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『在野研究ビギナーズ』から考える 公式読書会 第5回

 

異分野交流に可能性はあるか?

荒木:次の質問にいきますね。これは酒井さんへの質問です。異なる分野の研究者たちの交流、特に「哲学と物理学」など、文系と理系との交流にどんな可能性があるのか、または無いのかについてちょっと話題にしてほしいっていうようなことがきています。

酒井:この話題はこれだけで3時間以上くらい話せることがありますが、とりあえずもっとも身も蓋もないことだけを言っておくと、異分野交流というのは能力が高くて余裕がある人同士じゃないとうまくいかないです。なのでうまくいかないのが基本です。研究というのは問いを立てて答える活動ですが、問いの立て方に関しても答えの与え方に関しても、さらに「どこからどこまでをどういうふうにすると仕事が一つ片がついたと判断するか」についても、分野によって考え方がかなり違う。まず、その点に配慮できない人には異分野交流はできません。さらに、それを知っていればできるというものでもない。たいていの研究者は自分が属する部族内で与えられたハードルを超すのでせいいっぱいです。普通の人ができることを普通にできて、さらに加えて「でもこれじゃなんか足りないんだよな」と思える人だけが異分野交流ができる。そういう基本的な事情があります。今日は参加費300円なので、この金額でお話できるのはこのくらいまでですね。

 

ビジネスの手法を研究支援に応用する

工藤:酒井さんに対する指定質問ですけど、私も異分野交流をやってるので答えたいと思います。300円の価値があるかわかりませんが(笑)

ロボット・AIなど工系分野と、法学系分野のコラボレーションをもう5年ぐらいやっています。だいたい、3年ぐらいやればなんとかなると思うんです。ファーストコンタクトでは、もちろん衝突します。お互いに「お前何言ってんの」「よくわからん」みたいな感じですけど、だんだん話が合ってくる。「よくわかんないけど、たぶん聞くに値することだ」みたいな謎の信頼も醸成される。逆に「こいつとは無理だ」みたいな見切りも発生して、数年経てば、落ち着いてきます。時間をかければ意外と解決することも多いです。

「そもそも異分野間の交流には可能性があるんですか」が、質問でしたね。これには、いろいろな可能性があると答えたいと思います。逆に言うと、可能性がありすぎて難しい。だから、何が目的かを明確にするといいですね。ゴール設定とか期待値マネジメントをしないと、残念な遭遇になってしまう。完全に組織運営とか組織管理の話です。私の場合は、ビジネスでやってることをそのまま共同研究や異分野交流に応用してやってます。

酒井:私が「できないよ」と答えたのに対して、工藤さんが「やってるよ」と答えたわけですが、工藤さんの答えは「先に課題があってそれに答えを与えるために人を集める場合には、マネジメント次第でできるよ」というものなので、質問者に対する答えにはなっていないだろうな、と思います。中心による制御が弱いまま膨大な処理が分散的に行われるというのが研究の基本形態であるのに対して、「外から箍をハメればできるよ」という話になっているというのが一点。そしてまた工学や法学のような技術学的分野が中心となる場合なら「与えられた現実的課題をうまく解く」ということが枠を設定してくれるのに対し、「哲学と物理学」のような組み合わせではそうはいかないだろう、というのがもう一点です。 

 

在野なのに、どうして「普通の研究」をするのか?

荒木:次の質問は、我々に対する質問ではおそらくなく、吉川浩満さんと山本貴光さんの「新たな方法序説へ向けて」第6章を読んでのコメントと感想をいただいています。

質問者:山本さんと吉川さんに対するコメントとして書きましたけれど、この質問をしたきっかけは、工藤さんのツイッターです。研究者も本筋から外れてディレッタンティズムに陥る可能性があると仰ってる。ただ、私がアカデミズムの研究者だからそう思うのかもしれないですけど、研究って徹底的にディレッタンティズム的な感じです。研究者の研究動機は、研究者コミュニティの在り方にすごく拘束されるので、ある意味全然自由じゃない。アカデミズムの研究は面白くないところがある。この本を読んだときに、アカデミズムの研究とものすごく近いという印象を持ちました。だから、もっと自由になったらいいんじゃないかっていうことでした。

