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残余の声を聴く――沖縄・韓国・パレスチナ

沖縄で政治化するウィルスと繋がるディスタンス:開かれた現場、開かれた歴史に向けて 呉世宗

1.新型コロナウイルスと沖縄 

 新型コロナウイルス(COVID-19)がいまだ世界的に猛威を振るっている。日本でもオリンピックの延期が決まった直後から感染者が急増し、これまで何度となく「この2週間が大事だ」と言われ続けたことは記憶に新しい。
 沖縄は感染者数だけ見るとものすごく多いとは言えないものの、しかし10万人単位での感染率は全国で14位まで上昇した。「南の島は安全だ」という噂を信じて、あるいは「自粛疲れ」からか2月末から3月にかけて沖縄への観光客が増加したことが、感染者を一時期急増させたためである。
 沖縄県知事も感染者の増加を抑制すべく、「緊急事態宣言」が日本全国に適用された直後の4月23日、沖縄県独自の「緊急事態措置」を発令している。これにより7業態の施設に休業が要請され、その結果私の務める大学も入校禁止となった(5月20日まで)。大学での会議や講義はすべて遠隔化し、今もって急速なデジタル化が進行している。大学も含めたこのデジタル化は適応不適応という線引きを越えて、かなり深刻な問題をもたらしているようにも見える。デジタル化可能な業種(大学教員)と不可能な業種(医療とその現場)という線引きであったり、経済的な理由でそもそもデジタル化への移行が困難な人たちの排除といった問題である。個々の身体に関わる問題が新たに生まれているとも言える。
 今現在はというと、緊急事態措置の成果か、はたまた県知事によるゴールデンウィーク中の来沖自粛の呼びかけが功を奏してか、通りを走る自動車の数は少なくなり、連休中の国内観光客も激減し(9割以上減)、新たな感染者がゼロの日が20日間以上続いている。第一波は乗り越えたと見てよいだろう。

琉球新報styleより。(https://ryukyushimpo.jp/style/article/entry-1116157.html

 とはいえ、観光業が経済的主柱となっている沖縄において、ウイルスの抑え込みと引き換えの観光客の大幅な減少はかなりの打撃である。ややさかのぼればこの経済的ダメージは、日本政府が中国、韓国からの入国を制限した直後からすでに起きていた。那覇国際空港への両国からの直行便がほぼ途絶えてそれほど時間が経たない3月下旬、早くもドラッグストアやレンタカー会社が廃業に追い込まれ、2か月間休館すると公表したホテルが現れた。これに続く国内観光客の激減も追い打ちをかけている。今もって飲食店などが被っている損失は計り知れず、観光客向けのマンゴー販売にも暗雲が立ち込めているという。観光産業に依拠する沖縄経済は、緊急事態措置と深刻な葛藤を引き起こす構造のもとにあると言えよう。沖縄県は5月14日に緊急事態宣言を解除し、同月20日には休業要請も全面解除したが、国外国内から人の流れが以前のように戻ってくるには時間がかかるはずである。

