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きた道アメリカ、オモテウラ

ニューオーリンズの聖者の行進(1):ミシシッピ・ブルース街道を抜けてジャズの故郷へ

メンフィスからミシシッピ・ブルース街道へ
 新型コロナウィルスがアジアで感染拡大していた2月最後の週末、私たちはテネシー州メンフィスに、昼前の飛行機で入った。メンフィスに来るのは2度目となる。1度目は、大陸横断ロードトリップの帰り道に車で立ち寄った。その時は、アメリカ政府公認「ブルース誕生の地」であるこの街で、有名なライブハウスの立ち並ぶ「ビール・ストリート」で音楽とバーベキューを楽しんだ。(なお、ここはBeale Streetであり、決してBeer Streetではない。)

 メンフィスにはアレサ・フランクリンの生家やエルビス・プレスリーの住んでいた一帯など音楽の街らしい場所もある。寂れた貧しい雰囲気の古い黒人居住区にあったアレサ・フランクリンの生家は、粗末であったけれども、近所の人たちが土曜の昼下がりを穏やかに親しく過ごす姿がとても印象的であった。

 また、メンフィスはキング牧師の最後の地であり、ここで演説を行った後、夜分に暗殺されたモーテル跡を訪ねた。今は公民権運動博物館になっている。

 最初に来たときには、その後、東に向かい同じテネシー州のナッシュビルに抜けた。カントリー・ミュージックの聖地といわれる街だ。音楽を楽しめる店が立ち並ぶ目抜き通りは、音楽で楽しむ白人たちで溢れ、アフリカ系アメリカ人も多かったメンフィスとの風景の違いに面食らったのを覚えている。
 今回は、メンフィスから南にミシシッピ州のブルース街道を行き、ルイジアナ州ニューオーリンズに抜ける予定だ。まず、空港からクラークスデールという街を目指した。俳優モーガン・フリーマンがオーナーの一人になっている「グランド・ゼロ・ブルース・クラブ」でランチを食べる予定だ。本来、ゆっくりディナー・タイムにライブを楽しみたいところだが、連れ合いの仕事のため、日程の短縮が起こっていたので仕方ない。この時、アメリカではまだ西海岸で少し感染者が報告されていた程度であったが、既に連れ合いの仕事には新型コロナウィルスの世界的流行の影響が出ていたのだ。
 小さな寂れた町クラークスデールにあるこのクラブに到着すると、既に外装から雰囲気がある。

 歩いている人がほとんどいないこの町で、ライブのないランチ・タイムでも、中に入るとそれなりに混雑していた。外装同様、素晴らしい空気のあるクラブだ。

 私たちの横のテーブルには、アフリカ系アメリカ人の年配カップルが食事をしていた。男性は、黒のスーツに中折れ帽を被り、このクラブの中でみる二人はあまりに絵になり、まるで映画の世界に迷い込んだかのようだ。どこに行ってもアフリカ系アメリカ人の人たちは概ね洒落たフォーマルに近い服を着ている。ファッションというのもあるが、不審に思われては、群衆にリンチされたり、警察に通報されて逮捕されたりといった身に危険が及ぶ中で形成された長年の習慣でもあるそうだ。
 私たちは、すぐに見終わってしまう小さなこの町を少し歩いて周り、この地がブルースの「グランド・ゼロ」と呼ばれるようになった「悪魔の十字路」を訪れた。普通のアメリカの交差点だが、デルタ・ブルースの名手ロバート・ジョンソンが悪魔に魂を売って才能を得たという伝説の残る十字路だ。ごく普通の交差点だが、ギター型のモニュメントがある。

地元の寄り合い所「ジューク・ジョイント」へ
 私たちは、さらに南進し、現存する最古のジューク・ジョイント「ブルー・フロント・カフェ」を目指した。ジューク・ジョイントは、ミシシッピ名物で、1日の仕事を終えて、人々が楽器を持ち寄り、話をしたり、演奏をしたりする地域の寄り合い所のようなところだという。
 到着すると、この日は、地元の自転車ロードレース大会が開催中のようだった。このカフェの駐車場が目標地点らしく、ゴールが設置されている。カフェの中に入ると、ちょうど演奏が終わったところのようで、演奏をしていたらしいところを片付けていた。残念だ。地元の人らしき人たちがそのまま残って、テレビを見たり、喋ったりしている。ほとんどがアフリカ系アメリカ人たちだ。

