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きた道アメリカ、オモテウラ

綿花畑を抜けてディープ・サウスへ(1):人気の小さな街チャールストンとサヴァンナの歴史

美食の街チャールストンの休日
 馬はゆっくりと石畳の道を進む。馬車から見上げれば、オークの木が大きく枝を広げ、「古き良き」時代の面影を残す建物と合わせてアメリカ南部らしい独特の街並みを作り上げている――

 感謝祭の休日、サウスカロライナ州チャールストンにやってきた。美しい街並みだけでなく、美食で名高い。ワシントンD.C.郊外の自宅を出発した私たちは、ノースカロライナで、ライト兄弟が世界で初めて動力有人飛行に成功した浜辺や、港町ウィルミントンを訪ねながら南下し旅の3日目にこの街にやってきた。人気の旅先だけに、友人からの推薦や、観光サイトでいくつもの有名レストランを事前に見つけることができたが、感謝祭当日の今日は概ねどこも休みであった。それでも飛び込みで入ったレストランは、魚介の旨味の詰まった南部風シーフードスープと生牡蠣が美味しく、満足のいく昼食であった。

 食事を終えて街を歩いていると、何台も観光馬車が通り過ぎる。娘はそれを見て、自分も乗りたいと言い出した。南部の街並みや史跡などは子どもには退屈だろう。感謝祭の今日は名所やミュージアムも軒並み閉まっている。馬車に乗っていればそれなりに気も紛れ、良い思い出にもなるだろうと、観光馬車ツアーに参加することにした。
 馬車は旧市街をゆっくりと南に進み、古い建造物が立ち並ぶ中でもとりわけ歴史的に重要な建物についてガイドの男性が説明をしてくれる。

 少々肌寒い午後だったが、優雅に進む馬車の揺れに、娘はすっかり寝入ってしまった。乗りたいと言い出した当の本人は寝てしまったが、こうした歴史的な場所は解説がなければただの豪奢な建物として眺めて終わってしまっただろうから、乗ってみて良かった。アメリカ独立戦争より100年も前の1670年に、英国王チャールズ2世の名を冠した“チャールズ・タウン”として誕生したこの街には、多くの歴史が刻まれている。

美しい街の暗黒の歴史
 チャールストンは、港町であり交易で栄えた街だという。米などの農産物をはじめあらゆるものが取引された。そして「人間でさえも」と、ガイドは何度も強調する。そう、奴隷貿易はこの街に繁栄をもたらしたのだ。一時は、35%から40%の奴隷がこの街の港に「陸揚げ」されアメリカにやってきたという。1790年に行われたアメリカ最初の国勢調査では、70万人いた奴隷のうち、ヴァージニアから南北カロライナ、ジョージアまでの南部植民地にその9割が集中していたそうだ。
 馬車はチャールストンの南端に達し、ゆっくり左に進路を変え、海沿いを進む。海の向こうに、サムター要塞が見える。1860年、リンカーンの大統領当選にあたり、奴隷制維持を主張するサウス・カロライナ初め南部諸州は米連邦から脱退、南部連合国を結成し、連邦政府のサムター要塞を砲撃したのだという。南北戦争の始まりである。多くのアメリカ人が一度は訪れるという歴史の重要な舞台であり、この街一番の見所だ。残念ながら、感謝祭ということでこの日は向こうに渡ることはできなかった。
 しばらく馬車にゆられ、カラフルに壁を塗られた可愛らしい建物の立ち並ぶエリアにきた。かつての繁栄が忘れ去られ放置されていた街並みを、再開発で修繕して今の姿になったのだそうだ。この街の歴史をきくに、とても「古き良き」とは言えたものではないが。そもそも、街自体が奴隷たちを使って出来た場所なのである。

 ツアーも終わりに差し掛かる頃、美しい石畳の小径で少しとまった時間があった。

 かつての奴隷市場がミュージアムとして残されている通りだ。1859年に建てられ、南北戦争で奴隷制が廃止されるまでのわずかの期間、奴隷の取引所として使われていたのだそうだ。国際的な奴隷貿易が禁止された1808年以降、アメリカ国内で奴隷の取引をするこうした奴隷市場が多く誕生した。
 大通りから細い小道を抜け、出発点に再び戻りツアーは終了となった。今日は感謝祭ということでツアーの種類に選択肢がなかったのだが、馬小屋の壁に貼られた看板によれば日頃は「南北戦争ツアー」「奴隷制から自由へ」といったテーマごとのツアーも催行されているようだ。いまだ保守的な南部であるが、さまざまな人が訪れる観光産業の中では少なくともこの負の歴史をどう扱っていくのか、ポリティカリー・コレクトであるための取り組みを進めてきたのであろう。

