明石書店のwebマガジン

MENU

きた道アメリカ、オモテウラ

アラバマ・フリーダム・トレイル(2):自由を求めて響くゴスペル、渡る橋

「ブラザーフッドだよ」
 バーミンガム2日目の朝、私たちはダウンタウンから少し離れた住宅街にある「アフリカン・ビレッジ」を訪ねた。地元アーティスト・ジョー・ミンターさんの自宅の庭をギャラリーにしているものだという。
 かつての黒人居住区だったこのエリアには、彼らが住まわされていたのであろう古い粗末な集合住宅が立ち入り禁止のまま取り残されていた。しばらく車を走らせ、教会の角を曲がると程なくジョーさんの家だ。
 家のゲートは閉まっており、ひとまず外から作品を見てみる。ものすごい数の作品だ。庭の中にも、フェンスにも作品が所狭しと飾られている。

 アフリカ系アメリカ人の苦難だけでなく、世界中の苦しみに思いを馳せた作品が見える。中には、東日本大震災の際の津波に思いを馳せた作品もあった。

“Good morning, y'all” (y'allは南部の言葉でyou all「みなさん」という意味)
 私たちが作品を眺めていると向かいの家からアフリカ系アメリカ人の女性が出てきて、気さくに挨拶をしてくれる。
 そのうち、家の中からジョーさんが出てきた。声をかけると、天を仰ぎながらこのアフリカン・ビレッジや作品について話してくれる。口上のような朗々としたリズムだ。南部訛りのジョーさんの説明はほとんどわからなかったけれど、神との関係が作品作りの中核にあるようだ。
 最後に、ジョーさんの作品の写真集を購入し、サインをもらって記念写真を撮ってもらった。

 去り際、自分たちが日本から来たことと、津波についての作品を見たこととお礼を伝えた。
「ブラザーフッドだよ」
 ジョーさんはそう一言言って家の中に戻って行った。

悲劇の現場に響くゴスペル
 ダウンタウンに戻り、再び公民権運動ミュージアム前にやってきた。向かいにある「16番通りバプティスト教会」で日曜礼拝に参加するためだ。


 それほど大きくない、作りとしてはごく普通の地域の教会だが、アメリカにとっては歴史的な場所だ。アフリカ系アメリカ人の教会であり、公民権運動の拠点だったこの場所では、1963年9月に白人至上主義者に爆破され、4人の少女が亡くなったのだ。


ミュージアムに展示された4名の被害者の写真

 キング牧師がI have a dream演説を行い、20万人のプロテスターたちとワシントン大行進を成功させたわずか1か月後のことである。今は再建され、私たちのような観光客も日曜日のゴスペル礼拝に参加することができる。
 礼拝が始まるとステージ上段にいる聖歌隊と下にいるバンドで歌が始まる。印象的だったのは“Oh Freedom!”だ。今も全米各地で歌い継がれる有名なプロテスト・ソングである。


2020年の“Black Lives Matter”の抗議活動の中でOh Freedom!を歌う人たち

 その後、牧師が案内や説教をする中で、初めての参列者を迎え入れる場面があった。牧師が初めての参加者に挙手を求める。私たちと後方に座っているいくつかの白人のグループから手が挙がるが、みな旅行者といった風情だ。それでも、地元参列者が一人ひとりに声をかけ、握手とハグで迎え入れてくれる。小さなわが家の娘にも「静かにしていて良い子ね」と優しく声をかけてくれる。
 この街の人たちは迫害と弾圧を超え、こうして半世紀に渡り人々を迎え入れてきたのだと思うと、万感胸に迫る。レジリエンスという言葉と、「ブラザーフッドだよ」という今朝のジョーさんの言葉が思い出された。

「血の日曜日」から勝利の行進へ
 教会から出た私たちは、南部の名物スープ・ガンボをテイクアウトしてバーミンガムを出発した。車上でスープをすすりながら向かうのはセルマだ。日本では馴染みのない町だが、時のジョンソン大統領が自由を求めるアメリカの歴史を作ったターニングポイントとして、独立戦争の始まったレキシントン・コンコードなどと並び称される歴史的場所である。
 バーミンガムを出て2時間弱、まずはダウンタウンの端にあるブラウンチャペルA.M.E.教会に到着した。教会自体は閉まっているが、外にはキング牧師の胸像とこの町での公民権運動の記念碑が建っている。

――彼らは不正義を克服し、全てのアメリカ市民の投票権を守るために命を捧げた。

 その下には1965年3月11日に殺害された3名の犠牲者の名前が刻まれている。そして、ここがセルマからモンゴメリーへの歴史的行進の出発地であったことが書かれている。アフリカ系アメリカ人たちの選挙権が法的に認められた後も、南部では実際には彼ら彼女らは投票することができないよう妨害され続けており、投票権を求めてこの町で行進が行われたのだ。
 さらに、私たちはすっかり寂れてしまっているダウンタウンに進んだ。廃墟となったかつての豪華ホテルの向こうに一つの橋が見える。

