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『パパは女子高生だった』(9月30日発売新刊)試し読み

僕の家族は、四人。僕、妻、二人の子どもたちの四人家族だ。
どこにでもいる、家族。

ただひとつ。
たったひとつだけ、違ったことといえば、僕が女の子として生まれたということだった。

 9月30日発売予定の新刊『パパは女子高生だった――女の子だったパパが最高裁で逆転勝訴してつかんだ家族のカタチ』。
「性別変更した夫を父親として認める」という画期的な決定を最高裁で手にした前田良さんによる、家族の記録です。10代から大人まで楽しく読めて、性の多様性、家族の多様性を知ることができる本書の冒頭部分をご紹介いたします。


はじめに――どこにでもいる、家族。

 用意された服を着るのは嫌いだった。
 指示された席に座るのは辛かった。

 だけど、僕は自分の気持ちを言えなかった。かわりに、嘘をついてやり過ごした。居場所がないような気がして、辛かった幼少期。
 小学校でピカピカのランドセルを背負っても、中学校で部活に明け暮れても、辛く苦しい気持ちは付いて回った。高校ではそれが倍増した。でも、自分をコントロールする術を少し覚えた。気の持ちようで、高校生活はなかなか楽しめた。

 あの日、「3年B組金八先生」を見た時の衝撃は忘れられない。自分自身が何者かがわかった瞬間だった。

 人生で最高の出会いもあった。あの日、あの場所で妻に出会わなかったら、今の僕はなかったといっていい。

 妻と出会って、僕の人生はバラ色になった。

 結婚するまでは遠距離恋愛。週末を楽しみに、せっせと働いた。結婚したのは二十代後半。プロポーズを受け入れてくれた時は、天まで届くほどに舞い上がった。
 子どもも授かった。僕たち夫婦は、自分たちにできるやり方で「家族」をつくった。
 子育ては、とても楽しい。子どもと向き合う時間が、かけがえのない宝物になっていった。

 僕の家族は、四人。僕、妻、二人の子どもたちの四人家族だ。どこにでもいる、家族。

 ただひとつ。
 たったひとつだけ、違ったことといえば、僕が女の子として生まれたということだった。

第1章 パパは女子高生だった

 ボクのパパは、女子高生だった。
 パパが生まれたのは、兵庫県のとある田舎町。一九八二年六月、雨のたくさん降る季節だった。
 生まれた時、パパの身体は「女の子」だったんだよ。
 だから、「女の子」の名前をつけられて、「女の子」としての戸籍がつくられた。
パパは「男の子になりたかった」
 パパは、三人きょうだいの真ん中。お姉ちゃんと弟がいる。性格は、明るく元気で、天真爛漫。
 パパは、おとなしかったお姉ちゃんより目立って、いつもにぎやかな空気の真ん中にいた。

 パパは、物心ついた頃から、「女の子」の服を着ることや、女の子と呼ばれることが嫌で、いつも辛かったんだって。
 ある日、親戚の結婚式にスカートをはかされた。嫌で嫌で、今すぐにでも脱ぎ捨てたいと思ったけど、我慢していた。パパは今も、その日のことをよく覚えている。小さい頃の記憶がほとんどない中での、忘れられない思い出。

 パパは、幼稚園に入園した。
 身の周りでは、「変なこと」や「嫌なこと」があふれかえった。
 何かあれば、まず「男の子」と「女の子」と、分けられた。はじめに、「男の子」の出席番号の早い子から。その後で女の子……と続く。
 パパはこの頃から、「女らしく」「女の子なんだから」と、周りから言われ続けることになった。 
「女の子なんだから、もっと女らしくしなさい」
「女の子なんだから、スカートをはきなさい」
「女の子なんだから、赤い服を着なさい」
「男の子みたいな格好せんと……」
 自分のお父さんとお母さんに言われるんじゃなくて、周りの大人の人から言われていた。こんな言葉を聞くのは、すごく嫌だった。
 小学校に入学した時だって、当たり前のように赤いランドセルを背負わされた。パパは、赤より黒が好きだったから、本当は、黒いランドセルを背負って行きたかった。
 だけど、自分の気持ちを言えずにいた。

 パパはこの頃、男の子と遊ぶことが楽しくてしかたなかった。女の子と遊んでいた記憶は、ほとんどない。
 でも、男の子と遊んでいたのは小学一年生くらいまで。男の子と遊ぶことがだんだん辛くなり始めたんだ。
 学校の中では、男の子と女の子に分けられる場面がいっぱい。そのたびにパパは、いつもの遊び友達と違う列に並ばなければならなかった。自分は、他の男の子と違うんだと思い知らされ、気持ちの整理がつけられないまま、どんどん男の子たちから離れていった。

