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私とあなたのあいだ――この国で生きるということ

第14便 温又柔より(第4章 文学と社会のあいだ)

木村友祐さま

 

 今、ふと窓の外をみたら、月が……かすかに欠けてはいるものの、まだまだとってもおおきな月が浮かんでいます。今年の私は、一年のうちで満月がもっとも明るい夜を、東京ではなく青森の空の下で過ごしました。木村さんが生まれ育った八戸ではなく、十和田で。

 木村さん、私の『台湾生まれ日本語育ち』ので、台北の地図の上を横切っているやどかりを覚えてますか? 3Dプリンタで製作された東京の都市を模した透明の模型を背負ったやどかり。あの模型の作成者は現代美術家のAKI INOMATAさんです。

 ――やどかりは、カタツムリなどとちがって自前の殻をもたないので、自分の「やど」にするための殻を自力で探さなければなりません。やどかりたちを観察していると、本体であるからだよりも、殻という、借りてきたもののほうがかれやかのじょのアイデンティティになっているように思えることがあります。本来ならば自分のものではなかったはずの部分によって、他者から自分自身を認識されるという状況が面白いなと思ったのです……

 やどかりの「やど」を3Dプリンタで製作することになった経緯を説明するAKIさんの話を聞きながら、私はこんなふうに考えていました。

(私がやどかりなら、私の「やど」は日本語にちがいない)

 『台湾生まれ日本語育ち』は、台湾と日本を行き来しながら育った自分にとっての日本語や中国語、そして台湾語とはどういう言葉なのか徹底的に考えたくて、母語や母国の定義をめぐり自分なりの検討を重ねたエッセイ集なのですが、一冊の本としてまとめるとき、担当編集者のSさんから「ぜひとも、見てほしい」と薦められたのが、AKI INOMATAさんの《やどかりに「やど」をわたしてみる》という作品でした。

 現代美術シーンに疎い私は、国内外で高い評価を受けているAKIさんのことを知らなかったのですが、3Dプリンタで制作した世界の都市のミニチュアをかたどった「やど」を提供するというプロジェクトは「国籍の変更や移住」をテーマにしていると知り、胸がざわめきました。Sさんに連れられてAKIさんを含めた数名のアーティストの展覧会の会場に足を運び、ついにやどかりたちと対面するときはドキドキしました。

 パリ、ニューヨーク、バンコクなどの都市をモチーフとした透明の「やど」はどれも溜息が零れそうになるほど見栄えがうつくしかった。そして私を安堵させたのは、そのうつくしい「やど」を背負っているやどかりたちもまた、水槽の中でのびやかに過ごしているように見えたことです。そうやってしばらく水槽の中のあいらしいやどかりたちと向き合っていると、自分が美術館にいるというよりは水族館にいる感じがしました。その後、AKIさんと直接話す機会を得ると、AKIさんは教えてくれました。

 ――殻から殻へと引っ越しをするといっても、どんな殻でもいいというわけではありません。やどかりたちはちゃんと、その都度その都度、自分にとって最も住み心地のいい「やど」を吟味しているんです。私のこのプロジェクトは、協力してくれるやどかりたちのうちのだれかが一匹でも「やど」を気に入ってくれなければ、成り立ちません……

 そうであるからこそ、私が見つめていたやどかりたちはほんとうにのびのびと過ごしていたのでしょう。それから私は、自分がやどかりなら、と切り出しました。

 ――背負ってる「やど」は日本語のことかもしれない。でも、もしかしたら、これは中国語だったかもしれない。

初対面の相手にむかって自分自身をやどかりに見立てるなんて、それもみずからの“出自”についていきなり告白するなんて、いま思えばちょっと突飛だったなと思います。けれどもAKIさんは目を輝かせて私の話に反応してくれました。Sさんの直感は正しかった。お互いのことをほとんど何も知らなかったのに、私とAKIさんはすぐに意気投合しました。はたして、《やどかりに「やど」をわたしてみる》シリーズの最新作として制作された東京の都市を象った「やど」を背負ったやどかりが、「母国語」をテーマとした私の本の表紙を飾るに至ったのです。

 私が月夜の十和田にいたのは、「AKI INOMATA  Significant Otherness 生きものと私が出会うとき」が、この秋に十和田市立現代美術館で始まり、そのオープニングイベントに招かれたためでした。

 美術館では、やどかり以外にも、タコとアンモナイトの類似性に着目し両者が実際に出会ったらどう“出会う”のか考察した作品、ビーバーに木を齧らせその歯形をモチーフとした彫刻、震災の影響を受けたアサリの成長線を楽譜に見立ててレコードにした作品、ミノムシに小さく刻んだ女性の服の切れ端をまとわせた作品などが展示されていました。十和田という土地にちなんだ南部馬にまつわる新作もとてもよかった。

