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『埋没した世界――トランスジェンダーふたりの往復書簡』試し読み

2022年の春。「男性」から「女性」に同化していったノンバイナリー/トランスジェンダーの五月あかりさんと、「女性」から「男性」に同化していったトランス男性周司あきらさんは、インターネット上のブログで手紙のやり取りを始めました。明石書店の2023年4月の新刊『埋没した世界――トランスジェンダーふたりの往復書簡』は、同年の夏までにふたりが交わした手紙を書籍したものです。「体は男(女)で心は女(男)」「小さい頃は自分を男の子(女の子)だと思っていた」といった規範的な説明に回収されない、豊饒な語りに満ちた本書から、冒頭の2通の手紙をご紹介いたします。


あかりより(1)――小さくなった身体

 あきらさん、こんばんは。あかりです。

 聞いてください。わたしの身体は小さくなりました。男性から女性に性別を移行して、わたしの身体は小さくなったのです。本当は、わたしの身体は、大きくなったはずでした。かつて「男性」を生きていたとき、いつも肩をすぼめて、猫背で歩いていました。それが、女性として生きるようになって、生まれてはじめて胸を張って歩くようになりました。

 比喩的な意味ではありません。両肩を水平に開いて、スッと腰を前に出して、真っ直ぐ歩けるようになりました。やっと一人の人間として、真っ直ぐ立てるようになりました。わたしは、小さく縮こまった塊から、ふわりと広がったのです。

 わたしは大きくなりました。そのはずでした。

 姿勢だけではありません。わたしの胸には、二つの乳房が生えてきました。胸は膨らむのでしょうか? わたしの身体について言えば、胸は生えてきました。この話は今度ゆっくりしましょう。お互いの胸のこと、あるいは忌まわしい肉の塊(?)のこと。えぐれていたお尻の肉も、内側から「ぺこん」と押したように、丸くなりました。わたしの身体は大きくなりました。上半身と下半身と、胸部と臀部と、それぞれに膨らみを得て、わたしの身体は大きくなりました。そのはずでした。

 でも、わたしの身体は小さくなりました。性別を移行して、身体が小さくなりました。わたしの身長は、男性の平均とだいたい同じです。体重は平均よりもずっと軽いですが、それでも、かつて男性をやらされていたときと比べて、ずいぶん小さくなりました。職場のセキュリティ・ネットワーク関係の部署は男性ばかりです。そこに行くと、自分が文字通り見下ろされているような感覚があります。比喩的な意味ではありません。本当に背が低くなって、周りの男性が自分よりも大きくなったのです。体格も小さくなりました。狭いスペースのはしっこに、ちょこんと間借りさせてもらって、話を聞いています。

 今のオフィスでは、わたしがトランスであることを知っている人はほとんどいません。でも、かつて男性だった時と比べて、男性たちと同じ空間にいるときのわたしの身体は、明らかに小さくなりました。女性たちに交じってよくランチに行きます。以前からそういう機会はときどきありましたが、そうして女性に囲まれると、自分の身体だけが異様に大きくて、すごく嫌でした。大きく「感じられていた」のではありません。本当に大きかったのです。性別を移行して、わたしの身体は自然な大きさになりました。周りと比べて大きい身体ではなくなりました。大きな身体は、小さくなりました。小さく「感じられる」のではありません。本当に小さくなったのです。体重が減ったり、身長が縮んだりしたのではありません。そうではなくて、身体が「小さく」なったのです。

 「身体の性」ってなんだろう、と思うようになりました。

 わたしのことを指して、「生物学的には男性」と言ってきた上司がかつていました。「身体は男性なんですよね」と、駆け込んだ先の病院でしつこく聞かれたこともあります。わたしの身体は「男性身体」なのでしょうか。わたしには、その意味が分からなくなりました。

