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『オルター・ポリティクス』(明石書店)出版記念 「他者性の否認に抗する共生の思考――ガッサン・ハージ氏特別講演」

日時:2022年10月22日(17:00-19:00)
会場:慶應義塾大学三田キャンパス/zoomによる視聴
主催:慶應義塾大学大学院塩原良和ゼミ/明石書店

『オルター・ポリティクス――批判的人類学とラディカルな想像力』(原書:Alter-Politics: Critical Anthropology and the Radical Imagination)の刊行を記念して、監訳者の塩原良和氏(慶應義塾大学)、川端浩平氏(津田塾大学)、訳者の稲津秀樹氏(鳥取大学)、前川真裕子氏(京都産業大学)、高橋進之介氏(ウェリントン・ヴィクトリア大学)の協力のもと、著者のガッサン・ハージ氏による特別講演が開催された。
当日の講演内容を一部編集の上、公開する。なお、イベントはハイブリッドで開催された(慶應義塾大学三田キャンパスとzoomによる配信)。

 

講演(ガッサン・ハージ氏)

はじめに、今回の翻訳に関わってくださった方に心から御礼を申し上げたいと思います。稲津さん、前川さん、高橋さん、塩原さん、川端さん、監訳者の塩原さんに関しては、以前の本の『ホワイト・ネイション』『希望の分配メカニズム』の翻訳にも携わっていただいています。本書の翻訳作業はたいへんだったと思います。今回、この本をフランス語に訳された方もこのイベントに来ると言っていました。フランス語に翻訳するのにかなり苦労されたとのことで、日本語も大変だったということを確認したいと言っていました。


2022年10月22日、メルボルンのハージ教授をオンラインでつなぎ、特別講演が開催された(司会は監訳者の塩原教授)。参加申し込みは200名を超えた。

 

■批判的人類学とは何か?

まず初めに本書『オルター・ポリティクス』の紹介をさせていただきたいと思います。本のタイトルに含まれている「批判的人類学」とは何かということから始めてみたいと思います。「人類学」についてお話しますが、人類学、社会学などの大学での専門に限定しないようにしているということを強調しておくことが重要だと思っています。
 
私は思考の伝統として、学術的労働の伝統として、人類学、社会学、哲学に関心をもっています。私をご存知の方はわかっていると思いますが、私は人類学者ですが、社会学、哲学、カルチュラル・スタディーズなどを活用して研究を進めています。学問領域における本質主義には関心がありません。

人類学の伝統を強調することで、私が強調しようとしていることは、社会学がラディカルな思考の伝統において特別な地位を占めてきたという事実です。それはなぜかというと、社会学には権力関係を明らかにする、権力関係と闘争する人々を助けるという側面があるからです。

これを強調する代わりに、私はラディカルな思考に、人類学的伝統のある種の優れた部分を加えたいと思います。ここでこうしたことを強調するのは、「社会学対人類学」という対立的な構図を考えてもらいたくないからです。しかし、同時に、両者をいったん対比させることで、あらゆる二分法を強調しようとする一時的な境界主義として、考えることもできるかもしれません。

社会学と人類学の違いについて考えると、人類学は、より明確に言うと批判的人類学は、伝統として、常に私が呼ぶところの、自身とは異なる何かになるという(to be other than oneself)欲望を強調しています。社会学は権力関係によって現実がいかに構築されているかを常に示すものであるならば、それに対して人類学は、いまの自分とは異なる何かになることができる(we can be other than what we are)ということを示すものなのです。この意味で、人類学的伝統を強調しようとしています。いまの自分とは異なる何かに、いかになることができるかについて、ここを起点に考えてみたいと思います。

社会学と人類学の両者を組み合わせて考えることが必要です。私たちを構築している権力関係がこのように構成されており、それに対抗するという考え方があり、と同時に、いまの自分とは異なる何かになれるという考えがありますが、両者をうまく組み合わせて考えることが大事です。

