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残余の声を聴く――沖縄・韓国・パレスチナ

韓国の「慰安婦」運動、そして民主化を内破する「複数の政治」 趙慶喜

 はじめに

 新型コロナウィルスの世界的流行とともに、今日の韓国社会は、複数の社会的な変化と混乱を同時に経験しつつある。その一つのきっかけとなった出来事は、韓国で日本軍「慰安婦」運動を率いてきた韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)および元代表の尹美香(ユン・ミヒャン)をめぐって韓国内部の葛藤が顕在化したことであった。長らく挺対協(2018年7月からは正義連)の代表を務めた尹美香は、2020年4月におこなわれた総選挙において、与党の比例政党から比例代表で当選し国会議員となった。その矢先の5月7日、日本軍「慰安婦」被害者・李容洙(イ・ヨンス)さんから尹元代表と正義連に対する内部告発が行われると同時に、正義連の活動方式と財政問題をめぐって、さまざまな「疑惑」が拡散した。この過程で尹美香と正義連に対するメディアと世論の熾烈な攻撃が展開された。
 この一連の出来事は、まずは韓国政治と市民社会の大きな枠組みである保守/進歩という陣営上の対立を反映したものであった。ろうそくデモから進歩派の文在寅政権が誕生し、586(50代の80年代に大学に入った60年代生まれ)と呼ばれる民主化運動世代が韓国社会のメインストリームとなった現在、進歩派の政治家や運動家の綻びは保守勢力によって徹底的に槍玉にあげられる。尹美香と正義連はその格好の対象となった。しかし同時に、あるいはそれ以上に、この間に起きたことは、民主化世代と20-30代との世代間のズレ、そしてここ数年のあいだに昂揚したフェミニズムや被害者中心の運動をめぐる立場の違いを露呈させたものでもあった。三ヶ月が経った現在もこの事態は進行中であるが、本稿では、この一連の過程を振り返りながら、「慰安婦」運動の現在と(文在寅政権の下での)民主化の進展がもたらした韓国における「複数の政治」についての見通しをたててみたい。

被害者と支援者を分断するもの

 コロナウィルスの流行がやや収束した2020年5月7日、元日本軍「慰安婦」被害者である李容洙さんの記者会見が突如メディアを賑わし始めた。李容洙さんといえば、被害者であると同時に活動家として、挺対協とともに「慰安婦」運動の先頭に立って活躍してきた人物であった。その記者会見の内容は国会議員となった尹美香元代表への失望、これまでの「慰安婦」運動や水曜集会(毎週水曜におこなわれた「慰安婦」問題解決のための集会)のあり方への苦言、そして日韓の若者たちの交流への希望など多岐にわたっていたが、何より衝撃を与えたのは、活動資金や国内外の募金の扱いに対する訴えであった。「集めたお金をハルモニたちのために使わなかった」「挺対協に利用された」という被害当事者のメッセージは、挺対協・正義連が30年にかけて積み上げてきた活動の成果を一瞬で崩してしまうほどの衝撃をもたらした。
 会見後から尹美香と正義連のこれまでの活動に対して凄まじい攻撃が開始された。それは魔女狩りと呼ぶにふさわしく、時には活動家たちの心と体をずたぼろにするほど悪質であった。正義連は即座に被害者に支払った金額の領収書とともに反論文を提示し、また速やかに記者会見を開いて事態を収拾しようとしたが、一気にヒートアップしたメディアによる「速報」合戦を逆に加速させることになった。『朝鮮日報』を筆頭とする保守メディアは、「尹美香が家を5軒購入した」、「尹美香自ら審査委員となって16億ウォンの政府補助金を受けた」、「寄付金を流用して娘の留学費に充てた」、「正義連が一晩で3300万を酒代に使った」などのデタラメな内容を「疑惑」として垂れ流し、日本のメディアもまた連日それをそのまま報道した。それは、日本の「嫌韓」言説の発信源が日本ではなく韓国の保守メディアにあったことを露呈したかのようだった。
 5月20日には早々と正義連に対する検察の家宅捜査が始まったが、検察の強硬姿勢によって逆にメディアの過熱ぶりが収まるのではないかと期待したほどであった。しかし6月7日、過剰捜査と連日の悪意に満ちた報道のなか、被害者シェルターである「平和の家」所長・孫英美(ソン・ヨンミ)さんが自ら命を断つという取り返しのつかないことが起きてしまった。会計処理の問題については今もなお捜査中で詳細が明かされてないため、憶測による記述は控えなくてはならない。事実、7月に入ると、多くの保守メディアは言論仲裁委員会の決定にもとづき正義連に関する記事の訂正報道文を相次いで掲載することになった1。この間、尹美香と正義連をまるで国民全体を騙した詐欺集団のように仕立て上げたメディアの責任はとてつもなく重い。