「AKI INOMATA作品のいずれも、人間とは違う生きものの視点で見た世界が表現されたもので、長い時の流れや、環境、そして生態系についての思索を、鑑賞者の胸のうちに引き起こします」。

 美術館の入り口で配布されたリーフレットに書いてあるとおりです。どの“作品”も涼し気にたたずんでいるように見える美術館をめぐりながら、AKIさんが話していたことを噛みしめます。

 ――生きものたちとの作業が、予定通りに進んだことなんてめったにないんだよね。ミノムシが服を着てくれなかったり、やどかりにやどが気に入ってもらえなかったり、タコが脱走したり……

 自分が生きものたちをコントロールしているのではなく、どちらかといえば生きもののほうに自分が影響させられているとAKIさんは言います。ミノムシが餌を食べすぎる、水槽の中のやどかりが砂に潜ったまま出てこない、タコが逃げちゃった……その「舞台裏」の話を聞かせてもらえばもらうほど、困難に見舞われてばかりのむずかしいことをしてるんだなあ、と驚かせられます。それでもかのじょは、現代アーティストとしてはかなり特異な“表現”といえる、生物の観察と丹念な調査をとおして、「人間とは違う生きものの視点で見た世界」を創ろうと奮闘することの「愉悦」を楽しんでいるのです。

 AKIさんの今回の展覧会のタイトルである「Significant Otherness 生きものと私が出会うとき」の「Significant Otherness(シグニフィカント・アザネス)」とは、重要な他者性、を意味するとのこと。ダナ・ハラウェイという科学史家が、地球上に生きる生物種との関係のあり方として提唱した言葉だそうです。

 ‘重要な他者性’。

 実は、一泊二日という短い旅の間じゅう、重要な他者性、という言葉とともに十和田で私は、木村さんのお手紙に書いてあったことを何度も思いだしていました。

〈ぼくはやはり、“外部”に出て、現実そのものを感じたい〉

〈――“外部”に出ること――、この往復書簡でぼくは、もしかしたら、くり返しそのことの重要性だけを語っているのかもしれません〉

 十和田で、生きものたちとの関係を軸としたAKIさんの作品とむきあっていると、自分のいる世界は人間のためだけにあるのではなく、むしろ人間ではないものたちの気配がこんなにも満ち満ちているのだな、と何度も思わされました。逆に、そのことを自分はふだんどれだけ忘れ果てているのだろうか、と突きつけられてもいました。そして、木村さんが“外部”という表現で私に伝えようとしてくださっていることを、“重要な他者性”という覚えたての言葉に置き換えながら考えをめぐらせていたのです。

 あらためて思えば、ここ半年あまり木村さんとお手紙を交わしながら、私が書いたことを真摯にうけとめてくださる木村さんからのお返事、そして、私という読み手を信頼して投げかけてくださるいくつもの重要な問いと向き合うことで、自分をとりまく現実の、その輪郭線が少しずつ拡充するような感覚をいつも味わっています。それは、大変よろこばしくもあるけれど、少しこわいようなことでもあります。なぜなら、以前のままではいられなくなる、ということでもあるから。でも、自分が変容するかもしれないというこの緊張感こそが、“他者”とことばを交わすことの醍醐味なのですよね。

 木村さん。私は、幸福な偶然のおかげで共に作家として出発した木村さんと自分は、深いところで繋がっているとずっと感じてきました。とはいえ、あまりにもあたりまえのことなので、いちいち明記することが少々こそばゆくもあるのですが、私たちは“他人”同士です。どんなに親しくても、一人として同じ人間はいません。そうであるからこそ、たとえまったく同じものを見たり、経験しても、それぞれの視点は異なっています。

 ……子どもの頃、布団の中で右目と左目を交互に閉じたり開けたりして自分の間近ですやすやとねむっている妹のすがたを眺めていると、右目だけで見たときと左目だけで見たとき、それから両目で見るときとで、わずかながら目の前にあるものの見え方がちがうことに気づき、興奮をおぼえたことがありました。片目を閉じたり開いたりすることで、そこから動かなくても3つの見え方のパターンが楽しめるとすっかり面白くなった私は、それ以来、ねむれないときは目を交互に閉じたり開けたりしてよく遊びました。

 だからいまも、視点、という言葉を意識するとき、子どもの頃に布団の中で見た3パターンの光景のことを思いだすんです。つまり、人間はだれもが本来、わずかなずれをもつ3つの視点を備えている(もちろん、目の不自由な方々もまた、目が見える私たちには想像もつかないような“視点”を持っているはずです)。