2.閉じ込められる生

 あらためて言うまでもなく、沖縄が経済的に深刻な打撃を受けているのは、それほどまでに境界を越えたヒト・モノ・カネ・情報などの流れに沖縄がさらされ、他地域に深く依存しているためである。新型コロナウイルスの流行が目に見えるようにしたことの一つが、この流れに沖縄が深く組み込まれていたことであった。
 しかしながら、今回の新型コロナウイルスの感染予防を理由に引き起こされているのは、経済的問題だけに限らない。私にとって衝撃的だったのは、経済問題よりも、国と国との関係を国家が一瞬のうちに断ち切り、人の移動を一気に止めたことであった。とりわけ先に触れた中国、韓国からの入国制限である。
 冷戦終結後、カネやモノだけでなく爆発的な人の流れも生まれ、それが国家や国境を相対化させるという議論もあったはずである。もちろんそのような相対化現象は起きているのであろうが、しかしながら新型コロナウイルスの蔓延防止を理由とする入国制限が垣間見せたのは、依然として強力な力を行使する国家が存在するという当たり前の事実である。グローバル化は、実のところ、未だ強力なこの国家の存在を残念ながら前提にしていたとも言える。
 もちろん人々の安全・健康のために国家がすべきことは多くあるだろう。生活を保障するために一世帯にマスク二枚などではなく、検査体制の充実化や病床や酸素吸入器の確保、公金をつぎ込んでの治療薬やワクチンの開発、当面の生活を維持するための現金給付などである。しかしながら日本政府が行ったのは、自粛を「要請する」という奇妙な「緊急事態宣言」に先立って、恣意的にそして一方的になされた中国・韓国からの入国制限であった。バイオセキュリティを理由としたためか、この移動の自由の制限に対し大きな批判は日本国内からは聞こえてこなかったと記憶する。
 またこれは移動の自由の問題だけでなく、とりわけ韓国からの入国を制限した背景には、ホワイト国からの排除問題、引いてはいわゆる「徴用工」問題があったと見てよく、したがって移動制限には歴史認識問題が結びついている。中国・韓国からの一方的な入国制限は、日本という国に分かちがたく絡まりあっている歴史に対する否認とセットであったと考えられるのである。
 バイオセキュリティを利用した国家主導の歴史修正主義に関連することとして、「ウイルスとの戦い」「ウイルスに勝つ」といった、社会に広まりつつあるSFまがいの発言を挙げることもできよう。例えば琉球大学の学長も新年度早々「新型コロナウイルスに打ち勝とう」なる声明を琉球大学公式ウェブサイトに発表しており、この言説の拡散に加担している(「新年度を迎えるにあたっての学長からのメッセージ ~新型コロナウイルスに打ち勝とう~」https://www.u-ryukyu.ac.jp/news/12422/)。
 この「勝つ」という言説が恐ろしいのは、いとも簡単に「ウイルス」と具体的な何かを同一視させるからである。日本政府の閣僚がすすんで用いる「中国ウイルス」という言葉が、「ウイルス」を「中国」という同一視させるように。要するに「勝つ」は容易く排外主義に結びつくのであり、日本の場合それが歴史修正主義を支えるのである。武漢の人々を「皆殺しにする」という落書きが靖国神社内の公衆トイレに落書きされる事件があったが、これなどもウイルス問題を契機として、もともとあった中国に対する憎悪が増幅されたものに他ならない。皮肉なのは、国家による恣意的な入国制限のあとに日本で蔓延したのは、ヨーロッパから到来した新型コロナウイルスの可能性が高いとされたことだろう(https://scienceportal.jst.go.jp/news/newsflash_review/newsflash/2020/04/20200430_01.html)。
 私が受けた衝撃に戻るならば、それは日本社会におけるマイノリティである私自身がウイルスのように扱われ、かつ移動の制限によって危機的な状態のまま閉じ込められるのではという恐怖感を持ったからである。沖縄で感染した一人に外国人のホテル従業員がいたが、必要のない謝罪をホテル側が必死にしている姿を思い起こすにつれ、私はますます感染してはならないという思いにとらわれ続けている。
