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テレワークがもたらすもの ─呪縛からの解放─

第9回 テレワーク権?

◆従業員を危険にさらさないテレワーク
 日本の労働者は、台風が来ることがわかっていても勇敢に(あるいは、渋々)出勤する。「そこに仕事があるかぎり、仕事をしに行く」のが、日本企業の「戦士」たちだ。しかし、上司に危機管理への意識が足りないと、部下を無謀な「戦い」に巻き込みかねない。例えば、強風下の通勤は危険だ。台風が近づいているときには、自宅待機という指示を出すのが賢明な上司だ。これは、企業の安全配慮義務(労働契約法5条)としても、求められることだ。
 現在はAI(人工知能)のおかげで、気象予測の精度はぐんと高まっている。台風がどう進行して、どのくらいの強風と暴雨をもたらし、通勤にどの程度の支障が出るかの予測も、かなり前の時点で可能だ。企業は、少しでも帰れない可能性があるなら、通勤を命じてはならないだろう。ぎりぎりまで様子をみて、それから判断するというのでは、多くの労働者が危険と混乱にまきこまれる。
 これは新型コロナウイルスのような感染症にも、もちろんあてはまる。オフィスで感染対策はできていても、通勤途中はそうはいかない。不特定多数の人が集まる電車やバスは、感染症の危険が相対的に高い。企業は、こうした危険からも従業員を守る義務がある。
 ただ通勤のないテレワークであれば、従業員ははじめからこうした危険にさらされずにすむ。その意味で、テレワークは、究極の安全対策だ。もちろん、事業継続計画(BCP)としての意味もある。新型コロナウイルスの感染リスクが去っても、台風は毎年何度もやってくる。テレワークは、従業員の安全にも、事業継続にも役立つのだ。

◆出勤拒否権
 日本のHRM(人事管理論)の分野での代表的な研究者である守島基博さんとの対談が収録された『人事と法の対話:新たな融合を目指して』(有斐閣、2013年)のなかで、ゲストの日置政克氏(コマツ顧問)を交えた鼎談の章がある(Section11)。そのなかに、次のような箇所がある(274頁)。

「日置 ……アメリカで私がいたときに、freezing rainが降ってきました。道路が凍りついて危険な状態になる。当然人事部がアナウンスすると思ったわけです。日本では絶対アナウンスします。館内放送で。でもそのときは人事部は何も言わないで、皆が自主的に帰宅しました。自分で自分の仕事をコントロールするのです。
守島 自己判断するのでしょう。
日置 そういうふうに、どこかではきっと我々のマインドセットも変わっていく必要があるのではないかと思います。これは結構難しいですよ。民族的なものですから。
大内 アメリカでは、自己判断でいいとなっているのではないですか、規則が。
日置 なっています。
大内 日本の場合、それがないのでしょう。
日置 周りを見てしまって、少し気にしちゃうというのはたぶんあると思います。だから、そのマネジメントというかコントロールの姿勢を持って海外へ行ったときに違和感を持ってしまうわけです。外国人社員にいちいち会社の許可を求めるような窮屈な就業管理をしたら、結局大きなギャップを作ってしまうでしょう。
守島 そういうものが、ワーク・ライフ・バランスの本質みたいなことなのかもしれませんね。家族のことを思って帰るのだ。それが、なぜ悪いのだと。」

 ここでは日米の労働者のメンタリティの違いがわかりやすく示されている。アメリカ人は、自分のため、そして家族のために、危険があれば、とっとと仕事を切り上げて帰るし、危険がわかっていれば、出勤をしない。こうした判断を、企業に任せるのではなく、自分でやっているのだ。
 ここにあるのは、出勤拒否権という発想だ。企業に安全配慮義務を履行するために出勤を免除するよう要求しても、応じてくれなければどうしようもない。だから、自力でそれをやってしまおうというのが出勤拒否権だ。アメリカ人は、権利とか言わなくても、自然にみんながやっているのだろう。日本では、誰も自然にはやっていないし、法的にこうした権利が認められるかと言われると、残念ながら難しいだろう(安全配慮義務の履行請求権が認められるかという法的論点と関わる)。
 安全配慮義務は、事故や病気が発生したあとの補償をめぐって、企業には「○○の義務」があって、それに違反していたから責任がある、というように事後の補償が問題となる文脈で使われる概念だ。「○○の義務」があるから、それを履行してほしいという事前の予防の文脈では、使われていないということだ。しかし、これでは、安全配慮義務の価値は半減する。予防にも活用していくよう知恵を絞らなければならない(本連載の前回にも言及した健康確保の議論も参照してほしい)。例えば、一定の危険が迫っている場合には、企業が具体的な危険回避措置(安全配慮)をとらないかぎり出社しないぞ、と言える権利(出社拒否権)を認める法解釈を確立することはできないものだろうか(これは、最終的には、裁判所がどう判断するかの問題となる)。

