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残余の声を聴く――沖縄・韓国・パレスチナ

連載最終回 BLM運動の広がりのなかでPalestinian Lives Matterにならないのはなぜか? 早尾貴紀

はじめに

 アメリカ合衆国におけるアフリカ系市民(「黒人」)への差別・弾圧に対する抗議運動、とりわけ警察官による不当な虐待・暴力に対する抗議運動が、「ブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter 通称:BLM)」というスローガンのもとに活発になっており、世界的な共感と広がりを見せている。このBLM運動そのものは、2012年のアフリカ系アメリカ人の高校生の自警団による射殺事件を契機として(この殺害犯を警察が釈放し陪審員が無罪としたことに対する抗議運動として)始まったとされるが、今年(2020年)5月のアフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイド氏を警察官が衆目のある中で圧殺した様子が撮影され、その動画がSNSを通じて世界中に拡散されたことで、BLM運動は一気に全米に広がり、さらに日本も含め国際的に注目され、連帯を示す運動も活発に行なわれた。
 さらにこの8月には、やはりアフリカ系市民のジェイコブ・ブレイク氏を警察官が至近距離で背後から7発も発砲し半身不随にさせるという事件が発生し、この様子を撮影した動画が報道されたことにより、またしてもBLM運動は沸騰した。
 この背後には、注目されたいくつかの事件にとどまらず、アフリカ系市民に対する差別や暴力が社会的に常態化していることがある。アメリカ合衆国がなおもヨーロッパ系(いわゆる「白人」)を頂点とする国家であり、アフリカ系やアジア系の市民や移民が社会の下層に位置づけられる制度的・慣習的な差別が日常のあらゆる局面に組み込まれている。そのことへの幅広い不満や鬱屈が、警察官による射殺や虐待という明白な暴力が報道されたときに大規模な抗議運動へと展開されるのであって、問題は教育や経済など社会に内在化されたレイシズムにある。
 なお、このBLM運動は「黒人の命は大切だ」と日本語には翻訳されうるが、肌の色を「黒」とカテゴライズして表現すること自体がレイシズムであるという批判があるのと、日本語の大手メディアでは「黒人の命も大切だ」と訳されることが多いことに「白人の命が大切なのは当然として黒人の命も」というニュアンスがあることに批判があり、日本語にするのが難しい。ただし、「ブラック=黒人」については、差別的他称を逆転させるために、「ブラック・イズ・ビューティフル」「ブラック・カルチャー」といったようにアフリカ系市民自身が対抗運動を展開するなかで戦略的・肯定的に「ブラック」を自称するようになったという経緯がある。「命は」なのか「命も」なのか、さらには「命こそ」なのかをめぐっては、正解はないだろう。翻訳不可能としてカタカナあるいはBLMのままにしておくのがいい、という見解もあるが、そのニュアンスや文脈を意識しながらどの翻訳がいいのかを考えること自体はひじょうに重要であると思う。

