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テレワークがもたらすもの ─呪縛からの解放─

第3回 テレワークはなぜ広がってこなかったのか?

◆テレワーク向きの仕事がない?
 総務省の「平成30年通信利用動向調査」によると、企業がテレワークを導入していない理由として挙げるなかで圧倒的に多いのが、「テレワークに適した仕事がないから」というものだ(73.1%)。次いで「業務の進行が難しいから」(22.8%)、「情報漏えいが心配だから」(20.5%)、「導入するメリットがよくわからないから」(13.4%)、「社内のコミュニケーションに支障があるから」(12.7%)が続く。また、個人への調査において、テレワークが未実施である理由として多かったのが、「勤務先にテレワークできる制度がないため」(56.0%)、「テレワークに適した仕事ではないため」(51.1%)、「テレワーク用の執務環境が整備されていない」(36.3%)だ(https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/statistics/data/190531_1.pdf)。気になるのは、テレワークに適した仕事がないと考える企業や、自分の仕事はテレワークに適していないと考える個人が多いことだ。
 確かに、仕事のなかには、自宅やサテライトオフィスでやるのに適さないものもあるだろう。仕事の性質や進め方の点で、リモートでは難しいこともあるかもしれない。しかし、これほど多くの企業や個人が思っているほど、テレワークに適さない仕事は多いのだろうか。

◆もう少し先をみると……
 何の準備もなくいきなり、いま従業員にさせている仕事やいま自分がやっている仕事をテレワークでやれと言われると、困ってしまう企業や従業員が多いのは当然のことだろう。ただ、それはテレワークに適す仕事があるかどうかとは別の問題だ。テレワークに適した仕事かどうかは、もう少し先のビジョンをもって考えてみておくことが必要だろう。そうでなければコロナ後の展望も開けてこない。
 これから企業がやらなければならないのは、前回もふれたような現在進行中のデジタル・トランスフォーメーション(DX)に対応していくことだ。そうした対応のなかには、企業内の業務のうち、どこまでをデジタル技術を使って自動化や効率化ができるか検討することも、もちろん含まれる。すでに多くの企業が、パーソナル・コンピュータ(パソコン)を導入し、様々なソフトを使うことによって、業務を効率化させることは経験済みだろうが、業務の編成そのものをデジタル対応にすることまではやっていないだろう。
 このことは、企業内にはまだデジタル技術を活用できる余地がある業務が数多く眠っていることを示唆している。本気で業務の総点検をすれば、デジタル技術で対応できないものは実は少ないことがわかるのではなかろうか。
 例えば金融機関の窓口業務は、少し前までは、人間でしかやれないと言っている人が多かったが、現在、店舗は急速に削減され、業務のオンライン化が進んでいる(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49304680S9A900C1EE9000/)。窓口でやっていた業務自体はなくならなくても、デジタル技術を使えば人間が介在しなくてもすむのだ。こうした業務の多くは、定型的な業務であり、AI(人工知能)やRPA(Robotic Process Automation)が得意とするものだ。逆にいうと、デジタル技術は、知的な創造性を必要とするような非定型的な業務には活用しづらいのだ。そうした業務こそ人間の仕事ということだ。知的創造的な仕事となると、それは、職場にみんなで集まって行うようなものではなかろう。むしろ自分のペースで仕事ができるテレワークに適したものといえる。ミーティングは必要だろうが、それもオンラインで十分だ。

◆開けたくないパンドラの箱
 とはいえ、企業としては、そうしたドライな業務の見直しをしにくい事情もある。それは、ベテラン従業員の存在だ。ベテラン従業員には、長年の経験で培ってきた自分なりの仕事の知識やノウハウがある。そうしたものがあるからこそ、管理職として部下に仕事の指導をすることもできた。年功型賃金は、単に年齢が高いから賃金が高くなるというシステムではなく、これまでの仕事の経験が本人のスキルを高め、企業に貢献しているということに裏付けられたものだ。地位と実力と賃金が比例しているからこそ、年功的な人事管理は持続可能だった。きちんと仕事ができる上司や先輩がいて、若手社員は、そうした上司や先輩から仕事を教えてもらってスキルを磨く。それが繰り返されてきた企業だからこそ、厳しい競争のなかを生き残ってきて、現在の姿があるのだ。
 ところが、いまこうした循環が揺らぎつつある。ベテラン従業員のスキルは基本的にはアナログ作業のなかで培われたものだ。デジタル技術を使った業務編成となると役に立たない可能性がある。
 新しい技術というのは、これまでの仕事を奪っていくものだ。かつてイギリスで18世紀に起きた技術革新は、工場制手工業から機械制大工業へと、産業界に「革命」を引き起こした。この革命の波に飲み込まれ、仕事を奪われてしまった人たちは、機械打ち壊し運動(ラッダイトluddite運動)をして抵抗したとされる。技術革新は、その規模がどうであれ、潜在的には、労働者の仕事を奪っていくものだ。その変化が急激で、新しい仕事への転換ができなければ、失業問題を引き起こすおそれがある。
 デジタル技術の導入は、あの産業革命以上のインパクトをもたらす可能性がある。企業としても、いまいる従業員のスキルを活用できるものなら、なるべく活用したい。仕事のすべてがデジタル化できるわけではないし、仕事の進め方でもアナログ的な良さはなくならないはずだ。これまでのやり方によって、企業の業績を維持することができ、さらに雇用も維持できるのなら、何もあえて新しいモノに飛びつく必要はない。デジタル技術の本格的な導入は「パンドラの箱」のようなものだ。それを開けてしまうと、次々と災厄が飛び出てきそうだ。