◆ハラスメント職場での出勤拒否権
 出社拒否権は、台風のような気象関係のリスクがある場合だけに関わるのではない。例えば、上司のパワーハラスメントがある場合、従業員は、その改善措置が講じられるまでは出社したくないというような状況でも、この権利は使えそうだ。
 この点で、参考になる最高裁判決がある。ある従業員Aが、職場の同僚から嫌がらせを受けていると感じたため、会社に調査を依頼し、休職させてもらいたいと申し出ていたところ、会社は調査の結果、嫌がらせの事実はなかったとして、Aに出社を促した。しかしAはそれに応じなかったので、無断欠勤の懲戒事由に該当するとして諭旨退職の懲戒処分とした。裁判所は、Aが申告していた嫌がらせの事実は存在せず、被害妄想などの精神的不調によるものだと認定したが、Aの無断欠勤は懲戒事由に該当しないとした。会社はAに対して精神科医による健康診断を実施し、その結果に応じて、必要な場合には休職にするなどの対応をすべきだったとしたのである。
 この判決の考え方を推し進めると、嫌がらせが従業員の被害妄想にすぎなくても、それならそれで本人の精神不調があることになるから、そうした場合には本人の出勤拒否権が認められてよいという話になりそうだ。もしテレワークができる会社であれば、従業員は、休職ではなく、テレワークをさせてほしいと要請するかもしれない(次にみる給料の問題もあるので)。もしそうなったら、裁判所は、テレワークをさせるべきだという判断をしていたかもしれない。

◆テレワーク権
 たんに出勤を拒否するだけであれば、給料はもらえない可能性が高い。法的には、出勤拒否して労務を提供できなくなったことについて、企業に帰責性があるかがポイントとなる。例えばコロナ禍の下で、企業に出勤しろと命じられたが、危険だから出勤しないと言って休んだときの給料(あるいは労働基準法26条の休業手当)がどうなるかは、非常に難問だ。(コロナ禍と休業手当については、https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/dengue_fever_qa_00007.html#Q4-1 を参照)。
 ただ、ここで考えたいのは、出勤は拒否するが、自宅で何もしないのではなく、テレワークで働くと言っているケースだ。これは、勤務場所を職場から自宅に変えるという意味だ。こうした変更が認められれば、企業は帰責性があるかどうかに関係なく、自宅で行った仕事に対する給料を支払わなければならない。
 ただ、これまでの常識では、勤務場所は、原則として、企業の指揮命令によって決められるものだ。労働者が勝手に決めるわけにはいかない。しかし、災害時など通勤に危険がある場合に、企業が危険を回避してくれないとき、労働者のほうでテレワークを選択できると主張することはできないのだろうか。これは、出勤拒否権から、さらに進んだ勤務場所決定権が労働者に認められるかという問題だ。こうした権利が認められれば、企業は、テレワークをさせない理由をきちんと説明しなければ、出社を要請できないことになる。
 ただこの議論は、欧州では、もっと先に進みつつある。労働者は、災害時などにかぎらず通常時から、どこで勤務するかについて決定権をもつべきではないか、企業の指揮命令権は勤務場所には及ばないのではないか、という議論だ。まさにテレワーク権だ。一部の国では、これを法制化する動きがあるようだ(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60324760S0A610C2MM8000/)。
 ワーク・ライフ・バランスが、私たちにとっての働き方の真の基本理念となれば、場所の決定権が労働者にあるという考え方は、それほど無理なく導き出すことができるだろう。そうなると、テレワークができる勤務態勢を用意しない企業は、この労働者の権利に応えていないことになる。

◆権利義務論を超えて
 もちろん、テレワークの「権利」などと言い出すと、顔をしかめる経営者も少なくなかろう。転居をともなう全国転勤でさえ、これを当たり前としてきた日本企業の風土のなかで、労働者が勤務場所を決定して、しかもテレワークをする権利まで認めるのは、あまりにも大きな価値観の転換だ。
 ただ災害大国の日本で事業を営む企業にとって、テレワークの態勢をとっていることは、リスク管理がしっかりできていることの証明だ。若者は、そこに着目して就職先を決め、投資家はそこをみて投資をするだろう。テレワークに背を向けている企業には、ヒトもカネも集まらなくなるだろう。テレワークは、従業員にも企業にも利益となるのだ。つまりテレワークの推進は、労使双方にウィン・ウィンとなる。
 法律家の議論は、とかく権利や義務がどうかという話になりがちだ。でも、そういう堅苦しい言い方ではなく、新しい社会に合った働き方を労使で知恵を絞って模索していこうではないか、とまずは提言したい。「権利」論は、どうしても事態が進まないときの、切り札として取っておくくらいがちょうどよい。

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著者略歴

  1. 大内伸哉(おおうち・しんや)

    1963年神戸市生まれ。東京大学法学部卒、同大学院法学政治学研究科博士課程修了。神戸大学大学院法学研究科教授。博士(法学)。労働法を専攻。著書に『君は雇用社会を生き延びられるか』(明石書店、2011年)ほか多数。SHINYA OUCHI Web Site:http://www2.kobe-u.ac.jp/~souchi/

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