明石書店のwebマガジン

MENU

私とあなたのあいだ――この国で生きるということ

第12便 温又柔より(第3章 持てる者と持たざる者のあいだ)

親愛なる木村さま

 

 夏の盛りが過ぎました。ついこないだ、村上浩康監督『東京干潟』の上映情報を確認したら、木村さんもイベントに登壇なさったんですよね。肩書が、「小説家・愛猫家」というのにくすりとさせられました。木村さんはたしかに、「小説家」と同じぐらい「愛猫家」ですものね! あの日にどうしてもうかがえず、ほぞを噛んでおりました。

 私はといえばここ数日も、書きたいことを書きたいように書くことのむずかしさを突き付けられては、途方に暮れていました。

 書くという行為に没頭していると、ふと、自分がこの小説を書いている、のではなく、この小説がいま自分に書かせている、という感覚に陥ることがあります。とりわけ、自分が書かなければほかの誰も書こうとはしないであろうことが書けたと確信した瞬間は、その感覚が高まる。たった数秒ほどしか続かないもののその感覚は私に、ほかのどんなことからも得られない喜びをもたらしてくれます。あるいはそれは、たいしたことをやっている、と思いたがる欲望から生じる子どもじみた錯覚なのかもしれません。たとえ、錯覚でもいい。それが起こるかもしれないからこそ、私は書くことの難しさにのたうちまわりながらも、書くという行為をとおしてのみ得られる喜びをひたすらに求めてしまうという、かわりばえのない、それでいて、自分にとってはほかに選びようのない日々を重ねている気がします。

「私が書くのは、自分が書いたものを読まなければ自分の考えていることがわからないからだ」と‘書いた’のはフラナリー・オコナーですが、私もまた、書くことなしに考えようとするとたちまちおぼつかなくなります。

 近頃、よく思うのです。

 書くな、と命じられたのなら私は大急ぎで正気を保つための、べつの方法を探さなければならない……

 おそらく、次に顔を合わせたときに私たちはこの話題をめぐって徹底的に話し合うことになると思いますが、例の「あいちトリエンナーレ2019」での「表現の不自由展」をめぐる一連の“事件”にはつくづく考え込まされました。浮き彫りとなったのは結局のところ、「日本が自国の現在、または過去の負の側面に言及する表現が安全に行えない社会となっていること」だったのですから、本当にやりきれません。

 でも、危険を煽ってるのは、だれ? 自国を無批判に賛美することこそが「愛国心」だと喧伝し、それに同調する者が増えれば増えるほど得するのは、だれ?

 そんなことを思いながら、身震いしたのです。ひょっとしたら、「書きたいことを書かせてもらえない」という状況が忍び寄りつつある? さらに、こうも思いました。書くな、と、表現の自由を封じ込められることよりもはるかに恐ろしいのは、その先に続く「書きたくなくとも、書けと命じられて書かされる」という状況なのかもしれない……

 ーー子どもの頃は葛藤もありましたが、このような私をも大らかに受け入れてくれた日本国はとても寛容な素晴らしい国だと感謝しています。

 たとえば、将来、‘移民の作家’として、政府からこのように書けと命じられたのなら?

 そのように書かなければこの国から追い出してやる、おまえだけでなく親族もだぞ、と迫られたのなら?

 いや、こんなふうに“鞭”という形で命じられるとは限りません。

 ーー愛国心ある限り、移民も我が国民。

 そう書きさえすれば、おまえを特別に優遇してやると“飴”をちらつかされたら?

 私は、その甘い誘惑に耐えられるのでしょうか? どうにか、それに耐えたとしても、自分ではないほかのだれかが、その“恩恵”に浴するのをまのあたりにしながら、正気を保っていられるのか?

 仮の話ではありますが、万が一このような状況に陥ったとき、私はどうやって生き延びればよいのだろう?

