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【第2章「日本人の幸福感」全文公開】『コミュニティの幸福論』試し読み

桜井政成・立命館大学教授の著書コミュニティの幸福論:助け合うことの社会学(明石書店、2020年刊行)は、家族や地域、趣味・ボランティアのグループ、SNSやネットゲームといったあらゆる“コミュニティ"を取り上げて、人と人との関わり合いを問いなおす一冊です。

このたび本書の第2章「日本人の幸福感」を全文公開してご紹介します。

※2022年5月31日に公開終了予定です


 

第2章 日本人の幸福感

 

「なあ、詩織、お金で人を救うことができると思う?」

子供が発するたぐいの質問だな、と可笑しくなる。「救えることもあるだろうし、救えないこともあるんじゃないかな」

それは何も答えていないのと同じだ、と彼は吹き出した。

「でも」わたしは続ける。

「でも?」

「でも、クラレッタのスカートを直すのは、お金ではないような気がする。お金じゃなくて、勇気かも」

(伊坂幸太郎『魔王』)

 

1 天気のいいところに住むべし!?……幸福感の測り方

皆さんは、幸せに暮らすために一番重要なことってなんだと思いますか? ある研究では、複数の様々な「都道府県別幸福度ランキング」の結果を再検証した結果、幸福度を高めるのにもっとも重要な要素は「降水量の少なさ」であったそうです(鈴木・田辺 2016)。つまり、この研究結果に沿うならば、幸福なコミュニティとは天気のいいところであり、天気のいいところに住めば幸せになれる確率がもっとも高まる、ということが言えそうです。どうでしょう、皆さんも天気のいいところに引っ越しませんか。しかし本当にそれだけが、幸せに暮らすための要素なのでしょうか?

そもそも、人の幸福度はどのように測ることができるのでしょうか。世の中にある幸福度の調査方法には、大きく言って2種類の方法があります[1]

 [1] この2つのほか、脳内物質(セロトニン)やストレス反応(コルチゾール)といった体内的な変化によって幸福度を測定する研究などもあります。

ひとつは幸福度を「主観的」に捉える方法です。これは、その人が幸せと考えていれば幸せだろう、という考え方であり、その個人に質問をして、その答えから測定します。質問内容もそのものズバリ、「総合的にみてあなたは幸せだと思いますか?」というような聞き方をする調査も多いですね。そしてこれによって得られた答えを主観的幸福度と呼びます。

これに対して幸福度を「客観的」に捉えようとする調査方法もあります。人間が幸せに暮らすことができるだろうと考えられる条件を測り、比べる方法です。個人を対象にするにはあまり馴染まないので、ある特定の地域(日本で言えば都道府県など)や、国を単位として調べることが多いですね。これを客観的幸福度と呼びます。

どちらの測り方にも、利点と欠点があります。後者の客観的幸福度の場合は、様々な項目を使ってそれを測るのですが、既にある調査結果を援用することができれば、調査の手間はそれほどかからないというメリットがあると言えます。たとえば2018年に出版された一般財団法人日本総合研究所の『全47都道府県幸福度ランキング』では、70種類もの指標を用いて全都道府県の幸福度が測定され、比較されています(それはそれで、手間がかかっていると言えるのですが)。1人当たり県民所得や、健康診断受診率、語学教室にかける金額なんてのも、その参考とする指標には含まれています。

しかし欠点として、それらの指標が本当に個人の幸福感に影響をしているものなのかどうかは、結局のところわからないという問題があります。たぶんそうだろう、と、悪く言えば自分の都合よく「恣意的」に考えて、調査をする人が幸福度の指標として使っているだけということになります。

一方、主観的幸福感は、その人自身に聞いているのだから、幸福度をきちんと測っていると言えるだろう、と思えます。しかしこれもまた難しいのです。たとえば日本は他の国に比べ、主観的幸福感が比較的低いことが知られています。これをもって、日本人(の多く)は不幸なのだ、と断言することができるでしょうか?