1. 2020年5月に起きた2件のパレスチナ人殺害

 こうして世界的にBLM運動が注目されるきっかけとなった今年5月末のジョージ・フロイド氏殺害事件と時を同じくして、パレスチナでもイスラエル人警察官によるパレスチナ人の射殺事件があり、抗議デモが行なわれた。警察官に殺されたのはイスラエルに軍事占領されている東エルサレムの男性イヤード・ハッラーク氏で、自閉症スペクトラム障害があるためにコミュケーションに支障があり、そのため警察官の停止指示に即座に応じることができなかったらしい。ヘルパーの女性と特別支援学校に向かうところであったため、この女性が代わりに「障害があるので会話が難しい」と答えたが、警察官はそれを無視し、立ち止まらなかったというだけで無抵抗のハッラーク氏に7発もの銃弾を浴びせて殺害した。警察は、ハッラーク氏の携帯電話を拳銃と誤認し、立ち止まるよう命令をしたという。
 アメリカ合衆国での事件のわずか5日後の出来事というタイミングのために、東エルサレムでは抗議デモが行なわれ、その際のプラカードやあるいはSNSでは、「Black Lives Matter」と並べて「Palestinian Lives Matter」が掲げられたり、ジョージ・フロイド氏の写真とイヤード・ハッラーク氏の写真が並べられたりもした。しかし、パレスチナでは実のところイスラエルの警察官や兵士による理不尽な殺害や虐待は日常茶飯事であり(SNSで流されても主流メディアではニュースにならない)、この事件はその後も絶えることのないそうした数々のなかに埋もれていってしまったように見える。
 ところで、パレスチナ人に対してこうした虐殺・虐待が公然となされるのは、東エルサレムも含む軍事占領地には限らない。占領地住民で国籍・市民権がないから暴力に晒されているというにはとどまらない問題がある。この事件に2週間ほど先立って、やはり5月にイスラエルのテルアビブの病院の駐車場で、イスラエル国籍のパレスチナ人(いわゆるアラブ系イスラエル人)が警備員に殺害されるという事件が起きていた。イスラエル内のアラブ人の村に住むムスタファ・ユーニス氏は、精神疾患があって母親に付き添われてテルアビブの病人に通院していた。駐車場で警備員と揉めた際に、「ポケットからナイフを取り出そうとしたように見えた」ために、警備員4人がかりで地面に引き倒され、そのうち直接組み伏せてきた1人に対してユーニス氏が抵抗したところで、他の警備員から7発もの銃弾を浴びせられた。母親の目の前で。実は、この殺害されたユーニス氏は、筆者の間接的な知人(知っている団体メンバーの親戚)ということもあり、一段とショックの大きな事件であった。
 もちろん、実際にナイフは確認されていないどころか、ポケットに手を入れたのかさえ警備員の一方的な言い分にすぎない。この過程のうちユーニス氏が引き倒された場面から警備員が発砲する場面までが、たまたま駐車場内で通りかかった車のドライブレコーダーに至近距離で写されており、発砲音もはっきりと聞き取れた。なお、イスラエルの「警備員」は私たちの知っている一般的な警備員とは異なり、パレスチナ人による「テロ」に備えて銃で武装しているだけでなく、徴兵経験を持ち銃火器の扱いに慣れている。「怪しい」と感じたパレスチナ人に対しては容赦なく発砲することも任務の一部としている元兵士である。
 さてこれらのパレスチナ人殺害事件から読み取ることができることがいくつかある。第一に、軍事占領下のパレスチナ人であれ、イスラエル国内のパレスチナ人であれ、パレスチナ人である以上はイスラエルでは潜在的に「敵」「異分子」とみなされていること。第二に、その潜在的「敵」は、「不審な行動」によって一方的に簡単に殺害されること。第三に、国際社会はそうしたイスラエルの政策を容認し、命の軽重の差別を容認していること。加えてこの2件に関連して言えば、障害や精神疾患をもつパレスチナ人は、それだけでその言動の特徴ゆえに、イスラエルの兵士・警官・警備員によって「不審」視されやすく、いっそう逮捕・虐待・殺害のリスクが高いと言えるだろう。