 いや、これはかつて、実際にあったことなのです。

 私の恩師であり画家の司修さんは、第二次大戦中に戦争画を描くことで時代から“祝福”された画家たちをよそに、どれほど不遇な状況に陥ろうとも決して戦争画を描かなかった画家の話をよくしてくれました。

 ーー沈黙することは賢い、けれど今ただ沈黙することがすべてにおいて正しい、のではないと信じる。

 この言葉は、その画家のうちのひとり、松本竣介のものです。

 木村さん。あらためて振り返ると私は、いままで一度も、自分からすすんで「政治的」なことを言おうと思ったことはありません。

 私はただ、沈黙しているつもりが、実は沈黙させられていた、などということがないように、自分が言いたいことを言いたいときに言いたいだけなのです。

 そう、おかしいことには口を閉ざさない、という思いはあれからも日に日に募るばかりです。幸いにもこの国にいる限り、私は、どうごまかしたって、サイレントマジョリティ、になれっこないのだしね、と最近は開き直ってます。それならいっそもっと堂々と、‘ノイジーマイノリティ’でいてやろうってね。

 ……念のため、今、調べてみたら、英語圏では、サイレントマジョリティ、の反対語としては、Vocal minorityのほうが使われていると知りました。Vocalという英単語には、声の、音声の、という意味のほかに、意見を自由に述べる、遠慮なく言う、という意味もあるそうです。素敵ですね。声ある少数派。確かに、ノイジー、には、キイキイとわめきたてているうるささのイメージがつきまとうけれど、日本語ではバンドの歌い手を真っ先に連想してしまう、ボーカル、という響きなら対話をしようよと呼びかけているニュアンスがこめられそうです。

 声、といえば、木村さんもよくご存じである我々の仲間・林立騎さんから以前に教えてもらったのですが、ドイツ語では、「声」を意味するStimmeという言葉は、選挙の「票」のことでもあるらしい。基本中の基本ではありますが、選挙で当選するには、できるだけたくさんの人たちから投票してもらわなければなりません。つまり、自分に一票を託してくれるかもしれないひとたちの声を尊重することからはじまる。逆にいえば、投票する側は、自分の声をうけとめてくれるひとにこそ、一票を託したい。その意味では、「声」は確かに「票」なのでしょう。

 このあいだの衆議院選挙では、ゲイであることを公言し、自分たちの存在を賭けてたたかうと誓って、初当選を果たした方がいました。

 ーー今までの国会になかったことを、そしてこの社会の中で弾き飛ばされてしまって苦しい思いをしている人たち、しんどい思いをしている人たちにしっかりと光をあてていく。

 ずっと聞かれてこなかった、軽んじられてきた無数の声(票)が虹色の束となって、その方を国会に送り込んだ輝かしさを思うと、つい涙ぐんでしまったし、こうした「変化」が起きることは、セクシュアル・マイノリティ‘ではない’私(たち)にとっても喜ばしいことだとつくづく思いました。

「しんどい思いをして」いながらも、どうせ聞かれっこないと、その声を押し殺し、じっと息をひそめているひとびとが、自分たちの希望を託せるだれかと出会ったときのパワーって、ものすごい。それは、かれらの存在を「なかったこと」にしてきたひとたちにとっての常識を根底からくつがえす可能性も秘めています。

 ちょうどそんなことを思っていたのもあり、木村さんがいま、「実話」に基づいたある地方の村長選の話を書いていらっしゃるとうかがって、興奮をおぼえました。女性と若者が自分たちの「声」を託した志ある人物が村長になることを、〈大きなものに巻かれた村の男たち〉が潰しにかかるという……ああ、もう、そのプロットをうかがっただけでも、胸が激しく掻きむしられる思いです。何しろ今の日本では、女性や若者の「声」がおおきくなってくるのを、歓迎するどころか煙たがる人たちが残念ながらたくさんいます。特に、女性や若者‘ではない’人たちの中にね。

