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きた道アメリカ、オモテウラ

ニューオーリンズの聖者の行進(2):全米最大のお祭りマルディ・グラへ

欧州の歴史香るジャズの故郷で昼下がりのカクテルを

 昨晩遅く、ミシシッピ州を抜けてニューオーリンズの郊外にたどり着いた私たち一家。連れ合いがアジアで感染が広がりつつある新型コロナウィルス対応のため、仕事で旅を一旦離脱したので、ここから2日間、母娘二人旅だ。今日は街の中心地から徒歩でも移動できる程度の古い住宅地バイウォーターの民泊へ移動する。一方通行の道をナビに従って入っていくと、カラフルな家の立ち並ぶ、昔ながらの住宅街だ。

 そのうちの一軒の裏庭にある離れが私たちの宿泊する家だ。荷物を置いて、一息着くと、今度は車を置いて、ジャズクラブが立ち並ぶことで有名なフレンチマン・ストリートへとウーバーで向かうことにした。

 まだ明るいが、1日中ライブをやっている有名店The Maisonで、比較的ステージに近い席が空いていたため、入ってみることにした。

 娘はデザートを頼みおやつタイム、私はカクテルを一杯頼む。ちょうど始まった音楽は、少々観光地的過ぎるほどの伝統的なニューオーリンズ・ジャズで、踊り出したくなるような音楽を娘も楽しむことができた。

 ライブが終わると、通りを北に歩いて、街を散策した。彼方からも、こちらからも音楽が聞こえてくる。スペイン様式のバルコニーを備えた古い建物が立ち並ぶ通りは、1か月ほど続くマルディ・グラシーズン真っ只中で、どこも紫、緑、金のマルディ・グラ・カラーのデコレーションが目に楽しい。

 音楽の流れる通りから、東に宿泊地の方向に向かいながら、途中のレストランで夕食を食べることにした。「バイウォーター・アメリカン・ビストロ」という洒落た店だ。やはり色とりどりのマルディ・グラビーズがセンスよく飾られている。

 私は、鴨を頼んだのだが、これがかなり美味しい。ここは、フランス料理の影響が色濃く残る美食の街だ。前回訪れた際も、洗練された美味しい料理に巡り会えた。

 

多様性のガンボ

 翌朝、朝食に宿主おすすめの近くのベーカリー・カフェに入った。マルディ・グラだからだろうか、カウンターに立つ店員は可愛らしいピンクのドレスを着ている。ふと長身の顔を見上げると、どうやらトランスジェンダーの方のようだ。そういえば、ここは「多様性のエリア」と説明されていた。地図を見ているとゲイクラブなども数軒あり、セクシャリティについても多様なエリアなのかもしれない。

 朝食を終えると、フレンチ・クオーターに向かう。まずは小さなマルディ・グラ・ミュージアムに立ち寄った。さまざまな衣装が展示されている。カーニバルであるマルディ・グラらしく、仮面をつけた衣装から、前回ジャズ・フェスティバルで出会ったマルディ・グラ・インディアンズの衣装まで多種多様だが、一様にド派手だ。

 マルディ・グラ・インディアンズは、奴隷制や人種隔離の時代を通じてこの祝祭に参加できなかったアフリカ系アメリカ人たちが、同様に苦境にあった先住民への共感と共に発展させてきた独自の文化なのだそうだ。かつては、白人たちからの暴力の対象にもなったようだ。

ジャズ・フェスティバルのマルディ・グラ・インディアン

 ミュージアムの一角には、試着ができるエリアもあり、娘と私もいろいろと着て遊んでみた。

 外に出て歩いていると、通りすがりの人たちが娘にぬいぐるみや、ビーズの首飾りなどをくれる。気づけば、ジャラジャラと首から様々なものがかかっている娘を連れて、ランチ・ビュッフェのお店に入ってみた。ビュッフェのメニューには「亀のスープ」などもある。この街の食文化には洗練されたフランスの影響の残る料理だけでなく、厳しい生活を生き抜く中で、亀やワニなどを食べて生き延びてきた歴史も残る。中庭では、やはりジャズライブが行なわれていたが、トリオの落ち着いた演奏は、時折路上を大音量で行進していくバンドの音にかき消されていた。

 昼食を終えて外に出たのだが、フレンチ・クオーターで子連れでやることもなくなってしまった。長蛇の列のミシシッピ川クルーズも、以前に乗っており、並ぶのも気が進まない。結局、中心地から少し離れた子どものための博物館を訪れることにした。

 移動手段には、ライドシェアのリフトを利用することにした。ドライバーが決まると、到着時間と共に、ドライバーのシャロンには聴覚障害があるので、電話ではなくテキストメッセージで連絡をするようにという注意書きが送られてきた。基本的な手話を紹介したページへのリンクも記されている。

 無事に、シャロンと出会うことができ、目的地に向かった。彼女は完全に聴こえないわけではないようで、音声によるコミュニケーションもでき、音楽を聴きながら運転していた。それに合わせて彼女が歌うリズムと音程は、まるで合っていなかったのだけれど。たどり着いた博物館は、グラのメインの日”Fat Tuesday”前夜のため、いつもより早く閉館するところで、結局目の前の公園で娘を遊ばせる他なかったのだが、娘は大きな公園で遊べたことに、私はシャロンとの出会いに、それぞれ満足したのだった。これも旅だ。

 夕方、トラムでフレンチ・クオーターに戻り、夕食には早すぎる時間に辛うじて予約の取れた人気店を訪れた。娘は南部名物フライドチキンを、私は鴨のソテーに加え、前菜のスープに特製ガンボを頼んでみた。ガンボは、さまざまなものを煮た「ごった煮」という感じのブラウンソースがベースの郷土料理で、文化の混じり合うこの街を象徴するような食べ物だ。ただ、ここのお店はブラウンソースが強い上品すぎるもので、なんだかガンボを食べた気がしなかった。