工藤:なるほど。もうちょっと自由にやったらいいのに、なんで研究機関所属の研究者みたいなことをやってるんですかという質問だと理解しました。

まず念のため指摘したいのは、研究者個人の動機と、研究者共同体としての目的を区別できるという点です。個々人の動機は仰る通りだと思うんです。しかし、研究者共同体の目的としては、知的な何かを探求しようっていうプロジェクトのはずです。この建前や目的に沿う形で、個人の動機や行為が統制される関係にある。研究者同士の競争はプロジェクトの活性化につながるけど、不正が横行するとプロジェクト自体が破綻するのでNGにするとか。こう考えると、研究が社会的な営みであることと、研究者個人の動機が社交とか出世にあることとが、あまり矛盾なく理解できると私は考えます。

それで、なぜ不自由そうな研究スタイルなのかといえば、私は基本的に人から頼まれて論文を書くタイプだからです。頼まれてやる以上、その場のゲームのルールには従います。あとは、これは完全にディレッタンティズムなんですけど、業績があると、研究者側が尊重してくれるんです。なので、毎年1本ぐらい何か書いとくかみたいな気持ちもあります。

 

編者が『在野研究ビギナーズ』に込めた思いとねらい

荒木:今の論点に一つだけ付け加えておくと、もっと外在的な理由があって、私はこの本を院生上がりの方にも届けたいなっていう思いがあったんですよ。つまり修士を出て、それから、なんか学問ぽいことをやりたいけども、どうやら博士に行くとちょっと人生まずいかなとか思ってる学生ってたくさんいると思うんですね。そういう方々に対して、いや、こういう道もあるよっていうような選択肢を提示したい、そういうふうに考えたときに、確かに在野にある非常にユニークで、アクの強い研究者、あるいは研究成果というものがあるのはわかっていながら、しかし彼らが求めているのは、おそらくはそういうものではないだろうなと、つまり自分が大学院で学んできたその延長線上にあるもの、にもかかわらず在野なんだっていうようなことを彼らはおそらく求めているんだろうなっていう予感があった。そういう方々に、本を手に取っていただくにはある程度堅実なところから、そこからずれていくっていうようなルートをとる必然性が編者としてはあったと。

質問者:この本は、アカデミズムの中の人間としてみると大変にありがたいんですね、理由は、修士課程や博士課程に上がるか悩んでる学生さんや、研究には関心があるけれど差し当たってアカデミズムの外で就職しようと思ってる学生さんにすごく薦めやすいから。アカデミズムとあまり離れていない人がたくさん登場してどういう活動をしているのかを示してくれている。

ただ、研究の特殊性を考えると、もうちょっと自由な付き合い方もできそうだし、そういう在り方も見たほうがいいような気がする。あまりにもアカデミズムの価値が高くなっちゃいすぎてないかっていう気持ちがありました。

荒木:なんだろうな、マーケティング的な観点から答えると、私はいつも若い人に向けて本をつくりたいと思ってるんですよ。というのも、ある文化が残っていく現象というのは自分よりも若い連中がそれに喜んだり、あるいは反発したりなんなりするっていうことの連鎖でしか未来に残っていかないので、常に若い人に対して読んでほしいなっていうふうに思っている。ただ、今の出版状況においては、若い人だけをターゲットにすると出版として非常に厳しいんですよ。ボリューム層としても薄いし、彼らは金も持ってないので、高くするとやっぱり買えないんですよね。

そこでどうするか、仕事が定年を迎えたあと、なんか暇だ、じゃあなんか研究でもやってみようかなっていうような年長者のお財布を頼りにしながら、同時に若い人々にも本を届けていく、この二重戦略が在野研究にはできるんですよ。

反響の層なんか読んでみても、やっぱ二つに分かれるんですよね。長年、まあ趣味としてやってきたけども、それが在野研究というふうに言われて勇気が湧いたとか、反対に若い人だと、自分も卒業したあとでも学問に携われるんだっていうふうに思えたみたいな。そういうことができるっていうのは、この在野研究という言葉を前面に押し出したその成果だと思ってる。

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