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私とあなたのあいだ――この国で生きるということ

第22便 温又柔より(第6章 国家と家族のあいだ)

木村友祐さま

 

 たったいま、ホアキン・フェニックスがアカデミー主演男優賞を受賞しました。その興奮が冷めやらぬなかで、この手紙を書きはじめています。

 思えば約1か月前のあの日もわたしは朝からそわそわとしていました。そう、かつて「賞なんてクソだ。あんなデタラメには一切かかわりたくないね。無意味だ」と語ったことがあるホアキンが、ほかでもないジョーカー役でアカデミー賞をかっさらったら痛快だろうなと願っていたように、「幼な子の聖戦」とその作者が、政治的であることを潔癖なまでに避ける傾向がある日本の“文壇”を内側から喰い破ったらいい、と祈る気持ちで。

 トロフィーを手にしたホアキンが「声なき者のために語る機会がめぐってきました。たとえば、男女平等や人種差別や先住民の権利など問題はたくさんある。我々は、搾取を許してはならない」とスピーチするのをネットニュースで追いかけながら、ジョーカーに扮したかれが、デ・ニーロ演じるコメディ番組司会者のマレー・フランクリンにむかって、「おまえは、このスタジオの外に出たことはあるか?」と問う場面がまざまざと蘇り、目頭が熱くなります。

 さて。いつも以上に書きたいことが山ほどあるのですが、まずは、ある結婚式の風景についてお伝えしたいと思います。

 先週の日曜日、令和2年2月2日という2のならぶ日に、友だちが結婚しました。かのじょとは、日中学院という、後楽園の裏手にある中国語を教える専門学校で出会いました。日本人の両親のもとにうまれ、子どものときからずっと日本に住んでいるかのじょ曰く「なんとなく好きだから」中国語を学んでみたとのこと。だからこそ私が「真ん中の子どもたち」を発表したときに、

 「面白かったよ。ほら、言語と個人の関係はもっと自由でいい、なになに人だからといってなになに語ができなくちゃいけないなんてない、って書いてあったでしょう。わたしは日本人として生まれ育ったけれど、どうしてだか中国語がとても好き。そのことに何の理由もいらないんだって、なんだか安心したの」

と言ってもらったときはうれしかった。その後、

 「実はわたしが、いま、おつきあいしているひとも、“真ん中の子ども”なんだよね」。

とかのじょは教えてくれました。

 かれは、10歳の頃に両親とともに黒龍江省哈爾浜から来日したそうです。

 私が参列したふたりの結婚披露宴では、日本語だけでなく中国語も飛び交っていました。参列客同士のおしゃべりがそうであったのみならず、式の司会進行そのものが日中バイリンガルで行われていました。新郎新婦がそれぞれの家庭環境、学校、職場で親しくするひとたちには日本語と中国語をどちらも話せる人もいれば、どちらか一方しかわからない人もいる。そのため宴のあいだ、誰も退屈しないように、「日中融合型の披露宴」をすることに決めたというのです。

 結婚式に招かれるたびに私は、花嫁が両親への手紙を読む場面では必ずといっていいほどほろりとさせられてしまうのですが(たとえ新郎の友人として出席していて新婦とは初対面であっても)、この日、ウェディングドレス姿の友人が、新郎のご両親に宛てて、亲爱的爸爸妈妈(親愛なるお父さん、お母さん)……と流暢な中国語で綴ったお手紙を読みはじめたときは、ほろり、どころか、ぽろぽろと涙が出てくるのをこらえることができませんでした。

 鼻を啜りながらハンカチで目元をおさえるのですが、哈爾浜出身という新郎のご両親は、いま、いったい、どんな気持ちで、日本で育った息子の、日本人の妻が「あなたがたの息子さんはすばらしいひとです。わたくしはかれと巡り会えたことを心から幸福に思います」と中国語で語るのに耳を澄ましているのだろう、と思っては、さらに涙が溢れてきます。

 そんな新婦に寄り添う新郎の姿のほうに目をやれば、生まれ育った中国から離れて日本に住み始めた頃は言葉がまったくできず非常に苦労したというかれの過去にもつい思いが至り、またもや涙が出てきて、という状態……とにかく、自分は、いま、忘れがたくうつくしい瞬間にたちあっているのだという、幸福な興奮で胸がいっぱいでした。