 帰宅前に、目抜き通りのカナル・ストリートに出てみた。ごった返す人だかりの向こうにフロートと呼ばれる派手に装飾された日本で言えば山車のようなものが練り歩いていくのが見える。前夜祭は夜のパレードが見所のようだ。

 しばし眺めて、帰宅のために再びリフトでドライバーを頼む。しかし、何件か先方からキャンセルされることが続いた。パレードのためにそこかしこが通行止めで、呼んだ場所まで辿り着くのが大変なようだ。私も、ドライバーが来やすそうな位置に移動しながら手配を続ける。そんな中、何人目のドライバーか、ジェイというドライバーが電話をかけてくれる。

「今、どこにいる?」

 位置を知らせると、時間はかかったものの、きちんと来てくれた。救われた気持ちで車に乗り込む。30年近く前にフィリピンから移住してきたのだという男性だ。色々と世間話をするうちに彼が聞く。

「日本は、コロナウィルスはどうだい?」

「だいぶ大変になってきたよ」

 そう答えると、彼も言う。

「フィリピンもだよ。」

 まだ、新型コロナウィルスがアジアだけで感染が伝えられていた頃だ。日本にいると遠いフィリピンも、アメリカで出会えば近所の国からきたマイノリティの仲間同士、なんとなく親近感が湧く。

 無事に宿の前に到着し、丁寧にお礼を言って別れた。たった10ドル(約1100円)で、長い時間かけて私たちを探してくれたジェイに、全く仕事としては割りに合わないことをさせてしまったと申し訳ない気持ちがして、チップを10ドルつけることにした。

町の小さなマルディ・グラ

 翌朝、身支度を整え、娘と、合流した連れと共に、近所のマルディ・グラのパレード・チームに参加すべく外に出た。公式サイトには載っていないのだが、マルディ・グラの中でも最もクリエイティブなチームの一つとして複数のウェブサイトで紹介されていた。公式サイトには載らない、それぞれの町内独自のチームがあるのだろう。

 集合場所は、音をたどっていくとすぐにわかった。

 様々な人が仮装して既に集まっている。娘はハロウィンで使った衣装を着ていたのだが、私と連れは普段着だ。ここでは、少々浮いている。両手に酒瓶を持って歩いている人もいる。米国では公共空間で飲酒が禁止されているが、この街にはその規制がないのだ。

 しばらく見ていたが、みんなで一斉にスタートするわけでもなく、思い思いにフレンチ・クオーターへの道を歩き始める。

 

 老若男女が、楽しそうに、思い思いの衣装を着て、ただお喋りしながら歩いていく。私たちなど観光客にも声をかけてくれる。ただ、それだけだが実に多様な人が集まり、ごった煮のように、このキッチュでクリエイティブなチームが形成されている。

 歩き疲れた私たちはフレンチマン・ストリートで、今度は納得の庶民的なガンボとビールで休憩し、みんなとは違うルートで中心地に入った。そこも多くのチームで賑わっている。

 ここで、娘はフェイス・ペイントをしてもらった。しばし歩いて、休憩にまたお店に入り、そろそろ、と腰を上げて、大型フロートの通るメインストリートに向かった。しかし、丁度パレードは終わったところだった。夜まで大騒ぎといった事前イメージとは異なり、夕方よりずっと早くに終了のようだ。ただ、全米最大のお祭りマルディ・グラを、ローカルの人たちと小さく楽しめたことに私は既に十分満足していた。

 帰り際、旅の最終日ということで土産店に立ち寄った。ガンボミックスを買おうと、黒人女性店員にどれが良いのが尋ねると、迷わず一つを選んで、美味しい作り方も教えてくれた。帰り際、娘がお手洗いに行きたいというのでお願いしてみると、本当は客には貸していないというトイレを端から端まで消毒してくれ、使わせてくれた。私たちは、旅の最後の、それも48州全てを回り終えた最後の夜を、世話好きな彼女との出会いで、温かな気持ちで終えることができた。

 最終回に寄せて

 アメリカの首都ワシントンD.C.から、アメリカ本土48州をめぐる旅も、こうして新型コロナウィルス感染拡大前夜に滑り込むように終えることができた(開催当時はこの街で一人も感染者が確認されていなかったマルディ・グラが、その後の感染爆発の要因と言われたのだが)。その後、アメリカは周知の通り感染拡大によるロックダウン、ブラック・ライブズ・マター運動、歴史に残る大統領選挙と年明けの国会議事堂襲撃事件と、激動であった。今もワクチン接種と再度の感染拡大をめぐって国は揺れている。

 最後に、アメリカ国歌でこの連載を締めくくりたいと思う(今やニューオーリンズの新しい音楽アイコンとなったジョン・バティスタによるワシントンD.C.での演奏だ)。旅を通じて、アメリカの歴史の壮絶さ、多様性の中での長きにわたる深い相剋、それを超えながら歩んできた強さを見てきた。きっとこれまで同様、アメリカはそれでも一歩ずつ、この苦難を乗り越えながら、一つの国として歩んでいくのだと信じている。

 

 中断しながらの中断しながらの連載を支えてくれた全ての人と、お読みくださった読者の方に感謝いたします。

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著者略歴

  1. 鈴木 晶子

    NPO法人パノラマ理事、セプテンバー・ハウスMAJコアメンバー(米メリーランド州登録NPO)。臨床心理士。大学院在学中よりひきこもり支援に関わり、若年無業者支援、生活困窮者支援などの現場を経験。生活に困難を抱える女性、若者、子どもの支援を中心に活動している。現在、在アメリカ合衆国。著書に『シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』(共編著、明石書店、2017年)など。

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