保守メディアの訂正報道文の一例

 この過程で私が暗澹たる思いに陥ったのは、李容洙さんの告発のせいでもなければ、正義連が抱え込んだ不正会計疑惑のせいでもない。保守メディアが「被害者を利用して金儲けをする支援団体」という像を執拗に植え付け、李容洙さんと正義連を無残に分断してしまったことであり、その過程で尹議員と正義連に象徴される「慰安婦」運動の取り組みを、偏狭な反日主義や正義の独占であると矮小化したことであり、同様の攻撃が「慰安婦」問題にほとんど無関心であった人々によって堂々と繰り返されたことであった。
 皮肉な見方をすれば、韓国社会はいつからこれほど「慰安婦」被害者の声に耳を傾け、被害者中心主義を語るようになったのか。これが「慰安婦」運動の大衆化の帰結であるのか。これまでの支援者への敬意なくして被害者を語ることがなぜ出来るのか。長年「慰安婦」被害者たちの証言に接してきた法学者ヤン・ヒョナの言葉を借りるなら、「〔1991年の〕キム・ハクスンさんの登場後、韓国では被害者の証言が数え切れないほど行われたにもかかわらず、なぜよりによってこの『証言』を多くの市民たちが一緒に聞くことになったのか、今のこの状況に胸が塞がる思いだ」2
 確かに李容洙さんは正義連の運動の仕方を叱責し、尹美香元代表への深い失望を語ったが、長い月日のなかで苦楽を共にした被害者と支援者の間には、当然しがらみや相性の良し悪し、互いへの不満など、私たちの想像を超えた濃密な関係性があったと思われる。「30年を尹美香とやってきたのに、(最後まで)解決はするべきじゃないですか。解決もしないで国会議員だか長官だか、そこに行く尹美香を私は知りません」。この言葉からは、尹前代表が国会議員となって被害者運動から遠ざかっていくことへの失望や悲しみ、やりきれなさが十分に伝わってくる。
 さらに李容洙さんは、会見を次のような言葉で締めくくっている。「私はとても寂しかった……女の身で全力で生きてきたのに、なぜこれほど寂しく生きねばならないのですか。なぜ認めてもらえないのですか。れっきとした被害者なのに……なぜ泣かなくてはならないのですか。自分の身があまりに哀れです」。この言葉を尹美香と正義連に対する告発としてのみ受け取ることがどうして出来るだろうか。記事をシェアしたり多少の募金をしただけで「慰安婦」運動に関わった気になっていた人々、あるいはこれまで「慰安婦」問題に無関心でいられた人々が取る態度としては、あまりにフェアではない。李容洙さんの悲しみは、「慰安婦」運動の過程で経験した疎外感や徒労感、証言を否定され続けた過程、そして結局は何も変わらない現実それ自体が強いたものである。そのやりきれなさを、最も近くにいる信頼した人々にぶつけるしかなかったのだと理解するべきであった。