 飲み物と小腹を満たすための軽食を頼んで、席で食べていると、娘に年配の黒人男性が話しかけてくれる。人見知りの娘は、硬直しながらうなずく程度だが、彼はお構いなしでフレンドリーだ。店員と話すと、日本からも人が訪れるらしい。さすがに、ブルース街道のハイライトの一つである。
 店を見回すと、サイン入りのギターなどと共に手作りのホウキが売られており、地元らしさが垣間見える。昔は、地元の人が持ち寄る楽器も手作りだったそうだ。


 ライブ後に残っていた客たちが帰り始め、私たちもそろそろ帰ろうかという頃、入れ替わりにロードレースを終えた白人のグループが入ってきた。事前にオーダーしていたらしいバーベキューセットを食べ始めていた。声をかけてくれた人たちに挨拶をして外に出ると、既に日はとっぷり暮れていた。

ニューオーリンズの音楽葬
 途中ミシシッピ州の州都ジャクソンをぐるりと一周見て、ニューオーリンズの郊外にたどり着いたのは、夕飯にはだいぶ遅い時間だった。ホテルに入る前に、調べておいたシーフードのレストランに立ち寄ったのだが、すごい人だ。時期は、全米最大のお祭り“マルディ・グラ”シーズン、この日はメインとなる火曜日“ファット・チューズデー”直前の週末なのだ。既に、紫、緑、金のマルディ・グラカラーの服やビーズの首飾りをつけた人でごった返している。
 私たちにとっては、二度目のニューオーリンズだ。ここはジャズの生まれ故郷で、両親が離婚するまでジャズ愛好家の父の元でジャズを聴きながら幼少期を過ごした私には、一度は訪れておきたい街だった。そこで、渡米後最初の年に「ニューオーリンズ・ジャズ・アンド・ヘリテッジ・フェスティバル」に合わせてニューオーリンズを訪れた。巨大な会場にいくつものステージがあり、その名の通りジャズと、その遺産を引き継いだあらゆるジャンルの音楽が行われており、2週間に渡って週後半に行われる大きなフェスティバルだ。出演者も、私たちが行った2日間、メイン・ステージでは、スティングやロッド・スチュワートといった英国からの大御所が、2番目に大きなステージではジャック・ジョンソンが立ち、間のステージには今年グラミー賞の新人賞を受賞したR&Bミュージシャンのカーリッドが、向こうのテントではジャズの大御所ロン・カーターのトリオが演奏しているという具合だ。会場内では、ニューオーリンズ伝統の「マルディグラ・インディアンズ」がパレードをしている。

 しかし、そんな豪華なジャズ・フェスティバル以上に、私たちがこの街の音楽の力に衝撃を受けたのは、特有の「音楽葬」だった。
 滞在していたビジネス街のホテルから、スペイン式建築物が立ち並ぶ旧市街“フレンチ・クオーター”に向かっていた時のことだ。遠くからバンドの演奏が聞こえてきたので、ストリート・ミュージシャンかと思い、音のする方へ歩いて行った。するとバンドと一緒に人が列をなして歩いている。人々は黒い服を身につけ、どうやら角の教会から歩いてきたようだ。行列はラファイエット広場を歩き、角の開けたところで止まった。先頭のバンドは後続の人たちの方を振り返り、「聖者が街にやってくる」が始まった。バンドに最も近い位置にいる女性たちが、白いハンカチで涙を拭いながら踊っている。泣きながら踊っているのだ。

 私も連れ合いも、その光景に言葉を失った。マラリアやハリケーンなど逆境に見舞われ続けてきたこの街で、生き抜いてきた人と音楽の力に圧倒されてしまったのだと思う。この日は通常の葬儀だったが、これが街の英雄ともなれば、誰もが、歌い、演奏し、踊りながら、この葬列に参加して歩く、大きな葬儀となる。

 この独特のニューオーリンズの文化とパワーに魅了された私は、必ずまたこの街にやってこようと誓ったのだった。そして、今回またニューオーリンズに来ることができた。明日からのマルディ・グラの3日間はどんな出会いがあるだろうか。期待を胸に就寝した。

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著者略歴

  1. 鈴木 晶子

    NPO法人パノラマ理事、セプテンバー・ハウスMAJコアメンバー(米メリーランド州登録NPO)。臨床心理士。大学院在学中よりひきこもり支援に関わり、若年無業者支援、生活困窮者支援などの現場を経験。生活に困難を抱える女性、若者、子どもの支援を中心に活動している。現在、在アメリカ合衆国。著書に『シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』(共編著、明石書店、2017年)など。

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