ここまでが学問分野的な話になりますが、本書で強調する点として、歴史的契機(historical moment)もあります。歴史的契機というのは、二つのものの組み合わせから成り立っています。

 

■二つの歴史的文脈――権力の再生産と社会の解体の永続化

一つ目は、時間をかけて気づいてきたことであり、私が初めて指摘することかもしれません。思考するにあたり、重要なことだと思うのですが、それは、反植民地主義、反本質主義、反レイシズムには長い伝統があり、それは政治的に異なる形の植民地主義、本質主義、レイシズムを生み出しているということです。この違いは植民地主義、本質主義、レイシズムの対象の違いにすぎません。実際、権力と闘う人たちが、対抗して闘っている権力とまさに同じものを再生産しているという長い伝統があるということができます。

通常、人が何かに介入する場合、たとえば、ジェンダー・ポリティクスに介入する場合、「おい、ちょっと待って。あなたが植民地主義と闘っていることはわかるけれど、同様のジェンダー・ポリティクスを再生産しているように見えるよ」と言うことがあります。このように批判されるとき、非難された人は、「いまはその時じゃない。いまは植民地主義的権力と闘うことに集中する必要があるんだ。ジェンダーはこれが片付いてからだ」と言い返すということがあります。ただ実際は、このようなこと(植民地主義との闘いの後に性差別主義と闘うこと)は起こりません。同じことが環境問題、汚職の問題などに言えます。「植民地主義の問題が片付くまで待とう」と言いますが、片付いたとしても何も起こりません。これが、一つ目の歴史的な文脈です。

二つ目の歴史的文脈というのは、ヘーゲル的契機の終焉です。ヘーゲル的想像界においては、対立・矛盾が生じた場合、常に解決が現れます。一つの集団と、もう一つの集団の間で衝突が起きた場合、その衝突の結果として、何か別のものが生まれてくることになります。しかし実際、今日では、規範は解決の形となっておらず、規範は対立の永続化となっています。このヘーゲル的想像界においては、社会が危機に直面し、危機が強まった場合、その最後には社会が解体され、新たな社会が現れるだろうと考えられてきました。実際のところ、私たちがますます直面している現実というものは、社会の解体の結果として新たな社会が現れるというのではなく、むしろ永遠に社会が解体されたままであるというものです。今日、偶然に発見したことですが、アントニオ・グラムシがこのような状況にcatastrophic permanenceという語を用いていました。カタストロフィの状態にありながら、解決策がなく、カタストロフィがカタストロフィを永遠に再生産し続けるというものです。

 

■ラディカルな学術的思考/営為の役割とは何か?

この歴史的な基礎をもとに、私はつぎのことについて述べること、問いを立てることを試みたいと思います。ラディカルな学術的な思考の役割とは何か、ラディカルな学術的営為の役割とは何か、この二つを合わせたものの役割とは何か。

私は研究者に対し、大局的に思考すること、重要なものごとについて考察することを求めますが、一方で、私は彼らに非常に謙虚であることも求めています。私が彼らに謙虚であることを求めるのは、政治的思考において、学術的営為が世界にもたらしうる影響がいかに小さいかについて、単に気づいていないという長い伝統があるためです。この政治的な思考の様態が問題である理由の一部は、学術界があるレベルにおいて、政治的に植民地化されてしまうということが起こるからです。

こうしたことを述べるのには、二つの理由によります。一つ目として、思考の結果が、なんらかの形で直接的に政治に反映されると信じているところがあること。自分たちが政治家であると思わされることにより、政治が精神を植民地化するということがあります。でも、私たちは政治家ではありません。政治というものが異なる空間で起きているものだというだけではなく、政治家は、セミナーを開催したり、論文を書いたり、議論したりしませんので、私たちは政治家ではありません。