陣営論を超えた複数の政治

 冒頭で述べたように、正義連をめぐる事態は、何より与党国会議員となった尹美香に対する保守陣営からの政治的攻撃という文脈と切り離すことはできない。曺国(チョグク)元法相の時と同様に、保守陣営の尹美香議員への過剰な執着は文在寅政権に対すると攻撃と同一線上にある。より正確にいえば、尹美香と正義連への攻撃は、保守メディアによって「第二の曺国」プロジェクトとして企画された面を否定できないし、進歩陣営もまたそれに真っ向から対決する姿勢を見せていた。
 たとえば、文政権支持者であり幅広い世代に圧倒的な影響力を持つジャーナリストのキム・オジュンは、李容洙さんの訴えについて、「記者会見の文章を見るとハルモニが書いたのではないことが明白です。文章を見ると、到底あのお年の方が書いたとは思えない用語が出てくるのがすぐにわかる」と政治的陰謀論を前面に押し出した。
 こうした判断には一定の蓋然性がある。自らを棚に上げ、進歩派の政治家に高い道徳性を求めてとことん追い詰めるのは検察と保守メディアのお決まりの手口であり、その暴走がこれまで多くの悲劇を生み出してきたからだ。特に市民に幅広く愛された盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領と正義党代表をつとめた魯会燦(ノ・フェチャン)議員の自死は韓国市民社会に深いトラウマを残した。いわゆる「チョジュンドン」(朝鮮日報・中央日報・東亜日報)などの保守新聞だけでなく、それらに便乗して進歩派の過誤を針小棒大に報じる「ハンギョンオ」(ハンギョレ・京郷新聞・オーマイニュース)に対する不信感や嫌悪感もどんどん高まりつつある。そうしたなかで、ニューメディアを駆使してフリーで活動するキム・オジュンの発信からは、与党である民主党を擁護しなければという陣営論的な使命感さえ伝わってくる。
 しかし、陣営論や陰謀論の枠組みでは、もはや韓国社会のダイナミズムの半分のみを理解することにしかならない。保守/進歩という陣営的対立と同時に、あるいはそれ以上に階級・世代・ジェンダーなどによる進歩派内部の対立が日々生じつつあり、さらにいえば、いわゆるNL/PD論争3と呼ばれる過去の学生運動における民族と階級をめぐる路線対立の名残も複雑に入り組んでいる。残念ながら後者の問題については本稿で扱うことはできないが、ここ数年のあいだに韓国で起きた#MeToo運動、曺国を取り巻く混乱、そして正義連の問題も、みな進歩派内部のいわゆる「小文字のポリティクス」とともに理解される必要がある。それらをいまだに「小さくて取るに足らないもの」と見なして憚らない進歩派の既得権層に対する反発が、今日新たに生成しつつある「複数の政治」の根幹にある。

 たとえば、李容洙さんの会見の「背後」を問題にするキム・オジュンらの陰謀論に対して、最も右寄りの『朝鮮日報』はすかさず「ハルモニを痴呆扱いして現実を歪曲する進歩勢力」と報じた。これまで被害者の信憑性すら疑ってきた『朝鮮日報』の恥知らずな言動は、まさに「被害者中心主義」の乗っ取りであると呼ぶにふさわしい。他方で、フェミニストを中心とした進歩派の若い世代もまた、陰謀論に対し被害者の主体性を毀損するものだとして不快感をあらわにした。同じように陰謀論を批判しても、保守派とフェミニストでは追求する価値が全く異なるのは言うまでもない。にもかかわらず、進歩派の主流勢力のなかには、内部の異論を「保守勢力に同調するかのような物言い」であるとして、陣営論に回収しようとする動きがある。若い世代をはじめ言論の周辺にいる人々は、陣営論に回収されることを拒むとともに自らの言葉が正当に位置づけられる公論の場を探している。
 李容洙さん自身も「〔私は〕学のない人間だが、記者会見文は私が読んで書いてそうやって準備した……娘(養女)がいるからそのままきちんと書いてほしいと頼んだ……この年になってみなさい……二度とそんなことは言うな」と反発した。率直にいうと、私もまた李容洙さんの会見内容が様々な政治の渦のなかで生まれたものであると直感した。しかしそれはある意味で当然のことでもあった。被害者であるとともに活動家として過ごしてきた彼女が、支援団体から一歩引いたところでこれまでの活動の問題点を世に問い、混乱しながらも自らの方向性を示したのである。もともと政治的感覚に優れた人でもあったと評価される。李容洙さんの記者会見を何度も見るなかで、いかに私たちが「被害者の純粋な意図」と「周囲の政治的介入」を区分し、被害者を無垢な弱者として囲い込み、非主体化することに慣れているのかを痛感した。
 「『背後』のない証言はない」。そう述べた文学評論家の李知垠(イ・ジウン)の言葉を参照しよう。