 厄介なことに、こうした人たちほど、声がおおきくて、力もある。かれらの多くは、自分たち自身にとってのみ居心地のいい状態は永遠不変だとばかりにふんぞり返っています。自分たちのために、ほかのだれかが我慢を強いられているとは想像もつかない。もう我慢できない、これ以上好きにはさせない、と異議を申し立てられても、そういう声がなぜ出てくるのかまともに向き合おうとはせず、まったく窮屈なよのなかになってきたものだ、と不機嫌になる……「持てる者」と「持たざる者」の溝は深まるばかりです。

 考えてみれば、あらゆる意味での「持たざる者」というのは、「持てる者」たちに対して、‘自分たちはここにいる’ということから言い始めなければならないのです。自分たち‘にも’声はあるのだと、そこから伝えなければならない。しかも、それでいて、たいていの場合は、そうやってやっとのことでふりしぼった声が、雑音とみなされ、黙殺されてしまうことも少なくない。

 いつの世にあっても、現状のままのほうが都合がいいというひとたちにとって、「変化」は望ましくないものです。自分たちにとって不都合な真実が暴かれないためにも、「変化」に至る可能性がある声は黙殺したほうがいい……木村さんが懸念なさるように、今の日本では、いや、ほかの国々を見渡しても多かれ少なかれそうだというのが狂おしいところではありますが、「階級の固定化」が進行しつつあります。すでに力のあるものたちが、そこからどこうとしないからこそ、それは加速するばかりなのです……そうであるからこそ、動かしようがないと思われているものほど揺さぶる必要がある。

 木村さんのお手紙を読みながら、ずっと忘れていたある記憶が久々に疼きました。私が小学校低学年頃のことだから1990年前後のことかと思います。日本語がまったくわからず一日中戸惑っていた幼稚園の頃と比べたら、だいぶ楽にはなっていたものの、その頃の私はまだ、ほかの子たち同士はみんな通じ合っているのに自分だけその場で交わされる会話についてゆけない、ということがままある状態でした。

 ーー××公園の、ジャングルジムの脇にはルンペンが住んでいる。

 エンガチョ、と叫ぶときのような調子で、めずらしい動物のことでも話すように、けたけたと笑いながら友だちが言い合っているのを聞いたときもそうでした。

 私は、リーぺン、という日本を意味する台湾語に似ているルンペンとはいったいどんな生き物なのだろう、と思いました。その日の放課後だか数日後だか××公園で遊んでいると、ルンペンがいる、と友だちがまた囁き合います。その声と視線の先に、ぼろぼろの汚れた服を身に着けた男のひとが何をするでもなくぬらりと佇んでいるのを目にして、ようやく私はその耳慣れない言葉の意味をなんとなく理解したのです。

 ルンペン、ルンペン、と話題にしていたわりには、だれもそのひとのほうには近づこうとしません。そんなひとなど目に入ってないかのように××公園で遊び続けます。そのひともまた、ジャングルジムの脇に段ボールでこしらえたような“寝場所”にいるだけで、決して私たちのほうに近づくことはありません。私も、自分からそのひとに近づこうとは思いませんでした。なんだか、こわかったからです。それに……

 ーーすげえ、くさいんだよ。

 段ボールの家に近づいてみたことがある、という友だちの一人が鼻をつまみながらみんなに教えます。学校の‘みんな’が、ルンペン、と呼ぶ存在は、同じ町にほかにも何人かいました。コジキ、とも、ホームレス、とも言われている人たち。かれらは、遊んでいる私たちのすぐそばを通り過ぎることもありました。ジャングルジムのひとはずっと無言でしたが、ぶつぶつと何か喋り続けているひともいました。

 ーーすげえ、くさいんだよ。

 そのとおりでした。かれらが放つその独特の匂いは、私たちの恐怖と、そして禍々しい好奇心を煽るのに十分でした。特に、女の子はああいうひとのそばに近寄ってはならない、とも言われていました。‘なにをされるかわからないから’、と(それは実は少年であろうと変わらないのですが)。子どもたちに良からぬいたずらをするのは、ルンペンと呼ばれるひととは限りません。むしろ、そうではない場合もすごく多い。

