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テレワークがもたらすもの ─呪縛からの解放─

第7回 自宅が職場になるとは、どういうことか?

◆人間の目と機械の目
 本連載の第4回でもふれたように、部下がテレワークをするときの上司の悩みは、部下の仕事を監視できないことだ。ただ、テクノロジーを使うと、この問題を解決できるということも、前に述べたとおりだ。企業の立場からすれば、この手があるなら安心と言えそうだが、そう話は簡単ではない。
 企業からみた完璧な監視方法は、パソコンに設置されたカメラにより、リモートで常時監視することだ。リアル職場でも、上司や同僚の目があって、常時監視されているようなものだから、それと同じだと言えなくもないが、職場での常時監視は、「監視されうる状態に常時いる」にすぎないのに対して、テレワークでのパソコン作業のときは、機械がまさに常時監視している。この違いは大きい。
 コンビニで万引きがあっても犯人がわかるのは、店員が見ていなくても、監視カメラが見てくれているからだ。そしてカメラが見ているという威嚇効果が犯罪を抑止することにつながる。こういうカメラの使い方なら、誰も文句を言わないだろう。街中に監視カメラが設置されるとなると、多少悩ましいが、犯罪抑止のためと言われたら納得する人は少なくなかろう。だからといって、テレワークのときに、監視カメラがずっと見ていて、その威嚇効果でサボり防止になると言われると、ちょっと待ってと言いたくなる。
 サボりと犯罪は次元が違うことだし、そもそもサボりとは何だろうか。前に紹介した最高裁判決が言っていたような「勤務時間および職務上の注意力の全てをその職務遂行のために用い職務にのみ従事しなければならない」という職務専念義務に反していれば、サボっていることになるのだろうか。ある最高裁判事(学者出身の伊藤正己裁判官)は「労働者の職務専念義務を厳しく考えて、労働者は、肉体的であると精神的であるとを問わず、すべての活動力を職務に集中し、就業時間中職務以外のことに一切注意力を向けてはならないとすれば、労働者は、少なくとも就業時間中は使用者にいわば全人格的に従属することとなる」と述べているが、サボりを許さない働き方は、企業への「全人格的な従属」を意味する非人間的なものなのだ。
 リアル職場なら、上司の目を盗んで、ちょっと休息ということもありえるが、監視カメラが相手なら、目を盗みようがない。人間の目と機械の目では、全く違うのだ。

◆快適職場の形成促進
 労働安全衛生法の第1の目的は、労働災害の防止にあるが、加えて「快適な職場環境の形成を促進すること」も目的とされている(1条)。そこでいう職場環境とは、リアルな職場の環境が想定されているだろうが、在宅のテレワークの場合は、自宅という職場の環境での快適さも追求されるべきだ。
 在宅型のテレワークの良さは、職場環境を自分仕様に変えられることだ。服装は楽なスタイルでよいし、エアコンは自分の体調に合わせた設定ができる。オンライン会議がない時間帯なら、気分に合わせて好きな音楽を流しながら仕事ができる。お気に入りの絵やポスターに囲まれることもできる。好みのコーヒー豆で淹れたコーヒーを飲みながら、休憩もできる。アイデアが煮詰まれば、楽器好きなら軽くギターを弾くなんていうのも気分転換になるだろう。コーヒーやギターでくつろぐのは、最高裁のいう職務専念義務には反するかもしれないが、適度なブレイクを認めないような企業では、従業員の生産性も上がらない。
 自分が一番仕事ができる環境を知っているのは自分だ。自宅なら、そういう環境をつくることができるのだ(ただし、家族の反対がないという難しい条件はあるが)。他人がいる職場では、そうはいかない。
 もちろん他人から切り離されて働くことのデメリットもあるだろうが、それを上回るくらいの生産性の向上が期待できる。せっかくそういう環境があるのに、「機械の目」による監視をして余計なストレスを与えるのはもったいないし、法がめざす快適な職場環境の実現にも適合しない。それに、常時監視のストレスは人によってはきわめて大きく感じられるだろうし、それが原因で、精神的な疾患を患うことになれば、それは労働災害だ。
 企業には、健康配慮義務がある(労働契約法5条の定める安全配慮義務に含まれる)。裁判例によると、職場環境配慮義務もある。機械による常時監視は、これらの配慮義務に反するおそれがある。労働災害の予防は、企業の従業員に対する最も重要な責任の一つだ。
 そもそも監視してやらせるような仕事は、テレワークには向かない。だからといって、テレワークをさせるべきではない、ということではない。監視してやらせるというのは、自分の手足のように動かしてやらせるのと同じことだ。そういう仕事は、本来、ロボットにさせるべき仕事なのだ。多くの労働者は自覚していないかもしれないが、テレワーク向きでない仕事をやるというのは、人間としての尊厳を傷つけられていることなのだ。会社員である以上、上司に指示され、監視されて働くのは当然という呪縛から、早く解放されたほうがよい。