 沖縄県庁前広場では、5年以上にわたって毎週水曜日にヘイトスピーチを垂れ流す集会が開かれているが、ここ最近は「武漢ウイルス」といった言葉も用いられている。だが沖縄県は、先日ようやく玉城県知事が条例制定を検討すると述べたが、これまで何もせず現在に至ってしまっている。また沖縄県外の出来事であるが、埼玉県は朝鮮学校へのマスクの提供を一度拒否しており(のちに撤回)、コロナ禍を契機とした排外的ナショナリズムは全国的にせり上がっている。これらのことからも私の危機意識は高まるばかりである。
 もちろん強行すれば移動はできるのだし、排除による強制的な退去を「移動」とみなすこともできよう。しかしながら今回の「自粛」という名に対して特定の人々が感じ取っているのは、移動することへの心的な抑制に留まらない、政治的な理由からの生命の危機であることは間違いない。ウイルスと他民族を重ね合わせようとする言説が大手を振るうなか、「自粛」は「粛清」と紙一重である。その意味でウイルス禍は一つの純粋な現象ではなく、経済活動、歴史の否認、そして権力システムと連動しているのである。
 加えて政治と新型コロナウイルスに関連する沖縄の特殊な事情として、米軍基地の存在を忘れてはならないだろう。報道があったように嘉手納基地内で米軍関係者三名の感染が確認されている。当然ウイルスは基地の内と外を区別するわけではない。
 しかし問題なのは、米軍内での感染者情報の開示が米軍の意向次第だということである。名護市辺野古や金武町、そして北谷町では米兵の姿が見えなくなり飲食店やタトゥー店などが悲鳴をあげていることや、嘉手納基地では米兵、軍属、従業員の子どもたちの基地外へ通園・通学を禁止している(日本国籍の従業員には要請)ことから米軍が神経を尖らせていることまでは報道で分かる。とはいえそれ以上の基地内での感染情報は管見の限り沖縄では現れていない。だが米国内41州のうちの150の軍事基地で感染があったと報じられ(https://www.newsweek.com/exclusive-first-public-map-reveals-military-bases-coronavirus-cases-pentagon-secrecy-draws-1496951)、「世界の米軍、コロナ感染者1カ月で33倍 計8186人に」(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/564997)といった報道からすると、米軍がまるごと感染し麻痺しているのではと考えさせる出来事が世界的に起きており、そこからすれば沖縄の米軍基地内でも新型コロナウイルスが蔓延していたとしてもおかしくはない。今年3月末、エスパー米国防長官が米軍の海外での移動を60日間停止する命令を出しているが、これなども感染防止であると同時に拡散防止を意味するものと読むこともできよう(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/552047)。
 そうであれば、外出制限があったとしても基地の外で見かける米兵およびその関係者がゼロではないことからすると、沖縄は「緊急事態措置」だけでは制御困難な感染リスクを抱えていることになる。感染拡大には軍事的な要因がありうるのである(そもそも米軍基地がこれまでもたらした環境破壊が、ウイルスの拡散と全く無関係と言えるものだろうか)。
 しかしながら沖縄は、大々的ではないものの、そのような政治化するウイルスがもたらす恐怖を解除するための可能性がすでに生まれている場所でもある。と同時にその可能性は人と人との接触によって拡大しているとさえ考えられる。それは資本の流れに比べると弱々しいかもしれないが、ゆっくり何かを変えていく潜在的な力となっている。その意味で資本の急激な流れと人々の動きの間には断層が走っているように思われる。