こうしたことは、いつもレイシズムとの関係にも見てきました。西洋の知的伝統として、常にレイシズムについて議論を望むということがあります。まるで、レイシストの最悪の側面は、彼らが頭をよく働かせていないことだと言わんばかりです。「あなたたちを招待しますので、ぜひ会話を交わしましょう。よく物事を考えられるようになります」と。しかし、レイシストは論理的、合理的であること、議論を交わすことに関心があるわけではありません。レイシストが関心があるのは、人を傷つけることなのです。

こうした意味で、本書において私は研究者に対し、少し距離を置くこと求めています。「オーケー、政治との関係におけるあなたの学術的生産物の特殊性とは何でしょうか?」と。この特殊性について考えるとき、政治が私たちに求めるよりも大きく物事を思考することの必要に気づき始めます。私が本当に言いたいことは、学術界の外で起きている政治的問題に対して、知的正統性を提供することが我々に求められている機能なのかということです。私たちは本当に研究者に対し、学術界の外で起きている政治的分断を学術界の内部で再生産することを求めているでしょうか。あるいは、政治に貢献できる学術界に独自のものとは何でしょうか。

率直に言って、植民地主義、ジェンダー・ポリティクス、レイシズムと闘っている人たちを見てみると、学術の独自の貢献とは何かと問うことなどなく闘っています。私自身は、オーストラリア、オーストラリアにおける反植民地主義勢力、アラブ世界における反植民地主義勢力に節合されています。しかし、オーストラリアにおいてであれ、アラブ世界においてであれ、私の役割は反植民地主義勢力のために単に何かを述べることだとは考えていません。私の役割は反植民地主義勢力を心地よくさせることではありません。その反対に、私の役割は彼らを不快にすることであるべきだと考えています。私は彼らから「ありがとうございます。完全にあなたに同意します」と言われたくはありません。彼らに私の考えていることは反植民地主義勢力の内部において批判的機能を持っていると受けとめてほしいのです。植民地主義に対して批判的でありたいですし、反植民地主義に対しても批判的でありたいのです。

このアカデミック・ポリティクスの背後には、常にもう一つの結合が存在します。これは、新自由主義のもとでの学術界の変容と関連があります。私には正確に日本の学術界において何が起きているかを知っているわけではありませんが、世界の他の国々で起きていることとそう大差ないのではないかと思います。私たち学術界は現在のところ、価値が低下しているという巨大な契機に直面していると思います。私には、学術界に共感を示した最後の政府はいつのものだったか思い出すことはできません。また、学術界に共感を示した最後の大学当局はいつのものだったかも思い出すことはできません。実際、政府やメディアにより価値を低下させられていることを継続的に目撃していると私は感じています。他方で、大学当局によるある種の幼稚化に直面しています。政府は私たちの価値を低く見て、大学当局も私たちが何も知らないかのように、なんにでもルールを設けるようなことをしています。このような環境のなかで、特に若手の研究者の間で見られる傾向ですが、自分たちを高く評価してもらうためには政治的であるしかないという発想を持ってしまっています。

 

■一生懸命考えること(think hard)と政治的であること

私は自らの使命として、学術的なプライドを取り戻さなくてはならないと感じています。学生にも同僚にも、学術的なプライドを感じてもらいたいと思っています。学術的労働というものは、とても特殊性があるものであり、誇りに思ってよいものです。一例として、最近、私は反レイシズムの研究機関を立ち上げるにあたっての講義を頼まれました。タイトルは「反レイシズムは学術的に興味深いものであるか」としました。なぜなら、私が聴衆に伝えたかったことは、私の仕事は第一義的には、一生懸命考える(think hard)ということだからです。一生懸命考えるということは、自然にできるものではないと思っています。