2. イスラエル建国後のパレスチナ人迫害の展開

 SNSによる当事者たちの発信力が高まっているためもあってか、パレスチナ/イスラエルにおける日常的な暴力は、映像付きでほぼ毎日なにかしらの形で報告されている。感覚的に言えば近年のこと、とりわけイスラエル建国70年を迎えた2018年頃からで、そのあたりからエルサレムへの米国大使館の移転(つまり軍事占領地である東エルサレムを含むエルサレムを米国が首都と認めたこと)、軍事占領下にあるシリア領ゴラン高原を米国がイスラエル領と認めたこと、ヨルダン川西岸地区のユダヤ人入植地をイスラエル領へ併合する方針を米国が容認したこと、などの大きな動きがあり、それに対してパレスチナ人側の抗議行動も増え、またそれを弾圧するイスラエル軍兵士や、傍若無人に振る舞うユダヤ人入植者の暴力も増えていったように思われる。
 SNSで連日流れてくる暴力の映像はおもに、①東エルサレムも含む西岸地区での家屋破壊、②西岸地区の検問所や東エルサレム旧市街などでのイスラエル兵による尋問時の暴行・虐待、③西岸地区のパレスチナ人住宅への急襲と拉致・投獄、④通学するパレスチナ人の学童・生徒に対するイスラエル兵や入植者の妨害・暴行、⑤イスラエル兵やユダヤ人入植者によるパレスチナ人の農場の破壊(オリーブ林の伐採・放火や農地の汚染や家畜の殺害)、⑥パレスチナ人の非暴力のデモに対するイスラエル軍の容赦ない弾圧、⑦ガザ地区への日常的な空爆、などがある。流血や破壊をともなう映像が毎日何件もSNSには投稿されており、正直もはやそれを一つひとつ丁寧に見たり、その詳細を追ったりする気力は失われてしまった。流血をともなう暴行場面の動画を見るのは気分も悪いし、投稿の数が多すぎ「またか」といううんざり感があるためだ。それほどに、パレスチナにおけるイスラエル軍・入植者による暴力は蔓延し常態化しているのだ。
 だが、少し考えてみれば、これはなにも近年の出来事とは言えない。思い起こせば、私が第二次インティファーダ(民衆蜂起)下のエルサレム在住時(2002-04年)は、まだSNSも動画投稿も一般的ではなく(facebook、Twitter、Youtubeともに普及は2000年代後半から)、私自身が現地からメーリングリストやブログで上記のような暴力の実態をおもに文章に頼って発信していた。当時はインティファーダへの弾圧で、イスラエル軍・警察による暴力はたしかにエスカレートしていたし、老若男女の別なくパレスチナ人を暴行・殺害しても平然としていられるどころか、虐待を楽しんでさえいる兵士らの良心の麻痺、モラルハザードも当時から指摘されていた。
 さらに振り返れば、ヨルダン川西岸地区とガザ地区が軍事占領下に置かれたのは1967年の第三次中東戦争からであり、ユダヤ人入植地の建設はそこから始まっている。入植は土地の収奪である以上、つねに軍隊と暴力がともなっていたし、入植地の配置も、すでに将来的併合を念頭に置きながら決められていた。その占領地での抵抗運動は、2000年からの第二次インティファーダ時にはイスラエル国内のアラブ人地域にも広がり、イスラエル軍は容赦なく「自国民」であるはずのアラブ系イスラエル人(パレスチナ人)を弾圧し、多くの死傷者を出した。そのアラブ系市民が最も多い北部ガリラヤ地方は、イスラエルが建国された1948年から66年にかけては厳しい軍政下に置かれ、イスラエル国籍があるにもかかわらず移動の自由さえ奪われていた。先住パレスチナ人はその存在が潜在的「敵」とみなされていたからだ。
 時期時期に応じて抵抗と弾圧がエスカレートするなど波があるものの、本質的には、1948年のイスラエル建国と1967年の西岸・ガザ占領に暴力の起点があるのは疑いない。近年、ことに増加・悪質化が進んでいるように感じられることには、2018年=建国70年を契機としたエスカレートとSNSによる発信の活発化があるためであって、本質的な変化があったわけではない。