3.接触する歴史と現場

 新型コロナウイルスを契機とする排外的ナショナリズム、歴史の否認、そして他者を抹消しようとする危機を克服していく可能性の現れとして、近年の沖縄の文学者たちと韓国の人々との交流について紹介しておきたい。
 ここ数年、沖縄文学の韓国語訳がかなり進んでいることもあり、文学をテーマにした交流が盛んになっている。翻訳に先鞭をつけたのは雑誌『地球的世界文学』であり、大城立裕、又吉栄喜、崎浜慎といった作家たちの作品が掲載された。その後、『沖縄文学の力』や『沖縄文学選』といった作品集や、崎山多美『月や、あらん』、目取真俊『眼の奥の森』といった個々の作家の単行本も翻訳紹介されている。その際、単に沖縄の文学が翻訳されているのではなく、作品が設定している戦争の記憶や米軍基地問題が注目されて紹介されている。『月や、あらん』が元「従軍慰安婦」らしき女性を登場させ、『眼の奥の森』が沖縄戦、米軍基地問題をその主題にしていることから翻訳されたようにである。もちろん沖縄文学史の関心から作品が選ばれることも当然ある。しかし選定の主要な基準に歴史認識や基地問題があることは間違いない。沖縄と韓国の歴史や軍事暴力の被害を重ねる視線がそこにはあるのである。
 そのような翻訳の進展にともなって、沖縄の作家を韓国に招待することが増えている(例外的に大城立裕は1966年に韓国を訪れている)。例えば2018年に韓国・慶熙大学に設立されたグローバル琉球・沖縄研究センターは、創設イベントで大城貞俊を招聘し、伊波普猷と沖縄近現代文学の歴史についての議論がなされた。その他にも崎山多美や崎浜慎も招待され、韓国を訪れている。
 そのようななか歴史や軍事暴力の重ね合わせによる排外主義の克服という点で注目に値する出来事は、2018年4月、済州四・三抗争七〇周年全国文学者大会および『眼の奥の森』翻訳記念セミナーに目取真俊が招待されたことであろう。これには筆者も同行した。
 全国文学者大会――南北朝鮮の首脳が38度線を行き来した日――では、目取真は高江ヘリパッド建設、大阪府警の「土人」発言、そして辺野古大浦湾で進む新基地建設といった比較的最近の基地問題を映像も織り交ぜて大きく取り上げた。
 他方で大学入学したころから社会運動に関わっていったことも語られたが、それは沖縄が、朝鮮戦争やベトナム戦争の際に加害の側で加担していたことへの痛切な痛みがあったからだと述べた。つまり被害者にも加害者にもならないために学生時代から反基地運動をしていたのであり、現在においても辺野古新基地建設反対に関わり続けていることからすれば、この痛みは今に至るまで目取真の思想の核にあるものであろう。講演では次のようにも述べられた。「沖縄が再び戦争の被害者にも加害者にもならないために、米軍と自衛隊の基地強化に反対し、闘い続けるしかない。」(講演用原稿より)。
 文学者大会の翌日には、『眼の奥の森』が韓国語に翻訳されたことうけ、「目取真俊の小説の力――沖縄文学の世界性」と題するセミナーが済州大学で開催されている。
 ここでも目取真は大学入学時から見つめてきた沖縄の運動の状況などについて興味深い話をした。72年の「復帰」以降、経済活動が優先され運動の停滞が起きたのではないか、サルトル離れが起きたのもこの時期だったのではといった話は沖縄と第三世界との呼応を考える上で重要な指摘であるだろう。その他にも大学で「国文科」を選んだ理由、シマコトバを使うことの意味、実母が11歳のとき島に米兵が泳いでやってきた話を聞いたことから『眼の奥の森』が構想されたなど、目取真作品を読む上で重要な話も多くされた。
 このセミナーで注目に値したのは、目取真にとって、そして沖縄にとっても95年が転換点であったという発言であろう。この年の沖縄は、戦争を直接知る世代からそうでない世代へと変わった時期であったにもかかわらず、沖縄戦の記憶が蘇った年でもあったという。言うまでもなく米兵による凄惨な暴力が起こったためであるが、事件が一つの契機となり米軍が未だ存在する歴史を直接知る世代とそうではない世代の間の線が明確化し、そのことが結果的に記憶の回帰そして継承をもたらしたためだと考えられる。95年の事件が大きな契機となり、2つの世代が深く接触したのだとも言える。この観点からすれば、97年に発表された作品「水滴」はかなり興味深い。というのも95年の事件の衝撃を背景に持つこの作品には、戦争の記憶をめぐって人と人との、そこには目取真も、さらには幽霊も含めての濃密なまでの接触が描かれているためである。
 上述した加害と被害、接触という観点を踏まえて済州島での出来事に戻るならば、2つの講演で目取真は辺野古の現状に触れながら、だからこそ江汀の基地問題にも言及し沖縄と済州を繋げ重ねていた。それだけでなく全国文学者大会の翌日、目取真は実際江汀の韓国海軍基地を見に行っている。完成してしまった基地を見て目取真はショックを受けたと述べた。沖縄から済州島に渡り、さらに漢拏山の森を抜け、たどり着いた先に広がっていた光景があまりに辺野古とそっくりであり、韓国海軍基地に辺野古の未来を見たことが理由としてあったと思われる。私でさえ辺野古から辺野古にやってきた、そんな錯覚にとらわれた。その意味で意図しない接触がここで起こっていたのである。

江汀村に建設された韓国海軍基地のゲート(撮影:呉世宗)

 目取真が訪れた日はちょうど新基地建設反対運動が始まって4000日目にあたっていたが、日曜日だったこともあり平和センターにも、辺野古で言うところのテント村にも人がいなかった(前日に大々的な運動を行っていた)。だがテント村近くのフランチェスコ平和センターに反対運動のリーダー的な存在であるムン・ジョンヒョン牧師がおられ、二人は短い会話を交わしている。この時のムン牧師の韓国社会に対する痛烈な批判は、四・三事件を悼む人々が江汀の基地問題には関心を寄せないということであった。江汀での強行的な基地建設を繰り返さないために四・三の追悼があるのではないかということだ。現在に過去を結びつけながら問題に取り組むという点において、ムン牧師の批判は目取真の中で響き合うところがあったはずである。また目取真は近著『ヤンバルの深き森と海より』でも「沖縄は元海兵隊員の米軍属による事件で騒然となっている。強姦殺人、死体遺棄の容疑がかけられているが、このような犯罪が起こるのを防ぐために基地に反対してきた。なんともやりきれない思いだ」と書いている(目取真俊『ヤンバルの深き森と海より』影書房、2020、354ページ)。ムン牧師の言葉に対する共鳴が起きる下地のような発言であろう。