単に政治的に正しくあるよりも、むしろ一生懸命考えたいと思います。別の言い方をすると、アカデミックなものに代わるものとして政治を利用したいと思いません。私の著作を読んだことがある人はわかると思いますが、私は非常に政治的であり、政治的であることを回避しようとしていません。ですが、私は自分の研究の価値が一生懸命に考えるということではなく、政治的であることにあると思われたくありません。一生懸命考えるということ自体は、必ずしも非常に政治的である必要はありません。なぜなら、時として、政治的であることは、一生懸命に考えることを必要としないからです。そのため、政治的に書くか、学術的に書くかということを選ばなくてはなりません。私はここで、みなさんに政治的なことと学術的なことの関係について一生懸命に考えてもらうことを試みているのだと思います。この二つが簡単に結びつくものだと考えてもらいたくはありません。私は本書を読んだ人に、「一生懸命に考えた」と言ってもらいたいのです。何か政治的に解決を与えられたと感謝されることは望んでいません。読者がこの本がなければこのように考えることはなかったと感じることがなかったのであれば、この本は失敗だったと考えます。

最後に、ここで話してきたことから、私が政治的であることから後退していると思われるかもしれません。しかし、決してそうではありません。それは今後も示していきましょう。その反対であり、私たち研究者は持っている能力の限界がわかっており、政治的なものでありながらも私たち研究者ならではの特異性をいかに最大化するかがわかっているのです。

ありがとうございました。


2015年2月、ハージ氏の来日の際、慶應義塾大学のセミナーにて稲津氏撮影

 

コメント【抄】
「ドツボにはまった多文化主義の只中からオルター・ポリティクスを希求すること」(稲津秀樹氏)

ハージ教授、本書の解題にとどまらない内容のスピーチを寄せてくださり、ありがとうございました。ポリティクス(政治的なもの)は、本書を貫く大きな問題提起となっており、先ほどの講演でも重厚な議論がなされていた通りです。私からのコメントと質問も、アンチ・ポリティクスとオルター・ポリティクスの関係をどう理解すればよいか、という点に尽きるだろうと思います。

本日のテーマである「他者性の否認に抗する共生の思考」という課題について考える際、あなたとわたしが共にした現場の経験から始めようと思います。私がポストドクターの研究員で、塩原さんの研究室にお世話になっていた頃、ちょうど本書の原著版を出版されたばかりのあなたが来日され、愛知県のとある郊外団地を訪問しました。団地の子どもたちが通う小学校の廊下に貼り出された一枚の作文用紙に、移民ルーツの子どもの他者性があからさまに否認されている様子を私たちは目撃することとなりました。

「楽しいクラスにするために自分は必ず○○をする」というテーマの下に記された作文用紙には、「日本語をがんばってポルトガル語をできる限りしゃべらないように、がんばります」という箇所に赤線が引かれ、教員からのコメントとしては「日本語を話す」とひとこと、赤ペンで強調されていただけでした。この南米ルーツと思われる子どもの作文に現れた権力の生生しさは、決して愉快なものではない意味で、私の中に刻み込まれています。また、この学校も含めて「多文化共生」の推進がこの地域でも謳われているにもかかわらず、依然として日本の公教育の世界には、日本という国民国家への同化・適応を促す植民地主義が明らかに残存していることがわかります。

この状況において問い直されることとは、一体何だと思われますか。私は、私たちの社会が多民族・多文化社会であるという「事実」を前提とした他者からの異議申し立て、あるいはポリティクスが「まっとうに」駆動するための条件(condition)を探ることが、アカデミックに重要だと思っています。その際、あなたが本書の日本語版に寄せてくださった序文は、たいへん絶望的ですが、事実認識としては誤っていない内容が記されていると思います。それは人間が生きていく上で植民地化は完全になくせるものではなく、「よりマシな」植民地化を模索するしかないということです。言わずもがなですが、これは植民地化を肯定するメッセージではなく、植民地化の問題とポリティカルに対峙することが多民族・多文化社会の考察には不可欠だ(この考察を抜きに、同テーマを考えることは植民地化の事実を黙認にする等しい)という主張だと思っています。これは後ほど述べる、研究者の立場性にもつながる論点にも通じるものがあります。

