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クエンカの伝統文化とシウダー・エンカンターダの自然公園(『スペインの歴史都市を旅する48章』より)

世界第5位となる50件の世界遺産を有するスペイン。その大半は文化遺産であり、町そのものが遺産指定を受けている都市も少なくなく、そうした地区は各都市の存立と切り離せないものとして歴史を紡いできました。新刊『スペインの歴史都市を旅する48章』(立石博高 監修・著、小倉真理子 著)は、「スペイン世界遺産都市機構(GCPHE)」を結成している15都市のスポットを、文章と写真だけでなく各章に連動した累計5時間半にも及ぶ映像で存分に味わえるこれまでにない案内書となっています。表紙を飾るクエンカ市の聖週間祭礼を含む章をお読みいただきましょう。

各都市を詳述した45の章それぞれに連動した動画も楽しむことができる(本書に記載のQRコードかURLより視聴可能)。フラメンコギターの第一人者、カニサレス氏(写真05参照)の楽曲を使用した贅沢なBGMも必聴!

クエンカの伝統文化とシウダー・エンカンターダの自然公園 ~国際的重要観光祭礼の聖週間と18世紀から続くギター工房~

クエンカの聖週間(セマナ・サンタ)とその歴史

スペインにおいて、聖週間は非常に重要な宗教行事で、毎年各都市で盛大な宗教行列や関連イベントが開催される。その多くは古い歴史をもち、第30章で扱ったアルカラ・デ・エナーレスをはじめ、22の都市の聖週間は「国民的重要観光祭礼」に指定されている。クエンカの聖週間の歴史はさらに古く17世紀には既に宗教行列が行われていたという記録が残っている。スペイン政府は、こうした伝統ある大規模な聖週間を開催する28の都市のそれを「国際重要観光祭礼」に指定しており、クエンカは、1980年にほかの3都市とともにこの称号をもつ最初の都市となった。

アルカラ・デ・エナーレスの宗教行列と最も大きく違う点は、神輿の担ぎ方にある。クエンカでは、伝統的にカピロテ(写真01参照)をかぶった信徒が、神輿を両脇で支え、杖を突きながら巡行するスタイルだ。信徒はコフラディアと呼ばれるキリスト教の奉仕団体に所属し、団体ごとに統一された色と形の衣装に身を包み行列に加わる。コフラディアごとに楽団をもち、神輿の後ろから音楽を奏でながら一緒に巡行する。聖木曜日には、クエンカ大聖堂の入り口付近に展示されている最後の晩餐が彫刻された神輿が、年にたった一度だけ大聖堂から外に出され、クエンカの街を練り歩く。最も盛大な行列は聖金曜日のそれで、キリストが十字架刑に処されるまでのシーンを彫刻した神輿が大聖堂前のマヨール広場に集結し、そこから一斉に坂を下っていく姿は圧巻だ。杖を地面に打ち付ける合図で、一斉に数百キロの神輿が担ぎ上げられ、リズミカルに同じ歩幅で歩き始める。別の杖の合図で一時停止したり、重心をコントロールしながらカーブを曲がるには、かなりの修練が必要なはずだ。

近年のスペインでは、特に若者のキリスト教離れが顕著で、彼らはめったにミサに行かない。しかし、聖週間の期間中、沿道を埋め尽くす数万の人々が、行列や音楽に熱狂したり、地響きのような大きな拍手の渦が生まれたり、また別の瞬間には涙を浮かべながら祈りを捧げる様子を目の当たりにすると、多くのスペイン人にカトリックの伝統が根付いていることを実感する。


写真01 クエンカの聖週間(セマナ・サンタ)


写真02 行進する音楽隊

クエンカ県のスペインギター工房

ギターがイベリア半島にもたらされたのがいつのことかを明確にするのは難しい。ギターの祖先と言える弦楽器が中東に起源を持つことは疑いないが、一般的に言われる「イスラームによってもたらされた」とする説は確証に乏しい。彼らがスペインへ侵攻する711年以前の6世紀から7世紀に活躍したセビーリャの聖イシドーロは、その主著であり百科事典的な『語源誌』の中で、一般の人々が演奏する「キタラ」という楽器の存在に触れている。ただし、この「キタラ」がギター(スペイン語でギターラ)の祖先となる楽器であったのか、同名のギリシアの竪琴(たてごと)風の楽器であったのかははっきりしない。スペイン最古のギターの痕跡といえるのは、12世紀に完成したとされる、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の栄光の門(第4章を参照)に彫られた老師が演奏している弦楽器だ。また、13世紀のカスティーリャ王アルフォンソ10世の時代に制作された『聖母マリア賛歌集』には、はっきりとギターラ・ラティーナとギターラ・モリスカという2種類のギターの挿絵が見られる。ギターラ・ラティーナは4弦の弦楽器で、胴体にくびれのあるその形状は、間違いなく現在のギターの源流と言えるだろう。