江汀のテント村にある横断幕「江汀は4・3だ」(撮影:呉世宗)

 このとき私にとって印象的だったのは、目取真が運用面での抗議活動は完成後でもできると述べたことであった。実際江汀の海軍基地には、米軍がゴミを捨てに来ており、そこに放射能廃棄物があるのではという疑いもある。そのような一つ一つに立ち向かい、最悪の光景のなかにあっても基地に反対し抗議し続けることは大切なことである。のみならず目取真の発言は、加害と被害のどちらにも立たず、暴力が繰り返えさせないという強固な意志が現れたものである。しかし他方で私が強い印象をもったのは、これまでの運動の経験が図らずも沖縄の外で応用されようとしたように見えたためであった。おそらく目取真の中では、辺野古と江汀を区別するよりも重ねる意識のほうが強かったのではないか。
 つまり目取真は済州島で歴史と現在や世代と世代の接触、また沖縄での米軍基地の問題について語りつつ、それに加えて、沖縄戦と在沖米軍基地という沖縄固有の現場と、済州島での基地問題と四・三事件という現場の接触が彼の中で起こっていたのではないだろうか。このことは、自らが関わってきた現場が他の現場との接触によってあらためて明確化し、歴史の再記憶化を促してはいなかっただろうか。学生時代の記憶や母の証言が済州島という場で語られなおされたようにである。しかもその際、他の現場とそこに関連する歴史が流れ込んでいたはずである。
 他者の生や記憶にはじめから連結していて、転写しあえる関係を生きているということ。これこそが沖縄の文学者が提示し続けてきた可能性だと考える。そしてこの連結や相互の転写に気づくことこそが、現在のウイルスによってもたらされている政治状況を乗り越えていく可能性でもある。
 このことからすると新型コロナウイルスによって移動が制限されるなか、私たちは個の内に降り立つ「移動」までも「自粛」してはならないだろう。垂直に降り立つことで、自分の内に秘められた他者、ぼんやりとであれイメージ化された他者がそこにいるはずだからである。彼/彼女たちに触れようとすること。そしてその他者を特殊で例外的な存在とするのではなく、私「たち」として受け入れていくこと。目取真俊をはじめとする沖縄の文学が提示している可能性を押し開いていくためには、まさにこの「移動」が求められる。この「移動」によって現在の現場を多様化する他者との接触が必要となる。
 現在「social distancing(社会的距離)」やその代理的な「physical distancing」という言葉は、他者との距離を離すことだけに主眼が置かれて用いられている。しかし「距離」とは離すだけではなく、縮めることもまたそのなかに含まれていよう。沖縄の文学者が提示した可能性からすると、現在のコロナ禍のなかで私たちに求められていることのひとつは、まずは個の内に降り立ち、そこで見いだされる他者との距離を恒常的に問い直すことではないだろうか。そこにこそディアスポラが抱え込む恐怖感を解く鍵もあるだろうし、自由に移動する権利が回復したとき、多様で豊かな歴史をもたらすのではないだろうか。
 最後に金城実の作品を紹介して終わりたい。沖縄の「慰安婦」像である。私「たち」は彼女をどう迎え入れることができるだろうか。

金城実作のアリラン歌う軍「慰安婦」像(撮影:呉世宗)

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著者略歴

  1. 呉世宗

    1974年生まれ。一橋大学大学院言語社会研究科博士課程修了。博士(学術)。琉球大学人文社会学部准教授。主な著書に、『リズムと抒情の詩学――金時鐘と「短歌的抒情の否定」』(生活書院、2010年)、『沖縄と朝鮮のはざまで――朝鮮人の〈可視化/不可視化〉をめぐる歴史と語り』(明石書店、2019年)。主な論文に「金嬉老と富村順一の日本語を通じた抵抗」(『琉球アジア文化論集』4号、2018年)、「到来する歴史、積み重ねられていく小さな時間」(『越境広場』4号、2017年)など。

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