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オックスフォード哲学者奇行

ボヘミアンのマードック

さて、エリザベス・アンスコムに続いて、アイリス・マードック(lris Murdoch, 1919-1999)の話をしよう。

マードックはアンスコムと同じ1919年生まれ。二人ともアイルランド出身だ。アンスコムが学んだのはオックスフォード大学のセント・ヒューズ・コレッジで、マードックはサマヴィル・コレッジである。二人ともケンブリッジ大学で研究員となり、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインから大きな影響を受けた。ただし、アンスコムは戦前の間にケンブリッジ大学に行ったが、マードックは戦後だったため、ウィトゲンシュタインから直接学ぶことはできなかった。また、二人とも戦後のオックスフォード大学でフェローとして教育と研究を行ったが、主流のオックスフォード哲学を唾棄し、アンスコムは「現代道徳哲学」という論文で、マードックは『善の至高性』という著書で、それぞれ痛烈な批判を行った。

 

オックスフォード大の哲学科の廊下に飾ってあるマードックの写真。若い頃はもっと金髪だったという。

共通点はそのぐらいで、最大の相違点は、マードックが哲学者としてだけでなく、小説家としても有名だったことだろう。この点でマードックは彼女の初期の研究対象であったJ=P.サルトルと似ている。マードックはサルトルほどの影響力は持たなかったものの、哲学者としても小説家としても高い評価を得た。彼女の夫のジョン・ベイリーが書いた伝記は映画化され(『アイリス』)、ケイト・ウィンスレットとジュディ・デンチという二大女優がマードックの若い頃と年老いた頃を演じた[1]。この映画を見ればわかるように、マードックは晩年にアルツハイマー病を発症した。映画ではその部分が最も印象的であるため、マードック=ジュディ・デンチ=アルツハイマー病という連想が強くなった観がある。だが、おもしろいのはケイト・ウィンスレットが演じていた若かりし頃だ。とくに今回話したいのは、マードックの大きな特徴である、人付き合いの良さについてである。

なお、ケイト・ウィンスレットは、映画が封切られた当時のインタビューの中で、「私は彼女の大ファンです。だけど、彼女の本は一冊も読んだことがありません。とにかく時間がないものですから」と答えていた[2]。同様に、私もほとんど彼女の小説を読んでいない。とにかく時間がないものですから。

マリー・ミジリーは、マードックと同じ1938年の秋にサマヴィル・コレッジに入学した。彼女はマードックについて、「決して美人ではないが魅力的だった」と述べ、彼女が非常に人気者だった主な理由は、彼女が自意識過剰でなく、他人からの評価をあまり気にしなかったからだとしている。

ミジリーの説明による、コレッジの食堂での席順の話がおもしろい。慣習的に食堂では、3年生が窓側の列に、2年生が中央の列に、1年生が配膳口の近くの列に座ることになっていた。さらに、部屋の奥にあり教員が座っているハイテーブルに近い側には、食事が始まる時刻が来たら図書室から一斉に出てきて、食事が終わるとまた図書室に入っていく地味なガリ勉タイプの女子が陣取り、逆に出口に近い側には、お洒落で髪が長くて目の大きいお人形さんのような女子がよく遅刻して来ていた。その二極の間には、その中間のような女子が座っていた(当時のサマヴィルは女子学生のみだった)。ミジリーは真ん中のグループだったが、マードックは真ん中の席に座ることもあれば、出口に近い方に座ることもよくあり、ときどきはハイテーブルの近くの席に座ることもあったという。このように彼女は誰とでも友達になれる性格だった[3]

マードックは男子学生からも人気があった。彼女は入学後すぐに共産党に入党し、演劇部にも入って活発に活動していた。大学1年目が終わった夏休み、ミジリーとマードックが他の女友達とボートに乗って遊んでいるときに、マードックが「本当に結婚したいの。結婚するためには何だってするわ」と言った。友達の一人が「でも、あなたは前の学期だけで6人から求婚されたんでしょう」と言うと、マードックは「ああ、それは数のうちに入らないわ」と興味なさそうに返事したという[4]

サマヴィル・コレッジを入ったところにあるゲート。この紋章はAgnes Catherine Maitlandという20世紀初頭の学寮長の家紋で、コレッジの紋章は別にある。

さらに、彼女が大学を卒業して戦時中にロンドンの財務省で働いていた頃、フィリッパ・フットと1年半近く仲良く同居していた。あるとき、二人は恋愛話をしていて、これまでに何人に求婚されたかを言い合いっこすることにした。すると、フットのリストはすぐに尽きたのに対して、アイリスは延々と名前を挙げ続けるので、フィリッパは我慢できなくなり、求婚しなかった男性の名前を挙げた方が時間の節約になるんじゃないかと言ったという[5]。フットの未来の夫も、フットと婚約する前にはマードックと恋愛関係にあり、そのせいで二人はしばらく関係が悪くなったようだ。