その上で、アンチ・ポリティクスとオルター・ポリティクス、それぞれのポリティクスにおける植民地化との向き合い方は、どのように重なり、また異なっていく批判的思考をもつのだろうか、という疑問が生まれます。先ほどの講演と本書にそのヒントは散りばめられていると思いますが、権力支配を通じた占領への批判・抵抗としてのアンチ・ポリティクスと、あなたが第10章で論じた「占領されざるもの(the unoccupied)」の空間を喚起する、オルター・ポリティクスはいかにして手を携え、補完関係を築いていけるのでしょうか。できれば具体的なケースに照らしながら、改めてお聞きしたいです。

そのヒントになるかどうかわかりませんが、もうひとつ、わたしの知る現場のエピソードを紹介させてください。これは、放火跡の写真です。どこかというと、先日、京都のウトロ地区にあるミュージアム(ウトロ平和祈念館)を訪問し、お話を伺っていました。今日のご参加の皆さんはよくご存知だろうと思うのですが、昨年(2021年)8月、この地区の住民を狙った放火事件がありました。


京都ウトロ地区にて(2022年10月2日稲津氏撮影)

同地では日中戦争中の1940年、政府主導で軍用飛行場の建設が始まりました。その工事に従事したのが日本の植民地だった朝鮮半島の出身者たちで、戦後の社会的混乱の中、さまざまな事情で留まることになった方々が暮らしていました。1989年に地権を入手した不動産会社が、「住民が土地を不法占拠している」と言い張り、立ち退きを求める訴訟を地裁に起こし、問題化されました。住民側は裁判で争いましたが2000年に敗訴する一方、日韓両市民による募金運動や韓国政府の支援もあり、2011年までに土地の一部を買い取り、土地問題は解消されました。現在は宇治市役所の主導で、買い取った土地の住環境整備が進んでいます。市営住宅も完成し、少しずつ住民の移転も進んでいます。地区では、こうした市民社会の歴史を伝え、平和を願う交流施設が建設中でしたが、抗議の立て看板など、展示予定だった多くの生活資料が、この放火により失われてしまいました。

犯人は当時22歳の日本人男性で、2022年8月に京都地裁から懲役4年が求刑されました。ミュージアムのスタッフによると、ウトロの人たちは、放火した彼のことをとても不可思議に思ったそうです。「なぜ、会ったことも、見たこともない人に、彼は憎悪を募らせることができたのか」「ヘイトが生まれる土壌とは何なのか」と。ジャーナリストにその犯行の動機について尋ねられた彼は、「コロナによる就職難と、国による支援制度の不十分さが影響している」と手紙で回答したそうです。「最低保障であるはずの生活保護すら役所に断られる方が大勢いる中で、日本国籍を持たない在日外国人を変わらず援助し続ける様態に、どれほどの方が不快感を抱いていたことか、当時のネットの声の数々を見た限りでも想像を絶した」。「多くの人が抱いていたであろう内なる不満や不快を、目に見える対象にぶつけやすい状況にすべく、日本人の大半が嫌悪もしくは迷惑視する韓国人の関連施設に対して事件を、放火を発生させた」のだと*1

放火事件は決して許されない行為であり、彼の「在日外国人」「韓国人」社会への認識と私の考えは全く異なりますが、私にはこの男性の証言に垣間見える心情面まで否定し、他者化することはできません。この証言内容にはむしろ、私自身も日々の生活場面で感じてきたような、嫌味・妬み・恨みといった、他者に対する否定的な感情が渦巻いているように思えるからです。

友/敵の関係性のみで、この世界を分断してしまう権力的な現実理解は、アンチ・ポリティクスを駆動させる上では欠かせないのですが、時にそれが本書第7章に述べられるような(あるいは、この放火事件の加害者のような)「自己陶酔的な被害者意識 (narcissistic victimhood)」を経由してしまうことによって、他者との関係において自らを「被害者」と定義づけてしまい、他者に対する憎悪を募らせる問題があります。以前のわたしは、レイシストをレイシストとしてしか考えられない偏見に囚われていたのですが、あなたの書籍を翻訳する過程で、ヘイトという社会現象を考える際にも、別様の理解の回路が開かれているように感じています。