◆ハラスメントフリー
 在宅型のテレワークにより、他人から切り離されて働くことには、もう一つ大きなメリットがある。それは、現在の雇用社会における最大の問題といえるハラスメントから少しは解放されることだ。
 2020年6月1日に、職場のパワーハラスメントに対して雇用管理上必要な措置を講じることを事業主に義務づける改正法が施行された(労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律の30条の2以下)。職場のパワーハラスメントとは、「職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されること」と定義されていて、これだけでは意味がよくわからないが、法改正にともない策定された指針によると、次の6つの行為がこれにあたる(事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針:https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000584512.pdf)。

 ①身体的な攻撃(暴行・傷害)
 ②精神的な攻撃(脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言)
 ③人間関係からの切り離し(隔離・仲間外し・無視)
 ④過大な要求(業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害)
 ⑤過小な要求(業務上の合理性なく能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと)
 ⑥個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)。

 テレワークだと、少なくとも接触系のハラスメントの危険はなくなる。上記のパワーハラスメントでいうと、少なくとも①の類型(身体的な攻撃)はなくなるのだ。セクシュアル・ハラスメントでも、わいせつ行為などの身体型セクハラの危険はなくなる。セクハラ的な勧誘も、メールでやれば証拠に残るので、やりにくくなるだろう。
 ついでに言うと、(最近ではコロナ対策でも話題の)社会的距離をとらず妙に身近に迫って話しかけてきたり、(フレンドリーな感じを示したいのかもしれないが)すぐに身体を触ってきたりする上司とか、香水やタバコ臭などの匂いがどうも相容れない同僚とかに悩まされることもなくなる(スメハラ問題)。会社員なら耐えなければならないと諦めていた迷惑行為から解放されるのだ。

◆プライバシーとは何か?
 企業としても、従業員が快適な環境で働くことに、総論は賛成だろう。それでも、テレワークに抵抗したくなるのは、従業員が職場から離れて、プライベートな領域で仕事をすること自体への拒否反応からだろう。自宅は従業員が支配する領域だ。企業としては、自ら支配できるはずの労働プロセスが、従業員の支配する領域で展開されることに、「本能的な」警戒感をもつのだ。だから、完全に従業員が支配する領域で仕事をさせないように監視したくなるのだ。
 一方、従業員の立場からみると、逆の言い方が可能だ。テレワークは、プライベートな領域(プライバシー)に仕事が侵入することを意味する。従業員が、こうした侵入を認めることに「本能的な」警戒感をもつのも当然だ。そして、労働者の利益を守ることを使命とする労働法が、監視に対して警戒すべきなのもまた当然のことだ。
 ただ、仕事の場で、労働者がどこまで企業に対してプライバシーを主張できるのだろうか。日本で最初にプライバシーに言及した裁判(1964年9月28日の東京地方裁判所)では、プライバシーを「私事をみだりに公開されないこと」と定義した(三島由紀夫の小説「宴のあと」が、ある政治家の私生活をきわめてリアルに描写したことが問題となった事件だ)。このような私生活への介入を許さないという意味でのプライバシーの主張であれば、労働者は当然許される。しかし仕事をしている過程で、労働者がプライバシーを主張できる余地はあるだろうか。
 プライバシーには、語源的に「切り離す」という意味がある(イタリア語では、同じ語源の動詞「privare」にこの意味が残っている)。プライバシーで確保される私的領域は公的領域から「切り離された」ものでなければならない。
 通勤という行為には、自宅という私的領域を出て、職場という公的領域に空間的に移動する意味があった(仕事は、厳密には「公的」ではないが、それに準ずるものと言ってよかろう)。公的領域に移動した以上、プライバシーの主張は原則としてできなくなる。ところが、通勤のない在宅のテレワークでは、私的領域から公的領域への空間的な移動が起こらない。そのため公私が渾然一体となった領域で仕事がなされることになる。テレワークを、労使双方に納得のいくものとするためには、この二つの領域をいかにして切り離せるかが鍵となる。

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著者略歴

  1. 大内伸哉(おおうち・しんや)

    1963年神戸市生まれ。東京大学法学部卒、同大学院法学政治学研究科博士課程修了。神戸大学大学院法学研究科教授。博士(法学)。労働法を専攻。著書に『君は雇用社会を生き延びられるか』(明石書店、2011年)ほか多数。SHINYA OUCHI Web Site:http://www2.kobe-u.ac.jp/~souchi/

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