日本のことを研究されている、あるヨーロッパの研究者と話したときのことです。日本の幸福度が低いことについて彼は、「日本人は『完全』を嫌うからね。ゼン(禅)の思想で。完全になってしまうと、月のように、あとは欠けてしまうだけだって。だから幸も不幸もあって、ほどほどでよいって考えだよね」と言われました。つまり、日本人の文化が影響して、皆「とても幸せ」という選択肢にマルをせず、「まあまあ幸せ」というぐらいの答えを選んでいる可能性があるのです。「禍福は糾(あざな)える縄のごとし」、「人生万事塞翁が馬」、という考え方ですね。それにしてもこのヨーロッパの研究者は、日本人の私よりもよっぽど、日本のことを理解している方でした……。

そしてこのエピソードが示すように、主観的幸福感を考える上では、対象とする特定の集団の文化を考慮して検討するべきと考えることができます(Diener, Oishi, & Ryan 2013)。すなわち日本人の幸福感を考える上では、日本独自の文脈や、それに影響を与えている要因を分析する必要があるだろう、ということです。

2 日本人の幸福感……協調的幸福と個人化の影響

それでは、日本人に特徴的にみられる、幸福感の特徴とはどのようなものでしょうか。先に述べた通り、他の先進諸国に比べて主観的幸福感が低く測定される、ということはあります。それ以外にも、そうした測定される「量」の問題だけでなく、幸福度の「質」についても日本独自の特徴があるのではないかとされています。

それは、日本は人との円滑な関係に価値を置いている文化であるために、人と調和したときに幸福感を感じるのではないか、という、文化的な側面に重きを置いて考えられる幸福の価値観の捉え方(文化的幸福観)です(内田・荻原 2012)。これを協調的幸福と呼び、分析している研究がいくつかあります。そこでは、「周りの人に認められていると感じる」ことや、「大切な人を幸せにしていると思う」こと。あるいは、「自分だけでなく、身近なまわりの人も楽しい気持ちでいると思う」というような質問で、その幸福感を測定しようとしています(Hitokoto & Uchida 2015)

このため日本を含む東アジア地域では、北米の文化と比較したときに、家族などの身近な人との関係が良好であることが、幸福に与える影響はより大きいとされています。韓国とアメリカで、「幸せ」という言葉がどのような言葉と連想されるかを調べたシンらの研究では、どちらの国でも社会的な関係を示す言葉との結びつきがみられましたが、韓国ではとくに「家族」が頻繁に出てきたそうです(Shin et al. 2018)。内田・荻原(2012)はそうした北米と東アジアの文化的な幸福観の相違について、表のようにまとめています。

ところで前章(第1章)で、日本を含む先進国の現在の特徴として、「個人化」があげられることにふれましたね。ここで述べた日本での協調的幸福を重んじる文化というのは、そうした個人化とは相入れないようにもみえます。この矛盾してみえる現象は、どのように理解すべきなのでしょうか。

それを理解する手がかりとして、韓国の社会学者のチャンが提示する「個人主義なき個人化」という考え方が助けになるように思います(Chang 2014)。チャンは、東アジア(韓国・中国・日本)では、人々は家族を重要視する家族主義的な価値観をもち続けているにもかかわらず、少子化や未婚化、一人暮らし高齢者の増加といった、家族の「衰退」がみられるのはなぜなのかという問いを投げかけます。それには、西ヨーロッパでは比較的長い時間をかけて進んだ、「脱近代」(前章で説明しました)と呼ばれる政治、社会、文化の変化が、東アジアでは急激な勢いで進んだことが影響していると主張します。これをチャンは「圧縮した近代」と呼んでいます。

急激な変化によって確かなものが無くなる中で、家族はいざというときに唯一頼れる存在になります。これをチャンは「リスク回避的な個人化」と呼んでいます。しかしいざというときに頼れる家族とは、逆に言えば家族のメンバーの生活に何か問題が生じたときには、あなた自身がその対応に責任を負う側にもなるかもしれない、ということでもあります。つまり、家族はリスクのもとにもなったと言えるのです。リスク回避的な個人化はそのために、子供をつくらない、結婚しないといった、家族を縮小させる方向に個人と社会を進ませたのだというのが、チャンの「個人主義なき個人化」の話なのです。

このような観点に立つならば、日本人(あるいは東アジア全体)の協調的幸福感は、「リスク回避」という感覚を含んだものなのかもしれない、と考えることもできるでしょう。すなわち家族を含む身近な人とのつながりへの満足や幸せ感については、親密性を満たすものであると同時に、その相手への義務感や責任感を伴うものであるのかもしれません[2]

