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テレワークがもたらすもの ─呪縛からの解放─

第18回 移動について考える

◆移動は人権
 コロナ禍とはいえ、政府から、移動しないように呼びかけられるのは、気分の良いものではない。だからといって、「Go To トラベル」キャンペーンのように、税金をつかってお得感を出して、旅行をするよう促されるのもまた、あまり気分の良いことではない。移動するかどうかは、自分たちで決めるべきもので、他人からとやかく言われたくないのだ。
 現代の日本社会にいると、移動の自由があるのは当然のことのように思える。しかし、昔はこれは当然のことではなかった。例えば江戸時代の庶民は、お伊勢参りに行くような場合を除くと、基本的には住んでいる藩から出ることはできなかった(実際には、いろいろ抜け道はあったようだが)。中世の欧州では、領主の下にいる農奴やギルドで親方に奉公する徒弟は、住居は限定され、移動の自由は否定された(ただし、都市に逃げ込んで1年と1日経過すれば、自由身分を得ることができた。「都市の空気は自由にする」)。
 明治時代に制定された大日本帝国憲法に、「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ居住及移転ノ自由ヲ有ス」という規定があり(22条)、戦後に制定された日本国憲法にも、「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」という規定がある(22条1項)のは、居住・移転の自由を保障することが、近代国家にとっての基本だったからだ。
 居住・移転の自由は、日本国憲法の条文をみればわかるように、職業選択の自由と関係している。人々が自由に職業を選択し経済活動を行うためには、自由に居住場所を決め、移動できることが前提となるだからだ。もっとも現在では、居住・移転の自由には、より広く「自らの生活の場を選択し、自由に他の地域の人々と情報や意見を交流するための条件をも保障する」として、単に経済的な自由だけでなく、人身の自由や精神的自由としての側面もある(長谷部恭男『憲法(第7版)』(新世社・2018年)257頁)。
 確かに、国内にいる異教徒の少数民族を強制的に難民キャンプに移動させるということは、現在でも起こっている(ミャンマーのロヒンギャなど)。政府による移動の強制や制限は、政治的・宗教的弾圧の典型なのだ。移動の自由が保障されていない社会では、その他の人権も大きく制限される。

◆トラベルは拷問?
 コロナ禍の「Go To トラベル」キャンペーンには、感染症の危険を顧みていないという声もあるが、そもそも「トラベル」(旅行)には危険がつきものだ。トラベル(travel)という英語は、拷問の際の攻め道具だったトレパリウム(trepalium)に由来する(ラテン語で、「3つの杭」という意味)。住み慣れたところを離れて移動することには、それだけ危険があり、あたかも拷問のような苦痛をともなっていたということだろう。
 本連載の前回で扱った「ノマド」は、もとはフランス語だ。欧州で昔から旅をしながら生活する流浪の民や遊牧民のことなどを指し、その典型であるジプシー(ロマ)は、各地で差別的な取扱いを受けてきた。現代日本の「ノマド」はともかく、本来のノマドは、危険で苦痛をともなう旅をしてきたのだろう。
 ちなみに、フランス語で「旅行」を意味する言葉は、ボヤージュ(voyage)だ。これは「道」を意味する「via」(ラテン語)から来ていて、苦痛という意味は含まれていない。フランス語で、英語の「トラベル」と同じ語源で苦痛のニュアンスを受け継いでいる言葉はトラバーユ(travail)であり、これは「労働」という意味だ。フランスでは、苦痛を与えるのは、旅行ではなく労働なのだと思うと、なるほどと納得してしまう。

◆なぜ人は移動するのか
 ところで、私たちは、なぜ移動や旅行をするのだろうか。欧米人のヴァカンスのように、日常の生活や労働から解放されるために旅行することもあるだろう。非日常の生活に浸ることによって英気を養うことができる。ヴァカンスの習慣のない日本でも、先祖の魂が帰ってくるお盆のときには、多くの人が帰省のための旅行をする。お盆は、日本人にとって、日常的な「ケ」から離れ、非日常的な「ハレ」を味わう行事だ。確かに、非日常を味わうのは旅行の醍醐味だ。しかし、移動の本質をこれだけで語るのには無理があろう。
 私たちが移動する本質的な理由は、移動によって、新しい情報を得ることができ、人間の基本的な欲求の一つである知的好奇心を満たすことができるからだ。
 梅棹忠夫の『情報の文明学』(中公文庫)は、人間の感覚が外界から受け取るさまざまな情報を「感覚情報」と呼び、それには特定の感覚器官(目、耳、鼻、口、皮膚など)によらずに、全身でうけとめるものもあり、こうした総合的な感覚情報を「体験情報」と呼んでいる。梅棹は、日本の観光産業が、温泉と並び、神社仏閣という宗教施設をめぐって展開したのは、そこで宗教的体験という体験情報をあたえることができたからだとする。「日本の旅行業のおおきな部分は、この種の体験情報の提供をめざして開発されたものである。近代においても、旅館はもとより、都市近郊の鉄道は、まずその種の宗教的体験情報を提供する施設群にむけて開発されたものである」(84頁)。
 この分析は示唆的だ。観光産業は、体験情報という総合的な情報を求める人々の欲求をみたす産業なのだ。観光地の情報は、例えば雑誌でみたり、テレビで視聴したりできるし、各地の名産品を自宅に取り寄せて食べることもできるが、そうした情報では体験情報として不十分なのだ。実際に現地に行かなければ、完全な情報は得られない。だから私たちは旅行をするのだ。