オルター・ポリティカルな理性と感情は、今の日本社会のような「ヘイトが生まれる土壌」に対して、アンチ・ポリティクスとどのように異なるアプローチで影響を与え、これを変えていくことができるのでしょうか。ウトロミュージアムの女性スタッフによる次の語りには、そのヒントがあるように思います。

―なぜ、会ったことも、見たこともない人に[犯人の男性は]憎悪を募らせることができたんでしょうか?……[ウトロの]おばさんたちの答えは明瞭でした。10⽇間もインターネットであれこれ、カチャカチャ調べるより、ここにきたらよかったんや。10⽇もあったら。そしたら、お腹いっぱい、ごはん⾷べさせてあげたがな。横から違うおばさんが「ビールも出したがな」っていう冗談も加えるんですが……ここは本当にあいさつがわりに、ごはんは済みましたか?と⾔うところです…あちこちでワンカップ⼤関とか⼿にもって、⼣涼みをしてるんですが、そこでは必ず「あなたごはんすみました?」[と聞かれます]…すんでいないといったら⼤変なことになります。おかずがドンドコドンドコ[でてくる]。そういうところなんです。訪ねてきた⼈を、お腹を空かせた状態で帰すというのはとても恥だと思っています。今でもそう思ってはります。だからその⻘年にね。何やったら、ご飯も⾷べさせたったのに。そしたら、あんなこと[放⽕]することもなかったんちゃうか。それはウトロの⼈たちの実感としてあるんですね……

さらに、このように続けてくれました。「ウトロは長いこと……長い間、世の中からほっとかれてきました」。この青年も「世の中からほっとかれてきたんや」ろうと。「ヘイトが生まれてくる土壌は」「話を聞くだけ、ネットの世界で調べるだけ、本だけで調べて読むだけでは、絶対になくならない」。だからこそ、「仲良くしいや。それが一番やで」「それに尽きる」のだと。火災被害を受けた側にもかかわらず、加害者に敵意(enmity)ではなく、「22歳の青年が自分の人生を棒に振って、そんなバカなことをしでかして」と憐れみの感情を抱ける彼女たちの構えに、オルター・ポリティクスを希求する私たちは、学べることがたくさんあるのではないかと思います。

この流れで、排外主義への批判的思考としての多文化主義を今、議論することのアクチュアリティについてもお聞きしてみたいです。私は、多文化主義を批判的に論じた『ホワイト・ネイション』を通じてあなたの仕事と出会いました。しかし、その後、多文化主義は反移民のムードとともに、アンチ多文化主義ならぬ排外主義としてのネオ・ナショナリズムを高める燃料にもなってきたように思います。まさしく、あなたが先ほど強調されたヘーゲル由来の規範論の失調、あるいはカタストロフィがカタストロフィを呼ぶ状況そのものに通じています。

あなたが本書の第2章で用いた「ドツボにはまる(stucked)」という言葉を用いれば、いわば、このように「ドツボにはまっている多文化主義」を、オルター・ポリティクスの観点からは、どのように再想像していく道筋が描けるのでしょうか? あなたは『ホワイト・ネイション』の最終章で、第三世界風のオーストラリア人ではなく、白人性を生きる人びとこそが多文化主義の主流に同化しなくてはならないと提案されていました。しかし、多文化主義に同化を促す流れが、排外主義に直結してしまう今改めて、多文化主義を問い直すとすれば、どのような主義主張として再構想していけるでしょうか。

また、その際の研究者の立場性についてもお聞きしておきたいです。あなたは先ほど、アカデミックに物事を考える立場にいる私たちを鼓舞するように、「一生懸命考えること」の重要性を強調されました。関連して、わたしが翻訳した範囲で印象的だった内容として、イスラエルのガザ侵攻の倫理をめぐる議論を念頭に、白人研究者の「根絶後の実存的不安に怯える」植民地主義的/レイシスト的な身振りについて述べた箇所があります(第7章)。暴力的な出来事について議論しているうちに、暴力をあたかも暴力ではないものへと変質させるような印象操作をしてしまう「クソ賢い」研究者の論理展開に対し、オルター・ポリティクスへと自らをひらいていく研究者には、誰の/どのような論理(logic)を大切にすることが求められるのでしょうか。