 [2] このことを落合(2011)はEASS 2006が実施した家族に関する調査の結果から説明しています。同調査において、東アジアの人々は「自分の幸福よりも、家族の幸福や利益を優先するべきだ」という考え方を肯定する人が多く(ただし日本は過半数程度)、「離婚したくても、子供が大きくなるまで待つべきだ」という考え方に賛成しがちとしています。そしてこうしたことから東アジアでの個人化は「個人主義なき個人化」というより「家族主義的個人化」(Chang 2014)と言うべきだと主張しています。

しかし、家族で助け合えない人や、そもそも家族がいないという人もいるわけです。その場合はどうすればいいのでしょう。ノンフィクション作家の大山眞人氏による『親を棄てる子どもたち』(平凡社)には、こうしたリスク回避の個人化が生んでいる、現在の家族の姿がまざまざと描かれています(大山 2019)

大山さんは埼玉県内の公営住宅で、高齢者向けのサロンを主宰し、曜日替わりで様々なイベント・取り組みをされています。公営住宅は、高齢化にくわえ、所得が低いご家庭や、外国人世帯も増えています。生活に課題を抱えている人も多いのですが、なかなか皆「ヘルプ」を出しません。制度を知らないから相談もできない、ということもあります。その結果、問題解決のための「助け合い」をしようという気運も生まれず、そこは限界集落ならぬ「限界コミュニティ」となっている、と大山さんはおっしゃいます。

そんな中で大山さんは、顔見知りになった独り暮らしの高齢者をつかまえ、サロンに来るように誘いました。昼間から酔っ払ったおじいさんに、「今度きれいな子が来るから、寄ってよ。ぜったい楽しいよ!」と言って、生活相談に誘ったりしました。さらに社会福祉協議会との連携によって、孤独死防止のためのネットワークを地域でつくったのでした。

その大山さんの本の中で、認知症になられたあるサロン参加者の、福祉制度利用を助ける場面が出てきます。離れて暮らしているその利用者の方の子供は、「面倒をみたくない」と一切、関わろうとしません。その子供さんはかつて、親である利用者から「迷惑」をかけられた過去があるようでした。大山さんは「なんで他人である私が……」とつぶやきながらも、その方のために奔走します。

実はこの本では私も取材を受けていまして、そのご縁で一度、お呼びいただいたことがあります。地域の方々向けに大山さんと私とで対談をして、その後、サロンをご案内いただき、地域の方々の手作りの食事も頂きました(カラオケもしました)。そのときに孤独死の話にもなったのですが、子供や親族がいても、遺体を引き取りに来ないケースは実はかなり多いのだ、という話を関係者から聞きました。

それを聞いたときに思い出したのが、大阪府大阪市西成区の「あいりん地区」(釜ヶ崎)で、ホームレス状態や日雇い労働の人たちを支援するために開いている交流施設で拝見した、納骨所です。日雇い労働の人たちには自身の過去を語りたがらない人たちも多くいます。訳あって家族と連絡を取らない人たちもいます。そんな方たちが亡くなられ、もしも親族から問い合わせがあったときのために、この施設では数年間その遺骨を保管しているのです。この団体がキリスト教系であることも関係しているかと思います。

あいりん地区は、かつては日雇い労働者の街として有名でしたが、建設土木業の不況や、労働者の高齢化によって、現在では多くの人が生活保護を受給することから、福祉の街と呼ばれるようになっています。現在ではあいりん地区は、ほぼ単身男性一人暮らしの世帯が占めるという、他ではあまりみられない地域になっています(日本型CAN研究会『あいりん地域の構造把握基礎調査報告書』2009年)。

納骨堂は、施設2階の一室にありました。引き出しがずらっと並ぶ、小物入れが壁一面に並んでいるような部屋でした。その引き出し一つひとつに、名前と没年月日が書かれています。それぞれに、お骨が納められているのです。つい最近も、名古屋から男性が訪ねて来て、「自分の父親がいるかもしれない」と熱心に、並んだ名前をみていたと教えていただきました。

社会学者の白波瀬達也はあいりん地区を長年調査し、『貧困と地域』という新書にまとめています(白波瀬 2017)。それによれば、西成区で、死亡理由が亡くなった直後はわからなかった異状死体(警察の用語ですね)は、近年600人前後で推移しているとのことです。そしてその多くを在宅の孤立死が占めているだろうとしています。

