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きた道アメリカ、オモテウラ

綿花畑を抜けてディープ・サウスへ(2):キング牧師の故郷アトランタを訪ねて

南部のゲートウェイ・アトランタへ
 建国期の面影の残る小さな古い街チャールストンとサヴァンナから、綿花畑を抜けて夕方近くにアトランタのダウンタウンにたどり着くと、まるでタイムスリップから現代に帰ってきたようだった。「南部の首都」とも「南部のゲートウェイ」とも呼ばれるアトランタは、近代的な大都会だ。日本ではオリンピックが開催されたことで知られるこの街は、キング牧師とジミー・カーターという2人のノーベル平和賞受賞者を生み、CNNとコカ・コーラの本拠地であり、ヒップホップの中心地の一つでもある。
 私たちは全米有数の充実度と評判の水族館の駐車場に車をとめ、オリンピック公園界隈にやってきた。感謝祭の翌日ブラック・フライデーだったが、既にホリデー・シーズン(クリスマス)に向けてデコレーションが始まっている。

 もともと、クリスマスの飾り付けは感謝祭が終わってから行うものであったのが、近年ビジネス優先で、前倒しになっているそうだ。
 “マネー、マネー、マネーだよ”
 年配のアメリカの人たちと話をすると、その風潮をよく嘆いている。ビッグ・ビジネスと消費の大国アメリカだが、多くの人が、地元中小企業が立ち並んでいた昔を懐かしんだり、ピーナッツ農家から大統領となったジミー・カーターの清貧なリタイア生活を賛美したりするのだ。
 ともかくも、今日最後の目的地はワールド・オブ・コカ・コーラというミュージアムだ。かなりの人が並んでいたが、娘と約束していたので仕方ない。列に並び1時間近く待って、入場した。こんなにたくさんの人を見たのはこの旅初めてだ。
 陽気なスタッフの解説と映像でコカ・コーラの概要を聞いた後、中に入場する。広い吹き抜けのホールでは、着ぐるみの白熊のキャラクターと写真を撮るのにまた人が並んでいる。

 いくつかの展示室と3Dシアターがあり、ひとしきり見て回る。グローバル企業らしく、各国の商品やキャンペーンに関する展示もあり、長野オリンピック時の自動販売機などもあった。出口の手前に試飲室があった。世界中で販売している商品が試飲できるようになっており、娘は大はしゃぎだ。実際、甘すぎたり、馴染みのないフレーバーで、美味しいと思って飲めるものはそれほどなかったのだが。なぜか娘はここがとても気に入ったらしく、その後「またコカ・コーラに行きたい」と何度も言っていた。
 外に出ると既に日は暮れており、ホテルの近くのレストランに車で向かった。「ホワイト・オーク・キッチン・アンド・カクテル」という、ビジネス街にあるモダンな南部料理を出すという洒落たお店だ。
 メニューを見ると確かに、フライドチキンやフライドオクラなど南部生まれのソウル・フードもあるが、地元野菜をふんだんに使っていて、都市部らしいモダンな内容だ。出てきた南部料理も盛り付けはスタイリッシュだ。

 よく見ると、和食や日本の野菜にインスパイアされたメニューもあり、栗カボチャを使ったスープと、日本の小かぶを添えたリブアイステーキを頼んでみた。かぶは一口食べてみると味は漬物で、「お漬物」として肉とは別に食べてしまった。飲み物は、「ピーチ・ステイト」と呼ばれる桃の産地ジョージア州にちなみ、「オールド・ピーチ・ツリー」という名前のカクテルを頼んでみた。

キング牧師歴史地区
 翌朝、朝食に南部名物チーズグリッツを食べ、今度は街の東側キング牧師歴史地区を訪ねることにした。一帯がアメリカ国立公園局の管理する国立公園になっている。
 到着するとまずキング牧師の生家を訪ねた。中に入るのはガイドツアーの予約が必要だそうで、ちょうど新しいグループがガイドに連れられて入っていくところだった。