3. レイシズムの起こりと歴史

 しかし、活発となったパレスチナ現地からの発信を、私たちは受け止めることができていない。BLM運動が全米化し、世界に共感を広げたのに比べると、「テロをするパレスチナ人が悪い」「イスラエルには自衛権がある」という偏見と短絡が改善される兆しは見られない。アメリカ合衆国のアフリカ系市民(「黒人」)についても、「暴力的だ」「(潜在的)犯罪者だ」といった不当な偏見に晒されてきたし、いまでも根深くそうした言説が流通している。「同じ人間ではない」「殺してもかまわない」という命の軽視ゆえに、停止指示に従わない、ポケットに手を入れるといった挙動一つで射殺される危険に日常的に晒されているのも共通している。だが、公民権法成立(1964年)から半世紀以上を経てようやく、何千人もの理不尽な犠牲者を出しながら、「ブラック・カルチャー」のさまざまな文化政治の実践を重ねていくことで、ようやくBLMの世界的支持にまで発展してきた。
 それに比べて、パレスチナ人の命の軽視という冷淡さはどういうことだろうか。ここで暴力を正当化する根本的な価値観である、命の差別化、すなわち人種主義(レイシズム)に焦点を当てて考えてみたい。というのも、虐待や殺害を正当化し容易にするのは、「ヤツらは同じ人間ではない」という差別思想が根底に共有されているからだ。しかも、レイシズムの歴史的起源を遡ると、欧米における黒人差別は、イスラエル建国につながるヨーロッパの反ユダヤ主義と深く連関していることが分かる。まずはそこから振り返っておこう。
 欧米社会がアフリカ人の奴隷化を始めたことは、1492年のコロンブス船団のアメリカ到達に端を発する。すなわち「新大陸」の植民地化と、そこでのプランテーション経営に奴隷労働力をアフリカから購入することになった、大航海時代の始まりである。南北アメリカの先住民たちもヨーロッパ人からは「同じ人間」とはみなされず、文化・社会を持たない「野蛮人」扱いをされ、それゆえに虐殺・収奪を正当化された。「同じ人間」ではないのだから、土地の所有権もないし人命の尊重も必要ないというわけだ。植民地支配には必然的にレイシズムがともなう。そのアメリカ植民地に連れてこられたのがアフリカ人奴隷であり、現在の「アメリカ黒人」のルーツだ。アフリカ人はその肌の色ゆえに農園主にとっては奴隷の識別・管理がしやすく、そのために「黒人」という肌の色によるカテゴリー化ができた。つまり「黒人」というのは、単純に見た目の肌の色を指しているのではなく、最初から「奴隷」のカテゴリーとして生み出されたことに注意を要する。植民地経営のために人間性を否定され、売買対象とされたのであった。奴隷狩りから、奴隷船での運搬、奴隷労働の残酷さについては言語に絶するものがある。「同じ人間ではない」というレイシズム抜きにはありえない。
 さて、この〈1492年〉には別の歴史的な意味がある。一般には「レコンキスタ」と言われる、キリスト教勢力によるイベリア半島(スペイン)の再征服のことで、数世紀にわたってアラブ・イスラーム治下にあったイベリア半島を徐々に奪還し、最後の領地を陥落させたのがその年であった。このことの決定的な転換は、イスラーム治下ではキリスト教徒もユダヤ教徒も緩やかに共存していたところから、キリスト教支配下ではムスリムとユダヤ教徒は一掃され、純粋なキリスト教社会へと変質したところにある。その過程で、ほとんどのムスリムはオスマン帝国などイスラーム圏へと追放されていったが、ユダヤ教徒の場合はユダヤ教国家がないために、事情がより複雑であった。どこかに移住(追放)するか、キリスト教徒に改宗するか、どちらかを迫られ、ヨーロッパ各地の都市部や中東地域へと移住した人々も多かったが、移住できない場合はキリスト教へ改宗するしかなかった。
 この移住・改宗の期限(1492年7月末日に2日間の猶予を加えて8月2日)の翌日(8月3日)にスペインを出航したのがコロンブス船団であったが、その乗組員の大半がユダヤ教徒であったのは(コロンブス本人にもユダヤ系説があるが不確かである)、レコンキスタと無関係ではない。まさにユダヤ教徒追放令によって、コロンブス船団は新天地を求めて大海原へと出ていったのだ。その後、航路が定まると、多くのユダヤ教徒が南北アメリカへと渡っていくこととなる。
 それと同時にキリスト教国家スペインで進んでいたのは、改宗ユダヤ人(つまりキリスト教徒に改宗した元ユダヤ教徒)の「人種化」であった。改宗が集団的かつ強制的であったからこそ、偽装改宗が疑われたり、信仰が変わったとしても「血は変わらない」と疑われたりした結果、「純粋なキリスト教徒」と区別して、「血統的にはユダヤ人の改宗キリスト教徒」という蔑視が生まれていく。これが「血の純潔」思想、つまりもう一つの人種主義の始まりである。これはスペインにとどまらず、ヨーロッパ・キリスト教社会に広まっていくことになる。
 こうして〈1492年〉は、南北アメリカ先住民および黒人奴隷に対するヨーロッパの「外なる人種主義」と、ユダヤ教徒/ユダヤ人に対するヨーロッパの「内なる人種主義」の両方の起点となり、この二つの人種主義が密接に連関していることを示している。