しかし街では、あちらこちらで、知り合い同士で話している姿をみかけます。ドヤと呼ばれる簡易宿泊所は部屋が狭いために、皆外に出てくるということもありますが、重い病気で他の地域の病院や施設に行っても、「最後はあいりん地区で迎えたい」と戻ってくる人もいると聞きました。あいりん地区はその人にとっては、すでに「ふるさと」となっていたのでしょう。明るい社交的な人も多く、学生とまち歩き(フィールドワーク)をしていても、気さくに話しかけてくださる方がいます(このエピソードは白波瀬もふれています)。

しかし白波瀬は、そうしたあいりん地区の男性たちの社交性の高さは、「過去を詮索しない」ことなど暗黙のルールがあり、深入りしないものであることを指摘しています。それぞれにいろいろあって現在に至っていることを、お互い理解している人々であるのです。そこでは親密性はあるとしても、結果として、助け合うソーシャルサポートが生まれにくいと白波瀬は指摘するのです。また、近年のあいりん地区の町内会加入率は6%程度(大阪市の平均は70%程度)であり、NPOや社会福祉協議会などによる新しい地縁(地域ネットワーク)の創造が必要だとも述べています。

このような、家族が唯一の頼れる存在となった(と考えられている)現在の日本において、家族との縁が薄い、あるいはまったくなくなった人は、寄る辺ない不安な生活に陥りがちなのです。社会活動家であり大学教授でもある湯浅は、このような社会のあり方を、「溜(た)めの無い社会」と表現しています(湯浅 2008)

〝溜め〟の機能は、さまざまなものに備わっている。たとえば、お金だ。(中略)有形・無形のさまざまなものが、〝溜め〟の機能を有している。頼れる家族・親族・友人がいるというのは、人間関係の〝溜め〟である。(湯浅 2008: 78-79)

湯浅が表現する「溜め」とは、社会保障も含め、人が幸せに生きられるための余裕、あるいは困難に陥ったときのためのセーフティネット、という言い方ができるでしょうか。溜めがない人は困難に陥ったときにリカバリーしにくいだけでなく、そもそも困難に陥る確率も高くなる、ということが言えるかと思います(この話は第9章で改めて、若者ホームレスを例に詳しくふれることになります)。

3 人との付き合い方が重要?……主観的幸福感に影響する要因

日本独自の幸福感について考えてきましたが、そもそも幸福感はどのようにすれば高まるのでしょうか。主観的幸福感に影響する要因は、様々なものが明らかにされてきています。たとえばそのひとつに年齢があります。日本では(他の国でもみられるのですが)、幸福感は若いとき(20代)は非常に高くて、それが、年齢が上がるごとにどんどんと低くなっていきます。一番低くなるのが40代とされています。そして40代後半から50代前半を底にしてまた上がっていき、高齢者は比較的幸福感が高めになります。

このように幸福感が年齢に対して「U字型」(低くなりまた高くなる)なのはなぜなのでしょうか。理由はきちんとわかっていないのですが、個人的な推測を書きますと、40代は社会的に責任が増える時期です。正社員として働いている人は、会社では中間管理職としてだんだん責任あるポジションになることでしょう。それはやりがいがあるかもしれませんが、一方で仕事でのストレスも増えることになります。

また家庭や地域でも責任が増えるかもしれません。結婚して子育てをしていれば、ワークライフバランスが保ちにくくなったり、あるいは子供の学費を稼いだり住宅ローンを返すために、より仕事を一生懸命しなければならなくなるでしょう。地域コミュニティでも、子供関連の行事やPTAなどで役割が増え忙しくなります。子供がいなくても、町内会やマンション組合の役員など、コミュニティの役割が回ってくることがあります。このように、40代から50代にかけては多くの社会的な役割、あるいは社会的アイデンティティを担うため、やりがいもあるのですが忙しく、ストレスも抱える時期で、そのために幸福度は低いのではないでしょうか。あくまでも推測ですが、私は実はこの「もっとも幸福を感じられない年代」になるので、ある程度実感をもって考えたものになります(笑)[3]

 [3] この推測はあながちまったくの当てずっぽうというわけではありません。黒川・大竹(2013)が行なった『国民生活選好度調査』の分析によりますと、年齢別のストレスは、世代と調査年特有の影響を考慮しても、年齢を重ねるごとに上がって下がる「逆U字型」を描くことが明らかになっています。つまりストレスが高い年代は、幸福感が低いのです。