ピーター・コンラーディのマードックの伝記では、「ボヘミアン」という言葉がよく出てくる。ボヘミアンとは「彼女の世代にとっては、しばしば共産主義と同様に、ブルジョワ階級の因習に対する反抗の一部をなしていた」のであり、それは1つには質素な生活、もう1つにはフリーセックスを含んでいた[6]。マードックのボヘミアンなライフスタイルは、彼女が1948年にセント・アンズ・コレッジのフェローになってからも続き、ときどき学生と同じ「ボヘミアン」パーティーに顔を出したり、学生と一緒に公園の門をよじ上って帰宅したりしていた[7]。一度、マードックは冗談で「オックスフォードの男性で、関係を持っていないのはたぶん一人だけだ」と言っていたという。

マードックのボヘミアンっぷりは、少なくともオックスフォードでは規格外だったようだ。マードックと1956年に結婚したジョン・ベイリー(彼もオックスフォード大学の英文学者である)は、結婚する前に彼女から過去の恋愛遍歴を聞かされてひどく落ちこんだという。

「私は彼女から聞かされたすべてのことに本当にとても気が滅入った。〔マードックと関係を持つことのできた〕幸運な人々があまりに大勢いて、また驚いたことに、私が今学んだことは、何人かの普通の人々や、顔見知りや、私自身の同僚までもが、過去のどこかの時点で、アイリスの恩情の受け手だったということだ(中略)。今日の視点からすると、すべてがあまりに非現実的で、あまりに古くさく見える。だが、当時は過去のある女性は異なっていたのだ、ちょうど過去そのものが常に〔現在とは〕異なり、常に異国であるように。」[8]

引用文中で「幸運な人々(fortunate persons)」となっているように、マードックと恋愛関係にあったのは男性だけではなかったようだ。セント・アンズの教員(当時は全員女性)の多くからも愛されていたと言われる[9]。そうした関係は結婚後も続いたようだが、マードックの結婚は彼女が1999年に亡くなるまで、40年以上続いた。

セントアンズコレッジ。マードックは1948年から1963年までこのコレッジでフェローをしていた。

 

以上のような話がマードックの道徳哲学の中心にある「善」や「愛」や「注視」の概念を理解するのに役立つ……とはあまり思わないが、次のような彼女のプラトン主義的で抽象的な文章に色彩を与える役には立つかもしれない。

「善は愛が本来それへと向かう磁力の中心なのである。(中略)そして不完全なものを完全に愛そうとするとき、われわれの愛は善を介してその対象に向かうことになり、その愛は純化され、非利己的で正しいものとなる。(中略)愛とは愛着を表す一般名であり、限りなく堕落しうるし、また最大の過誤の源泉でもある。しかし、愛が部分的にせよ洗練されるとき、それは善の追求において魂のエネルギーや情熱となり、われわれを善に繋ぎとめ、善を通してわれわれを世界に繋ぐ力となるのである。愛の存在は、われわれが卓越性に魅了され、善へと向かう霊的存在者であることの紛れもないしるしである。」[10]

次回は彼女が学生時代に大きな影響を受けた二人の教員の話をしたい。一人は文献学者のエドアード・フレンケル、もう一人は哲学者のドナルド・マッキノンである。

 

[1] Bayley, J., Iris: a memoir of Iris Murdoch, Duckworth, 1998 なお、Elegy for Irisという本は題名が異なるが同じ内容である。

[2] Wilson, A. N., “This is not the Iris I knew,” The Telegraphy, 20 January 2002, https://www.telegraph.co.uk/comment/personal-view/3572054/This-is-not-the-Iris-I-knew.html

[3] Midgley, M., “First Impressions,” The Owl of Minerva: A Memoir, Routledge, 2005

[4] Conradi, P. J., Iris: the life of Iris Murdoch, W. W. Norton & Company, 2002, at 4.5

[5] Op. cit., at 7.2

[6] Op. cit., at 6.6 なお、このコンラーディは『英国王のスピーチ』の共著者のコンラーディとは別人。

[7] Op. cit., at 11.2

[8] Bayley, op. cit., Part I, sec.3 なお、最後の過去は異国であるという一節は、L. P. ハートリーの小説『仲介者』からの引用だろう。

[9] Conradi, op. cit., at 11.2 この話はマリー・ウォーノックの自伝にも出てくる。Warnock, M., A Memoir, Gerald Duckworth & Co. Ltd., 2000, p.73

[10] I. マードック(菅豊彦・小林信行訳)『善の至高性:プラトニズムの視点から』九州大学出版会、1992年、160頁

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著者略歴

  1. 児玉 聡 (こだま さとし)

    京都大学大学院文学研究科准教授
    1974年大阪府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。博士(文学)。東京大学大学院医学系研究科で専任講師を務めた後、2012年から現職。
    主な著書に『実践・倫理学』(勁草書房、2020年)、『正義論』(共著、法律文化社、2019年)、『入門・倫理学』(共編、勁草書房、2018年)、『マンガで学ぶ生命倫理』(化学同人、2013年)、『功利主義入門』(筑摩書房、2012年)、『功利と直観』(勁草書房、2010年、日本倫理学会和辻賞受賞)など。

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