 男の子と遊ばなくなったもうひとつの大きな理由は、身体が変わり始めたこと。
 男の子にはおちんちんがついていて、女の子にはない。
 女の子は胸がおっきくなって、生理っていうのが始まる。
 ママに聞いたことがある。「嫌だけど大事なことなんだよ」って。でも、大事なことだけど、パパにとっては辛いことだった。
 生理が来るたびに「やっぱり自分は女の子なんだ……」って、パパは思ったんだ。自分の心と、突きつけられた現実とがズレたままのパパ。生理用品も自分で買うことができなかった。
 身体が変わり始めると、どうしても、男の子だったらしなくていいことも、しなくちゃいけない。ブラジャーを着けたり、女の子用のパンツをはいたり。とても嫌だった。
 本当はトランクスをはきたかった。

 パパは、変わっていく自分の身体が嫌で、男の子といると自分だけ違うのが苦しくて、うらやましくて、どうにかなりそうだった。でも、女の子といると、ボーイッシュだったパパは、男の子と思われて、居心地がよかったんだって。

 パパは、「男になりたい」と思っていた。
 小学校の七夕会で短冊にこっそり、自分の素直な気持ちを書いたんだって。
「おとこになりたい」
 それまで誰にも言えずにいた気持ちを、紙になら書けた。一文字一文字に思いを込めて、丁寧に書いた短冊。お星さまには本当の気持ちを言えたんだね。
 でも、心の中では、誰かに見つかって何か言われるんじゃないかと、ドキドキしながら飾っていた。

 小学校に入ると、自分の身体のことを考えてしまう行事がいっぱいあった。とても嫌だったのは、五年生の時の自然学校で、みんなでお風呂に入らなきゃいけなかったことだ。辛くて悲しくて、パパは泣いたんだって。
 でも、そんな気持ちを、先生にも友達にも言えなかった。
 どんどんみんなの輪に入ることができなくなっていって、「早く帰りたい」「早く終わって」って思っていた。
 六年生の修学旅行でも、お風呂にみんなで入らないといけなかったけど、五年生の時の経験もあって、少しは慣れたんだって。

 プールの時間があった。
 女の子用のスクール水着を着ることが嫌だったけど、プールで泳ぐことは好きだったから、水着は我慢して着て泳いでいたんだ。
 夏休みは、プールより川へ泳ぎに行った。水着を着なくても、Tシャツを着て泳げたから。


★続きは9月30日発売の新刊『パパは女子高生だった――女の子だったパパが最高裁で逆転勝訴してつかんだ家族のカタチ』でお読みください。

『パパは女子高生だった――女の子だったパパが最高裁で逆転勝訴してつかんだ家族のカタチ』
君のパパ、凄くかっこいいね。
ずっと生き抜いて、君と会うために闘ってきた。
これからさらに、誰かに闘いを押し付けなくても、
みんなが生きやすい社会にしていこう。
それがきっと、この本のメッセージだ。――荻上 チキ(評論家)

目次
はじめに――どこにでもいる、家族。
第1章 パパは女子高生だった
第2章 父親になった僕
第3章 私はいつも、良のとなりで
第4章 これがボクたち家族のカタチ
おわりに――この本を読んでくださったみなさまへ
解 説――多様性が肯定される、誰にとっても生きやすい社会へ(弁護士 山下 敏雅)

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著者略歴

  1. 前田 良(まえだ・りょう)

    Like myself代表。妻と子ども2人の4人家族。
    1982年、兵庫県に「女性」として生まれる。小さい頃から性別に違和感を持っていた。
    2008年、戸籍上の性別を「男性」に戻して結婚。AID(非配偶者間人工授精)により子どもを授かるが、出生届が受理されず、東京家裁に「戸籍訂正許可申立」を行い、裁判を始める。
    東京家裁、高裁では「血縁を大事に」し却下、棄却されるが、最高裁で逆転勝訴。「性別変更した夫を父親として認める」という画期的な決定を手にする。
    現在は、多様な性について「間違った知識ではなく、本当のことを伝え知ってもらう」ため、行政職員、教職員や保護者、子どもたちを対象に、各地で講演活動を展開。全国を家族とともに走り回っている。

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