 キング牧師はこの家で1929年1月15日に生まれた。時は大恐慌の時代だ。キング牧師は、5歳の時にパンの配給に並ぶ人々を見たことを覚えており、反資本主義的感情の原体験となったと振り返っている
 隣接するお土産店でいくつかキング牧師グッズを買い、かつてアフリカ系アメリカ人の居住区だったというこの住宅街の坂を下る。もう一つ、ここにはキング少年の痛切な原体験があるという。キング牧師の家の向かいには白人の経営する商店があり、その店にはキング少年と同じ年の子どもがいたという。2人はよく遊んでいた。6歳になり、それぞれ小学校に上がった。キング少年は黒人用の学校に、友だちは白人用の学校に。程なく、友だちから父親からこれ以上遊んではいけないと言われたと告げられ、キング少年と彼との関係は終わりを告げた。
 程なく、キング牧師夫妻のお墓にやってきた。日本のお墓のイメージとは随分違うが、キング牧師と、彼の死後も長い期間アフリカ系アメリカ人への差別と戦うことに人生を捧げてきた妻のコレッタ・スコット・キングがここに眠っているそうだ。

 奥には「キング・センター」という資料館があった。中に入るとオバマ大統領時代に首都ワシントンD. C.に建てられたキング牧師の像のレプリカが置かれ、そこに添えられた「われわれは絶望の山から希望の石を切り出すことができる」という有名な演説の一節の解説などが書かれている。1階にはコレッタについての展示もある。日本ではほとんどスポット・ライトの当たることのない彼女だが、ジョージアでは英雄のようだ。このセンターの創設者でもある。
 アラバマ生まれのコレッタは、奨学金を得て北部ボストンの音楽院で学び、リベラルな風にあたったという。同じくボストンで神学を学んでいた若かりし日のキング牧師と出会った頃は、彼女の方が進歩的で、彼と結婚して南部に戻りジョージアの牧師の妻になることに大変なためらいがあったようだ。結婚後は夫の不貞に苦しみながら(キング牧師には複数の愛人がいた)、そして彼の死後も公民権運動や女性解放運動のリーダーとして活躍し、2006年に79歳でその生涯を閉じた。
 キング・センター一帯を出て、道を降ると隣にはバプテスト教会がある。キング牧師とその父たちが3代にわたって牧師を務めた歴史的な教会だ。今日は残念ながら閉まっていて、中を見ることはできなかった。

歩き続ける非暴力運動
 横断歩道を渡ると、向かいにはこの歴史公園のビジターセンターがある。中は展示室になっており、キング牧師と公民権運動に関するあらゆるものが展示されている。パネルの展示だけではなく、大きな馬車の荷車もある。キング牧師が暗殺されたメンフィスからこのアトランタまで遺体を運んでくる時に使われたものらしい。
 順路に沿っていくと、「フリーダム・ロード」と題されたコーナーがあった。人々が自由を求めて歩き続けてきたことを表現したものだ。

 キング牧師は演説が有名だが、彼らの「非暴力」の抗議が活動の特徴だ。彼の言葉は多くの人を動かし、非暴力のプロテスターたちがこうして行進してきたのだ。
 最後にロビーの子ども用のコーナーで娘と展示を見る。印象的だったのは、壁にかかった黒い扉だ。扉にはこう書かれている。

――誰が不正義を終わらせる指導的役割を果たせますか?
  扉を開けて未来のリーダーを見てみましょう。

 扉を開けるとそこにあるのは鏡で、開けた子どもの姿が映るようになっていた。4歳の娘は意味がよくわからないけれど、ハッとして喜んでいる。
 ビジターセンターを出ると奥にはガンジーの像があり、「公民権運動活動家ウォーク・オブ・フェイム」がある。

 知らない名前が多いが一つひとつ見て回る。有名な女性活動家ローザ・パークスや大統領、政治家などの名前に混じって、スティーヴィー・ワンダーやジェームス・ブラウンなどミュージシャンの名前もある。

 この国では、活動家や政治家だけでなく、キング牧師たちと共に歩き続けた無名の市民から、ミュージシャン、スポーツ選手まで、誰もが社会をよくするための役割を担ってきたし、今もそうして歩き続けている。
 感謝祭の休暇も明日で終わりだ。ここキング牧師の故郷アトランタから、彼が20万人のプロテスターたちと共に行進してI have a dream演説が行なったワシントンD. C.に帰るのに、そろそろ移動を始めなければならない時間が来ていた。道のりは1000kmだ。私たちは今夜の宿泊地ノース・カロライナに向けて出発した。

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著者略歴

  1. 鈴木 晶子

    NPO法人パノラマ理事、セプテンバー・ハウスMAJコアメンバー(米メリーランド州登録NPO)。臨床心理士。大学院在学中よりひきこもり支援に関わり、若年無業者支援、生活困窮者支援などの現場を経験。生活に困難を抱える女性、若者、子どもの支援を中心に活動している。現在、在アメリカ合衆国。著書に『シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』(共編著、明石書店、2017年)など。

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