 これも、ずっと忘れていたことですが……たぶん、まだ中学生になる前のことだった。私は、見てしまったことがあるんですよ。〈破れかぶれの無防備な格好〉で眠っていたひとの露わになった股間を。

 今なら、想像できます。あの人もきっと〈安心できないつらい日々を強いられ〉ていたのでしょう。

 でも、見知らぬおとなの男の、それも、強烈な匂いを放ちながらボロボロの衣をまとったひとの男性器は、思春期にさしかかった頃の私にとって、ただもう、恐怖以外のなにものでもなかった。

 大学生になって、マルクスだのなんだの、そういった本の入門書を読み齧るようになってからようやく私は、「労働意欲を失った浮浪的無産者や労働階級から脱落した極貧層」を意味する「Lumpenproletariat」という用語の一部である「Lumpen」が、日本では、主に「浮浪者」をあらわす言葉として使われていたのだと知り、動揺しました。

 ルンペンの噂と、剥き出しのペニスの記憶、さらにいえば、すげえくさい、とみんな‘も’言っていたあの匂い……けれども、かつての木村さんと同じように、20代になるかならなかった頃の私も、「労働意欲を失った浮浪的無産者や労働階級から脱落した極貧層」についてそれ以上突き詰めて考えようとはしませんでした。

 ーールンペンにだけはなっちゃダメだってパパが言ってた。

 今になって、やっと知るのです。

 子どもたちにすら、ルンペンとあざ笑われていた彼らのうちの多くは、みずからすすんで、あんなふうになったわけではないはずだ。むしろ、抗いようのないなにかに引きずり出されるように、そんなふうになってしまった者のほうが多いにちがいない……

 おそらく、これからも私は、〈外でむやみに寝転がってはならない、などという人間社会のルールを軽々と越えて〉ほかの人々が〈必死で理性的な社会人であろうとしている努力〉を無効化する、「野宿者」という、圧倒的に「持たざる者」の存在を、正面から書くことはないでしょう。私がまっすぐ見つめるべきものが、もっとほかにあるからと感じているからです。

 木村さんは、現場に足を運び、身を浸し、五感を働かせるという徹底的な取材に基づき、真正面から野宿者について書きました。

 ーーおれらが生きてけるような隙間って、この国にはもうないんじゃないんですか?

 私も含めた、いまの日本の作家のだれもがあえて書こうとはしない、でも、だれかが絶対に書かなければならないことを、木村さんは一心に引き受けて、『野良ビトたちの燃え上がる肖像』を書きました。

 ーーここで見たこと、いつか書いてくれよ。

 木下(≒木村さん)が「橋渡し」してくれたものを読んでいなかったのなら、私はひょっとしたら、ルンペンという響きに絡まる古い記憶と、いまのようには向かい合えなかったし、向かい合おうとはしなかったかもしれません。あの小説はまちがいなく、「野宿者」や、かれらーー女性も含めてーーが置かれた状況をめぐる私の想像力を生々しく揺さぶってくれたのです。

 いつか、木村さんは私に話してくれたことがありました。猫が鳴くときは、感情が高まったとき。人も同じで、感情が大きく動揺したから声が出る、と。覚えていますか?

 木村さんが書くものの中には、木村さんの耳が聞き取った呻き声があります。それは木村さんご自身の声とも重なって、読む者を揺さぶってくれます。これは声だったのか、と。この声を、いままでどうして聞き漏らしていたのかと。聞こえてしまったからこそ、木村さんはそれを書きとめた。

 けれども、自分は〈無理をしている〉のだと木村さんは書きました。〈自分が知らない世界を知ろうとして、日常から自分を引き剝がす痛みを自分に強いている〉と書きました。

 ほんとうに、そう感じているのですか?

 木村さんは、〈小説を書いている〉から、〈作家〉であるから、‘そんなふうに’生きているのですか?

