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きらいだし、こわい、けれども……~害虫・害獣の民俗学~

虫の大発生

前回の連載第2回では「害」という言葉について、あれこれと考えてみた。今回から少しずつ具体的な話題に移っていくわけだが、「さあ、害虫の話をしよう」と思って、虫との思い出をたどってみると、強烈に記憶に残っているシーンのあれこれは、どうもたくさんの虫と遭遇したときのことが多い気がする。虫はどういうわけか集団でいることがある。また、虫は大発生することがある。大発生といってもいろいろなスケールがあり、新聞沙汰になるような虫の大発生もあれば、いなごや蜂など、資源や人命に関わるスケールの大発生もあるだろうが、まずは卑近な話からはじめてみたい。

 

おびただしいもの

 今年、私の家にはダンゴムシが大発生している。ささやかな庭があるせいで、以前から玄関先を這っていたのだが、今年はどうも尋常ではない。今にも雨が降りそうな、または雨がやんだばかりの、湿度の高い夜の玄関先など、ずいぶんとたくさん出てくる。なので、仕事から帰宅すると、つま先立ちで玄関扉まで進まなければならない。私は幼いころからダンゴムシが大キライなので、今年のこの状況には非常に困っている。ダンゴムシがキライなのは、ワラジムシがキライだからである。彼らは同じワラジムシ目で、よく似ている。大きな石をひっくり返すといっぱい出てくるあたりもよく似ている。ワラジムシをキライになったのは、子どもの頃に、実家の近所にあった、空き地だらけの分譲地の道端で、地面に落ちていた板をめくってしまったときからである。動く絨毯(じゅうたん)かと思うほど、たくさんのワラジムシをみてダメになった。つまりは集合体恐怖症的な衝撃から始まったのだと思うが、今は単体でもダメである。ちなみに、ダンゴムシは枯れ葉などを分解してくれる益虫でもあるのだが、私にとってはそれどころではない。

 大発生といえば、思い出されるのは、だいぶ以前に暮らしていたアパートでのこと。ある夜、帰ってみると、室内に羽アリが飛んでいたことがあった。蟻は怖くないので、「ああ、入ってきちゃったのか」と思ってよく見ると、どういうわけかリビングの照明のひもにたくさんとまっている。「入ってきちゃった」では済まない数である。ともかく、これは「異常事態」だと認識する。そもそも、シロアリかもしれない。ひとまず皆殺しにして、部屋のなかを確認すると、本棚で隠されがちだった出窓の板に、木の粉が落ちている。ここが怪しいということで、板の隙間に殺虫剤を噴き入れ、ガムテープで塞いだ。長く住んだ部屋ではなかったが、古いアパートだったので、よく虫の出る家だった。それにしてもたまげた出来事だった。彼らがシロアリだったとすると、これはなかなか深刻な害虫体験だったのかもしれない。ただ、シロアリも生態系としては益虫であるという言説もある。セルロースを分解できるからだといい、要は枯れ木などを完全に分解して土に返すことができる重要な存在なのだという。それはそれで良いが、我が家には出ないでくれと、勝手なことを思ってしまう。

 虫の「おびただしく」ある様や「群がる」様は、「イヤなものがいっぱいいる」ということをこえた意味をおびる。少なくともそれは普段とは異なる事態である。大集団の侵入者を、なぜ許してしまったのか、と私は身辺に注意をはらう。壁に穴でもあいていたのか、彼らを誘引するものでもあったのか。または私の生活領域内での彼らの繁栄を気づかずに許してしまっていたのか。住まいや住まい方に、なにか欠陥や落ち度でもあったのかと、原因を探ろうとする。単体であればさほどではない虫たちとの遭遇も、群を成してやって来られると、深刻さの度合いを増すわけである。

