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きた道アメリカ、オモテウラ

アラバマ・フリーダム・トレイル(3):無数の犠牲者とモンゴメリーの2人のヒーロー

幾千もの無名の犠牲者を称えて
 アラバマ州都モンゴメリーに2018年にオープンしたばかりの「平和と正義のメモリアル(The National Memorial for Peace and Justice)」は美しい緑の芝と、広々とした青空が印象的な記念公園だった。アメリカの歴史を変えたアラバマ州の小さな田舎町セルマを出発して、キング牧師と非暴力のプロテスターたちが歩いた道を車で1時間弱走るとモンゴメリーに到着した。まず、私たちが訪れたのが、このメモリアルだ。アフリカ系アメリカ人が歩んできた苦難の歴史を伝える全米初のメモリアルだ。
 入場するとすぐに鎖に繋がれた奴隷たちの像が見える。

 私はバーミンガムの公民権運動博物館での失敗を思い出し、慌てて娘を抱っこし、その像の前を通り過ぎて、そちらを見ないように伝える。奴隷の像を通り過ぎると、国際奴隷取引の時代から現在に至るまでのアフリカ系アメリカ人の歴史が簡潔に説明されていた。
 美しい緑の丘を登っていくと、このメモリアルの最も特徴的で有名な場所に至る。天井から吊るされた無数の記念碑だ。

 一枚一枚の記念碑には地名と氏名、日付が刻まれている。

 ここに刻まれているのは人種差別に基づくリンチ(私刑)の犠牲者たちの名だ。日付は、この「テロリズム」の起こった日付だ。南北戦争後から第二次大戦までの間に、記録に残っているだけで4400名のアフリカ系アメリカ人が犠牲になったという。「私“刑”」というが、リンチされた犠牲者が何か大きな犯罪を犯したわけではなく、自由や基本的な権利を主張したり、軽微な違反などを口実にされただけだ。アフリカ系アメリカ人をリンチし、殺し、その遺体を晒しものにすることは、彼らに恐怖を植え付け、南北戦後も白人優位の社会を暴力的に維持するものであった。時には、地域全体で「ショー」としてリンチが行われ、アフリカ系アメリカ人のコミュニティ全体をターゲットにしたより大規模なリンチに発展したという。
 天井から吊るされた記念碑は、殺され吊り下げられた人々を思わせる。ジャズが好きな人ならば、ビリー・ホリデイの「奇妙な果実」を思い出すであろう。その記念碑をくぐりながら、ゆっくり通路をくだっていく。
 娘が「これはなんなの?」と尋ねる。私は、またバーミンガムでの失敗を思い起こしながら答えた。
「自由と正義のために戦ったヒーローたちの名前だよ」
 途中、彼らを称え、決して忘れないことを誓った言葉が刻まれている。

―We shall overcome.(私たちは打ち勝つだろう)

 屋根のかかった記念碑群の最後にはさらにこう書かれている。

「その死が記録されることもなく、名前を知られることもない数千人のアフリカ系アメリカ人のリンチ犠牲者がいます。彼らは皆ここに讃えられています」

モンゴメリーが生んだ2人のヒーロー
 広々した芝生に出ると、まだ多くの記念碑が横たわっていた。さらにそれを過ぎると、ローザ・パークスの像がある。モンゴメリーが生んだ公民権運動のヒーローだ。住むところも、学校も、食堂も、バスの座席も、全て別だった人種隔離時代、この町で行われた非暴力の抗議活動「バス・ボイコット」の象徴的人物だ。公民権運動の活動家であった彼女は、バス車内で白人に席を譲ることを拒否、逮捕されたのだ。1955年のことである。既に前年には、教育について、「人種分離した教育機関は本来不平等である」という連邦最高裁判所による判決が出ていた。
 彼女の逮捕に抗議して起こった黒人居住区の住民によるバス・ボイコット運動は、ボストンの大学で博士号を取得してこの町の教会に牧師として着任したばかりだったキング牧師を指導者に迎え、1年ほど継続された。そして、最高裁判所によって明確に「人種分離したバスは違憲」という判決が下され、勝利を勝ち取った公民権運動のハイライトの一つだ。

 順路はそのまま出口へと向かう。次は、このメモリアルを運営するNPO法人イコール・ジャスティス・イニシアチブが運営する「レガシー・ミュージアム」だ。その前に、途中で、旧南部連合国最初のホワイト・ハウスに立ち寄った。ここモンゴメリーは、南部連合がヴァージニア州のリッチモンドに首都を移すまで数ヶ月首都とされた。

