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対談 荒木優太さん×熊野純彦さん:困ったときの在野研究入門 第1回

この対談は、自身も在野研究者で、批評家でもある荒木優太氏の編集による『在野研究ビギナーズ』の刊行を記念して、2019年9月13日に八重洲ブックセンター本店で行なわれたイベントの採録である(全5回)。哲学の驚異的な量の著述と訳業を誇ることで知られる、東京大学の熊野純彦氏とともに、現在の大学と在野、研究と批評、論文と翻訳、コミュニティについて存分に語っていただいた。(編集部)

 

荒木: 今日は『在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活』のイベントですが、この出版には前史があります。すなわち、私が3年前に出した『これからのエリック・ホッファーのために――在野研究者の生と心得』(東京書籍)、これの事実上の続篇こそ『ビギナーズ』なのです。過去の在野研究者たちの人生と業績を調べた『これエリ』とちがって、『ビギナーズ』の特徴は、いま現在の在野的研究の在り方をレポートしたところにあります。この本が編著であるのもそういう理由によってまして、というのも、私一人では様々な専門や様々な生活に関してきちんとフォローできるか心もとなかったからです。結論からいえば、おかげさまで、自信をもってみなさんにオススメできる本に仕上がったかなと思います。

さて、今日は特別ゲストとして熊野純彦さんにお越し頂きました。去年のお仕事に限ってみても、『本居宣長』(作品社)という非常に分厚い本を出されたり、マルクス資本論の入門書のような『マルクス 資本論の哲学』(岩波新書)の刊行、さらにはヘーゲル『精神現象学』(ちくま学芸文庫)の翻訳も大きな話題になりました。驚嘆する仕事量を誇ることで学界では有名な熊野さんですが、その延長で、在野研究と学問のありように関しても興味深いことがうかがえるのではないか、と思い、依頼させてもらいました。というわけで、もし最初になにかあればお願いしたいんですけども。

熊野: 熊野でございます。基本的に話をするのが苦手で、こういう場はなるべく失礼しているのですけれども、と言いつつ、職業病なのか、話し始めると止まらないという悪癖も持っております。最初に一言申し上げると、今日はどう考えても私、損な立場で、在野研究が話題ですから、すごく単純に言えば敵役だろうし、引き立て役だろうと思って、それはもう覚悟して出てきているわけですけれども。ただ、予め一言だけ言っておくと、今ご紹介賜りましたことに引っかけて言うと、そもそも、マルクスと宣長をいっぺんに書く人間は、アカデミズムの中でもうそれだけで「怪しい存在」です。あいつはアカデミシャンではない、と烙印を押されかねない、ということです。だから、ここでぼくは大学なりアカデミズムなりを、自分が代表しているとはまったく思わないし、何事も何者も代表するつもりもありません。それでも別の視点から言うと、ぼくが今じっさい、いわゆるアカデミーの中で飯を食ってるという立場からすると、ぼくのほうから積極的に在野研究に口出しをしたり、妙な期待を持ったりするっていう、いわばそういう立場でもないんですよ。

  

「研究することは楽しい」と言うこと

 

だけど、荒木さんのお書きになるものと、それをお書きになった荒木さんにぼくとしては関心があります。だからこそ、今日喜んでここに来たということはあります。もう一つ、勉強とか学問とかっていうことに結びつけて言うと、この本がね、大学の内外を問わず、人文社会系、とりわけ人文系の勉強をしている人間にとってものすごく、圧倒的に面白いのは、いまどき珍しく、勉強することや物を書くことや、研究することは楽しいんだって言ってるんですよ。これは今、大学内の研究者は書けません。仮に大学内の研究者が勉強ってこんなに楽しいんですよっていうことを書いたら、すごく嫌ったらしくなるか、お説教になるか、バカだと思われるかです。今、人文系の勉強って面白いんだよ、物を書くって楽しいんだよって言えることが、一つ在野研究の圧倒的な強みだと思います。

熊野 純彦 氏 [撮影:東京新聞]

(各章の)それぞれの方がとっても率直に自分のしていることの面白さ、もちろん辛さもあるわけだけど、でもやっぱりどちらかというと面白さについて語ってくださっていると思います。とりわけ荒木さんがそうで、ちょっと過剰にレトリシャンなところもあるんだけど、荒木さんの文章は魅力的なんですよね。最初の序文でお書きになってる――あんまりこういうのばっかりうまくなると、コピーライターになっちゃうよっていうところもあるのだけれど――、在野研究に明日はないけど明後日があるなんて、ものすごくこれはアイキャッチングな言い回しで、しかもその中には切実な辛さと、でもはっきりした希望があります。今そういう希望をこういう文章で語れる人間って希有だろうと思います。

二番目に、もしかしてこれは危機的なことなんじゃないかなと思うのだけれど、大学内の研究者が自分のやってることを面白いと思えなくなっているかもしれない。第三に、それは第二の点と連動するのだけれども、今、人文系の学問の意味とかを対外的に語り出そうとすると、必ずと言っていいほど、嘘をつくことになる、少なくとも嘘が混じることになる。どういう嘘かというと、それは簡単なことで、具体的に「こう役に立ちます」っていうことですね。だけど、人文系の学問の魅力の核心はそうじゃない、そういった具体的な「有用性」の次元には存在しないはずなのです。

ところが、なんていうか、威張(えば)っているように聞こえるでしょうし、まあそう捉えられてもまったく構わないという覚悟で言いますが、こう見えて私、東大文学部長も務めておりました。ところが不幸なことに、学部長のとき、文科省が文学部は要らんというお達しをお出しになったわけです。その後で各方面から批判も出て、文科自体が火消しに回りましたけれども。で、またまた不幸なことに当時、文学部の学部改組をやっていたものですから、しょっちゅう文科(省)に行ったわけですよ。毎回「ほんとうかなぁ」と自分でも思うことを言って帰ってくるのです。端的に「嘘」って言ってしまえば、これも語弊があるでしょうけど、少なくとも何か限定された「有用性」にアクセントを置いて語ることには、人文系の学問の本当の意味や面白さを圧殺してしまう面があります。かといって、人文系の学問はそれ自身、それだけで「面白いんだ」とは、現在の情況の中で、大学の人間は端的には語りにくいのですね。だけど、荒木さんをはじめとして皆さんちゃんと、それについて語ってくれている。だからこれは在野研究にとってだけではなく、大学に籍を置いている研究者にとっても、この本が大きな希望になる。喋っていると、ついついいろいろ美辞麗句も言っちゃうので、ちょっと引き算して聞いてほしいのですけど、そういうのが今日ここに出てきた一つのきっかけです。

荒木: なるほど。非常にありがたいです。おっしゃってくれた「楽しさ」っていうのは、私が編集するとき、また執筆者たちが割に共有して考えていたことでもあって、大学に対して「在野研究」とわざわざ別のカテゴリーをつくるとき、ややデリケートに扱う必要があると思った。端的にいうと、「在野」と言うことによって大学や大学人を攻撃しよう、そういうつもりで書くのはやめようよ、と。もっとポジティブな言葉のほうが在野研究者自身のためになるし、さらに長期的にみれば大学のためにすらなるんじゃないか。この点はヴァラエティ豊かな執筆者のあいだでもかなり一致していたと思います。そういうところが熊野さんに伝わったのはなかなか嬉しいです。

 

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