 一人の人間の視点もそのように複数性を帯びているのだから、無数の人間があつまった社会にも、実は様々な視点があるはずです。

 たとえば、日本人の、男性の、異性愛者の、持てる者の、人間の視点。あるいは、子どもの、動物の、外国人の、持たざる者の、女性の視点。

 同じ現実を生きていても、どういう境遇に立たされているかによって、視点は変わります。そして、視点が異なれば現実に対する認識も変わる。ある人たちにとってはあたりまえの風景が、べつの人にとってはひどく歪んで見えたりする。

 木村さんとこうして長い手紙をやりとりするようになって私は何度か、木村さんは私が抱く以上の緊張感をもって、私と向き合おうとしていると思うことがありました。それが何に根差しているのか、前回のお手紙で、はっきりしました。階級の固定化や社会の不寛容、そして表現の不自由といった恐ろしい事態が(できれば信じたくはないながらも)蔓延しつつある〈暗澹たる現在地〉を肌身で感じながら、同じことに危機を覚える者同士、身をよせあって憂い合う、というようなやりとりとしてではなく、木村さんは、私と自分の間にきちんと線を引いて接してくれる。木村さんから感じる緊張感の正体は、日本人男性であり、日本国籍をもつ自分とはべつの視点を持つ者としての私を、自分の“内部”に引きずり込んでしまわぬよう、細心の注意を払って対話を努めるその覚悟から生じるものだったのだな、と。

〈あらゆる自明性を疑い、“外部”に出ることには痛みがともないますが、マジョリティであるぼくには、それは必要なことなのです〉。

 木村さんにとっての私が、自分の“外部”に存在する“他者”であるように、私にとっての木村さんもまた、自分とはべつの立場をもってこの社会に生きている“他者”です。白状すれば、その意識をもって木村さんと向き合う覚悟が私には少々足りなかったのかもしれません。これまでの私はどちらかといえば、“同志”としての痛みや悲しみ、とりわけ怒りを分かち合える仲間として、木村さんに同意や共感ばかりを求めていたのかもしれない。

 けれども私ももっと、木村さんと自分は“ちがう”のだということを意識したうえで木村さんと向き合ったほうが、より精密に自分たちの視点を交差させることができるのではないか、とようやく思い至りました。いや、“ちがう”ことを意識しない限り、視点を交差させることなど不可能だと気付かされたといったほうがより正確でしょうか。

 ……それに、このことはどうしても強調しておきたいのですが、日本人ではないことや日本国籍を持っていないことによって、この国での私は“マイノリティ”とみなされることがとても多いのですが、だからといって私自身が〈あらゆる自明性〉を疑わずにいられる免罪符とはなりません。私もまた、自分の“外部”に出ることをしなければ、知らずしらずのうちに、だれかをなにかを踏み躙ってしまう……

 たとえば、雨風しのげる場所で安心して寝ることがあたりまえだと信じて疑ったことのなかった私にとって、『野良ビトたちの燃え上がる肖像』や、前々回の木村さんのお手紙が与えてくれた‘視点’を思えば、私たちの関係は、木村さんだけが“マジョリティ”だと言い切ってしまえるほど単純ではありません。木村さんがそうであるのなら、私もまた、私でしかない以上、“外部”に意識を働かさない限りは、自分が知っているごく限られた世界以上の現実は見えないはずなのですから。

 いずれにしろ私は、自分の目に映る世界がこの世界のすべてなのだと、何の疑いも抱かずに信じることなど、もはやできません。いつにもましてそんなふうに感じ入るのは、AKIさんのミノムシややどかりのことをずっと考えていた影響なのですけれど。

 そうであるからこそ、十和田にいた夜、シグニィフィカント・アザネス、と心の中で呟きながらここ数か月に自分たちが送り合った手紙を思い出しながら、私にとっての木村さんがそうであるように、木村さんにとっての私も、“重要な他者”なのだろうと感じていたのです。そう、AKIさんにとっての、やどかりたちのような!

〈小説を書くことって、自分をどんどん圧迫してくる社会に対して、両肘をグイッと広げて、自分が生きる領域を確保するようなものだと思いませんか?〉

 やどかりも、貝殻が手狭になると引っ越しをしなければなりません。べつの殻へと移動する際はからだが剥き出しになるので、外敵におそわれるかもしれないという危険を伴います。それでもかれらは、〈自分が生きる領域を確保する〉ために“外部”に身を晒す危険を冒します。

 AKIさんの個展の会場では、私にとって忘れがたい、「東京」のやどを背負ったやどかりとも再会しました。もっとも、その中身はもう、私の本の表紙を飾るやどかりとは、べつのやどかりなのですが。ああ、‘あの子’は、いま、どんな「やど」に住んでいるのだろう? きっと、この「やど」よりももっと、いまのあの子にとって居心地のいいどこかなのでしょうね。

