『第三の性「X」への道―男でも女でもない、ノンバイナリーとして生きる』LGBTQ活動家 ジェマ・ヒッキーさんの激動の半生
2019年春に、男性でも女性でもない性別「X」のパスポートで日本に入国した人がいます。カナダで初めてのノンバイナリー(男性にも女性にも分類されない性別)の出生証明書を取得したLGBTQ活動家、ジェマ・ヒッキーさんです。ジェマさんは、カナダ大使館や東京大学に招かれ、講演とドキュメンタリー・フィルム「ジェマのままで(Just Be Gemma)」の上映を行いました。
明石書店の新刊(2020年12月25日書店発売)『第三の性「X」への道―男でも女でもない、ノンバイナリーとして生きる』は、ジェマさんの初の著書“Almost Feral”(2019年10月刊)の待望の日本語版です。訳者は、『LGBTQ ってなに?』『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて』(いずれも明石書店)などLGBTQ関連の訳書も多く手掛ける上田勢子さん。アメリカ・カリフォルニア在住の上田さんには、「訳者あとがき」でアメリカをはじめとする海外のLGBTQ事情についても解説していただきました。
ここでは、本書を引用しながらジェマさんの波瀾万丈の半生を紹介します。
「男の子? それとも女の子?」
ジェマさんは1976年、カナダ東部のニューファンドランド島に生まれました。誕生時に割り当てられた性別は、女性。しかし、幼いときから「女の子」でいることに居心地の悪さを感じていました。ジェマさんは、子どものころの記憶を次のように記しています。
…母は、小さいころから私のジェンダーの守護者を自認してきたのだ。どこに行っても「男の子? それとも女の子?」とよく聞かれるので、母は常に防御態勢を取っていた。どうしてそんなことでもめるのか、ついに私には理解することができなかった。どちらか分からない方がむしろうれしかった。空想上の友だちを作ってジミーと名づけた。ジミーは私の分身になった。ブラウニー(訳注:ガールスカウトの年少組)にも入りたくなかったが、母がブラウニーのリーダーだったので逃げられなかった。裁縫なんか習いたくなかった。本当はボーイスカウトになりたかったのだ。
以前、プラセンティア・ジャンクションの父方の祖父母のキャビンの近くの池で釣りをしていて、二人の知らない女子に出会った時、私は男子のふりをした。彼女たちが私のことを「彼」と言った時、あえて訂正しなかったのだ。近所の女の子たちと、ままごとをして遊んでいた時にも同じことがよくあった。トニヤ、メガン、ラナ、カレンたちは、みんな私にお父さん役を押しつけた。伯父が伯母に用事を言いつけられると、ため息をつきながら、「ワイフがハッピーなら万事よし」と言うのを、よく耳にしていたから、私は女の子たちの言うことをよく聞いた。少なくとも少しの間は、「めでたし、めでたし」だった。
ままごとでは、トニヤと私はこのあたりに住んでいて、メガンと私は湖のほとり、ラナと私は霧の入らないフロリダ、カレンと私はマウント・パール市に住んでいることになっていた。
ある日、トニヤと私が母方の祖母の家のベランダでままごとをしていた時、二人がキスするのを祖母に見られてしまった。叱られるかと心配したが、祖母は私たちに自家製のパンとバターと糖蜜をくれた。そのころ、仲人という言葉を知っていたら、私は仲人をしてくれた祖母に感謝しただろう。それからトニヤは毎日やってきた。祖母はいつも新鮮なパンを焼いていたし、トニヤはパン一切れのために私にキスしてくれると言った。祖母のパンは、それほどおいしかったのだ。(本書33-34ページ)
自殺未遂から同性婚合法化運動へ
ティーンエイジャーになったジェマさんは、男性との交際も試みましたが、より強く惹かれたのは女性に対してでした。ローマカトリック教徒として育った背景もあって、「同性愛者」として生きていくことに苦痛を感じ、自分を変えようとしますがうまくいきません。絶望したジェマさんは、ついには命を絶つ決心をします。
自死は未遂に終わり、精神科病棟で療養したジェマさんは、やがて回復。レズビアンであることを公表し、約十年後にはLGBTQ団体の会長として同性婚合法化運動を共同で率いるまでになります。同性婚は2005年にカナダ全土で合法化され、ジェマさんも女性と結婚しました(このときの妻とはのちに離婚)。
二元論を超えて
ジェマさんには、幼いころ、信頼していた神父から性的虐待を受けた辛い経験もありました。LGBTQ活動家としての経験を活かし、2013年には宗教組織による性的虐待のサバイバーを支援する団体を設立。この団体への資金集めを兼ねて行ったニューファンドランド島を横断する908キロのウォーキングをきっかけに、ジェマさんは自らの性自認とも向き合うことになります。
ウォーキングを終えて、ジェマさんがたどりついた結論は、次のようなものでした。
私たちは、男か女か、ゲイかストレートか、カトリックかプロテスタントか、などと二元化して考えるように慣らされてきた。そうした分け方は社会のコントロールによるもので、自己発見や自己認識からは、かけ離れたものなのだ。二つに別れた道のどちらも選ばないこともある。なぜなら、自分のための正直な道を行かなければならないからだ。私たちには自分を主張し、ある時は主張し直す力があるのだ。新しい道を作成し、人にもその道を辿るよう誘ったり、自分自身の道を作ることを勧めたりする力があるのだ。長い道もそうでない道もある。より険しい道もある。最も長くて険しい道が、あなたをあなた自身へと引き戻してくれる道かもしれない。(本書248ページ)
カナダ・ニューファンドランド島の美しい風景とともにつづられる、ジェマさんの激動の半生の記録。一言では説明できない性自認や性的指向の揺れや、セックスや生理といった言及されることの少ないテーマについても誠実に語られています。ぜひ、全篇をお読みください。