……証言はそれを取り巻くものと関係を結ぶしかない。であるならば、「背後」という陰険な言葉を再専有し、証言者の側から打ち立てることはできないだろうか。
 振り返ってみると、すべての証言には「裏に隠れた背後」の聴取者がいる。……金学順(キム・ハクスン)ハルモニの証言が「最初の公式証言」であると記憶されるのは、金学順ハルモニが日本政府を対象に戦争犯罪の責任を問うたからでもあるが、他方では、そうした「語りの場」を準備しハルモニの言葉を傾聴した「頼もしい背後」がいたからであった。……証言があるまで当事者ではなかった人々、戦争犯罪に反対した人々の努力が、まさに金学順ハルモニの証言の「背後」である。そうであれば、私たちは「証言の背後に誰がいるのか」を問う代わりに「どのような背後となるか」を問うべきではないだろうか4

 「背後」にある陰謀を暴こうとする旧世代の男性主義的な視線に対して、「背後」を自らの言葉で定義し直し、「背後になる」ことによって被害者と証言に寄り添おうとする人々がいる。「証言の背後になる」ということは、自ら被害者の声を聞き取り、証言をバックアップすることで問題の当事者となることである。被害者と支援者、証言者と聴取者といった相互関係を一対一の平面的なものではなく、相互に支え合う立体的な経験として捉え直すということでもある。そして、私たちはこれまでこの「背後」の役割を、正義連と地域の支援団体など一部の活動家たちに過剰に負わせてきたという事実をあらためて認めなくてはならない。
 正義連は別途に基金を設け、コンゴの戦時性暴力被害女性たちを支援したり、朝鮮学校に通う在日朝鮮人に奨学金を与えるなどの事業もおこなってきた。それすらも不正会計「疑惑」の対象となっているが、常に奔走していた正義連がこうした地味な活動にも関わっていたのは、「慰安婦」被害者たち自身の意志、痛みを共有する誰かの「背後になる」という意志のあらわれでもあった。李容洙さんも日韓の若者たちに対する正しい教育と相互交流への思いを何度も口にしたように、「慰安婦」運動はただ日本政府を告発するだけではなく、痛みを分かち合い繋がることを目指した運動でもあった。
 尹美香と正義連をめぐる狂騒は、被害者と支援者を分断し、進歩派内部を分断し、人権や正義の理念をも分断したが、同時に旧来の政治の枠組みでは自らの正義を表明することができない人々の存在を可視化した。それは「20-30代」であり、「女性」であり、「学生」であり、「非正規労働者」であり、その全部であるかもしれない。固有の経験に根ざした言葉は時に荒々しく攻撃的であり、それぞれの利害関係によって戦線は錯綜している。国会議員となった尹美香を既得権層と見なす若い世代もいれば、民族主義的な傾向が強いとして正義連の運動に冷淡な態度を取るフェミニストもいる。ただそのなかでも、「慰安婦」運動の否定ではなく、その継続のための努力を始める複数の主体が確実にある。正義連の活動はそれらの「複数の政治」とともに刷新され、より開かれたものになるはずである。

「被害者」の傍にいること

 30年前、脱冷戦とともに始まった記憶と証言の時代は、それまで水面下に潜んでいた個々人の被害を明るみにした。その最も大きな契機が日本軍「慰安婦」被害者による証言であったことは誰もが認めるところである。そして韓国と日本、そして国際的な連帯へと広がった「慰安婦」運動の展開において、挺対協・正義連が果たした役割は計り知れないものがある。支援者たちはただ被害者のケアをするだけの存在ではない。彼女たちは生活上の支援者であると同時に平和運動の活動家であり、市民団体の職員であると同時に「慰安婦」被害者の証言を聴き取ってきた専門家でもある。そしてそれは専従の支援者たちだけに任されているのではない。韓国と日本の多くの市民たちは、すでに日本軍「慰安婦」被害者たちの声の聴き手としての経験を共有しており、それについて議論をしてきた蓄積もある。韓国と日本の研究者や活動家がともにつくりあげた日本語で読める書籍や漫画、オンライン資料も多数存在する5。こうした蓄積が証言を支える分厚い「背後」となり、それぞれが「慰安婦」問題に関与する当事者となることを切に願う。
 本稿を準備する過程で、朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長についてのニュースに接することになった。民主化のアイコンであった現職ソウル市長の突然の自死と、その引き金となった元秘書からのセクシャル・ハラスメントの告発は、韓国社会をさらに衝撃の渦におとしいれた。本記事の内容とは全く別々に起きた出来事であり、また性被害者が加害者を告発したという点で正義連をめぐる葛藤とは根本的に異なるが、どちらも韓国社会の民主主義が急進化するなかで惹き起こされた苦痛の経験であり、またどちらも被害者と向き合うことの意味を残酷なほど真っ直ぐに突きつけた出来事であった。しかし遺憾にも、民主化や人権運動の象徴であった元ソウル市長は、被害者と向き合うことの出来ない所に自ら身を投げてしまった。そこにもやはり、保革の陣営・ジェンダー・世代といった複数の亀裂が複雑に絡み合っていることを指摘する優れた記事がすでに日本語で読むことが出来るので、参照していただきたい6
 世代間の葛藤、そしてフェミニズムや#MeToo運動の高揚を経て、韓国の民主化は複数の対立軸が絡み合うことで内破する状況へと移行しつつある。それだけ民主主義が過剰に発動しているということであり、決して日本でよく評されるように不安定で脆弱なわけではない。多くの人々が、切れて繋がることで、韓国社会の内なる民主化を模索し希求している。「どちらの側(がわ)につくのか」という問いに対して答えを出すのは容易ではない。それでもやはり被害者の傍(そば)から民主化や人権のあり方を考えていくほかないと考える7 。こうして韓国の民主主義は「複数の政治」とともにより鋭敏に更新されていくことであろう。