この4弦のギターラ・ラティーナに、16世紀に5弦目が、18世紀に6弦目が加えられ、我々が知る「スペインギター」が完成する。現在では、スペインギターはクラシックギターとフラメンコギターの2種類に大別されており、外見はほとんど同じにみえるが、使われる木材や内部の構造は異なる楽器である。


写真03 ビセンテ・カリージョ作のフラメンコギター

クエンカ県には、弦楽器を制作する工房がいくつもある。人口わずか3000人の小さな村カサシマーロは、伝統的にスペインギターの職人を数多く輩出している。1744年からこの村で営まれているギター工房の7代目、ビセンテ・カリージョを訪問する機会を得た。ギターに使用する木材は、部位に合わせて異なる材質や種類のものを選ぶ。指板には、密度が高く堅い木材として知られるエボニー(黒檀)が使われる。表板には、フラメンコではシプレス(ヒノキ科イトスギ)、クラシックにはセドロ(マツ科ヒマラヤスギ)が好まれる。前者は立ち上がりが鋭くリズムを刻むのに適した乾いた音を出し、後者は重厚でよく響く厚みのある音を出す。木は伐採してからすぐにギターの素材として使うことはできず、最低でも20年ほど乾燥させる必要がある。カリージョの工房の2階部分は木材を乾燥させる保管庫になっており、中には50年近く乾燥させているものもある。


写真04 クエンカ県カサシマーロ


写真05 ギター製作者ビセンテ・カリージョ㊧とギタリストのカニサレス㊨


写真06 木材を乾燥させる保管庫

1本ずつ手作りする高級ギターは生産できる本数にも限りがあり、昨今、機械で大量生産される廉価なギターに、数と値段で太刀打ちすることはできないという。しかし、熟練の職人の手にかかると、それぞれの木材の個性が最大限に引き出されるため、同じ木材、同じ型、同じ工程で作っても、ひとつとして同じギターにはならない。こうした唯一無二の存在が、世界中の一流ギタリストに愛される理由なのかもしれない。

シウダー・エンカンターダ

クエンカ市内から26キロメートル北東に、シウダー・エンカンターダ(魅惑の都市)と呼ばれる広大な自然公園がある。ここはクエンカ山地のカルスト地形の一部で、奇妙な形をした岩が至るところに立ち並ぶ。その起源はおよそ9000万年前の白亜紀に遡る。この時代、イベリア半島の大部分はテチス海の海底にあったが、のちにそれが隆起して半島が形成された。中生代から新生代にかけてのアルプス造山運動で、かつて海底にあった部分が山脈を形成した。シウダー・エンカンターダを形作る岩は石灰岩だが、よく見ると上部は灰色がかっているのに対し、下部は赤みが強い。これは同じ石灰岩でもその組成が異なるためで、下部は上部よりも侵食を受けやすい。侵食されるスピードの違いから奇妙な形の岩が出来上がっているというわけだ。

この自然公園は東京ドーム50個分以上という広大な範囲に広がるが、その一部は整備されており、標識に従って1時間強で園内を周れるコースになっている。長い年月をかけて、雨や雪や風によって岩が磨耗されてできた造形が、亀やあざらし、犬や人の顔のように見えることから、それぞれの岩に名前がつけられている。侵食は今でも進んでおり、今から何万年後かにはこれらの奇岩はすっかり姿を消し、赤茶けた平野になってしまうことは自然の摂理だ。シウダー・エンカンターダの奇岩の織りなす景観に身を包み、地球規模で暦を考えると、目の前に広がる風景を堪能できることの稀有さに感動する。


写真07 シウダー・エンカンターダ


写真08 シウダー・エンカンターダの岩。上下で色が違う

(小倉真理子)

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著者略歴

  1. 小倉真理子(おぐら・まりこ)

    音楽プロダクション経営者
    東京外国語大学スペイン語学科卒。マドリード在住26年。文化庁芸術家在外研修のアートマネジメント部門の奨学金で留学の後、スペインで音楽プロダクションを起業する。スペイン語検定DELEのC2取得。夫でフラメンコギタリストのカニサレスのマネジメントをしながら、バークリー音楽大学でサウンドエンジニアリングを学び、レコード会社と音楽出版社を設立。自らも音響技師、プロデューサーとして、ファリャ三部作(2013年)、グラナドス三部作(2017年)、『アル・アンダルス協奏曲』(2023年)等、多数のCD制作に携わる。カルロス・サウラ監督映画『J:ビヨンド・フラメンコ』(2017年)の日本語字幕監修担当。NHKラジオテキスト『まいにちスペイン語』の巻頭ページにて、スペインの世界遺産を紹介するコラムを執筆(2023年10月号~2024年3月号、NHK出版)。マドリードのコンプルテンセ大学で客員講師として日本の伝統音楽や伝統楽器に関する講義を行う。

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