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オックスフォード哲学者奇行

反理論家ウィリアムズの誕生(2)

バーナード・ウィリアムズが最も影響を受けた人物として、前回はギルバート・ライルの名前を挙げたが、実は他にももう一人いる。それは誰なのか。今回は主に彼の後半生に関するエピソードを紹介しながら、この問いについて考えてみよう[1]

ウィリアムズは1959年にエアの招きでユニヴァーシティ・コレッジ・ロンドン(UCL)の講師となり、64年にはベッドフォード・コレッジ・ロンドンの教授となった[2]。ロンドンで楽しく暮らしたあと、67年に38歳でケンブリッジ大学のナイトブリッジ哲学教授となる。この教授ポストはウィリアム・ヒューウェルやヘンリー・シジウィックも務めた由緒あるものだ。ここで彼は初の単著であるMorality(1972)や、J. J. C. スマートとの共著Utilitarianism for and against(1973)など、重要な著作を次々と発表することになる。Moralityの最終章で論じられた功利主義批判は後者でさらに展開されており、こうしてケンブリッジに移った彼は功利主義の強力な批判者となってゆく。

ちなみにUtilitarianism for and againstはケンブリッジ大学出版会から出た本だが、この出版会の哲学の編集者をやっていたのがパトリシア・スキナーという、当時はまだ講師だった思想史家のクエンティン・スキナーの妻であった。彼女がこの本の編集者となったことがきっかけでウィリアムズと懇意となり、それぞれの伴侶のシャーリー・ウィリアムズとクエンティン・スキナーの抵抗の甲斐なく、二人は同棲するようになり、74年に結婚した。この出来事がシャーリー・ウィリアムズの政治家としてのキャリアに与えた影響については前回述べた通りだ[3]

ケンブリッジを流れるケム川。

さて、ケンブリッジ大の教授時代のウィリアムズは、哲学の巨人の奇行種とも呼ぶべきエリザベス・アンスコムと同僚となった。彼は、アンスコムとの日々のやりとりが大変だったとオックスフォード時代の教え子のジョン・サールにぼやいている。これはオックスフォード時代の話だと思われるが、ウィリアムズたちが主催しているセミナーにアンスコムが出席していたときのことをサールが話している。

「セミナーの最中に彼女は急に立ち上がり、今にも吐きそうな様子をしだした。彼女は「私、気持ちが悪くなってきた」と叫んで喉を押さえてかがみ込んだ。ウィリアムズはいつもの皮肉な調子で、「気持ちが悪いというのは文字通りの意味でなのか、あるいは哲学的な意味でなのか?」と尋ねた。するとアンスコムは斜視の入った目でみなを見回し、「みんな騙されたでしょ、ねえ?」と言った。彼女は心に関する述語を用いるさいの行動上の基準についてウィトゲンシュタイン的な深淵な主張をしようとして芝居をしていたのだ。だが、出席者は誰も彼女の主張を理解していないように思われた。みな、彼女の振舞いの奇妙さに驚いていたのだ。」[4]

1979年から始まった保守党のサッチャー政権下で大学への補助金がカットされると頭脳流出が起こり、ケンブリッジのキングズコレッジで学寮長を務めていたウィリアムズもプロテストのつもりで88年からしばらくの間カリフォルニア大学のバークレー校に拠点を移した。だが、米国は水が合わなかったようで、ヘアが引退するのに合わせてオックスフォード大学に戻ってきて、ホワイト道徳哲学教授になった。

ウィリアムズのいたキングズコレッジ。

ウィリアムズに最も影響を与えたもう一人の人物として、学部時代のチューターであったヘアの名前がすぐに浮かぶが、実はウィリアムズはヘアの名前を挙げていない。ヘアはウィリアムズを弟子の一人と考えているにも拘らず、である[5]。この関係は、オビ=ワン・ケノービとアナキン・スカイウォーカーの師弟の確執を彷彿とさせる。