話を戻しましょう。婚姻状態も、幸福感に影響を与えると考えられていますが、その効果は性別によって差があるのではないかとも考えられています。概して、男性の方が、婚姻状態が終わってしまった状態、すなわち、死別や離婚をしたあとに、幸福感がより大きく下がることが明らかになっています(宍戸・佐々木 2011)。男性の方が結婚関係ではより配偶者に依存していて、それが別離によって明らかになる、ということでしょうか。なんとなく理解できつつも、あくまで予想的な話です。

また、失業状態も幸福感にマイナスの影響を与えるとされています(宍戸・佐々木 2011)。失業という不安定な生活状況や、先の生活がみえない不安などが、人にはストレスを与え、結果として幸福感を奪うのではないかと考えられます。

そしてそれに関連し、経済的に裕福かどうかも、その国や個人の幸せの度合いに影響を何らか与えていると考えられています。ただし、裕福かどうかよりもそれ以外の要因、とくに人間関係はより強い影響をもっているかもしれないと考えられています。

たとえばある調査結果では、国民1人当たりのGDP(国内総生産。国内で一定期間に生産された付加価値の合計金額で、豊かさの指標に使われます)よりも、困ったときに頼りにできる人がいるかどうかの方が、その国の人の幸福度に影響を与えている、としています[4]。また、個人の収入がその人の幸福度にどのように影響を与えているかについては、「所得の満腹感」というのが存在しているのではないかと考えられています。これは、ある一定の金額まで所得が高まると、それ以上増加しても幸福度にあまり影響しなくなる、という考え方です。科学雑誌ネイチャーに2018年に掲載された論文では、その「満腹感」を得る金額は、国や地域によって多少異なるものの、だいたい6万ドルから7万5千ドルとされています(Jebb et al. 2018)。この金額は日本円では、1ドルが110円として換算したときには、およそ660万円から825万円程度になりますね。

 [4] もちろん、経済的な状況は幸福感にまったく関係ないわけではなく、多少は関係している(あるいは間接的に関連している)とされています。そのひとつで、その国や地域の経済格差が大きいと幸福度が下がるという研究が数多くあります(浦川 2018)Yu & Wang(2017)の西ヨーロッパとアメリカを対象とした調査分析では、ある一定以上に経済格差が広がると、その地域の幸福度が下がることが確認されています。しかしその、人々が許容できる(幸福度が下がらない)格差の広さは、文化によって異なるともされています。また経済格差に関連して、世間一般と比較した主観的な世帯の所得(相対的所得)の方が、実際の所得(絶対的所得)よりも幸福感に影響を与えるのではないかともされています(宍戸・佐々木 2011)

この所得による幸福度上昇の限界(満腹感)に対して、他人との関わり方がそれを補う可能性があるのではないかとする研究があります。大﨑(2017)による東京都に住む1033人の個人を対象とした調査分析結果によれば、所得が高い人々は低い人々に比べて、経済的安心から得られる生活満足感は少なくなるが、それを補う形で、一般的信頼が生活満足感の向上により強く結びつくことが明らかとなったとされています。一般的信頼とは、文字通り一般的な人に対する信頼、という意味ですが、より学術的な定義には、「見知らぬ他者一般が協力的にふるまうことへの期待」という説明があります(Oishi & Schimmack 2010)

このように、他者との関係(についての認識)が幸福感には重要ということがあるようです。もう少し詳しく、どのような関係性が幸福感を生むのか、考えてみたいと思います。

学生の皆さんと話していて、たまに話題に出るのが、「友達とは広く浅く付き合う方が良いのか、狭く深く付き合う方が良いのか」ということです。自分は友達とは「広く深く」付き合っているよ! という人もいるかもしれませんが、そもそも人間はそれほど多くの人とは深く付き合えないのではないかと考えられています。

ミラルド(Milardo 1992)の研究結果は、サポートを求めることができるような親密な関係は、平均して5名程度であるということを示しました。また内田・遠藤・柴内(2012)の研究では、人付き合いのグループの規模が大きくなったとしても、その中で親しくなる人の数は限られていて、規模が拡大することは全体的な付き合いの質への評価を低下させる(同調査では「居心地の悪いグループとも付き合うこと」が増えるとされています)リスクがあることを明らかにしています。