 以前に男性をやらされていたとき、わたしは平均よりも少し小さいけれど、とはいえ「普通の体格の男性」でした。わたしの身体は、「平均的な男性の身体」でした。女性になってからは、「少し背の高い女性」になりました。(アパレルショップでは、ときどき「モデルさんみたい」と言われます。ビジネストークだと分かっていても、少し照れます。)わたしの身体は、「少し背の高い女性の身体」になりました。周りからの扱われ方が変わっただけで、身体そのものは変わっていない。そう考えられるかもしれません。でも、それはわたしの現実とは違います。

 わたしの身体は、小さくなったのです。他者からの認識にももちろん変化がありました。しかしそれだけではありません。性別を移行して、女性として生きるようになって、身体そのものが小さくなったのです。わたしの身体は、物体です。体積があり、体重があります。性別は移行しましたが、体積も体重もほとんど変わっていません。わたしの身体は、他者から認識されるものでもあります。性別を移行したので、男性として見なされる状態から、女性として見なされる状態に変化しました。でも、そういうことでは絶対に説明のできない変化が、わたしの身体には起きました。わたしの身体は「小さく」なったのです。ああ、うまく言えない。でも、そうなのです。これまであれほど憧れていたシス女性たちの身体と、同じタイプの身体になりました。気持ちの問題ではなく、本当にそうなのです。

 わたしはスポーツジムに通っています。ジムの女性用更衣室で、わたしの身体が目立つことはありません。背は平均よりもすこし高いです。肩幅もちょっと広いでしょう。でも、わたしがそこで肌着1枚(あるいはそれよりも裸に近い状態)になっても、誰も見向きもしません。他の女性たちと同じタイプの身体が、そこにあるだけなのですから。更衣室の姿見を見ても、たしかに女性の身体が映っているなと思います。そうとしか言えない現実があります。スポーツジムでは、男性もトレーニングをしています。みんな、大きな身体をしています。わたしよりも背の低い男性もいます。でも、そこにはわたしとは別のタイプの身体が、わたしよりも「大きな身体」が、そこにあります。

 わたしの身体には、いったい何が起きたのでしょうか。体積も身長も変化していないのに、わたしの身体は「小さく」なりました。胸を張って歩けるようになり、身体には膨らみも生まれたのに、わたしの身体は「小さく」なりました。骨格は変わっていないのに、わたしの身体は「平均的な男性の身体」から「少し背の高い女性の身体」になりました。いったい何が起きたのでしょうか。

 身体は変えられない。ずっとそう信じてきました。それでも私たちトランスジェンダーは、オペをしたりホルモンをしたりして、ちょっとずつ、ある意味「無理やり」身体を変えていくのだ。わずかな変化を無理やりこじあけて、しっくりくる身体をなんとか手に入れるのだ。そう信じて、わたしも性器の手術をしたりホルモンをしたりしてきました。しかし、それは嘘でした。「身体は変わらない」というのは嘘でした。わたしの身体は変わりました。「男性の身体」から「女性の身体」に変わりました。わたしの身体は「小さく」なりました。これが現実です。

 あきらさんの身体は、大きくなったり小さくなったりしましたか?

 「男性の身体」から「女性の身体」へ、あるいは「女性の身体」から「男性の身体」へという、わたしが経験した変化の意味が、伝わりますか? はじめての手紙なのに、少し書きすぎてしまいました。

 でも、あなたになら分かってもらえると思います。

 小さくなった、わたしの身体のこと。

あかり

あきらから(1)――もし大きくなれたら

 あかりさん、こんばんは。あきらです。1通目ありがとう。

 あなたからの手紙―ブログのタイトルをクリックして全体を見るのは、封に閉じられた便箋を一手間かけて開けるようで悪くないなと思いました―を見てから、私はなんだか悪いことをしているような気分になりました。まるで見知らぬ幼い女の子と、文通を始めるような浮遊感があったからです。いや、一瞬ですよ、でも確実に。あなたは女の子でもないのにね。それから可笑しくなって、今はちゃんと冷静なので安心してください。

 乳房が生えてくるなんて、私が編集者だったら誤植だと判断したことでしょう。膨らむか、張ることはあり得ても、ニョキニョキ生えてくるなんて。この擬容語のイメージがズレているのかしら。ムーミンにニョロニョロというキャラが登場するのですけど、私のイメージはそれです。