 考えてみれば、小さくてか弱い彼らが、私たちにとって「看過できないもの」に変わる局面のひとつが、この「大発生」なのかもしれない。鉄筋コンクリートの集合住宅の建設が相次いだ1960年代、各地の団地でコナダニが問題になった。機密性が高く、含水性の高いコンクリ製の新築の建物に畳を導入したことでダニの棲息しやすい環境が整ってしまったわけだが、その頃の記録を集めてみると、「ダニが多くて困ります」というレベルではなかったようである。畳の表面が真っ白になるくらい、彼らの存在は可視的であったという。これでは暮らせない。

 

怨霊化虫説話

以上のダニの一件は新聞沙汰にもなり、一般のダニへの関心を高めた。虫の大発生は社会的な出来事にもなる。家庭内で大発生する虫もあれば、公共の領域に大発生して耳目を集める虫たちもいる。2013年から2014年には、各地で蛾が大発生した。私も調査先で群れ飛ぶ蛾に辟易した記憶がある。スズメバチなども1970年代以降、周期的に大発生し、各種メディアで注意喚起されてきた。スズメバチの場合、刺された際の危険性があわせて喧伝されてきたので、それはわかりやすく「脅威」として認識された。

ダニの大発生にせよ、スズメバチの大発生にせよ、これらは現代の世相が出現させた新しい出来事だったといえる。虫をことのほか恐れるのは、現代人の自然観の問題であるかのようである。もっとも、かつての社会においても、虫は大発生し、人びとを驚かせていた。それはやはり原因を尋ねるべき異常事態だったのだろう。人びとは虫の大量発生を「怨霊」の祟りとして認識する場合があった。非業の死者が虫になる、という発想をもっていたようなのである。

1759年にジャコウアゲハが大発生した際、姫路(現・兵庫県姫路市)ではそれを皿屋敷のお菊の祟りと結びつけ、これを於菊虫と称した。お菊に結び付けられたのは、ジャコウアゲハのさなぎが、女の縛りあげられた姿に似ているからであった。別保村(現・滋賀県大津市)では、同様に、人が縛りあげられたようなかたちをしている虫が大発生し、南蛇井源太左衛門(常元)という者の怨霊だといって常元虫と呼ばれた。類例は枚挙にいとまがない。要するに虫の形状からの類推であったわけである。これはだいぶ以前に流行った「人面〇〇」を探そうとする心性と通じ合っているかもしれない。平家蟹などもそれに近いだろう。ただ、お菊虫が人々の注意を引いたのは、その数量の多さが関わっていたのではないかと、虫嫌いの私などは想像している。

実際、「祟り」として認識される虫は、ドバっとたくさん現れるケースが目立つ。愛知県新城市には歴史に名高い長篠・設楽原合戦の古戦場がある。現在放映中の大河ドラマ『どうする家康』でも取り上げられたが、長篠・設楽原合戦では織田・徳川軍に武田勝頼の軍勢が敗れ、武田方には多くの戦死者がでた。その武田方戦死者を祭祀する大塚というものが、 新城市字竹広に存在する。同地では「火おんどり」という祭りも行なわれている。「もっせ、もっせ」のかけ声で大きな松明を振り回す、見ごたえのある祭なのだが、その起源とされる伝承にも「虫」が登場する。大塚から戦死者の怨霊が蜂となって大発生したため、これを鎮めるためにはじまったというのである。ちなみに、長篠合戦の戦死者が蟻となって大発生したので、これを鎮めたという供養塔もある。蟻塚さまとも呼ばれている。当該地域で虫の大発生を説明しようとするときに、参照しやすい過去の出来事が長篠・設楽原合戦だった、ということかもしれない。

大塚(及川撮影)

火おんどり(及川撮影)

蟻塚さま(及川撮影)

 