日本人は身近で親密な関係によって幸福感を得やすい、という研究結果がありました。しかし身近な人との付き合いも、その付き合い方や関係性の相違などで、幸福感へ異なる影響を与えていることがいくつかの研究で報告されています。たとえば大学生を対象としたある研究では、女子学生の方が男子学生よりも人間関係における「親密性」を重視し、それを幸福感のもととしているという調査結果があります(曽我部・本村 2010)[5]。また別の、同じく大学生を対象とした調査では、「一番大切と思うものは何か」という質問に対し、「家族、友人、恋人、人間関係」をあげる女子学生が男子と比較して圧倒的に多かったという結果(片桐 2009)が示されています。そうした傾向から曽我部・本村(2010)では、女子学生は男子学生よりも、不安定な社会の中で身近な友人や恋人といった「親密圏ネットワーク」をリスクヘッジの手段としていると述べています。女性がよりリスクをもちがちな、ジェンダー的に不平等な現在の日本社会が、そのような状況を生んでいると言えるのかもしれません。

 [5] この曽我部・本村(2010)の研究では分析の結果から、大学生を対象とした主観的幸福感を規定する社会心理学的要因を、「社会心理的自己効力意識」と概念化しています。そしてその「社会心理的自己効力意識」の中の1つである「人間関係における親密性」因子が、女子の方が男子よりも有意に高い共感が示されたとしています。

また、大学生を対象とした別の調査では、友人との関係性の違いと、幸福感との関連を調べています。それによれば、自分と似た親しい友人や、いろいろな話ができる友人、また自分に刺激を与えてくれ高め合うような友人がいても、それだけでは幸福感につながらないようだとされています。そして幸福感を得るためには、自分のことを気にかけ理解した上で、受容してくれるような友人の存在が重要であると言えるとしています(吉村 2017)。打ち明け話を受け止めてくれる友人関係が大事であり、また仮にその打ち明け話の内容に対し拒絶的に反応されたとしても、友人への信頼はそれほど揺るがない、という研究結果もあります(川西 2008)

これらの調査結果は、友人などとの「理解されている関係」があることが幸福感にとって何より重要である、ということを示しているのではないでしょうか。このことをさらに証明するのが、オオイシらの実験結果です。そこでは、実験パートナーとなった相手に理解されていると感じる条件と、誤解されていると感じる条件を設けた上で、実験参加者に対し、丘がどれくらいの坂(傾斜)であると感じるか。また、ある場所までの距離がどのくらいの長さであると感じるか。そして、冷たい氷水の痛みにどれくらい耐えられるか、という3つを調べました(Oishi, Schiller, & Gross 2013)

その結果、実験パートナーから誤解された条件に比べて、実験パートナーから理解された条件のもとでは、実験参加者は丘の傾斜はより緩やかだと感じ、対象地までの距離をより近いと推定し、氷水の冷たさ(痛さ)に耐えて手を浸す時間が長かったことが報告されています。オオイシらの実験結果は、誰かに理解されていることによって、多くの日常的な出来事を楽だと感じられることを示しています。そしてそのことが、幸福感にも良い影響を与えるのではないかと考えられるのです。

4 人と広く付き合うこと……一般的信頼

ここまで、身近な親しい人との関係について考えてきましたが、話題を戻しますと、友達とは広く浅く付き合う方が良いのか、それとも狭く深く付き合う方が良いのかという問いから始まっていました。そのもう一方の、「広く付き合う」(それは、「浅く」になってしまうのかもしれませんが)ことは、はたして幸福感につながらないのでしょうか。

実は、広い付き合いも何らか幸福感に影響を与えているのではないかとしている研究もあるのです。たとえば先ほど少し説明した一般的信頼というものが高い人は、人間関係を広げることによって満足感を得ている、とする調査結果もあります(内田・遠藤・柴内 2012)。あるいは、人間関係の広がり(人数)というより、その広い付き合いの中の「多様性」が満足感を与えているのではないかとする研究もあります(松本・前野 2010)。したがって、人を広く信頼していたら人間関係を広げ、そしてその中の多様性に満足することができるのかもしれません。