 今となってはごく普通のアメリカの家といった感じだが。
 向かいには、アラバマ州議会議事堂がある。セルマから多くの人たちと行進してきたキング牧師は、最後にここで勝利を宣言する演説を行った。彼が牧師を務めていた教会も目と鼻の先だ。
 ここから少し離れたところに、レガシー・ミュージアムはあった。

 同じく2018年にオープンしたばかりだ。場所はかつての奴隷市場に程近い奴隷庫跡だという。奴隷貿易から、現在に至るまでのアフリカ系アメリカ人のレガシー、つまり苦難と抵抗の遺産を知るための場所だ。この新しいミュージアムは、外装だけでなく、中の展示も魅力的に工夫されている。文字だけではなく、視覚・聴覚など感覚に訴えかける作りだ。出口付近には大きなタッチパネルの画面が用意され、さまざまな資料を見ることができる。この日、一番フィーチャーされていたのは、この団体の創設者ブライアン・スティーブンソンの著書“Just Mercy”を原作とした、公開されたばかりの映画だ(日本でも「黒い司法 0% からの奇跡」という邦題で今年公開された)。

 南部諸州を中心とするリンチの収束は、アフリカ系アメリカ人への拙速な逮捕、取り調べ、裁判による有罪という司法上の差別に置き換わっていったところによるという。その後、人種隔離時代が終わっても、アフリカ系アメリカ人たちが、無実、あるいは軽微な違反で警官から暴力を受け、刑務所に収容され、死刑を宣告されている。そのため、このミュージアムでは現代を「大規模刑務所収容の時代」と呼ぶ。アフリカ系アメリカ人男性の実に3人に1人が一生に一度は刑務所に収容される可能性があるというのだ。子どもたちまで、死刑や終身刑を宣告され、刑務所に収容されてきたという。これが、ブラック・ライブス・マター運動が起こらなければならなかった社会状況である。スティーブンソンは、30年に渡り冤罪による黒人死刑囚たちを弁護する活動を続けてきた、この町が生んだヒーローだ。オバマ政権時代には、警察改革のタスク・フォースのメンバーにもなっている。
 レガシー・ミュージアムを後にした私たちは、近くの名物店でバーベキューを食べ、アトランタに向かった。それにしても、美味しい食パンを見つけるのが難しいアメリカにあって、南部で肉などの付け合わせに出てくる食パンはなぜかとても美味しい。

キング牧師記念日に再びアトランタ
 翌日は、キング牧師記念日の祝日だった。彼の故郷であるここアトランタでは、多くの記念イベントが行われる。私たちは、朝一番で娘の念願だった2度目のコカ・コーラミュージアム訪問の後、さらに向かいの「国立人権博物館」に立ち寄った。こちらは大規模で、アメリカ国内のみならず世界中の人権問題について、工夫を凝らしたインタラクティブな展示を通じて知ることができる。明るい空間は、子どもたちにも学びやすい雰囲気だ。



 広い踊り場のようなスペースでは、キング牧師記念日の子ども向けイベントが行われており、いくつかアクティビティが用意されていた。娘はテーブルに置かれた塗り絵を始めた。見ていると、子どもの肌の色をさまざまな色で塗っている。

 気づけば、テーブルには他に白人の女の子と、アフリカ系アメリカ人の男の子が座って、3人が同じように塗り絵をしている。

“私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。”マーティン・ルーサー・キング・ジュニア「私には夢がある」(1963)より)
※英語、特にアフリカ系アメリカ人の言う「兄弟」「姉妹」には、文字通り家族としての兄弟姉妹というだけでなく、「同胞」「仲間」といった意味がある。

 道のりはまだ遠い。しかし、ワシントンD.C.でキング牧師の語った夢は、半世紀もの時間をかけ、少しずつ実現しているのだ。キング牧師夫妻の行きつけだったというBusy Bee cafeは長蛇の列でまた中には入れなかったけれど、感慨を胸に3日間の南部の旅を終えた。

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著者略歴

  1. 鈴木 晶子

    NPO法人パノラマ理事、セプテンバー・ハウスMAJコアメンバー(米メリーランド州登録NPO)。臨床心理士。大学院在学中よりひきこもり支援に関わり、若年無業者支援、生活困窮者支援などの現場を経験。生活に困難を抱える女性、若者、子どもの支援を中心に活動している。現在、在アメリカ合衆国。著書に『シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』(共編著、明石書店、2017年)など。

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