4. レイシズムの転移と継続

 レイシズムは、18世紀から19世紀にかけての啓蒙思想と科学主義、それと国民国家、この重なりによって、新たな段階に入っていく。一方で啓蒙思想によって、黒人の奴隷化とユダヤ人の隔離とが非人道的だとして批判されるようになり、「奴隷解放」と「ユダヤ人解放」が議論されるようになる。ところが他方で、科学主義によって、「人種」が生物学的に分類可能とされ、国民国家の台頭に合わせて「国民」の規定に人種区分が適用されるようになる。すなわち近代国家のナショナリズムは、たんなる国民統合への意識ではなく、「本来的」なマジョリティ国民がそうでない「周辺的」なマイノリティを差別・序列化することを含み込んだものであった。その結果、奴隷解放とユダヤ人解放の理念はマジョリティ国民に反発を受けて挫折させられ、20世紀にかけて白人至上主義や反ユダヤ主義が高まっていくことになる。
 いずれも20世紀前半に最大の興隆を見せたアメリカ合衆国のKKKやドイツのナチズムについては周知の事柄が多いので、本稿ではその展開を追うことは省略し、イスラエル建国期以降のパレスチナ人迫害に話を急ごう。
 イスラエル国家のパレスチナ人迫害について、しばしば次のような質問をされることがある。「どうしてホロコーストで人種差別や虐殺という悲劇を経験したユダヤ人が、イスラエル建国時の戦争や建国後の軍事占領でパレスチナ人の迫害ができるのか」、と。この疑問自体が、イスラエル建国を「ホロコーストの贖い」と捉えてしまう誤解から生ずる短絡である。建国を支持した欧米各国がホロコーストの贖いとして動いた側面はあるだろうが、建国運動であるシオニズムそのものは、19世紀の国民国家と人種主義の時代のヨーロッパのなかから生まれたそのひとつのバージョンである。国民国家と人種主義によって排除されたユダヤ教徒/ユダヤ人が、「それならば自分たちも国民となることができる独自の国家を」と求め始めたことに端を発し、そのユダヤ人規定は外からの(差別的な)人種主義であったものを自らの内に取り込んだもので、いわば「自己人種化」させていったものである。すなわちシオニズム自体が、その出自からしてヨーロッパのナショナリズムとレイシズムの混合物なのだ。
 したがって、ユダヤ人の国家であるイスラエルにおいて、マイノリティのパレスチナ人市民に対しても軍事占領下にあるパレスチナ人住民に対しても「同じ人間ではない」という人種主義を内面化している以上、相手がパレスチナ人であるという理由で暴力を振るっても自分たちの良心が咎めることもなく、自分たちが罰せられることもない、という価値観が深いところでイスラエルのユダヤ人には共有されてしまっている。実際にどんな理不尽な暴力をパレスチナ人に行使したところで(気まぐれに射殺してさえ)、イスラエルの兵士や警官や警備員や入植者が厳罰を受けることはない。すべては「治安」「防衛」の名目で正当化されている。そして本音のところにあるのは、パレスチナ人は人間ではない以上、奪ってもいい、殺してもいい、というレイシズムなのだ。
 これを象徴する現象は、「パレスチナ人(アラブ人)は動物だ」という言説だ。これはイスラエルのユダヤ人の口から頻繁に語られる常套句である。長編ドキュメンタリー映画『ルート181――パレスチナ~イスラエル 旅の断章』(ミシェル・クレイフィ&エイヤル・シヴァン監督)の冒頭場面から、パレスチナ人労働者を雇う建設現場監督のユダヤ人が吐き捨てるように語っている、「ヤツらは動物と同じだ」と。新聞でも繰り返し、イスラエルの政治家が公の場でパレスチナ人を「動物」呼ばわりしたことが報じられるが、この種の発言が無くなることはない。現在もなおこれが一般に流通している認識と言説だからだ。特定の集団を「動物」と表現するのは、世界のレイシズムに広く見られる現象である。「家畜」や「猿」で表現することも多い。イスラエルにおけるパレスチナ人認識もこの典型例なのだ。