逆に言えば、「狭い親密な関係性」から得られる満足というものは、偏ったものになる可能性がある、とも考えられます。この点について、山下・坂田(2008)が現在恋愛関係にない大学生132名を対象に行なった調査は、興味深い結果になっています。同研究では、精神的あるいは具体的な助けを受けている相手とその度合いについて、恋愛関係崩壊時のショック度と、恋愛関係崩壊からの立ち直り過程の経験から調査をしています。

その結果、まず、精神的な助け(情緒的サポート)を受けている相手のタイプとしては、多様な相手から受けている「多様型」、同性友人に限定される「同性友人型」、どの種類の相手からも助けが少ない「サポート低型」に分類されました。そして、同性友人に精神的な助けが限られる人よりも、多様な相手から助けを受けている人の方が立ち直りの状況が良好であったとしています。この結果について同論文では、「多様な関係からのサポートに比べ、特定の関係からのサポートは内容が均質的になりやすく、関係崩壊からの立ち直りの限定的な側面にしか効果を発揮できない恐れがあると推察される」としています(67頁)。

恋愛の相談は、とくにそうなのかなとも思います。身近な同性の友人には逆に、なかなか話しにくいこともあるのではないでしょうか。そのために多様な関係性が助けとなる。いずれにしてもこの調査結果は、「狭い親密な関係性」が必ずしもいつでも有効に、幸福感によい影響をするわけではないことを示していると思います。

なおこの研究では、男性の方が女性よりも恋愛関係(恋人)からサポートを得る一方、女性の場合は、恋人だけでない多様な関係からサポートを得ることも明らかになったとされています。こうしたジェンダー差の傾向は、他の研究でも同様に指摘されることが多いです。そのため、女性の方が恋愛関係崩壊からの立ち直りが早い可能性が指摘されています(Frazier & Cook 1993)。男性は結婚関係の終局から幸福感を損ねがちと前に話しましたが、それとも関連がありそうですね。

いずれにしても、「広いつながりによる多様な関係性が助けになる」ことは、社会学者マーク・グラノヴェターが提起した「弱いつながり」仮説によっても、よく知られているところです。グラノヴェターは、アメリカのホワイトカラー(専門職・技術職・管理職)の人々が就職する際には、親しい友人や家族や親戚などの強い紐帯(「ちゅうたい」と読みます。「つながり」の意味と考えてください)ではなく、普段は会わない、遠くにいたりする知り合いとの弱い紐帯が、転職を成功に導くことを明らかにしています(Granovetter 1974=1998)。それらの人の人脈だとか、紹介といったことが転職には有効だった、ということです。

このように、広く人と付き合うことでの効用は何らかあるようです(この点は第5章でさらに深めて考えてみたいと思います)。ここまで説明してきた人と狭く親密に付き合うこと、そして、広く付き合うことの効用を単純に整理しますと、表のようになるかと思います。

ところで、人を広く信用するという考え方を一般的信頼と呼ぶと先に紹介しましたが、実はこの一般的信頼の度合いは、日本人は概して低いとされてきています。

社会心理学者の山岸俊男は、日本とアメリカとを比較した実験結果から、契約社会と言われてドライに思われているアメリカ人よりも、日本人は一般的信頼が低いことを説明しています(山岸 1999)。そして、日本は他者を一般的に信頼する「信頼社会」ではなく、よそ者を排除して、ごく狭い身内の人たちだけを信用する「安心社会」なのだとしています。また、信頼社会とは「相手の人格や行動傾向の評価に基づく、相手の意図に対する期待」がもてる社会のことであるが、それに対して安心社会とは、「相手の損得勘定に基づく相手の行動に対する期待」しかもてない社会ともしています。

また山岸は、特定の人しか信頼しない安心社会では、他者が信用できるかどうかに多くのコストがかかる(時間をかけたり、調査をしたりする必要)上に、その信頼関係を持続させるのにも多大な労力を必要とするので、いっそ皆が信頼し合う社会にした方がよりよく暮らしやすい社会になるのではないか、と提起しています。これを山岸は「信頼の解き放ち理論」と呼んでいます。

このような話になるほどと私も納得していたのですが、しかし念のため、2010年から2014年にかけて世界中の各国・地域で行なわれた世界価値観調査の結果を、改めて確かめてみました(図参照)。すると、なんと日本はアメリカよりも信頼度が高い国になっていたのです!