 エドムンド・ペタス橋だ。1965年3月7日年日曜日、25歳の若き活動家ジョン・ルイスに率いられた非暴力のプロテスターたちが、平等な選挙権を求めてこの橋を渡った。橋の向こうには武装した警察官たちが並んで待ち構えており、殴打や催涙ガスなどで暴力的にプロテスターたちを鎮圧した。この様子は、速報として全米に伝えられ、悪名高きアラバマ州知事ウォレンの指示のもと行われた「血の日曜日事件」として多くの人に衝撃を与えた。
 2日後に、行進禁止令の中、キング牧師も加わった第2回の行進が行われた。同じく橋の向こうでは武装した警察隊が待ち構えており、プロテスターたちは橋の上で祈りを捧げ、公民権運動の象徴的な歌“We Shall Overcome(私たちは打ち勝つだろう)”を歌って、引き返したという。
 3月15日、ジョンソン大統領はその同じ歌“We Shall Overcome”を引用した平等な選挙権についての演説を行い、その2日後には行進禁止令が解除された。第3回の行進に向けては、全米から数千人がこの小さな田舎町セルマに集結したという。
 橋の右側の歩道をあがっていくと、ちょうどお洒落なジャケットを着込んだ2人のアフリカ系アメリカ人の男性が記念写真を撮ろうとしていた。前を歩いていた連れ合いが声をかけられ、写真を撮ってあげた。おそらく、アジア人がここにいるのは珍しかったのであろう、どこから来たのかと聞かれたのち、「どうやってこの橋を知ったの?」と尋ねられた。連れ合いは「映画がきっかけで」と答えている。素晴らしい出来事だと私たちは続ける。
 橋は傾斜がきつい上に案外長く、娘は少し疲れてきた。逆サイドには、向こう側から戻ってくる白人の親子が歩いている。橋の上で私たちも記念写真を撮り、車に戻るために橋をおりた。橋のたもとには歴史を記した看板が立っており、この橋で起こった出来事とその功績、そしてオバマ大統領がセルマに言及した演説と大統領就任について書かれていた。
 ちょうど車に乗り込もうとしたところを、1人の男性に声をかけられた。地元の団体の人だそうで、歴史資料の販売をしているという。売り上げは地元の活動資金になるそうだ。パラパラと見ると面白そうで、購入することにした。残念ながらこの日は日曜日で国立公園局のビジターセンターや地元のお土産屋も閉まっていたので、ちょうど良かった。
 車に乗り込み、再びエドムンド・ペタス橋を渡る。向かったのは、行進の目的地であったモンゴメリーだ。アラバマ州の州都であり、かつての南部連合国の首都でもある。1965年3月21日の第3回行進で、全米から集まった数千人のプロテスターたちが4泊5日かけて歩いた道を走る1時間のドライブだ。65年前の勝利の行進に想いを馳せながら、モンゴメリーを目指した。

追記
 ワシントン大行進で演説を行ったスピーカーの最後の生存者であり、血の日曜日にセルマで若い命をかけてエドムンド・ペタス橋を渡ったジョン・ルイス氏が、2020年7月16日逝去した。6月にワシントンD.C.にできたBlack Lives Matterプラザにボウザー市長と訪れたのが、公に見せた最後の姿だったそうだ。
 彼の死を悼むセレモニーの一環として、7月27日、遺体をのせた馬車がセルマのこの橋を渡る“Final Crossing”が行われた。

 渡り終えた橋の向こうでは武装した警察ではなく、彼の死を悼む多くの人々が待ち構えており、主要メディア各社が伝えた中継の映像からは女性の声で“Oh Freedom!”が、続いてキング牧師が「我々のプロテスト・ソング」と呼んだ“Ain't Gonna Let Nobody Turn Me Around(誰も私を引き返させることはできない)”の合唱が聴こえた。
 長きにわたり活動家として、(南部ジョージア州選出の珍しい民主党)国会議員として、決して引き返すことなく戦い続けたその人生に敬意を表し、哀悼の意を捧げます。

参考文献
Bureau of International Information Programs U.S. Department of State 「ついに自由を我らに:米国の公民権運動」

 

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 鈴木 晶子

    NPO法人パノラマ理事、セプテンバー・ハウスMAJコアメンバー(米メリーランド州登録NPO)。臨床心理士。大学院在学中よりひきこもり支援に関わり、若年無業者支援、生活困窮者支援などの現場を経験。生活に困難を抱える女性、若者、子どもの支援を中心に活動している。現在、在アメリカ合衆国。著書に『シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』(共編著、明石書店、2017年)など。

関連書籍

閉じる