 私の友だちもはじめは、新郎が中国語も喋れるとは思わなかったそうなのです。それもそのはずで、新婦と出会った頃の新郎はすでに20代半ばを超えていて、かれが10歳の少年だった頃のようには日本語がたどたどしくなかった。‘ネイティブ並み’の、日本語を話します。

 そのうえ、かれの苗字は、中国人よりは日本人を連想させるもの――王とか李、黄ではなく、鈴木や田中、佐藤のような――でした。いいえ、日本にやってきてから改姓したのではありません。かれの父親もかれ自身も中国生まれでありながら、ずっとその姓を名乗ってきたとのことです。なぜならそれは、戦前に日本から中国大陸に渡ったかれの祖父の姓なのだそうだから。つまり私の友だちの夫は、日本にルーツがある中国人なのです。木村さんも、お書きになっていましたね。

 〈身につけた言語や文化のちがいがあったとしても、人が生きる営みに根本的な様式のちがいはないのだから、他国からやってきた者でもやがて異なる環境に適応して暮らしていく〉。

 はじめは、中国語など喋らないように見えた相手だったけれど、親しくなってゆく過程で私の友だちは恋人の来歴を少しずつ知り、いつかかれの両親と会うことがあれば、自分から中国語で話そうと心に決めて、そして、いよいよ、結婚の日を迎えた……中国語で手紙を読み終えた花嫁を囲みながら新郎とそのご両親がならぶ姿をとおして私は、ひとつの家族の歴史とそれを包み込む世界史の結びめを目視した気がしました。

 昔々、‘日本が今よりもはるかに広かった頃’、中国大陸に渡った日本人が一代を経て母国に舞い戻ることになった。祖父の祖国とはいえども外国と等しかったはずの日本で暮らすことになった中国生まれの少年は苦労しつつも日本語を習得し、いつしか日本人とみまがわれるほどの青年に成長すると、偶然なのか必然なのか、中国語が大好きだという日本人女性と結ばれ、あらたな家庭を築き始める……

 10年後の我が家は今よりも少し賑やかになっているはず、と花嫁は言いました。それでわたしは安心して(結婚はしても、すべての夫婦が子どもを持つことを希望しているとは限らないから)、そう遠くない将来、日本にルーツを持つ中国生まれの父親と、中国語が堪能な日本人の母親のあいだにうまれるはずの子どもについて、想像を巡らせます。

 大日本帝国と中国大陸及びアジア一帯の不均衡な関係が引き起こした不幸な歴史的背景を顧みず、国境を跨る家族の歴史、と無邪気に讃えることは決してできないし、絶対にしてはいけませんが、それでも、約一世紀前、‘大正’天皇の時代の日本から中国大陸に渡った日本人の曾祖父の存在も含め、‘令和’2年2月2日に「日中融合型披露宴」で祝福された新郎新婦を父母に持つ子どもが、自分の中にある複数の起源をいとおしみながら、すくすく育つのを祈りながらわたしは友人の結婚披露宴会場をあとにしたのでした。

 ……とまあ、幸福な余韻にいつまでも浸っていたかったのに、式が執り行われたホテルのすぐそばに皇居があったからか、ふと、例の大臣が〈二千年にわたって同じ民族が、同じ言語で、一つの王朝を保ち続けている国など世界に日本しかない〉と発言したことがよぎり、そのとたん悲憤の感情と、おなじみのやりきれなさが募ります。

 もちろん、かの大臣はそう発言したことでおおいに批判を浴びていましたが(「誤解が生じているのならおわびのうえ訂正する」)、ぜんぜん悪いとは思っていないそぶりを隠そうとすらしていないのだから、ほんとうに、ろくでもない。ましてや、こんなことがあってもかれ個人はさして痛くもかゆくもないのだろうと思うと、無念やるかたない。