その論理こそ、あなたが本書で強調しているオントロジー(ontology)、あるいは第8章で述べているパレスチナ人殉教者の父を持つ家族の子どもが母から受ける「ふつうの経験」を大切にする主張と通じるものなのでしょうか。先ほどあなたは、学問的な本質主義には関心がないと言われていましたが、他方で、私たちは人びとの「ふつうの経験」と呼べるものを、誰の/どのような知のパースペクティブでもって学術の俎上に乗せて議論できるのでしょうか。本書以降、エスノグラフィカルな現実認識について論じる際に、存在論的に考えるようになられた積極的な理由とあわせて深くお聞きしたいです。

最後に、「私たちは今の私たち以上の他者となりうる(We can be other than what we are)」というテーゼについてお尋ねします。他者と共に変容することの重要性は言うまでもありませんが、このときの主語は「私たち」です。では、そのときの「他者」はどうなっているのでしょうか。また、他者が人間の場合もあれば、あなたが最終章で紹介している木々のような植物の場合もありえるでしょう。「私たち」が変容する際の他者(性)の行方をめぐるお考えを、改めてお聞かせください。沢山質問をしてしまい恐れ入ります。それほど本書から引き出される問いが多くあったということで、ご寛恕ください。残された問いがあったとしても、またどこかであなたとともに考えていけたら幸いです。ありがとうございました。

 

リプライ(ガッサン・ハージ氏)

広範囲にわたるコメントをありがとうございます。一生懸命に考えるという行為の好例だと思いました。すべての質問に答えるのは時間的に難しいので、いくつか選ばせていただきたいと思います。

最後の、いまの自分ではない他のものになる(becoming other to ourselves)ということに関することから始めます。うまく違いを訳すことができるとよいのですが、becoming otherとbecoming the otherの間には重要な違いがあります。

最近、アメリカの人類学の学術誌に寄稿した話を紹介します*2。これは、私が学生のみなさんに社会学であれ、人類学であれ、哲学であれ、医学であれ、思考の伝統というものはすべて幼少期に出発点があると話していることと関係があります。大学で専門とする医学でも法学でも建築学でもその萌芽は幼少期にあります。

人類学的な初めての幼少期の経験は何だったか考えてみました。学生には、私の幼少期の初めての経験は、お友達の家に泊まりに行く「お泊り会」だったと思うと話しました。最初の人類学的な経験は、朝起きて、「おお! この家ではこんな朝ごはんを食べているの!」「親にああいう話し方をするんだ!」というものでした。初めての人類学的な報告は、家に帰り、親や兄弟に向かって「向こうのお家がどうなってるか見てきたほうがいいよ! うちとはかなり違うんだよ!」と伝えたことだと言えます。家庭での他者性ということについて考えるとき、他には、「朝ごはんで、卵をこんな食べ方で食べるんだよ!」というものがあります。卵の食べ方を知ることにより、批判的機能を持ち始めることになります。みんなが卵を自分と同じ食べ方で食べるわけではないことを知り、また、卵の異なる食べ方を知ることにより、卵が今までとは違って見えてきます。したがって、ある意味、人類学的契機のエッセンスは、比較する思考の批判的機能と言えます。それは、becoming the otherではなく、いまの自分が他のものになりうることを認識することについてなのです。

学校では日本語を用いるよう強制されていた、ポルトガル語話者の子どもの例に戻りましょう。もちろん、私たちは、ポルトガル語の使用を禁止する権力関係、支配のあり方を非難する必要がありますが、日本語を学んでほしくないとはなってはならないと思います。問題はそこではなく、ポルトガル語を知りつつ、日本語を学べることそれ自体はすばらしいことです。そのやり方、ポルトガル語を犠牲にして、日本語を強制的に勉強させられるということが問題です。

the otherというのは、私たちの多くと同じように他者性を必要としている人なのです。自身を犠牲者とみなし、自己を本質化することしかできないとき、これはまさに、ナルシスティックな被害者意識の一つとなるのです。