 

 私は自身がなりゆく身体として、より「男性的」な身体を日頃観察しているのだと思います。自分自身に対してもです。今日は電車の帰り道、腑抜けた頭で、じっと手の血管を見つめていました、そしてじっとり幸せが込み上げてくるようでした。もはや女性的な身体は、文字通り他人事に感じられます。電車で隣席になると、身を縮めてなるべく避けるように座ります。世間的には「男性は女性の肉体に欲情するだろう」という一方的なメッセージが蔓延っていますが、私にはノイズの一つです。欲情する対象ではなく、素通りする対象です。

 そして、あなたの身体がどんなふうであるのか文字の上で読み取ることはできても、実際にスポーツジムにおいてあなたの身体が存在し、ときに男性陣にシグナルを送られ得る状況があるかもしれないなんて、女性の集団の中でのらりくらりと生活できてしまうなんて、想像が追いつかないのです。どうなのでしょう、私はあなたの身体を、「女性的な身体」とみなすことによって、文字通り他人事にしているのでしょうか。「男性身体」と似つかないのはダイヤモンドよりも真実ですが。いやそんなこと―そんなこと―よりも、私はあなたとこれほど身体の話をしていながら、性別というものが、こんにゃくみたいに切れない壁として立ちはだかっているようには、別段、感じずにいます。例えがイマイチですけど、痛みが過ぎると痛くなくなる、みたいなものなんでしょうか。

 さて、質問をたどってみます。身体は「大きく」なった、けれど「小さく」なったというお話は、とても「わかる」ものでした。いうなれば私は逆だからです。脂肪は落ちて、血管が浮き出てきて、心なしかお尻が縮んで、胸を削ぎ落として。髪型によっては「女の子かと思った」という反応をされることもあった私ですが、そうした他者の身体予想によって脅かされる機会は減りました。私は「小さい男性」の一員であるようなのです。それ以上でもそれ以下でもありません。昨今の若い男性の平均身長が170cmに満たないんじゃないかというニュースは、私含めてトランス男性たちの希望でしょうね。そんな私のような人物も、もしかしたらあなたのそばでスポーツジムに通っているかもしれないのですから、なんだかくすぐったい話です。私たちは、身体は変わるのだと、実証してしまっています。論より証拠。

 かつて私は、どう頑張っても身体は変えられないのだとありとあらゆる場面で突きつけられて、しかし一思いに命を突いてくれることはなく生きながらえてしまって、燃えるほどのルサンチマンを抱えていました。男性に対して、です。私を「男じゃないから」という理由で隣に据え置いてしまう、かつて想いを寄せていた女性たちに対しても、です。

 だから私にとって……

 やめておきます、ここに書くには余白が短すぎます。鏡の向こう側で苦心してきたような、私と逆の過程を歩むトランスの人々は、すごく拙い言葉でいうしかないのですが、尊いのです。傷ついてほしくないのです。ただそれだけで、私の身体は大きくならなきゃならないような気がしたし、事実、そんな相手を抱きしめてもお互いが自己憐憫に駆られずに済むくらいには、充分、身体は変わったのでしょう。これでよかったのです。

 本当はブログのタイトルについて何か話そうと構えていたのですけれど、しゅっと大人しく萎んでいきました。何か閃いたらいいと思い、あなたと行った珈琲店の別の店舗で考えていましたが、あまりピンとくる言葉が浮かばなかったのです。『北緯36度東経140度』といったタイトルでいいんじゃないの、くらいが今日の私の精一杯でした。つっこんでくれていいからね。

あきら

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著者略歴

  1. 五月 あかり(さつき・あかり)

    都内のOL。いつの間にか生活が男性から女性になった人。性同一性は「無」。

  2. 周司 あきら(しゅうじ・あきら)

    主夫、作家。生活が女性から男性になった人。性同一性はないが、性別を聞かれたら「男性」でいい。単著に『トランス男性による トランスジェンダー男性学』(大月書店)。

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