明石書店のwebマガジン

MENU

アンダーコロナの移民たち 鈴木江理子「あとがき」公開!

あとがき

 

最初の緊急事態宣言発出から、まもなく一年が経とうとしている。マスクやアルコール消毒、オンライン会議やオンラインイベント、ソーシャル・ディスタンス―。アンダーコロナの「非日常」が、次第に「日常」になりつつある。換言すれば、「日常」として受け入れざるをえないほど、当初の予想を超えて事態が長期化しているのだ。とすれば、移民/外国人が直面している困難もまた、常態化し、場合によっては深刻化していると言えよう。非常時には社会の脆弱性が露呈し、「弱者」にしわ寄せが及ぶことは、本書の各章や各コラムで示したとおりである。

こうしている今も、日系南米人(南米系移民)、技能実習生、移住労働者、留学生、外国ルーツの子ども、難民認定申請者や仮放免者などの移民/外国人たちは、友人・知人、エスニックコミュニティ、NPOや宗教組織など、さまざまな人や団体とつながることで支えられ、同時に誰かを支えて、懸命に生き抜いている。

本来、移民/外国人は決して「弱者」ではない。自身や家族の運命を切り開くために国境を越え、言葉や文化の違いに戸惑いながらも働き学んでいる彼/彼女らはみな、主体的に生きる可能性をもった人々である。けれども、「障がいの社会モデル」―心身機能の制約を障がいと捉える従来の「障がいの医療モデル」に対して、心身機能の制約をもつ人が自由に活動できない社会のあり方が障がいを生み出しているという考え方―が示すように、社会に存在する制度の壁(在留資格による権利の制限と排除)、言葉の壁、心の壁(差別)が、移民/外国人を「弱者」にしてしまう。

都合のよい「活用」や耳触りのよい表面的な「共生」を掲げるのではなく、安定的な法的地位や権利の保障、安心できるセーフティネット、日本語学習や技能習得の機会、「社会の一員」として迎え入れる心、そして合理的配慮が用意されていれば、移民/外国人は、自らの可能性を発揮することができるはずだ。もちろんそれは、労働力としての「有用性」という尺度のみで測られるようなものではない。

 

社会の脆弱性を検証し、是正する絶好の機会であるにもかかわらず、コロナ禍の二〇二一年二月一九日、排除を強化する入管法改定案が閣議決定された。改定法案に対しては、国連人権理事会の三人の特別報告者と恣意的拘禁作業部会の四者が国際人権法違反であるとの共同書簡を日本政府に送り(同年三月三〇日)、国連難民高等弁務官(UNHCR)が批判的見解を示しているにもかかわらず(同年四月九日)、再検討されることなく審議が開始された(同月一六日)。加えて、三月六日、名古屋出入国在留管理局で、元留学生のスリランカ人女性が死亡するという痛ましい出来事が起きたにもかかわらず、一ヵ月以上たっても死因は解明されない一方で、さらなる犠牲者を生み出しかねない無期限収容を容認する改定法案の審議が進められている。

改定法案の狙いの一つは、退去強制事由に該当するとして退去強制令書(「退令」)が発付されたにもかかわらず「帰らない」移民/外国人の排除である。退令が発付された者の大多数は出国しているが、日本に家族がいたり、日本で教育を受けている子どもがいたり、帰国すれば命の危険に晒されるなど、「帰れない事情」をもつ移民/外国人もいる。当局は、彼/彼女らを「送還忌避者」とラベリングし(二〇二〇年末=約三一〇〇名)、送還促進を企図するが、視点を変えれば、彼/彼女らは「在留希望者」なのである。「不法」だから仕方がない、と考える市民もいるかもれないが、正規の在留資格をもたないことは、必ずしも本人の責めに帰されるものではない。

そもそも非正規滞在者など退去強制事由該当者を、受入れ国である日本の移民/外国人政策や難民政策と切り離して論じることは不可能である。

国際基準を満たさない難民認定制度ゆえに、不認定者が「送還忌避者」となるのである。いわゆる外国人「単純労働者」を受け入れないという基本方針の背後で、単純労働分野における労働力需要があったからこそ、非正規滞在者が必要とされたのだ。それに代わる労働力供給源が十分でなかった時代には、彼/彼女らの存在が一定程度、黙認されていた。「送還忌避者」のなかには、この時期に来日し、人生の半分以上を日本社会で働き暮らし、もはや日本が「居場所」になっている移民もいる。

日本人との家族的つながりを根拠として、日系人に対して定住可能な安定的な法的地位を与えたにもかかわらず(八九年改定入管法と翌九〇年の定住者告示)、政府は、日本語学習機会の提供や子どもの教育、職業訓練などの受入れ環境の整備を怠ってきた。その結果、適切な学習機会に恵まれなかったり、「雇用の調整弁」として不安定雇用を強いられるなか、在留資格を失い、退去強制事由該当者となる日系南米人もいる。

一九九三年に創設された技能実習制度は、「国際貢献」という看板の背後で「安価な労働力」の供給経路として活用され、二号移行対象職種(以前は、技能実習移行対象職種)の追加、最長滞在期間の延長、受入れ枠の拡大など、雇用主にとって使い勝手のよい制度へと改変が重ねられた。その一方で、さまざまな人権侵害を引き起こす構造的問題の根本的解決が先送りされ、劣悪な生活・就労環境に耐え切れず「脱出(失踪)」した技能実習生は、退去強制事由該当者となる。

留学生三〇万人計画に加えて、定員割れに悩む大学等の思惑にも後押しされ、二〇一〇年代半ばごろから、留学生が急増している。しかしながら、政府は奨学金などの支援体制を整えることなく、受入れ促進を市場に委ねたがゆえに、技能実習制度と同様に、若者の希望や夢を搾取するような受入れが、近年、顕在化している。多額の借金を抱えて来日し、アルバイトに追われ、学業を継続することができなくなった留学生もまた、退去強制事由該当者となる。先述のスリランカ人女性は、実家からの仕送りが途絶え、授業料が支払えなくなったことで在留資格を失ったが、奨学金などの支援制度があれば、日本で子どもたちに英語を教えたいという彼女の夢が奪われることはなかったはずである。

 

アンダーコロナにおける移民/外国人の困難も、「帰れない事情」があるにもかかわらず退去を強いられる「送還忌避者」も、仮放免が認められないまま収容施設で人生を終えたスリランカ人女性も、社会の脆弱性を示す出来事であり、突き詰めれば、移民/外国人政策や難民政策の結果でもある。この社会に生きる誰もが無関係ではありえない。

いまだ収束の目処が立たないなか、ポスト・コロナを語ることは時期尚早かもしれない。だが、収束後は、恐らく過去の危機と同様、経済再建が優先され、社会の脆弱性や「弱者」の課題が後回しにされるてしまうであろう。そうであってはならない、という強い思いから本書は出発している。コロナ以前の「日常」の単なる再現を、編著者は望んでいない。本書に文章を寄せてくれた執筆者もみな、同じ思いであると信じたい。アンダーコロナの移民/外国人をめぐる状況を伝えることで、ポスト・コロナにおいてもcompassionをもち続け、移民/外国人を「他者」として切り捨てるのではない「もうひとつの社会」を共につくっていく。本書がそのための一助になれば幸いである。

(後略)

      二〇二一年四月二一日
編著者 鈴木江理子

タグ

関連書籍

閉じる