世界価値観調査では、「一般的にいって、人はだいたいにおいて信用できると思いますか、それとも人と付き合うには用心するに越したことはないと思いますか」という質問がなされています。それに対する回答で、「だいたい信用できる」と答えた人は、日本では35.9%だったのに対して、アメリカでは34.8%となっていました。しかも、日本よりも人を信用する国(「だいたい信用できる」の割合が高い国)は、それほど多くはないという結果となっています。日本がとくに(絶対的な数値として)高いわけではないので、世界の多くの国では人と人とはお互いに用心し、暮らしているのだなあと、世知辛く思いました……。

そもそも、一般的信頼と幸福感はどれほど関連しているのでしょうか。小塩(2016)は全国2万5千人以上のデータを用いて、一般的信頼と主観的幸福の関係を分析しました。その結果、性別や年齢といった個人属性などを統計的に考慮に入れると、一般的信頼度と幸福度の相関関係はかなり薄まったことから、一般的信頼と幸福度の関係は過大評価されがちではと述べました。つまり、それほど直接的には関係ないのかも、という結果だったわけですね。

親密な関係性に重きを置いた幸福感を抱きがちな日本人が、信頼を「解き放つ」ことによって、多様な人間関係から幸福感を得られる人が増えるかどうかは、まだまだ不明なところがあると言えそうです。身近な人だけ信頼して付き合う「安心社会」でも問題がないように思えます。本当にそうなのかどうか、もう少し多面的に、以降の章で考えていきたいと思います。

(桜井政成『コミュニティの幸福論』明石書店、2020年、16~38ページ。なお、図版等を一部割愛しています)

 

【参考文献】

Chang, K.-S.(2014)Individualization without Individualism: Compressed Modernity and Obfuscated Family Crisis in East Asia. In E. Ochiai & L. A. Hosoya (Eds.), Transformation of the Intimate and the Public in Asian Modernity. Brill, 37-62.

Diener, E., Oishi, S., & Ryan, K. L.(2013)Universals and cultural differences in the causes and structure of happiness: A multilevel review. In C. Keyes (Ed.), Mental Well-Being: International Contributions to the Study of Positive Mental Health. Springer, 153-176.

Frazier, P. A., & Cook, S. W.(1993)Correlates of Distress Following Heterosexual Relationship Dissolution. Journal of Social and Personal Relationships, 10(1): 55-67.

Granovetter, M. S.(1974)Getting a job: a study of contacts and careers. Harvard University Press. =マーク・S. グラノヴェター著,渡辺深訳(1998)『転職:ネットワークとキャリアの研究』ミネルヴァ書房.

Hitokoto, H., & Uchida, Y.(2015)Interdependent Happiness: Theoretical Importance and Measurement Validity. Journal of Happiness Studies, 16(1): 211-239.

Jebb, A. T., Tay, L., Diener, E., & Oishi, S.(2018)Happiness, income satiation and turning points around the world. Nature Human Behaviour, 2(1): 33-38.

片桐新自(2009)『不安定社会の中の若者たち』世界思想社.

川西千弘(2008)「被開示者の受容・拒絶が開示者に与える心理的影響:開示者・被開示者の親密性と開示者の自尊心を踏まえて」『社会心理学研究』23(3): 221-232.

黒川博文・大竹文雄(2013)「幸福度・満足度・ストレス度の年齢効果と世代効果」『行動経済学』6: 1-36.

小塩隆士(2016)「ソーシャル・キャピタルと幸福度:理解をさらに深めるために」『ソーシャル・ウェルビーイング研究論集』2: 19-33.

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著者略歴

  1. 桜井 政成(さくらい まさなり)

    立命館大学政策科学部教授
    1975年長野県生まれ。立命館大学大学院政策科学研究科博士後期課程修了。博士(政策科学)。専門社会調査士。
    専門は社会学。研究対象はNPO,社会的企業,ボランティア活動,地域福祉等。
    主な著書に『福祉NPO・社会的企業の経済社会学』(明石書店,2021年),Globalizing Welfare(分担執筆,Edward Elgar,2019年),『市民社会論』(分担執筆,法律文化社,2017年),『東日本大震災とNPO・ボランティア』(編著,ミネルヴァ書房,2013年),『ボランティア教育の新地平』(共編著,ミネルヴァ書房,2009年),『ボランティアマネジメント』(ミネルヴァ書房,2007年)など。

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