 考えてみれば、自分がやどかりなら「やど」は日本語、とは言っても、私はすでに一度、大掛かりな「引っ越し」をしているのかもしれません。つまり、小学一年生のときに、あ、い、う、え、お……という文字を覚えた頃にかぶっていた「やど」を、私はいったん脱ぎ捨てているのです。

 というのも私は、日本語を書きながらある時期までずっと‘日本人のふり’をしていました。しかしあるとき、その殻が手狭になったと気づいたのです。たぶん私は、目の前にちょうどあった日本語という殻に深い考えもなく住んでみたものの、自分の成長の過程でだんだんと圧迫されていきました。そう、みずからすすんで住んだはずの「やど」が、その実、学校の「国語」の時間に教わった日本人のための日本語だったために、自分のからだに合わなくなっていった。その居心地のわるさに気づけたからこそ私は、中国語や台湾語を含んだニホン語という、自分にとってより住み心地のいい「やど」に引っ越しをした……

 それからふと思うのです。「日本生まれの日本国籍者」だからといって、誰しもが日本語という「やど」にフィットするとは限らない。ここでいう日本語は、標準語、あるいは言語という意味を越えて、標準、規範、原則と解釈してもいいかもしれません。こうであれ、と迫ってくるものに対して、させるものか、と抵抗する。そんなふうに「おかしいものはおかしいとちゃんと言いたい」私たちにとって、書くことの愉悦とはまさにおっしゃるように、生きる領域を確保することそのものなのでしょう。

 さて。〈発表の場〉を根こそぎ奪われたとき、私は〈ただの一個の表現者になれるのか〉……木村さん。〈書きたいことを書かせてもらえない〉と〈書きたくなくとも、書けと命じられて書かされる〉。仮に、そのどちらか一つしか選べない状況に立たされるのだとしたら、まさにそれが私にとっては〈作品を発表する場をすべて失う〉状態なのです。いや、私にとってだけの話ではない。とりわけ、‘売れる’原稿ならば発表の場が溢れるほどある今、〈ただ一個の表現者〉は、この国に一体どれだけいるのでしょう。〈生きてはいても、書き手として社会的に抹殺された状態〉?

 では一体、誰が、特定の作家を殺したり生かしたりできるのか。そんな権限、どんな人にも譲り渡してはなりません。たとえ桁違いの原稿料をちらつかされようとも、一人ひとりの書き手はみずからの良心に反したことを書いてはならないのです。少なくない数の作家が‘生活のために’自分を生かしてくれる者の懐に飛び込み、そこであぐらをかくようになれば、木村さんがおっしゃる〈今のこの国に対する危機感を共有している出版人〉もゆっくりと‘殺される’でしょう。私がこんなことを憂慮せずにいられないのは、前回の手紙で触れた松本竣介のことや、白色テロが横行していた頃の台湾、現在の香港のことなどがよぎるからでしょうか。

 さいわい、日本では今のところはまだ、「おかしいものはおかしいとちゃんと言いたい」私や木村さんの声に耳を傾けたいと待ち構えてくれている方々がいます。だからこそ、〈生きる領域を確保する〉私たちのこの自由を享受しながらもその一方で死守せねば、と思ってしまいます。そう、何もかもが手遅れになる前に。

 空も白々と明るんできました。月は、まだ見えています。今回は、やどかりの話ばかりしてしまいました。猫のおはなしも大歓迎です。茶白と黒の“共同生活”についても、もっと聞かせてほしいです。

 

 2019年9月18日、木村さんのお誕生日に。

 温又柔

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著者略歴

  1. 温又柔(おん・ゆうじゅう)

    1980年、台湾・台北市生まれ。3歳より東京在住。2009年、「好去好来歌」で第33回すばる文学賞佳作を受賞。両親はともに台湾人。創作は日本語で行う。著作に『真ん中の子どもたち』(集英社、2017年、芥川賞候補)、『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社、2016年、日本エッセイストクラブ賞受賞、2018年に増補版刊行)、『「国語」から旅立って』(新曜社、2020年)など。

    撮影/朝岡英輔

  2. 木村友祐(きむら・ゆうすけ)

    1970年、青森県八戸市生まれ。2009年、『海猫ツリーハウス』で第33回すばる文学賞を受賞しデビュー。小説に『聖地Cs』(新潮社、2014年)、『イサの氾濫』(未來社、2016年)、『野良ビトたちの燃え上がる肖像』(新潮社、2016年)、『幸福な水夫』(未來社、2017年)、『幼な子の聖戦』(集英社、2020年、芥川賞候補)。

    撮影/尾島敦

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