サヴァンナの「涙の時間」
 日も暮れかかった頃、チャールストンを出発した。サマータイムが終わって日の短くなった季節で、夕飯時まで時間がある。この夕方の時間を使って次の目的地ジョージア州サヴァンナに到着しておきたかった。
 サヴァンナはチャールストンと並んで歴史ある小さな街として人気の旅先だ。「チャールストンとサヴァンナ、どっちが好き?」なんていうのは旅に関するよくある話題だそうで、この2都市をまとめて紹介したガイドブックもある。
 チャールストンほどではなさそうだが、料理が美味しいことでも有名らしい。しかし、到着してホテルの近くを歩いてみたが、感謝祭の夜なので開いているレストランがない。結局スマートフォンでこれから予約のできる少し離れたレストランを見つけ、ウーバーで移動することになった。この晩は感謝祭の特別ディナーだけの提供だ。メイン・ディッシュは2、3の選択肢の中からせっかくなのでターキーを頼む。デザートには、南部名物ピーカン・パイを選んだ。このピーカン・パイはアメリカのデザートらしくひどく甘いのだが、なぜかとても美味しく、一度ルイジアナで食べて以来私の好物となっている。
 翌朝、私たちは宿泊したホテルのすぐ近くにある街のビジターセンターから散策を始めた。隣の美術館は感謝祭で閉館していたが、外から見るだけでも煉瓦造りの建物などが楽しめる。ビジターセンターの逆の隣の広場前は、映画「フォレスト・ガンプ」の冒頭シーンが撮影された場所なのだそうだ。
 ビジターセンターではガイドパンフレットをもらった。独立時の13植民地の1つジョージア最初の街として1733年に誕生したサヴァンナには、多くの歴史的名所がある。宿泊したホテルの近くには、全米初のアフリカ系アメリカ人の教会があった。南北戦争前は、フィラデルフィアを拠点とし各地の奴隷を解放してきた運動組織「地下鉄道」の活動に大きな役割を果たしたそうだ*。夕食をとったレストランの1ブロック向こうには、独立戦争期から南北戦争の少し前まで1世紀にわたり使われてきた白人墓地が残されていた。
 地図を片手にゆっくりと歩きながら、オークの街路樹が美しい旧市街の道を行く。


 ひとしきり街を観て、車でサヴァンナを出発した。もう1つ、ここサヴァンナの町外れにはある史跡があるという。今は看板があるだけの小さな公園となっているが、「涙の時間”weeping time”」として知られる出来事の起こった競馬場跡なのだという。1859年幼児から大人まで436名もの奴隷を「所有」していたバトラーという名家の男性が、ギャンブル依存症で大きな借金を抱え、全ての奴隷を「売却」することとなった。当日、快晴であった天気が、取引が始まるや暗雲立ち込め、雨が降り出した。人々は、その雨はこの非人道的な取引に天が泣いているのだと信じたそうだ。
 サヴァンナの街から離れ、昨晩食べきれずに持って帰ってきた感謝祭のターキーを挟んだサンドイッチを片手に遅い昼食に食べながら、窓の外を眺めると、今も綿花畑が広がっている。国内での奴隷取引が開始されてからは、「財産」たる奴隷を増やすために奴隷たちの結婚・出産が奨励され、「増殖」が図られたそうだ。奴隷をそれほど必要としない小麦栽培に転じたメリーランドやヴァージニア等からは、綿花栽培で奴隷需要のあったジョージアなどディープ・サウスへと多くの奴隷たちが家族から引き離され、売られていったという。この辺りも、きっとそうした悲しい別れを強いられてやってきた人たちが働かされていたのだろう。そんなことを思いながら、次の目的地アトランタに向けて西へと進んだ。


*「地下鉄道」については、今年日本でも公開された映画「ハリエット」で様子を知ることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=4xeONN-ECGw

*文献
上杉忍著 『アメリカ黒人の歴史――奴隷貿易からオバマ大統領まで』(中公新書)
富田虎男・鵜月裕典・佐藤円編著『アメリカの歴史を知るための63章【第3版】』(明石書店)

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著者略歴

  1. 鈴木 晶子

    NPO法人パノラマ理事、セプテンバー・ハウスMAJコアメンバー(米メリーランド州登録NPO)。臨床心理士。大学院在学中よりひきこもり支援に関わり、若年無業者支援、生活困窮者支援などの現場を経験。生活に困難を抱える女性、若者、子どもの支援を中心に活動している。現在、在アメリカ合衆国。著書に『シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』(共編著、明石書店、2017年)など。

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