回

 

研究と生活の組み合わせ 3つのモデル

荒木:ほかに気になった反響などはありますか。

酒井:私の章に関しては研究者からいくつかコメントいただきました。「自分がよく知っていることを別の仕方で理解できた」というのと「酒井が何をしているのかわかった」というものが多いです。あとは理工系の書籍編集をやっておられる丸山さんという方に「非研究者として『在野研究ビギナーズ』を読んで考えたこと」というブログ記事を書いていただきました。

私の章に関係ないところでは、「勇気づけられた」系の好意的な感想が多いのにはやはり驚きました。勇気づけられた人が何に勇気づけられたのかを気にしてSNSの反響などを見ていましたが、今日はそのうち、荒木さんの決め台詞である「クソみたいな人生にちょっといいことがあってもいいじゃないか」に代表されるような研究観と共振しているように見えるケースについて話題にしてみます。これは、研究というものは、生活と切れたどこかにあるキラキラしたものであってほしい、ということだと思います。図にしてみるとこんな感じ(図1)。配置だけに意味があり、面積は無関係だと思ってください。

論点は4つあります。

研究に対するこういう見方があってもよいとは思いますが、しかしかなり狭い考え方ではあるでしょう。図1に共振する人がいてもよいですが、別にこの路線を採用しなくてよい人もいるはずです。後者の人は、うっかりこの路線に乗せられてしまわないように気をつけてほしい。実際、この本に提示されているバージョンには図2のようなものもあるわけですね。こちらでは研究・仕事・生活は断絶しておらず、仕事と研究は部分的にはオーバーラップしています。これは第1章(酒井大輔さん)を念頭に描いた図ですが、他にも何人かこのタイプの人がいます。それが一つ目。

二つ目は荒木さんに対する質問です。学問に対するこの見方は、あからさまにプラグマティズムと齟齬を来すように私には思えるのですが、その点を荒木さん自身はどう考えているのか、ということ。これは今日この場で答えてくれなくても構いませんが、いつかどこかでは答えを聞けることを期待します。

三つ目。『ビギナーズ』に対して、Davit Riceさんという方に「研究」ってそんなに魅力的か?(読書メモ:『在野研究ビギナーズ』)」というブログ記事を書いていただきました。「なぜ自分にとってはあまり参考にならなかったのか、自分にとっては受け付けられなかったか」という問いを立てて、「私は啓蒙がしたいのであって研究がしたいのではない」といった趣旨の答えを与えたものです(これは本書と対立する主張ではありません。すれ違うだけです)。ただ、それに加えて──タイトルからわかる通り──「なんであなた達はそんなに研究をいいもんだと思ってるの?」という趣旨の疑問も述べていて、私は少なくともその点についてはまったく同意できます。このエントリにはこんな注もついているのですが、この点にも同感です。

この本は人文書としては異例の売れ行きであるようだが、在野での「勉強」ではなく「研究」に惹かれている人がそこまで多いというのも、私にはちょっと想像がつかない。

「研究という何かいいもの」に対する憧れめいたものが広く存在していて、それが『ビギナーズ』の売れ行きに結びついているのか、それともそうではないのか、というのは現時点ではよくわかりません。ともあれ、さしあたり言いたいのは、こうした指摘は「クソみたいな人生にちょっといいことが」というプレゼンと裏表の関係にあるように見える、ということです。こんなふうにプレゼンすればああいう感想がそりゃ返ってくるよな、ということです。

四つ目。最後に、著者本人のことではないために、もしかすると見落とされがちかもしれないタイプに注意を引いておきます。これは『ビギナーズ』14章(朱喜哲さん)の273頁以下に登場するものです。朱さんは、働いているうちに、職場の先輩が、目先の短期的・中期的なビジネスとは別に個別の学問分野やビジネス領域で扱えるものではないような大テーマを背後に持っていて、そこから目先の個別案件を捉えることで、日々出会うそれほどでもないものを独自の視点から面白がれる糸口を数多く持ちあわせていることに気がついた、と書いています。

朱さんはこれを「特定のビジネス領域の専門化にとどまらない「研究者」型のビジネスパーソン」と表現していて、これは研究概念の過剰適用であるように私には思えます──し、ここで私としても「なぜここで研究を範型にしなければいけないのか」「研究ってそんなにいいものか?」と言いたくはなります──が、まぁその点は措きましょう。ともかくも、『ビギナーズ』一冊のなかでも、研究生産物との複数の付き合い方が提示されていることは改めて指摘しておきたいと思います。

話をもどすと。たとえば、学術書を生活の中で・仕事の傍らで読んでる人が「そういうのについて話せる友達がほしい」とか「もうちょっと深く読みたい」とかいった希望を持った場合には、それを「研究」によって実現する必要はぜんぜんないはずだ、とは述べておきたいと思います。

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