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オックスフォード哲学者奇行

パーフィットと「重要な仕事」

前回述べたように、パーフィットは趣味の写真の時間を除けば、寝食を惜しんでひたすら研究に専念する修道僧のような生活を送っていたが、恋愛をしなかったわけではない。彼はジャネット・ラドクリフ・リチャーズ(Janet Radcliff Richards, 1944-)という女性の哲学者と長年付き合った末、オールソウルズコレッジのフェロー定年退職直後の2010年に67歳で結婚している。

ジャネットとパーフィットが最初に出会ったのは1980年代の初頭である[1]。当時、パーフィットはオールソウルズコレッジにて、アマルティア・セン、G. A. コーエン、ロナルド・ドゥウォーキンと共同セミナーを開催していた。毎回4人のうちの1人が提題して2時間討論をするという形式のこのセミナーは「スターウォーズ」と呼ばれていたそうだが、ジョージ・ルーカス監督の映画のそれというよりは、正に当時の大スター同士のぶつかりあいが見られたということだろう。「街で一番の見世物」と評判だったこのセミナーにジャネットが顔を出したのは1982年のことである。彼女は当時、日本の放送大学に当たるOpen Universityの哲学講師で、1980年にThe Sceptical Feministというフェミニズムの主張を批判的に吟味する著作を上梓し、ロンドンからオックスフォードに引っ越してきたばかりだった[2]

パリのディズニーランドに降臨したダース・ベイダー。

セミナーの終了後、ジャネットのことをすでに知っていたセンが彼女に挨拶した。その後、パーフィットが、センから彼女の名前を聞き出し、そのときからパーフィットのアプローチが始まった。アプローチといっても、普通の求愛行動とはやや趣が異なり、パーフィットはまず彼女のThe Sceptical Feministを入手して、「一種のオーディション」としてそれを読んだ。次に、その本についてほとんど研究論文のような手紙を書いてジャネットに送り、直接会って話をしようと伝えた。ジャネットは彼と何度か会ってみたが、彼はジャネットに会っても一切恋愛話をせず、男性に話すのと同じように彼女と話した。チョコレートや花のようなプレゼントを送るわけでもなく、(なぜか)ドゥウォーキンからもらった中古のデスクトップパソコンを貸してくれた。ジャネットはそのコンピュータを借りたが、何度もフリーズして困ったという。そこでパーフィットはコンピュータの修理をするために深夜にジャネットの家に行くという提案をしたが、これはどうもうまい口実だったようだ。

まもなく二人はパートナーとなり、一緒に住む家を探すことになった。二人はオックスフォードで家を探したが、パーフィットはストーンヘンジのあるエイヴベリーの近くにある18世紀に建てられたジョージ王朝様式の家を非常に気に入ったため、かなりの金額を払ってその家を購入して住むことになった。エイヴベリーはオックスフォードからはかなり離れたところだが、家から10分ほど行ったところにはパーフィットが好きなイングリッシュ・ブルーベルが絨毯のように咲く森があり、また最上階の書斎の窓からの見晴らしは素晴しいものだった。しかし、パーフィットはそこに住んだ8年の間に実に2回しかその森に足を運ばず、また見晴らしの良い書斎で研究するさいには窓のブラインドを常に下げていたという。パーフィットにとっては美しい風景が存在するだけで十分だったのだ。

ジャネットとの関係も似たところがあり、パートナーになってからはパーフィットは再び研究に没頭する修道僧のような生活に戻った。結局、ジャネットはパーフィットとの同居はうまくいかないと悟り、パーフィットが引退するまでは彼女はロンドン、パーフィットはオールソウルズで生活し、毎日数度電話するという遠距離での関係が続いた。引退後は冒頭に記したように(主に税法上の理由から)正式に結婚し、オックスフォードのジェームズ通りに居を構えた。

春に咲くブルーベル。

なお、ジャネットはOpen Universityで1999年まで勤めたあと、2000年から2007年までユニヴァーシティ・コレッジ・ロンドンの生命倫理センターの所長を務め、それから現在までオックスフォード大学の実践哲学教授として活躍している(私もオックスフォード滞在中に彼女の自宅でのセミナーに何度か出席した)。90年代に臓器売買賛成論を発表して論争になり、また進化倫理学についての著作では男女の心理的な違いが生得的なものか社会的に構築されたものかを問題にしている[3]

やや哲学の話になるが、死についてのパーフィットの見解を紹介しておこう。哲学における古典的な問題の一つに、人格の同一性の問題がある。これは、過去の自分、今の自分、未来の自分が同一だと言える基準や根拠は何かということを問題にするものだ。通常、この問題が倫理的に重要なのは、人格の同一性が責任や賞罰の前提となっているためである。仮に過去の私と現在の私の同一性を保証する基準がないのであれば、現在の私が過去の私の行為に責任を負う必要はなく、また仮に来世があるとしても、現世の私と来世の私が同一であることを示せないのであれば、現世の私の行いの悪さのゆえに来世の私が地獄に行く必要はなくなるだろう。

だが、パーフィットは人格の同一性の問題を、すでに1971年の論文において、これとは別の倫理的問題と結びつけていた[4]。パーフィットの考えでは、自分の利益や生存への執着の背後には、人格の同一性についての特定の信念が潜んでいた。すなわち、「私」という確固たる自我が過去から将来にわたって通時的に存在するという信念が、「生涯における自分の利益を最大化することが正しい」という利己主義の前提になっており、また、自分の老いや死を強く恐れる原因でもある、と彼は考えたのだ。

