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オックスフォード哲学者奇行

悩みがないことに悩むウォーノック

マリー・ウォーノック(1924-2019)は、5人きょうだいの末っ子だったが、エリザベス・アンスコムやフィリッパ・フットたちの女性哲学者四人衆との関係でも、5人目の末っ子の位置にあった。これまでの連載ですでに見てきたように、この5人の中で戦後に学部を卒業したのはウォーノックのみだったため、すでに戦前に卒業していたアンスコムやフットはウォーノックの先輩というよりは先生だった。また、ウォーノックはギルバート・ライルが戦後に始めたB.Philコースの2期生でもあり、その意味でも新しい世代に属していた。

ウォーノックはサルトルや実存主義についての著作があり、サルトルおよび実存主義研究が専門ということになっているが、彼女の自伝では研究テーマがなかなか選べなかった苦労を記している。今回はそのあたりの話をしよう[1]

ウォーノックの自伝。

戦後まもなく、まだ学部生だったウォーノックがアンスコムにチュートリアルを受けていたことは第11回で話したが、ウォーノックはアンスコムによく、「あなたはどの哲学的問題に悩んでいるのか」と尋ねられて、困ったという。正直なところ、彼女はそんなに悩んでいなかったのだ。

そんなウォーノックから答を引き出すために、アンスコムは、「自分がかつて学部生だったころには……」とよく自分の話をしたそうだ。アンスコムが言うには、彼女は知覚の問題に死ぬほど悩んでいた。「たとえば、我々が目の前にあるマッチ箱を見ているというとき、本当に見ているものは何なのか。それは、長方形で、黄色っぽい「センスデータ(感覚与件)」なのか。それは一組の複雑な「データ」なのか。それは我々自身の心の中にある印象または観念なのか。」[2]

もし知覚についてのこうした理解が正しいなら、我々はそれぞれ自分の心のうちにあるセンスデータについて語っていることになる。だとすると、同一のマッチ箱の知覚について、他人と議論したり同意したりすることがどうやってできるのか――このような問いについて、アンスコムは喫茶店や寮の自室に一人で座って苦悩していたという。

コーンマーケット通り。以前はカデナ・カフェという喫茶店があって(1970年に閉店)、アンスコムはそこに通っていた。今日では観光客向けの店が多い。

ウォーノックも知覚の問題に興味があったが、「夜も眠れないほど」悩むことはなかった。ヒュームの『人間本性論』における懐疑主義と、それを克服せんとするカントの『純粋理性批判』を読んだり、その解釈について議論したりするのは楽しかったが、彼女にとっては、それは音楽を聞いたり友達と話したりするのが楽しいのと同じようなレベルで楽しいというだけであった。哲学だけでなく歴史も好きなウォーノックにとっては、知覚についての悩みは、マラトンの戦いの正確な年月日がいつなのかについて悩むのと、同程度のものでしかなかった[3]

ウォーノックの思想史的な関心は、ウィトゲンシュタインに影響を受けて思想史を軽視していたアンスコムには到底受け入れられないものだった。ウォーノックも参加していたアンスコムのセミナーで、ある時、あまり賢くないクライストチャーチの男子学生が、知覚についての素朴な質問をした。それは「私の見ている緑が、あなたの見ている緑と同一だとどうやってわかるのか」といった類の、ウォーノックいわく幼稚な質問だった。ところが、アンスコムはその質問に大喜びして、彼の質問を「トッパム氏の問題」と呼び、その問題について2週間ほどセミナーで議論した。けれども、気をよくしたその男子学生が少し哲学の勉強をして、3週目にヒュームかバークリーの名前に言及したとたん、アンスコムの恩寵を受けられなくなったという[4]

ウォーノックの場合は、これと逆、つまり過去の哲学者の本を読みすぎて自らのオリジナルな問題を見出すことができない状態にあった。そのため、アンスコムはあきれ果てて、彼女は哲学者になることはできないと確信したそうだ。

そんなウォーノックが独自の研究テーマを見つけたのは、かなり後のことである。彼女は1949年にB.Philを1年で修了したあと、同年にセント・ヒューズ・コレッジのフェローとなり、またジェフリー・ウォーノックとも結婚した。50年代は子育てをしながら学生のチュートリアルをしたりして忙しく過ごしていた[5]

1959年に、彼女はオックスフォード大学出版局の一般読者向けの叢書の一冊として依頼された『二十世紀の倫理学』の執筆を終えようとしていた。するとJ. L. オースティンから電話がかかってきた。オースティン曰く、「君の今書いている本だがね、類書との違いを出すために、実存主義、とくにサルトルに関する章を加えた方がよいと思うのだが」。彼は当時、オックスフォード大学出版局の代表委員(Delegate)を務めており、編集者としてウォーノックに連絡をしてきたのだった[6]