◆いつまで鎖国状況でいられるか?
 業務の総点検は面倒だし、「パンドラの箱」は開けたくないという心理状態の経営者なら、これまでのやり方でもなんとかやっていけるのではないか、という根拠のない楽観論にすがってしまうかもしれない。そうなると、デジタル化にはなかなか踏み込めなくなる。それでも競争にさらされていない業種であるなら、なんとかなるかもしれない。しかし、新しい技術は、それを使って、より効率的に事業を営むライバルをいつかは必ず登場させる。
 こうしたライバルが現れたときでも、規制当局は、ある程度までは、参入規制をして、既存企業を守り、そこで働く従業員の雇用を守ってくれるかもしれない。典型例は、ライドシェアサービスが解禁されないために守られているタクシー業界だ。国民の多くがまだこの新しいサービスの利便性を知らないから、それを待望する声も上がらず、規制当局も動かない。しかし、これも時間の問題だ。
 私たち日本人は、キャッシュレスに背を向け、オンライン化に抵抗し、紙の文書を大切にするという文化的特徴が、いかに先進国らしからぬものであるかに、早く気づいたほうがいい。いまの日本は、この面では、実質的には鎖国状態なのだ。
 こうした日本のデジタル後進性が、テレワークの普及を邪魔する高いハードルだった。これが文化的特徴なら、一朝一夕では変わらないといえそうだが、実はそうでもない。明治初期に欧米文化の視察に出かけた岩倉具視が、日本古来の文化として大事にしていたちょんまげを、渡航先のアメリカで断髪して帰国したように、新型コロナウイルスという「黒船」により、異文化(キャシュレス・オンライン・ペーパーレスなど)を体験せざるを得ず、その利便性を知ってしまうと、とっととそれに乗り換えてしまうことだって十分ありうる。高いと思われていたハードルがたちまち下がるかもしれない。

◆家に帰りたくない人たち?
 それでも、いざテレワークとなると、ベテラン従業員でなくても、尻込みする従業員もいるだろう。
 本連載では通勤がないことのメリットを強調してきたが、人によっては自宅が職場となることに抵抗を感じる人もいるだろう。職場には職場の人間関係があるのと同様に、家庭には家庭内の人間関係がある。これまで出勤して外にいた人が、突然、長い時間、閉ざされた空間で一緒にいるようになると、(家の広さや部屋の数にもよろうが)そこから新たな軋轢がうまれても不思議ではない。そうなると、通勤は苦痛でも、自宅から解放されるメリットのほうが大きいということになりかねない(ただでさえ日本のサラリーマンが、仕事帰りにどこかで寄り道をするのは、自宅の居心地があまり良くないからかもしれない)。
 それにテレワークとは、自宅に仕事をもちこむことであり、それは、生活と仕事が分離されなくなることでもある。オンとオフのけじめがつかなくなるということだ。これは家族にも迷惑がかかる話だ。ワーク・ライフ・バランスを実現するはずのテレワークが、かえってライフを崩壊させるようなことになっては元も子もない。ワークとライフの一体化は、企業の配慮と個人の自己管理の両面がそろわなければ、ワークがライフを浸食していくおそれがあるのだ。
 これを法的な観点からいうと、労働時間管理をどうするかだ。これは、テレワーク警戒論の有力な論拠でもある。

◆つながらない権利
 労働時間管理やそれと関係する労働者の健康管理は、改めて論じる機会があろう。ここでは、ワークとライフの間のけじめをつける方法の一つとして、欧州で言われている「つながらない権利」にふれておく。イタリアには、「スマートワーク」(勤務する時間と場所が柔軟に設定される働き方)を導入するときには、情報機器から切断されること(つながらないこと)を確保するための措置を、企業と労働者との間で合意しなければならないという法律がある(フランス法における同様の権利については、細川良「ICTが『労働時間』に突き付ける課題――『つながらない権利』は解決の処方箋となるか?」(『日本労働研究雑誌』709号(2019年)41頁以下を参照))。
 せっかくテレワークのように自由に働けるようになっても、インターネットとICT機器があれば、いつでも、どこでも、企業とつながってしまう。この「つながる」力は、新型コロナウイルスで直接接触できなくなった人々にとっては貴重なものだが、仕事の場面ではストレスになりかねない。こういうときに、労働者に権利を認めようとするのが、まさに欧州的なやり方だ。
 権利を認めるかどうかはともかく(イタリア法でも、厳密に言えば、労働者に「権利」を認めるのではない)、労使がきちんと話し合って、労働者のプライベートを確保できるようにしなければ、テレワークは労働者のライフを浸食する危険な働き方に転化してしまう。テレワークを労働者が安心できる働き方にするためには、法的な環境整備が必要なのだ。

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著者略歴

  1. 大内伸哉(おおうち・しんや)

    1963年神戸市生まれ。東京大学法学部卒、同大学院法学政治学研究科博士課程修了。神戸大学大学院法学研究科教授。博士(法学)。労働法を専攻。著書に『君は雇用社会を生き延びられるか』(明石書店、2011年)ほか多数。SHINYA OUCHI Web Site:http://www2.kobe-u.ac.jp/~souchi/

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