1. 報道訂正文を掲載したのは、朝鮮日報・中央日報・国民日報・韓国日報・韓国経済・ソウル経済・ニューデイリーなどである。
2. ヤン・ヒョナ「被害者を代弁するということ――あの多くの『ハルモニたち』はどこへ」『ハンギョレ新聞』2020.6.2. http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/36817.html
3. 民族解放派(National Liberation: NL)と民衆民主派(People’s Democracy: PD)による対立。前者が反帝国主義と反米を基礎とし民族の解放と統一を最優先課題とするのに対し、後者はマルクス主義の伝統に基づき労働者の解放と階級問題を最優先課題とした。
4. 이지은「지속되어야 할 ‘위안부’ 운동을 위하여(続くべき「慰安婦」運動のために)」, 『일다 ILDA』2020.5.13. http://www.ildaro.com/8728
5. この問題について、日本で「慰安婦」運動を率いてきた人々の記事を参照してほしい。金富子「日本の「慰安婦」問題解決運動からみた挺対協・正義連運動」『京郷新聞』2020.6.29. http://www.restoringhonor1000.info/2020/06/blog-post_32.html 梁澄子「『正義連』バッシングの構図:報道と事実」『世界』2020.8. 金富子が記事の末尾に書いているように、遠くない時期に「慰安婦」被害者の証言集の日本語翻訳が刊行される予定である。筆者も翻訳に関わったこの証言集(『証言第4集』)は、まさに話し手と聴き手の相互作用の産物としての証言のあり方を掘り下げた成果である。また、最近日本語で翻訳された漫画に、『草:日本軍「慰安婦」のリビング・ヒストリー』(キム・ジェンドリ・グムスク著/都築寿美枝・李昤京訳)がある。
6. 徐台教「朴元淳ソウル市長の死で露わになった、韓国社会の巨大な『亀裂』」『YAHOO!ニュース』2020.7.14. https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20200714-00188116/
7. 側(편)と傍(곁)の論理については、엄기호『단속사회』창비, 2014を参照した。

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著者略歴

  1. 趙慶喜

    1973年生まれ、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了、東京外国語大学にて博士号取得。2004年からソウル在住。現在、聖公会大学東アジア研究所助教授。歴史社会学、植民地研究、ディアスポラ研究。
    主な共編著に『主権の野蛮:密航・収容所・在日朝鮮人』(ハンウル、2017)、『「私」を証明する:東アジアにおける国籍・旅券・登録』(ハンウル、2017)、共訳書に金東椿『朝鮮戦争の社会史:避難・占領・虐殺』(平凡社、2008)、白永瑞『共生への道と核心現場:実践課題としての東アジア』(法政大学出版局、2016)、主な論文に「『朝鮮人死刑囚』をめぐる専有の構図:小松川事件と日本/「朝鮮」(『〈戦後〉の誕生:戦後日本と朝鮮の境界』新泉社、2017)、「裏切られた多文化主義:韓国における難民嫌悪をめぐる小考」(『現代思想』2018.8)など。

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