例えばウィリアムズが1972年のMoralityで、昔から道徳哲学というのは空虚なお説教ばかりで退屈だったが、「現代の道徳哲学は退屈になる新たな方法を見つけた。それは、道徳的問題について全く論じないことによってである」と嫌味たっぷりに言う矛先には、間違いなくヘアが含まれていただろう[6]。妻のシャーリー・ウィリアムズによると、ウィリアムズは、「人生についての真理はほぼ全ての人が知っており、知らないのは道徳哲学者だけだ」と言っていたそうだが、ここでもヘアが含まれている可能性が高い[7]。もっとも、そう言っている人物が後にオックスフォードの道徳哲学教授になるというのも皮肉な話である。

また、ウィリアムズはあまりに否定的だと考えていたヘアは、「君はすべてのものを破壊していくが、代わりにそこに何を置くつもりなのか」と尋ねたが、ウィリアムズはすぐにこう答えたという。「そこには何も置きません。そもそもそこには何も置くべきではないのです。」[8] 反理論家としてのウィリアムズの立場を端的に示すエピソードと言える。

他方、前述のように、ウィリアムズは功利主義の最も強力な批判者の一人ではあるが、わいせつ規制と映画検閲のあり方について論じたいわゆるウィリアムズ報告では、従来のわいせつ基準を用いた規制ではなく、ミルの他者危害原則を中心とする規制に方向転換すべきだという提言を行っており、ヘアは得意気に、やっぱりウィリアムズも功利主義者やんけ、と指摘している。正確には、ヘアは次のように述べている。

「哲学的な立場としては、ウィリアムズは功利主義の迫害者としてのひたむきなインテグリティ(彼の奇天烈な用法における意味での)によってよく知られている。この迫害のひたむきさは、改宗前のパウロによるキリスト教信者の迫害に比肩できるものである。しかし、ウィリアムズ報告における議論は、徹頭徹尾、功利主義的である。」[9]

このように、ヘアはウィリアムズをライトサイドに引き戻そうとしていたが、叶わなかった。

なお、第20回で紹介したマリー・ウォーノック同様、ウィリアムズはいくつかの政府の委員会のメンバーとなっており、「私はあらゆる悪徳(の委員会)を経験した。ギャンブル、わいせつと検閲、ドラッグ、そしてパブリックスクールだ」と述べていたという。パブリックスクールを悪徳の一つに入れるというのは、「セックス、ドラッグ、男子校」という感じだろう。

オックスフォード市内を流れるチャーウェル川のボート。

話がやや脱線したが、ウィリアムズに最も影響を与えたもう一人がヘアではないとすると、いったい誰か。それは、先ほど奇行種と形容したアンスコムである。ウィリアムズは最晩年のインタビューの中で、アンスコムからは、単に議論で勝つという意味での「賢さ」だけが重要なのではなく、議論のための議論に陥らずになぜその議論が重要なのかを問い続ける「真剣さ」も大切だということを教わったという[10]。実際、ウィリアムズの代表作である『哲学は生き方について何が言えるか』最終章における義務と非難を中心に据えた現代道徳に対する批判は、アンスコムの影響を色濃く感じさせる[11]

また、アンスコムの友人だったフットやマードックの影響も強い。同書では、厚い概念と薄い概念という重要な区別が出てくるが、彼はこの発想をフットとマードックが1954年に行っていた大学院生向けの授業で学んだと述べている[12]。このように、ヘアやオースティンらの主流のオックスフォード哲学を批判していたアンスコムら女性哲学者たちの流れが、反理論家ウィリアムズの誕生に関わっていたと言える。

なお、過去の哲学者との関係で言えば、ウィリアムズはデカルト研究者として知られているが、60年代以降はニーチェにかなり入れ込んでおり、サールの話では、ウィリアムズは「ニーチェは8割がた正しい」と言っていたそうだ。ここに「8割おじさん」の系譜を見ることができる……というのは嘘だが、ウィリアムズの現代道徳哲学批判にニーチェの影響を見ることはそれほど難しくないだろう。