 しかし、こんなことを言ってのける者がこの国の権力者であるという事実以上にわたしが恐怖を感じるのは、〈この国の複数性〉を均一に塗り潰すようなこうした発言――政治家にかぎらず、芸能人や文化人といった一定の影響力を具えた著名人たちの――を、むしろ歓迎するような昨今のこの国の風潮のほうなのです。

 ――近頃、日本人じゃないひとが町に溢れてるせいで、気の休まる場所が減ってきた。

 ――少子化をどうにかしないと、純粋な日本人がいなくなってしまう。

 ――なんだか、いつか日本が日本じゃなくなる気がして怖い。

 なんの悪意もなく、むしろみずからは脅かされる側にあるという語り口の、自称“普通”の日本人たちによるこんな会話が耳に入ってくる頻度は、わたしの感覚では、ここ数年でやけに増えた気がします。現政権がこの傾向を助長しているのにはちがいありませんが、ファミレスやカフェなどで、そんな会話を‘無邪気に’しているひとたちと出くわすと、さすがに暗澹たる気持ちに陥ります。まさに、生命力が削がれるような。

 こういう会話をすることに疑問を持たないひとたちは、当然、日本は日本人のための国だと信じて疑っていません。でも、かれらにとっての「日本人」とは誰のことなのか……たとえば、ある人物の皮膚や目の色、親の出自、言語や文化が、自分(たち)の思い描く「日本人像」と少しでもズレていたら、仮にその人物が日本国籍(や永住権をはじめとした在留資格)を持ってはいても、あのひとは‘純粋な’日本人ではないから、と判断する人が、まだこの社会にはとても多い。

 木村さん。私は以前からずっと感じていました。

〈治安のため、日本人の職を奪われないため、日本人の“純血”を保持するため〉にも、‘不純な’日本人がこれ以上増えるのは困る、と漠然と恐れているような人たちが思い描く「日本人」像は、とてもシビアなのです。そのシビアさは、領土や人員の境界を管理するという目的であくまでも法的な根拠に基づきながら〈お前は日本国籍を持っている日本人か否か、日本人でないなら、正規の在留資格を持っている者か否か〉と審査する「国家」以上といっても過言ではない。

 ちょうど『天皇が逝く国で』という本の中でノーマ・フィールドはこんなふうに書いています。

 

 法的、遺伝的、精神的なものががっちり組み合わさって、日本人とはすなわち日本人の血が流れている者、すなわち日本と呼ばれる国民国家の市民、すなわち日本的感覚をもつ者、となる連動装置こそまさしく、この列島に住む多くの異なる種類の人びとを絞めつける万力をつくりだしている。

 

 そいつは、‘本物の’日本人か否か――このような問いは、非常に危険なものです。‘本物’かどうかを決定、あるいは保証すると思われているものの一つに、‘純粋な血統’を置こうとする態度――無意識的なものも含めて――は、日本人であるための条件を満たさない者を排除するのみならず、条件を満たしているはずの人びとをも締めつけるのですから。

 そう、〈日本国籍者であっても、国家の求める人間像からひとたび外れれば、基本的人権の保護の対象から外される〉ように、国家のレベルでなくとも、学校や職場といった何らかの組織内でほかの人たちから、‘自分たちとは同じでない’、と「審判」を下された者は、一目置かれる、というよりはむしろ、厄介者扱いされたり、疎まれたり、最悪の場合は心身に苦痛が及ぶほどの陰湿な嫌がらせを受けることのほうが圧倒的に多いと思いませんか? いまの日本では、ほかの人とちがっている、というのはそういうリスクを伴います。

 だからこそ、‘日本人の血が一滴も流れていない’私が、自分‘も’日本人であるとあえて主張したいとき、その根底には、私が本物でないと判断する根拠に血統や遺伝子といった先天的なものを持ち出すな、と訴えたい気持ちがあるのです。

 逆にいえば、相手はどんなに肯定的な意味のつもりでも、あなたにもやはり台湾人の血が流れているんだね、などと言われると刃向かいたくなる。要するに、ある者が自分たちと同じかどうか、と判断するときに血統や遺伝子を取りざたにするのは、その発想が優生思想とも結託している分、許しがたいと私は思います。