パーフィットは『理由と人格』で脳の分割のような様々な思考実験を用いて、このような自我観を支持する根拠はないと論じ、過去の自分、現在の自分、将来の自分を繋いでいるのは心理的継続性であるという立場をとった。それゆえ、人格の同一性というのは一か〇かではなく程度の問題であり、またしたがって、自他の区別というのは、通常考えられているよりも強固なものではないと考えるようになった。彼はこのことを次のように表現している。

「この真理は気の滅入るものだろうか? そう考える人もいるかもしれない。しかし私はそれが解放と慰めをもたらすものだと思う。私の存在がそのようなさらなる〔一か〇かの〕事実であると信じていた時、私は自分自身の中に閉じ込められているように思われた。私の生はガラスのトンネルのようだった。私はそれを通って毎年一層早く動いていき、その端には闇〔すなわち死〕があった。私が見解を変えた時、私のガラスのトンネルの壁は消滅した。私は今や屋外(open air)で生きている。私の生と他の人々の生の間にはまだ違いがあるが、その違いは小さくなった。他の人々は近くなった。私は自分自身の生の残りを気にかけることが少なくなり、他の人々の生を気にかけることが多くなった。」[5]

このくだりを読むと、パーフィットが閉所恐怖症的に死を恐れていたように思われるが、インタビューでは他の人以上に死を恐れていたわけではないと答えている[6]。いずれにせよ、パーフィットは人格の同一性という伝統的な形而上学的な問題の検討を通じて、死への恐れと自己利益への執着を克服したのであった。彼は次のように続けている。

「私の死は、私の現在の経験と未来の経験との間の直接的な関係を断ち切るだろうが、他の様々な関係は断ち切らないだろう。私であるところの人は誰も生きていないという事実の意味するところは、これがすべてである。このことがわかった今では、私の死は前ほど悪いものではないように私には思われる。」[7]

上記の引用は『理由と人格』の「重要なこと(What does matter)」という章からであるが、この「重要なこと(What matters)」というのは2作目の著作がOn What Mattersというタイトルであることからも推察できるように、パーフィットにとっては一つのキーワードであった。パーフィットは8歳のときに信仰を捨てた無神論者であり、神がいなくても道徳は成り立つと考えていた。しかし、道徳的主張は指令であり真理値を持たないとするヘアのような非認知主義の立場では、「本当に重要なものは何もない(Nothing really matters)」という「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞の一節のような道徳的なニヒリズムが生じてしまう、と彼は恐れていた。On What Mattersは現代社会に跳梁跋扈するニヒリストないし懐疑論者たちに対して道徳的実在論を擁護することでそのような事態を避けるために書かれた本であるが、詳しくは分厚い3巻本を各自で読んでもらうことにしよう。

オックスフォードのパブ。

パーフィットが2017年の年初に亡くなる数年前、急病で病院に運ばれたときのことを弟子の一人のマクマハンが回想している[8]。パーフィットはマクマハンが当時所属していた米国のラトガース大学で教えていたさいに、体調を崩して重体となり緊急入院したのだった。幸い、24時間後には意識が戻り、大事には至らなかった。その後、呼吸器を外して話せるようになるやいなや、パーフィットは気を失う前に考えていた哲学的議論をマクマハンに語り始めた。自分が集中治療室にいるのはなぜかとか、診断や予後がどうなのかということはほとんど気にならない様子だったとマクマハンは記している。

その翌日には、パーフィットが入院しなければ博論審査をする予定だった大学院生が病院に来たので、パーフィットは喜んで学生と博論の内容について長時間議論をした。パーフィットのところにあまりに多くの見舞い客が来るので、ある看護師が驚きながらパーフィットに次のように言った。「イエス・キリストは12人しか弟子がいなかったのに、あなたには何人の弟子がいるの? あなたは明らかにとても重要な人物のようね。何の仕事をしているの?」。それに対してパーフィットはにこやかにこう答えた。

「私の仕事は、『重要なこと』についてです(I work on what matters)」。

 

[1] この恋愛話については、主に以下の記述に拠った。MacFarquhar, L., “How to be good” The New Yorker, 2011, September; Edmunds, D., “Reason and romance: The world’s most cerebral marriage” Prospect, 2014, http://www.prospectmagazine.co.uk/features/reason-and-romance-the-worlds-most-cerebral-marriage

[2] Open Universityはテレビでの講義など通信教育が基本の大学であり、1960年代の労働党政権時に「万人に開かれた(Open to All)」高等教育を提供せんと構想され、1969年に設立された(授業開始は1971年)。https://www.open.ac.uk/

[3] Radcliff Richards, Janet, Human Nature after Darwin, Routledge, 2000, and The Ethics of Transplants, Oxford University Press, 2012

[4] Parfit, Derek, “Personal Identity” The Philosophical Review, 80.1, 1971, pp.3-27

[5] デレク・パーフィット『理由と人格』森村進訳、勁草書房、1998年、387-388頁。表現を少し修正した。

[6] MacFarquhar, L., “How to be good”

[7] パーフィット『理由と人格』同上

[8] McMahan, J., “Derek Parfit(1942-2017)” Philosophy Now, 119, 2017, https://philosophynow.org/issues/119/Derek_Parfit_1942-2017

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著者略歴

  1. 児玉 聡 (こだま さとし)

    京都大学大学院文学研究科准教授
    1974年大阪府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。博士(文学)。東京大学大学院医学系研究科で専任講師を務めた後、2012年から現職。
    主な著書に『実践・倫理学』(勁草書房、2020年)、『正義論』(共著、法律文化社、2019年)、『入門・倫理学』(共編、勁草書房、2018年)、『マンガで学ぶ生命倫理』(化学同人、2013年)、『功利主義入門』(筑摩書房、2012年)、『功利と直観』(勁草書房、2010年、日本倫理学会和辻賞受賞)など。

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