虫送り

こうした伝説は農業害虫にも見出せる。平四郎虫とか善徳虫という虫は、作物を食害し、また異臭をはなつ虫だといい、同名の人物の祟りだという伝説であるが、これらはカメムシであるらしい。平四郎虫は山梨県の伝説で、福井県には善徳塚というものがある。また、大発生しては農作物を食い荒らすイナゴはサネモリ虫などと称されるが、これは源平合戦の頃の実在の武将・斎藤実盛のことだという伝説がある。すなわち、戦の際、田畑で戦っていた実盛は稲の株につまずいて討ち取られてしまった。このことを恨みに感じた実盛は、稲を食い荒らす虫に転生し、毎年のように大発生したというわけである。なんというか、物に八つ当たりしているような気がするが、それはさておき、これはあくまでも「伝説」で、「歴史」ではない。

この伝説は広域で語られている。農業害虫に対処する虫送りという儀礼をサネモリ送りと称する地域は多い。サネモリ人形というものを持ち出すケースもある。柳田國男は各地の虫送りのサネモリは、斎藤実盛のことではなく、農作業の一段落したところで行なわれる「サナブリ」という行事が転訛し、実盛のことと誤解されていったものではないかと指摘している。サナブリとは、田の神を田畑に迎えるサオリと対をなす行事で、田植えを終えて田の神を送り出す行事である。柳田説に依拠すれば、去り行く田の神に虫たちを連れていってもらう行事が、その意味合いを忘れられて、斎藤実盛と結び付けられたということになるだろうか。もっとも、実盛の怨霊と虫との結びつきが後から発生したものだとしても、そうした変化を受け入れた人びとにとっては、大量に出現しては作物を食い荒らしていく虫たちに、尋常ではない恨みと執念が感じ取られていた、ということかもしれない。

さて、この虫送りは、往時にくらべて数は少なくなってしまったが、現在でも実施されている。西日本に顕著であったとみられるが、青森県などにも虫送りはあり、無形民俗文化財に指定されている。西に顕著だったのは、北国では虫害よりも冷害のほうが農作物におよぼす影響が深刻であったためという見方もある。名称は多様で、虫祭り、ウンカ祭りなどともいった。あらためて、どのようなことをする行事なのか、細部を近世の農学者・大蔵永常の『除蝗録』の記述に探ってみよう。なお、引用は伊藤清司の整理によった。

全国に広く行なわれている虫送りは、夕方から村中の人びとが集まって松明を燃やし、鉦や太鼓を鳴らし、あるいは藁人形や紙の旗などを持ち、法螺貝を吹き、ときの声をあげ、蝗を追うと唱えて田圃の畦を練り歩く。そしてその松明を田から遠く離れた野辺、あるいは河原に捨てると、それに群れ従ってきた蝗がその火ですべて焼け死んでしまう。

形態は地域によって多様なのだが、おおよその構成は把握できる。松明を燃やし、鐘や太鼓をうちならし、幟旗や人形等を立てて田畑の間を歩き回り、それによって虫を集めたことにし、村境まで連れていって、そこから外部へ「虫」を送り出してしまう。実際に炎に虫が寄り付いているのか否か、つまり、これが実際的な駆除行為であったかは微妙なところである。また松明の煙に虫よけの効果がないわけではなかっただろうが、おそらくは現実的に虫を除けるのではなく、象徴的に除虫を祈願していたと考えるべきものだろう。あってほしい状況、この場合は虫たちが追放された様を模倣する、「まじない」であったと見なし得る。

この虫送りにも変遷があったということを、民俗学では議論してきた。例えば、虫送りは、本来、対症療法的な「まじない」として行なわれていたものが、やがて、一年の決まった時期に予防を祈願して行なう年中行事となり、また、真剣な祈願であるよりは、娯楽としての側面を帯び、芸能として成長したと考えられている。つまり、発生した虫害への臨時的な対処から定期的な行事に変化し、またそれゆえに、芸能化していったというわけである。現在目にすることのできる虫送りは、この年中行事化した姿である。

