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オックスフォード哲学者奇行

フットとマードックと平底ボートの靴

エリザベス・アンスコム、アイリス・マードック、マリー・ミジリー、フィリッパ・フットの女性哲学者たちを4人姉妹に喩えると、アンスコムが長女、マードックとミジリーが双子の次女・三女、そしてフットは末っ子ということになる。最初の3人は1919年生まれであるが、3月生まれのアンスコムがオックスフォード大学に入学したのは1937年であり、7月生まれのマードックと9月生まれのミジリーが入学したのはその翌年のことだった。フットは1920年10月生まれで、第二次世界大戦が始まった1939年にサマヴィル・コレッジに入学した。

フットといえば、1950年代末に出した2つの論文「道徳的議論」および「道徳的信念」で、ムーアから始まりエアからヘアへと至る主流道徳哲学を批判したことや、また最初に「トロリー問題」を思考実験として発案したことでも有名だが、今回はそういう話は抜きにして、彼女の生い立ちと戦時中のマードックとの共同生活を中心に話してみよう[1]

ロンドン・ヴィクトリア駅の構内。

フットの父親は鉄鋼業の実業家であり、母親は米国人である。フットの母方の祖父はグローヴァー・クリーヴランドという、大統領にもなった民主党の政治家であり、フットの母親は大統領の住むホワイトハウスで生まれている。子どもの頃のフットは年子の姉のマリオンと一緒に狩猟をする貴族的な生活をしていた。女子は勉強する必要はないという家族の方針のもと、フットは学校に行かず、ガヴァネス(女性家庭教師)たちから教育を受けていた。だが、彼女たちからは「(歴史で活躍するのは)ギリシア人が先か、ローマ人が先か」すら教わらなかったとフットは後に回顧している。

ところが、彼女はある大学卒のガヴァネスに感化されて通信教育を使って勉強し、サマヴィル・コレッジに入学することになった[2]。家族の友人は女性のフットが大学に入ると聞いて驚き心配したが、「まあ問題ないわね。彼女は賢そうに見えないから」と述べたという。大学を出た女性でも、賢そうに見えなければ良縁があるだろう、ということだ。

フットは学部ではPPE(哲学・政治学・経済学)を専攻した。哲学については前回取り上げたドナルド・マッキノン、また経済学についてはトマス・バーロウ(ハンガリー生まれのユダヤ人で1938年にイギリス市民権を得ている)に教わったという。彼らのチュートリアルはとても厳しく、フットは「水曜日はカントの純粋理性批判で、金曜日はケインズの雇用(利子および貨幣)の一般理論のチュートリアル。すごく大変だった」と振り返っている[3]

若い頃のフット[4]

1943年に卒業後、フットは秋からロンドンにある王立国際問題研究所(「チャタム・ハウス・ルール」で知られるチャタム・ハウス)で、欧州の戦後復興に関する研究助手として働くことになった。このとき、すでにロンドンの財務省で働いていたマードックと1年半ほど、ウェストミンスターのフラットで同居することになる(第14回でも言及)。

ウェストミンスターと言えばビッグベンや英国議会などがある、日本の永田町に相当する政治の中心地だが、マードックが1942年夏にバッキンガム宮殿の少し南、ウェストミンスター大聖堂の少し北に位置する場所に住まいを見つけられたのは、ミジリーによると、その建物がドイツ軍に爆撃されて、屋根に穴が空き、マードックが住んでいる大きな屋根裏部屋の床にも穴が空いていたからだった[5]。建物のほぼ真下にセント・ジェームズ・パークという地下鉄の駅があるため、地下鉄が走るときには部屋も揺れた。ドイツ軍の空襲だけでなく後にはV1ミサイル、V2ロケットによる攻撃があり、夜中に爆撃があったときには、爆弾の破片を避けるために鉄製の風呂おけの中で寝たこともあったとマードックは回想している。また、当時は爆撃で家を失った多くの人々が地下鉄の駅で寝泊まりしていたという[6]

1943年の秋ごろにフットがマードックのフラットで同居するようになると、毛布が足りないため、灯火管制用の布も毛布代わりに使う必要があった。しかし寒い冬の夜にはそれでも足りず、2人はガス式暖炉に加えてガスオーブンも付けっぱなしにして、さらにコートを羽織り、湯たんぽを抱えて寝たという。そうして朝起きると、近くの喫茶店で朝食と暖をとった。ときどきは、前出のトマス・バーロウやニコラス・カルドア(有名な経済学者)のような年上の男性の友人が来て、食事をごちそうしてくれることもあった。ちなみに、バーロウとカルドアは、2人ともハンガリー出身のため、あだ名がそれぞれ「ブダ」と「ペスト」だったそうだ[7]

