すべての政治は地元から:『アイルランドの地方政府』出版によせて(2)
2020年4月5日頃発売の『アイルランドの地方政府:自治体ガバナンスの基本体系』(マーク・キャラナン著、藤井誠一郎訳、小舘尚文監訳)。先日は藤井氏執筆の「訳者あとがき」の一部をご紹介しましたが、続いて小舘氏執筆の「監訳者あとがき」の一部を以下でご紹介します。
小舘氏は2012年よりアイルランド国立大学ダブリン校(UCD)で勤務し、現地に居住しながら英語と日本語で多数の著書・論文を発表しています。
[バナー写真:首都ダブリンにあるアビバ・スタジアム=佐藤洋輔氏撮影]
監訳者あとがき
アイルランド共和国は、約480万人の小国であるが、世界には、「アイリッシュ系」と自称する人たちも含めるとおよそ8,000万人もの(アイリッシュ・ディアスポラとも言われる)人が英語圏を中心に存在すると言われている。実際、筆者が複数の「アイルランド人」に出会ったのは、1990年代半ば、交換留学生として学んだオーストラリアのメルボルン(モナシュ大学)においてであった。その後、長期で留学した先はイギリス(ロンドン)だったが、そこでも、アイリッシュ系の名前を持ち、祖先やルーツに誇りを持つと言う人たちに会い続けた。
今から8年前に筆者はアイルランド国立大学ダブリン校(UCD)に着任したが、アイルランド人の同僚たちが、出身地(カウンティ)を大切に語る様子やGAA(スポーツ)の全国大会で対抗心を燃やす姿は、日本人の故郷やルーツに対する姿勢にどこか通じるものがあると感じてきた。また、政治家が、自らの選挙区の結婚式や葬儀に出席する様子、(政党が掲げるマニフェストよりも)地元の産業振興や病院閉鎖反対といったイシューに固執する様子をみて、ここは隣国イギリスとは明らかに違った異国であると思ったものである。かつてアメリカの下院議長をしていたティップ・オニールは、「すべての政治は地元から(All politics is local)」と言ったとされるが、アイルランドの政治制度の中には、それに類した地方の利益代表を重視する要素が多く残っている。
下のポストカードは、イングランドのサマーセット出身のジョン・ハインドのデザインによるもので、1950~60年代にイギリスを中心として人気を博したと言われている。アイルランド南西部の人口規模で第2の都市となるコークのシャンドン教会、(イギリスになるが)北アイルランド北部の沿岸部コーズウェイ・コーストの石柱群(柱状節理)、中部アスローン郊外にあるクロンマクノイズ修道院跡、南東部ウォーターフォードのノルマン人が建てたレジナルドの塔、ダブリンのジョージアンスタイルの建築、西部の在来種の馬コネマラ・ポニーや、ケルト神話や詩人イェーツの作品にも登場するベンブルビン山など、各都市や地域にみられる象徴的な図柄が見事に描き込まれている。
郷愁とも言うべきなのだろうか、イギリスと比べても、地方へのこだわりやカウンティの境界に対する思いが強いアイルランドにおいて、地方自治や行政が一体どのようになっているのか、筆者自身もこれまで疑問を抱いてきた。
医療、教育、年金といった社会福祉や福祉国家の諸制度および政治に関心がある読者の方々は、西ヨーロッパであれば、主にイギリス、ドイツ、フランス、北欧・南欧諸国に目を向けてこられてきたのではないかと思う。実際、アイルランドは、他の先進国と比較すると、経済発展も遅れをとり、特に、福祉を含む所得再配分の領域は、カトリック教会の政治力や家族・コミュニティといったボランティアセクターへの依存によって、政府の役割は目立たなかった。地方自治でも、人口規模の面では類似する北欧諸国と比べると、権限が弱く、社会福祉との結びつきも弱い。しかし、1990年代半ばに始まった急速な経済発展や、2004年以降、中東欧の新規EU加盟諸国への労働市場開放によって、移民流出国から流入国への転換も起こり、政治・経済・社会、すべてにおいて近代化やグローバル化が一気に訪れた。……中略……
本国だけではなく、世界に多くの愛好者や縁を持つ人々がいる中で、アイルランドの地方自治への理解を深めることは、小国アイルランドを学ぶということ以上の意味合いを持っているだろう。本書が多くの人々の目に留まり、グローバル化、国際相互依存が進む中での地方自治の異なる在り方や将来について考えるための材料となれば、監訳者として本望である。
[監訳者 小舘尚文]
マーク・キャラナン(著)、藤井誠一郎(訳)、小舘尚文(監訳)
A5判/横組/上製/672ページ/本体5,400円+税/ISBN 978-4-7503-5001-1 C0031(2020年4月5日頃発売)