もっとも、「虫送り」からは、かつての社会における「虫」観、または「害」観がうかがえるようでもある。山口県長門市では、虫送りを川の上流の村から下流の村へと続けていく。最後には、人形は海に放り捨てる。自村の外へ虫を送り出すと、それは隣村のリスクとなるわけなので、その隣村はさらに隣村へと送る、というわけである。こうしたリレーのような仕組みが必ずしもすべての事例にうかがえるわけではないが、よくないものを外に出してしまおうという発想は共通している。新谷尚紀は虫送りに「自浄のための不浄処理を自領域外(隣村)へと依存する志向性」を見出している。そして、このように外部に送るべき良くないものは、実は「虫」だけではない。人形に病や厄を寄り付けて地域の外部や海・川などに流し去ってしまうことは各地の事例にうかがえる。ひな祭りの古いかたちと考えられるのも、人形に厄を寄り付けて流す「雛流し」であった。そうしてみると、人びとは有害なものを、さしあたり自分の生活圏の外側に追いやることで対処しようとしてきた、と考えて良さそうである。

 

このように見てくると、昔の日本人もまた自然のまったきあり方を受け入れて暮らしていた、とはいえない。儀礼・行事のかたちではあっても、それらが脅威になるときにはなんとか排除し、また損失を被ることのないように調整しようとしていたともいえる。また、その手付きは、現代の私たちとも重なる。現代の暮らしにおいて、身近にあっては困るものを各家庭はどう処理しているかということである。実は、筆者はゴキブリをトイレに流す。カメムシもトイレに流す。なんだかよくわからない虫も、だいたいトイレットペーパーでくるんで、水洗便所で処理してしまう。殺したそれをゴミ箱に捨てるのがイヤだからである。トイレでないといけないわけではない。ゴキブリを殺したら、新聞でくるみ、ガムテープでぐるぐる巻きにして、わざわざ公園のゴミ箱に捨てにいったこともあったが、いまはもっぱらトイレに流すことにしている。これはどうも私だけがやっているわけではないらしい。調査に際し、1951年生まれのある男性は「虫系はトイレに流して処理する」と述べていた。この男性も虫が大キライであるという。

殺したゴキブリをゴミ箱に捨てるという話もよく聞く。したがって、「虫をトイレに流すこと」は一般的な慣習ではない。ただ、こうした虫をトイレに流さないと済まないように思う人の心については、改めて考えてみる必要がある。虫は不衛生だからトイレに流す、というわけではないだろう。「こちら側」にあってもらっては困るので、外に出してしまうのである。ゴキブリは極端な事例かもしれない。窓から入って来た、殺すに忍びないような可愛らしい虫を、外に出してあげる優しげなしぐさにも、重なる部分があるのではないだろうか。困ったもの、よくないものは、あちら側に出してしまうことで、こちら側の平穏や秩序は保たれるわけである。 今回は、虫の大発生という出来事を手がかりに、私たちと虫との関係を考えてみた。次回からは、個別の害虫・害獣を取り上げながら、私たちの暮らしを考えてみたい。

 

【参考文献】

伊藤清司 2001 『サネモリ起源考』 青土社

岩崎真幸 2006 「近世における『虫送り』の変容」『東北民俗』40

及川祥平 2022 「ゴキブリをめぐる体験の語り」『現在学研究』9

倉石忠彦 1970 「虫送り」『日本民俗学会報』69

新谷尚紀 1999 「むしおくり」『日本民俗大辞典』下 吉川弘文館

柳田國男 2002 「神送りと人形」『柳田國男全集』29

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著者略歴

  1. 及川 祥平(おいかわ・しょうへい)

    成城大学文芸学部准教授。
    1983年、北海道生まれ。成城大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。
    専門は民俗学(民俗信仰論・現代民俗論)。主な著作は『偉人崇拝の民俗学』(2017年、勉誠出版)、『民俗学の思考法』(共編著、2021年、慶應義塾大学出版会)など。

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