食事だけでなく衣服も配給制だったため、フットとマードックは2人で3足の靴を使い回していた。マードックの靴があまりにぼろぼろになって修理に出したときに、フットがマードックに靴を貸したところ、ぺったんこの「平底ボート」のようになって戻ってきたため、フットはひどく文句を言った。それ以降、その靴は「平底ボート」と呼ばれるようになったという[8]。しかし、貧しいけれども2人の間では笑いが絶えず、20代前半の彼らにとっては楽しい同居生活だったようだ。


ロンドン自然史博物館のスケートリンク。隣にある科学博物館にはV1ミサイルやV2ロケットの展示がある。

だが、フットとマードックの友情は、複雑な恋愛関係によって試されることになる。フットは以前チューターだったトマス・バーロウと恋仲になっていたが、バーロウはフットと同居していたマードックと知り合うや否や、彼女とも恋愛関係になった。フットはバーロウが多くの女性と付き合っていることを知っていたが、それでもバーロウとマードックの2人に裏切られた気になり、悔しくて眠れない夜を過ごした。

マードック自身は、バーロウと付き合う少し前から、大学で同期だった友人と恋愛関係にあった。だが、バーロウの指示もあり、彼とは別れることになる。この友人もマードックの仕打ちにひどく傷つき、失意のどん底にあったが、フットは不幸そうな顔をした彼に一目惚れし、2人は付き合うことになった。その友人の名前はマイケル・フットであり、彼らはすぐに婚約して、戦後まもなく結婚することになる[9]

マードックとバーロウの方は結婚も噂されたが結局はうまくいかず、マードックはバスで堪えきれずに涙を流すほどの失恋を経験し、それとは対照的にフットはマイケルと幸せになった。ある時には、フットがマイケルと一緒に過ごすためにマードックをフラットから追い出すこともあったという。「わかったわ。行くわよ、行けばいいんでしょ」とマードックは叫んで、荷物を集めて出て行ったという[10]

このように2人は恋愛関係で一時的に仲違いしたものの、その後も親友だったようで、戦後にフット夫妻がオックスフォードに移り住んださいにはマードックは彼らのところにしばらく居候したこともあり、またマードックが認知症になってからもフットは一緒にランチをするなどして、生涯仲良く付き合ったという。

ロンドンのノッティングヒル・ゲート駅。

次回は戦後のフットについて話すことにしたい。 

 

[1] フットの伝記はまだ存在しない。以下の記述は、主に下記の文献による。Conradi, P. J. and Lawrence, G., “Professor Philippa Foot: Philosopher regarded as being among the finest moral thinkers of the age,” The Independent, 19 October, 2010; “Professor Philippa Foot,” The Telegraph, 5 October, 2010; Conradi, P. J., Iris: the life of Iris Murdoch, W.W. Norton & Company, 2002; Krishna, N., “Is goodness natural?” Aeon, 2017

[2] このあたりの記述は文献によってまちまちであるが、ロンドン郊外のアスコットにあるセントジョージという当時は花嫁修行をするための1年制の女子校も卒業したようだ。

[3] この引用はThe Telegraphの記事より。

[4] 英語版Wikipediaより転載。https://en.wikipedia.org/wiki/File:Philippa_Foot.jpg

[5] Midgley, M., The Owl of Minerva: A Memoir, Routledge, 2005, p.134

[6] Conradi, op. cit.

[7] Conradi, op. cit.

[8] Conradi, op. cit.

[9] 2人は1944年の6月に婚約し、翌年の6月に結婚した。ただし、その間、マイケル・フットはSAS(特殊空挺部隊)の兵士として従軍しており、1944年の夏にフランスのサンナゼールでドイツ軍に捕虜として囚われ、その冬に捕虜交換によって解放されるまでの間に大怪我を負った。フィリッパ・フットは当時、心配で夜も眠れず、ロンドンの街を夜中にさまよい歩いたという。Conradi, op. cit.

[10] Conradi, op. cit.

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著者略歴

  1. 児玉 聡 (こだま さとし)

    京都大学大学院文学研究科准教授
    1974年大阪府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。博士(文学)。東京大学大学院医学系研究科で専任講師を務めた後、2012年から現職。
    主な著書に『実践・倫理学』(勁草書房、2020年)、『正義論』(共著、法律文化社、2019年)、『入門・倫理学』(共編、勁草書房、2018年)、『マンガで学ぶ生命倫理』(化学同人、2013年)、『功利主義入門』(筑摩書房、2012年)、『功利と直観』(勁草書房、2010年、日本倫理学会和辻賞受賞)など。

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