 もちろん政府の意向に逆らったために国家から敵視されて命が脅かされるという惨さとは比較できないかもしれませんが、自分が属する組織の論理に逆らえず、場の同調圧力に抗しきれず、息を殺しながらかろうじて生きている、というのも非常に過酷な状況ではないか……ともあれ、人とちがう、ということが恐怖の種となりがちないまの日本の社会はやはり異常です。

〈血の通う生きものの側に身を置こうとすれば、どうしてもこの国がやろうとする大事業とは対立せざる〉えない。そうであるからこそ〈国家というものに対する根本的な不信や疑念〉があると木村さんは書きましたね。ただしそれは、〈とくに日本という国について感じる不信〉であるとも。

 率直に言って、私も木村さんとほとんど同じ思いを、いまの日本という国に対して感じています。しかし、この国を生きる大多数の人びとが想像する「日本人」の条件を十全に満たしていない私が、日本なんか信じられない、と声高に叫べば、そんなに気に入らないならさっさとここから出ていけ、と罵声を浴びる可能性もあるでしょう。そのことが私は鬱陶しい。ただもう、ひたすら鬱陶しい。

 しかし考えてみれば、一部の人々が私を日本人だとは決して認めないように、私自身もまた、日本という国家に自分自身を重ねて考えることはめったにありません。たとえば、自分も日本人であるという、ただそれだけの理由で、海外で活躍する日本人を我が事のように誇りを感じる、といったような、国家と自分自身を同一視する感覚が希薄なのです。

 だからといって台湾になら一体感を覚えるのかというと決してそんなこともありません。私は、自分もこの国の一員だとばかりに大勢のひとにまじって日の丸を振るのに抵抗があるように、台湾、厳密には中華民国の「国旗」である青天白日満地紅旗を台湾人たちとともに振ることにもためらいがあります。仮にそうすることで、確実にその一瞬だけは、その国旗を振っている人々とまちがいなく仲間になれるのだとしても。

 日本か台湾か、の次元ではなく、私は「国家」というものそのものに懐疑心があるのでしょう。なぜなら私は、言ってみれば、どちらの「国」からもズレているから。

 それがあかるみになる状況の一つが、選挙でしょう。

 日本で選挙権を持つために必ず備えていなければならない条件は、日本国民であることです。ここでいう日本国民とはすなわち日本の「国籍」を持つひと。台湾――中華民国――籍を持つ私は、そのため日本では一度も投票を経験したことがありません。しかしそんな私は、台湾人(中華民国民)としてなら、選挙権があるのです。

 ご存じのように先月、台湾では総統選がありました。総統とは中華民国の最高権力者に該当します。ふしぎだと思いませんか? 長く住んでいる日本では市町村の議員を選ぶことすらかなわない私が、3歳のときに離れたきりの台湾では最高権力者を選べるなんて。

 そのことを意識するからこそ私は、自分に与えられた権利を行使するときにはどうしても、‘台湾人のように’台湾で暮らしていながらも、中華民国籍がないために台湾に対してどんな政治的選択も許されていないひとたちのことを思わずにいられないのです。

 その意味では、〈台湾という国の輪郭がなければ、政治においては強権的な中国にすぐにでも飲み込まれてしまうという危うい不安〉は確かに共有しつつも、あの人たちとちがってあなた‘は’台湾人だから、と私を受け入れるそぶりの自称“普通”の台湾人と間にも深い溝を感じます。

 ましてや、あなたは台湾人なのだから中国人が嫌いでしょう、と日本人から言われたら(残念ながらよく言われるのです)、やはり刃向かいたくなります。私が嫌ったり、憎むのだとしたら、その対象は強権的な中国という「国」に対してであって、そのもとで締め付けられている中国の人びとでは決してない、と。

 ただ最近は、こんな当たり前のことを自分がいちいち説明しなければならないことにすっかり疲れきっています。

 いずれにしろ、日本では‘有権者’として具体的に力を及ぼすことがかなわない分、〈国が起こす戦争に疑念を挟む〉ためにも、私は中華民国の総統を選ぶ権利を有する一人として、自分の権利をささやかながらも行使したい。