これは、多少なりとも第三世界における知的闘争において、生じていると見てとることができます。なぜなら、たとえば、日本語や日本社会の専門家、アラビア語やアラブ社会についての専門家、アフリカ社会の専門家になる白人という白人の長い伝統がありますが、反応としては、アラブの人たちはアラブ社会についての専門家はアラブ人になってほしいですし、アフリカの人たちはアフリカの専門家にはアフリカ人になってほしいと考えています。批判的人類学はある文化から別の文化へ横断する技術なのです。これは決して先住民が先住民文化の専門家になること、アラブ人がアラブ文化の専門家になることではありません。もちろん、アラブ人がアラブ文化の専門家になりえますし、日本人が日本文化の専門家になることもあるでしょうが、それは批判的人類学とは別の話です。

アイデンティティという点に関していえば、本書でも述べていますが、朝起きたときにはレバノン人の気分でレバノン料理の朝食が食べたい、昼はオーストラリア料理、夜は日本食を食べたいと思うことがあるでしょう。他人から「あなたはレバノン人、あなたはオーストラリア人」などと言われたくないのです。ゆらぎの中で自らが決定する権利があると考えています。民族的アイデンティティのポリティクス、支配的ポリティクスではなく、自己に特異なアイデンティティと普遍的アイデンティティの間を自由に移動できるようなポリティクスなのです。

 

参加者からの質問

Q:日本語で同じ訳語〔他者性〕が充てられている「otherness」と「alterity」の概念上の違いについて教えてください。

A:一つの講義が必要になるほどの大きな質問で、簡単に答えるのは困難です。一つだけ、othernessとalterityの対比についての質問でしたが、othernessとradical alterityを対比させたいと思います。飼いならされた他者性というものもありますので。非常に重要な質問だと思います。othernessはある特定の哲学の伝統から出てきたもので、それが意味するのは、ある特定の環境において、従来の思考の範疇がもはや機能しないものとなっているということがありうると思います。

 


 

[*1] 「韓国が嫌いだった」京都・ウトロ放火、22歳の男はなぜ事件を起こしたか ヘイトクライムは防げるか(前編)https://www.47news.jp/7641192.html(2022年10月20日閲覧)

[*2] Hage, Ghassan, 2023, “The anthropological and the consequential” American Anthropogisthttps://anthrosource.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/aman.13815

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著者略歴

  1. ガッサン・ハージ(Ghassan Hage)

    メルボルン大学教授(文化人類学・社会理論)。1957年にレバノン・ベイルートで生まれ、1976年にオーストラリアに移住。シドニー大学等を経て現職。ナショナリズム、レイシズム、多文化主義、ポストコロニアリズムに関する批判的著作や、トランスナショナルなレバノン人ディアスポラの民族誌的研究で広く知られる。主な著作に『ホワイト・ネイション――ネオ・ナショナリズム批判』(平凡社、2003年)、『希望の分配メカニズム――パラノイア・ナショナリズム批判』(御茶の水書房、2008年)、Is Racism an Environmental Threat? (Polity, 2017), Decay (Duke University Press, 2021, 編著), Diasporic Condition: Ethnographic Explorations of the Lebanese in the World (University of Chicago Press, 2021)などがある。

  2. 稲津 秀樹(いなづ・ひでき)

    鳥取大学地域学部准教授。専門:社会学、カルチュラル・スタディーズ。主な著作:『社会的分断を越境する――他者と出会いなおす想像力』(塩原良和との共編著、青弓社、2017年)、「『約束』の行方――空間論的転回以降の社会学的想像力の在処」『KG社会学批評』(6号、2017年、49-63頁)。

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