以上が、20世紀末に「現存する最も偉大な哲学者」とまで呼ばれたウィリアムズの来歴である。ウィリアムズは1996年に道徳哲学の教授を退職したあと、再びオール・ソウルズ・コレッジのフェローとなったが、1999年に骨髄がんが見つかり、その後も何冊か本を書いたあと、2003年にローマで客死した。最初の妻のシャーリー・ウィリアムズも今年4月に介護施設で亡くなっている。

次回はそんなウィリアムズを崇拝していたパーフィットの話をする予定である。

 

[1] 前回同様、以下の記述は主に下記を参照した。Jeffries, Stuart, “The quest for truth,” The Guardian, 30 Nov 2002; O’Grady, Jane, “Professor Sir Bernard Williams,” The Guardian, 13 Jun 2003; Lehmann-Haupt, Christopher, “Sir Bernard Williams, 73, Oxford Philosopher, Dies,” The New York Times, 14 Jun 2003; Blackburn, Simon, “Bernard Arthur Owen Williams 1929-2003,” Proceedings of the British Academy, 150(2007), pp.335-348; Wollheim, Richard, “Professor Sir Bernard Williams,” The Independent, 20 Oct 2011

[2] ベッドフォード・コレッジ・ロンドンは1985年にロイヤルホロウェイ・コレッジ・ロンドンと合併したため、現在は存在しない。

[3] シャーリー・ウィリアムズが当時を回想した下記の記事も面白い。“My unfaithful husband was vulnerable to hopeful women's advances, says Shirley Williams of the 'brilliant' man who left her,” MailOnline, 13 Jan 2015, https://www.dailymail.co.uk/femail/article-2907435/My-unfaithful-husband-vulnerable-hopeful-women-s-advances-says-Shirley-Williams-brilliant-man-left-her.html

[4] Searle, John R., “Oxford Philosophy in the 1950s,” Philosophy, 90.2(2015), pp.173-193, at 182

[5] Hare, R. M., “A Philosophical Autobiography,” Utilitas, 14.3(2002), p.286

[6] Williams, Bernard, Morality: An Introduction to Ethics, Harper Torchbooks; TB 1632 (New York; London: Harper & Row, 1972), Ch.1

[7] Williams, Shirley, Climbing the Bookshelves, Virago, 2009, Ch.6

[8] Voorhoeve, Alex, Conversations on Ethics, Oxford University Press, 2009, Ch.9

[9] Hare, R. M., Essays in Ethical Theory, Clarendon Press, 1989, p.3 下記も参照。Hare, R. M., Essays on Political Morality, Clarendon Press, 1989, pp.115-116 なお、ウィリアムズの「インテグリティ」概念を用いた功利主義批判については次を参照。Smart, J. J. C. and Bernard Williams, Utilitarianism: for and Against, Cambridge, 1973, pp.93ff また、ウィリアムズ報告書については以下を参照。Williams, Bernard, Obscenity and Film Censorship: An Abridgement of the Williams Report, Cambridge, 2015 報告書の概要は以下の著作で紹介されている。加茂直樹『社会哲学の諸問題:法と道徳を中心にして』晃洋書房、1991年、付論II

[10] Voorhoeve, Alex, Conversations on Ethics, Ch.9 ただし、ウィリアムズは他の点ではアンスコムから影響を受けなくてよかったと述べている。

[11] Williams, Bernard, Ethics and the Limits of Philosophy, Routledge Classics, 2011(森際康友・下川潔訳『生き方について哲学は何が言えるか』筑摩書房、2020年)。第10章の注18ではアンスコムの「現代道徳哲学」への言及がある。

[12] 同上、第8章の注7。

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著者略歴

  1. 児玉 聡 (こだま さとし)

    京都大学大学院文学研究科准教授
    1974年大阪府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。博士(文学)。東京大学大学院医学系研究科で専任講師を務めた後、2012年から現職。
    主な著書に『実践・倫理学』(勁草書房、2020年)、『正義論』(共著、法律文化社、2019年)、『入門・倫理学』(共編、勁草書房、2018年)、『マンガで学ぶ生命倫理』(化学同人、2013年)、『功利主義入門』(筑摩書房、2012年)、『功利と直観』(勁草書房、2010年、日本倫理学会和辻賞受賞)など。

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