オースティンに畏敬の念を抱いていたウォーノックは、この電話を切ったあとに呆然としたことだろう。なぜなら、彼女自身の告白によれば、彼女はそれまでにサルトルの本を一行も読んだことがなかったからだ。当時、サルトルの『存在と無』が英訳されたばかりで、また、大陸哲学全般に敵意のあったオックスフォード大学では、実存主義は社会運動ないし政治運動としてしか捉えられておらず、サルトルをまともに読んだことがあるのはアイリス・マードックとフランス人の母を持つA. J. エアぐらいだった。そこでウォーノックは1959年の夏休みに『存在と無』とマードックのサルトルについての著作を必死に読んで、実存主義とサルトルについての最終章を加えて、1960年に上記の著作の出版に漕ぎ着けた[7]

その後も彼女は、サルトルと実存主義に関する著作を3冊上梓することになるが、オースティンからの一本の電話がなければ、実存主義の研究者として知られることはなかっただろう。アンスコムは認めないであろうが、このような偶然的ないし外発的な事情で研究テーマを見つけることもあるのだ。そもそも、内発的な問題意識というのも、よく考えてみれば生まれや育ちに規定されているところもあり、どこまで内発的と言えるかは疑うことができるだろう。そう考えると、今、研究テーマが見つからない人も、いつどこで研究テーマが降ってくるかもしれないため、自分の心の中を慌てて探そうとしなくてもよいのかもしれない。

サルトルのパートナーだったシモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908-1986)が1955年から亡くなるまで住んでいたマンション。パリに行ったついでにサルトルの墓参りをする予定だったが、なぜか墓地が臨時休業になっていて叶わなかった。

とはいえ、ウォーノックは1970年代にはすでに実存主義への関心を失っていたようで、『二十世紀の倫理学』第3版(1977年)のあとがきでは、実存主義はまだ一部の大学で教えられてはいるものの、すでに歴史になっており、1960年以降の倫理学には影響を及ぼしていないとしている[8]。また、自伝では、実存主義に関する諸著作は「純粋に商業的な動機から書かれたもの」であったと、身も蓋もないことを書いている[9]。実存主義でさえ、彼女を「夜も眠れないほど」悩ませることはなかったようだ。

ウォーノックはその後、英国の生殖医療やヒト胚を用いた研究に関する政府の委員会を率い、2年間の検討を経て1984年に報告書を公表し、その後の法制化に甚大な影響を及ぼした[10]。彼女はそうした社会的功績を認められて1984年には爵位を授けられ、翌年には一代貴族として英国貴族院議員に選出された。アンソニー・クイントンやオノラ・オニールなど、貴族院議員になった哲学者は他にもいるが、夫のジェフリーはオックスフォード大学総長にもなったので、キャリア的には最強の哲学者カップルだったと言えそうだ。

 

[1] 以下の記述は主にウォーノックの自伝による。Warnock, M., A Memoir, Gerald Duckworth & Co. Ltd., 2000

[2] Warnock, op. cit., p.55

[3] Warnock, op. cit., p.56

[4] Warnock, op. cit., p.58

[5] さらに、ジェフリー・ウォーノックやピーター・ストローソンらとBBCラジオでオックスフォード大学での哲学の議論を再現するような番組もやっていたが、このときの記録は残念ながらほとんど残っていない。

[6] Warnock, op. cit., p.85

[7] Warnock, op. cit., p.86

[8] Warnock, M., Ethics since 1900, 3rd ed., Oxford University Press, 1978, p.135(翻訳:M. ウォーノック『二十世紀の倫理学』保田清訳、法律文化社、1979年)

[9] Warnock, op. cit., p.22

[10] Warnock, M., A Question of Life: The Warnock Report on Human Fertilisation and Embryology, Blackwell, 1985(翻訳:メアリー・ワーノック『生命操作はどこまで許されるか:人間の受精と発生学に関するワーノック・レポート』上見幸司訳、協同出版、1992年) なお、これ以前にもウォーノックは障害児教育に関する政府委員会の長を務めて高い評価を得ていた。

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著者略歴

  1. 児玉 聡 (こだま さとし)

    京都大学大学院文学研究科准教授
    1974年大阪府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。博士(文学)。東京大学大学院医学系研究科で専任講師を務めた後、2012年から現職。
    主な著書に『実践・倫理学』(勁草書房、2020年)、『正義論』(共著、法律文化社、2019年)、『入門・倫理学』(共編、勁草書房、2018年)、『マンガで学ぶ生命倫理』(化学同人、2013年)、『功利主義入門』(筑摩書房、2012年)、『功利と直観』(勁草書房、2010年、日本倫理学会和辻賞受賞)など。

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