 たとえば、〈上下の階層を縦に貫くビジョンを提示する〉ために、ほかのひとたちーー〈文学業界で主流とされるみなさん〉ーーが、あえて書こうとはしないことを真正面から書くために木村さんが奮闘するのは、〈表現者〉としての務めを果たすためなのですか?

 もちろん、それもあるのでしょう。

 でも私はね、木村さんが書くのは、そう、書き続けているのは、そうすることによって、‘おれはここにいる’、‘おれもここにいるんだ’、と自分自身に対して確かめているからなのだとも感じるんです。何かおおきなものに押しつぶされそうになるたび、木村さんはそうやって生き延びてきた……そう、なにかに歪められた状態のいびつな自分ではなく、自分が自分である本来のすがたを肯定するためにずっと、木村さんは小説を書いてきた。書かざるを得なかった……。

〈もしぼくが小説を書いていなかったら、そこまでしただろうかと思うと、正直、心もとない〉と言いますが、逆ではないでしょうか? ここまでしないではいられないからこそ、木村さんは小説を書いている。吠えるために怒ってるのではなく、怒ってるから吠えている。そうではないですか?

 木村さん。私は木村さんの真面目さがとても好きです。そうであるからこそ、このあいだのお手紙を読んでいて、ほんのちょっとだけ心配になりました。木村さんが、作家としての責任を果たそうとするあまり、ご自身を必要以上に追い詰めているように思えて……私の誤読でなければ、木村さんが、“正しさ”をまっとうするためには、書くことの“楽しさ”をすべて手放すべきだと思い詰めているように感じられたんです。とはいえ私も、ほかのひとたちは一体なにをやっているんだ、としょっちゅう憤っているし、その苛立ちともどかしさもよくわかるつもりなのですが。

 ああ、私たちはいよいよ、書きたいことを書く自由と、書きたくないことは書かずにいられる自由を死守する覚悟をもたなければならないのでしょうね。そして、自分が「書くべきこと」と「書きたいこと」を隔てている線を行き来しながら、時には、りょうほうを混ぜあわせながら、たたかってゆく……長期戦を覚悟しなければならないのかもしれない。そのためにも、ときには、自分ときたら、なんとまあ、‘たいしたこと’をやっているんだろうか、とうぬぼれてみたりしてね。

 さて。そろそろ、小説を書くことのほうに戻らなければなりません。

 彼女が待っている、と今書きつつある作品の主人公の名が頭の片隅にちらつきます。考えてみれば私がいままで発表してきた小説の主人公は、ごく短いいくつかのものをのぞいて、すべてが女性です。私にとっては、自分が書きたいことを書くためには、それが自然だったんですよね。木村さんは、女性が主役のものもいくつか発表なさってますよね。女性を書くときは男性を主人公にして書くときと、何か、意識のちがいはありますか? いつか聞いてみたいなと思っていました。

 

 2019年8月26日

 温又柔

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 温又柔(おん・ゆうじゅう)

    1980年、台湾・台北市生まれ。3歳より東京在住。2009年、「好去好来歌」で第33回すばる文学賞佳作を受賞。両親はともに台湾人。創作は日本語で行う。著作に『真ん中の子どもたち』(集英社、2017年、芥川賞候補)、『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社、2016年、日本エッセイストクラブ賞受賞、2018年に増補版刊行)、『「国語」から旅立って』(新曜社、2020年)など。

    撮影/朝岡英輔

  2. 木村友祐(きむら・ゆうすけ)

    1970年、青森県八戸市生まれ。2009年、『海猫ツリーハウス』で第33回すばる文学賞を受賞しデビュー。小説に『聖地Cs』(新潮社、2014年)、『イサの氾濫』(未來社、2016年)、『野良ビトたちの燃え上がる肖像』(新潮社、2016年)、『幸福な水夫』(未來社、2017年)、『幼な子の聖戦』(集英社、2020年、芥川賞候補)。

    撮影/尾島敦

閉じる