おわりに

 最初にも書いたように、BLMは世界化したが、「Palestinian Lives Matter」のスローガンは残念ながら広まってはいない。「ジョージ・フロイド」の名前は世界に知れ渡ったが、「イヤード・ハッラーク」の名前はパレスチナ人にしか知られていない。「ムスタファ・ユーニス」にいたっては、まさに射殺された瞬間の動画があるにもかかわらず、彼の地元の村での集会以外では抗議の声も上がっていない。この差を考えなければならないし、またこの状況をどうすればいいのかも考えなければならない。
 このことに関して、たとえば「Korean Lives Matter」(在日朝鮮人の差別に対して)や「Papuan Lives Matter」(インドネシアのパプア人の差別に対して)といったスローガン、ひいては「All Lives Matter 誰の命も大事」と敷延させた表現も見られた。BLMの持っている訴求力ゆえであろう。しかし他方で、冒頭でも触れたように「Black」という言葉ひとつからして意味の戦略的転換の結果獲得したものであり、また「Black is Beautiful」などと並んで、BLMが黒人による反差別運動の固有の文脈で生まれ広がってきたということはひじょうに重要である。したがって、「Black」のところにたんに「Palestinian」など別の集団を代入することで同じような訴えができるわけではないし、安易な代入には批判的な意見もある。
 とはいえ、BLM運動への共感はあらゆる差別への気づきと、そしてその差別廃止への取り組みに開かれていることは事実であるし、そうすべきだ。そうでなくては、真にBLMを理解したことにはならない。日本であれば、在日朝鮮人の、沖縄の、アイヌの、難民や非正規滞在者の、置かれている状況に結びつけてBLM運動は理解されていくべきものだろう。その力はいまだ弱くとも。
 パレスチナでは残念ながら、圧倒的なイスラエルの人種差別がむしろエスカレートしているのが実情だ。イスラエルの行使するパレスチナ人への暴力に対して世界が特別に寛容であることの背後には、ホロコーストに頂点を極めた反ユダヤ主義に対する後ろめたさ、イスラエルを欧米の同盟国とみなす連帯感、マジョリティのユダヤ人がヨーロッパ出自であることへの一体感、欧米圏と共通している白人至上主義、反アラブないしイスラーム嫌悪の感情、などを指摘することができるだろう。これを乗り越えるのは途方もなく困難である。
 BLM運動の強力さの背景には、超大国としてのアメリカ合衆国それ自体の大きさと強さがあることも確かだろうし、パレスチナの無力さの背後には、その超大国がイスラエルの最大の庇護国であることもあるだろう。しかしそうだとしても、BLMが白人至上主義、奴隷制の歴史、ひいては植民地主義や欧米中心主義に対する抵抗運動であるならば、BLM運動の成功は必ずパレスチナ/イスラエルにおける人種差別を終わらせることに繋がっていくはずだ。BlackにPalestinianを代入するのではなく、BLMに共感と支持を示し「Black」の歴史に学びながら、パレスチナ人の粘り強い抵抗について、その表現とそれへの連帯の形を模索し続けること。日本でそれを考えるのであれば、イスラエルによるパレスチナの迫害が、世界のアフリカ系(黒人)への差別とともに、在日朝鮮人や沖縄やアイヌへの差別へと接続していることを見いだしつつ、そのすべてを連関させて批判する視点を持つこと。これしかないように思われる。

【参考文献】
赤尾光春・早尾貴紀編『ディアスポラの力を結集する――ギルロイ、ボヤーリン兄弟、スピヴァク』(松籟社、2012年)
徳永恂『ヴェニスのゲットーにて――反ユダヤ主義思想史への旅』(みすず書房、1997年)
G・M・フレドリクソン『人種主義の歴史』(李孝徳訳、2009年)
『季刊前夜 別冊 ルート181・パレスチナ~イスラエル 旅の断章』(NPO法人 前夜、2005年)

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著者略歴

  1. 早尾貴紀

    1973年生まれ、東京経済大学教員。ヘブライ大学およびハイファ大学に客員研究員として2年間在外研究。パレスチナ/イスラエル問題、社会思想史。
    主な著書に、『ユダヤとイスラエルのあいだ――民族/国民のアポリア』(青土社、2008年)、『国ってなんだろう?――あなたと考えたい「私と国」の関係』(平凡社、2016年)、『希望のディアスポラ――移民・難民をめぐる政治史』(春秋社、2020年)、『パレスチナ/イスラエル論』(有志社、2020年)。共編著に、『ディアスポラから世界を読む――離散を架橋するために』(明石書店、2008年)、『ディアスポラと社会変容――アジア系・アフリカ系移住者と多文化共生の課題』(国際書院、2008年)ほか。共訳書に、サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ――パレスチナの政治経済学』(青土社、2009年)、ジョナサン・ボヤーリン、ダニエル・ボヤーリン『ディアスポラの力――ユダヤ文化の今日性をめぐる試論』(平凡社、2008年)、イラン・パペ『パレスチナの民族浄化――イスラエル建国の暴力』(法政大学出版局、2017年)、エラ・ショハット、ロバート・スタム『支配と抵抗の映像文化――西洋中心主義と他者を考える』(法政大学出版局、2019年)ほか。

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