◆旅行を前提としない観光産業の可能性
 しかし、情報のデジタル化の進行は、このような旅行の意義を根本的に変えようとしている。ANAホールディングスが立ち上げた「アバターイン」は、人間は空間的に移動せず、自分の分身である「newme」を世界中のどこにでも移動させることを可能とした(https://avatarin.com/)。航空会社が、人間の身体を移動させるのではなく、意識や感覚だけを移動させるというのは、まさに逆転の発想だ。これにより、私たちは家にいながら、体験情報を得ることができる。観光産業や旅行産業が、体験情報を提供する産業である以上、その情報を伝えることさえできれば、移動しなくても観光産業として成り立つことになる。
 トヨタ自動車をはじめとして、最近では、MaaSに取り組む企業が増えている。MaaSとは、「Mobility as a Service」の略で、直訳すれば、「サービスとしての移動」だ。自動車も、鉄道も、航空機も、移動のための手段だ。こうしたハードを提供するのが、製造業の企業だったが、MaaSは、移動をサービス産業の枠組みで捉えようということだ。自動車の製造だけで利益を得ることができる時代ではない。移動によって、どのような体験情報を提供できるかを、ICT(情報通信技術)を用いて提供するところに、今後のビジネスチャンスがあるということなのだろう。
 ただ、これはリアルな移動にこだわったビジネスだ。ANAのアバターインは、インターネットを利用しているにすぎないが、もはや疑似移動のレベルを超えて、リアルに近い体験情報を提供してくれる。こうした経験を味わうと、人々は移動を必要と感じなくなるだろうから、これはもはやコロナ禍の一時的な現象とは考えられなくなる。伝説の投資家バフェットが航空会社の株を売ってしまったのもわからないではない。
 「Go To トラベル」キャンペーンは、衰退する観光産業をしばし延命させるにすぎないかもしれない。政府が本当にやるべきなのは、観光産業がデジタル技術をつかって体験情報を提供する産業へと本格的に転換することを助成することだろう。

◆学習も仕事もオンラインに
 体験情報のような総合的な感覚情報の入手でさえも可能な時代だ。ましてや、その他の情報なら簡単に、自宅にいながらの入手が可能だ。学習も同じだ。小学生は学校に行って、集団生活の規律など社会性を身につけなければならないとして、オンライン学習に否定的な考え方もある。しかし、通学という移動行為自体、実は小学生にとって危険なことだ。外国では、保護者が学校までの送迎に同行しなければならないところが多い。子どもは交通事故に遭いやすいし、不審者にも狙われやすい。通学はまさに危険な「トラベル」なのだ。それに学校自体が、社会的弱者である子ども達が集中している施設であり、攻撃のターゲットにされると脆弱きわまりない。社会性の習得の重要性は否定しないが、子どもの学習だけをみれば、知的情報の伝達が本質的な要素なので、ICTの活用に適している。それにオンライン学習が普及すれば、不登校問題もなくなるだろう。何よりも、子ども達が活躍する時代は、オンライン中心のデジタル社会だ。早くから、子ども達にそういう環境に慣れさせておくべきだろう。
 通学という移動行為の危険性(および学校施設の脆弱性)を考慮に入れると、オンライン学習のメリットはもっと評価されるべきだ。社会性の教育は、必ずしも学校でやる必要はなく、地域で高齢者を通じておこなうなど他の手段があるはずだ。
 メリットとデメリットの必要性を冷静に考えていく必要があるのは、仕事の世界にもあてはまる。既存の情報を入手して、AI(人工知能)などを活用しながら、新たな価値をもつ情報を生み出すのが、これからの仕事の中核だ。ICTの環境さえ整備されていれば、情報を得るために移動をする必要はなく、テレワークが可能だ。通勤というトラベルを不要にすることのメリットは大きい。対面で仕事をしないことのデメリットはあるとしても、これも他の代替手段があるはずだ。
 最近では、「ワーク」と「ヴァケーション」を組み合わせた「ワーケーション」という造語もよく耳にする。リゾート地で休暇をとりながら仕事をしたり、あるいは自然豊かな環境で仕事を行いながら、その合間にリフレッシュをしたりすることだ。これもテレワークの一種だ。これだと、リゾート地や自然豊かな地方までの移動は起こるが、ここで重要なのは、移動しないことそれ自体にあるのではなく、移動をするかどうか、また、移動するとしても、どこに移動をするかを自分で決められることだ。
 移動の自由は、個人の基本的な自由であり、人権として保障されている。デジタル技術によって、それがより実効的に保障されようとしている。今後必要なのは、移動を前提とした社会システムを、できるだけ早く見直していくことだ。

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著者略歴

  1. 大内伸哉(おおうち・しんや)

    1963年神戸市生まれ。東京大学法学部卒、同大学院法学政治学研究科博士課程修了。神戸大学大学院法学研究科教授。博士(法学)。労働法を専攻。著書に『君は雇用社会を生き延びられるか』(明石書店、2011年)ほか多数。SHINYA OUCHI Web Site:http://www2.kobe-u.ac.jp/~souchi/

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