 ところで、旧暦の新年は春節といい台湾では新暦の正月よりも重視するため、私の母は毎年、その時期に台湾に帰省します。今回の台湾総統選と春節は日程が近かったため、両方とも行ったら疲れちゃうから、と言って母は選挙のほうには帰らないと言いました。

 「……投票しないってこと?」

 「だって、ママの一票なんて、特に影響ないでしょ」

 影響ない、だと? 私の表情が翳るのを察すると母は先回りして、

 「まあ、あんたはママの棄権が面白くないだろうけれどね」

と言いました。そしてこちらをからかうように言うのです。

 「ああ、今回ママが選挙に行かなかったこともあなたはそのうちどこかに書くんでしょう。いやんなっちゃう」

 「……」

 こういうとき、‘小説家として’親とむきあうのって、なんと居心地がわるいのだろうと思います。

 そう言えば木村さんも、身内びいきと隠ぺいを繰り返す安倍を持ち上げる自民党を支援し続けることは、子どもや孫たちのこれからを困難にすることであって、もうよしたほうがいい、とご両親にむかって声を荒げてしまった、とTwitterで呟かれてましたよね。さらに、「幼な子の聖戦」では、そういうことを書いたのだと。するとお母さまが、「おらんどは、そういう勉強をしないで応援してきたがらなぁ、あの方の人柄で」と笑いながら目尻を拭った、と。小説家の息子とその母親のようすを想像しながら、私は思わず胸を詰まらせました。私にも身の覚えのあることでした。

 「ママ、あなたみたいに、むずかしいことわからない。あなたみたいに、深くない」。

 そんな「幼な子の聖戦」が芥川賞の候補となったことで、ご両親をはじめご家族など、木村さんの周辺もこの年末年始は、さぞ気ぜわしかったことでしょう。猫たちも!

 先ほどの『天皇が逝く国で』からの一文を引用するついでに、やはりノーマ・フィールドによる『祖母のくに』もぱらぱらと捲っていたら、「文学を考えるということは、ある作品を弁護するか、捨てるかの問題ではなく、作品の書かれた時代、読まれる時代、それから個々の読者の情況を射程に入れたうえで、描き出される可能性の地平線を見いだすこと」とあるのをちょうど見つけました。

 木村さん。

 私は、どれほど権威ある賞であろうと、とりわけ、候補作を選考する側も現役の作家である場合は、おなじ時代を生きている作家によって書かれたものをめぐって、一人の読者としてどんなふうにそれを読んだのか、みずからの文学観を晒すことであると思っています。断じてそれは、教師が生徒の答案を採点するような、上下関係を彷彿させる教育的なものではないはずだ、と。そう信じています。

 もうじき出る『文藝春秋』に掲載される第162回芥川賞の選評で、各作家の方々が「幼な子の聖戦」という作品にどんな可能性を見いだしたのか……想像しようと思うと身震いがします。

 次の手紙では、芥川賞ノミネート狂騒曲、についても聞かせてもらえるのを期待しつつ(もちろん、書きたくなかったら書かないでいいのです!)。

 

 2020年2月10日

 温又柔

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著者略歴

  1. 温又柔(おん・ゆうじゅう)

    1980年、台湾・台北市生まれ。3歳より東京在住。2009年、「好去好来歌」で第33回すばる文学賞佳作を受賞。両親はともに台湾人。創作は日本語で行う。著作に『真ん中の子どもたち』(集英社、2017年、芥川賞候補)、『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社、2016年、日本エッセイストクラブ賞受賞、2018年に増補版刊行)、『「国語」から旅立って』(新曜社、2020年)など。

    撮影/朝岡英輔

  2. 木村友祐(きむら・ゆうすけ)

    1970年、青森県八戸市生まれ。2009年、『海猫ツリーハウス』で第33回すばる文学賞を受賞しデビュー。小説に『聖地Cs』(新潮社、2014年)、『イサの氾濫』(未來社、2016年)、『野良ビトたちの燃え上がる肖像』(新潮社、2016年)、『幸福な水夫』(未來社、2017年)、『幼な子の聖戦』(集英社、2020年、芥川賞候補)。

    撮影/尾島敦

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